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3.レナーテ(3)

 まだ私たちの婚約は解消されていない。お父様はカレル様から渡された婚約解消の書類にサインをしていないと言っていた。

 だから勝手に手続きを進めても不備とみなされ受理されない。なによりもリュークが受け入れるはずがないのだ。


「……噂なんて信じない。リュークはそんな不誠実な人じゃない」


 でも不安は拭えない。新な婚約者となる噂の令嬢は……フェリシア・ケーマン公爵令嬢。彼女は以前からリュークのことを気にかけていた。

 フェリシア様は大きな瞳に緩いカールのかかったふわふわのくせ毛が可愛らしいお人形さんのような女性だ。公爵夫妻はフェリシア様をとても溺愛している。どんな我儘でも叶えてしまうほどに。しかも彼女の母親は現国王の妹でもあり国王陛下もフェリシア様を自分の娘のように可愛がっていると聞く。


 私はフェリシア様にお茶会で声を掛けられたことがあった。フェリシア様はおっとりと微笑み慈愛を込めた声で私に言った。


「お可哀想なレナーテ様。レナーテ様がブラーウ侯爵家に嫁ぐのは負担が大きすぎる。家格や……それ以外にも釣り合っていませんもの。無理がありますわ。この婚約はお二人のお祖父様同士が勝手に決めてしまったものなのでしょう?」 


 それ以外とは私の容貌のことを言っているようだ。確かに十人並みで平凡な顔だがリュークは可愛いと言ってくれる。引け目に思う必要はないはずだ。家格は確かに釣り合っていないかもしれないが家長同士が納得している。フェリシア様から憐れまれる筋合いはない。何よりも私とリュークの婚約は不幸じゃない。お互いが同意して幸せなのだ。


「確かに私たちの生まれる前から決められた婚約ですけれど、不満に思ったことはありません。むしろ祖父には感謝しております。私はリュークを大切に思っていますし彼も同じ気持ちだと言葉にしてくれています。もちろん彼の妻となるための努力も惜しみません。ですから大丈夫です。ご心配して頂きありがとうございます」


 私はフェリシア様から目を逸らすことなく言った。それに対しフェリシア様は目を丸くして僅かに首を傾げる。まるで不思議な言葉を聞いたかのように瞳を瞬いた。


「まあ! レナーテ様は大丈夫とおっしゃったの? でも先日の夜会でマーセン王国の王弟殿下がいらっしゃったときに、レナーテ様はリューク様の隣で談笑していました。あれはとてもはしたないことです。リューク様が恥ずかしい思いをしたのではないのかしら?」


 この国の女性はパートナーである婚約者または夫の一歩後ろで控えて社交をするのが美徳とされている。女性は男性を立てる存在で自分の能力を誇示してでしゃばることは恥ずかしいことだ。ただ微笑んで側に寄りそうことが正しい振る舞いだという認識だ。フェリシア様は私がマーセン王国の王弟殿下と積極的に話をしていたところを見てリュークの婚約者に相応しくない、恥をかかせたと責めていた。


「確かに我が国では誉められた行動ではありませんでしたが、私はマーセン王国の文化に合わせて振る舞ったのです」

「どういうことかしら?」

「マーセン王国では妻や婚約者はパートナーと対等な関係であり隣に並びます。後ろに控え黙っているのは二人の関係が良好でないことを意味してしまうのです」


 マーセン王国は夫と妻は支え合うべきだという文化だ。だから私はリュークの婚約者として彼を支えていることをアピールした。実は私とリュークはマーセン王国には何度も行っており王弟殿下とも顔見知りだ。だからリュークの後で無口に控えていては王弟殿下にリュークと何か問題があったのかと誤解されてしまう。でも我が国の王家や貴族はそのことを知らない。

 この国は海に囲まれ自国だけで満たされているのでとても閉鎖的だ。残念なことに王家も外交に積極的ではない。私は家が貿易商をしていることから子供の頃から国外に連れて行ってもらえることが多かったので、色々な国の色々な文化を知っている。そこで国同士の交流で文化や経済が発展していくことを知った。他国との関係を疎かにするのは得策ではない。


 特に相手の文化に合わせ尊重し合うことは重要だ。マーセン王国は我が国から離れている。だから貴族や民衆からの認知度は低い。マーセン王国は大きな経済力を持っていて外交にも積極的で色々な国と友好を結んでいる。だから近しい関係が築ければこれほど素晴らしい国はない。はっきり言って国力はマーセン王国の方が我が国より遥かに高い。

 エフベルト様もリュークがブラーウ侯爵を継ぐ頃には国外との関係を増強していきたいと考えていた。マーセン王国は仕事の規模を広げていくのなら特に重要な国となる。


「……そう。でも今回はその必要があったのかしら? 王弟殿下は我が国の文化を知るためにいらっしゃったのよ。合わせるべきは王弟殿下の方だと思うわ」


 フェリシア様は呆れを滲ませた表情で私に向かってため息を吐いた。フェリシア様は王家よりの考え方をする。自国の方が優れているのだからこちらが(へりくだ)る必要はないと考えている。国交を深めたいのならマーセン王国が頭を下げろと。


「…………」


 ここはたとえ同調できなくても首肯するべきなのだと分かっている。フェリシア様は私よりずっと格上の公爵令嬢で国王陛下の姪なのだ。むしろ彼女を不機嫌にしないために自分は間違っていたと謝罪するべきかもしれない。でも私はそうしなかった。


 お父様は言っていた。今回マーセン王国の王弟殿下は文化交流を進めると言う名分で来訪されたが、それは建前で我が国が今後重要な取引国となりうるのかを見極めに来ている。今まで通り形式的な外交関係に留めるのか、それとも経済的な交流を深めていくのかを。


 王家もケーマン公爵家もそしてフェリシア様もそのことに気付いていない。重要だと思わず軽んじている。

 フェリシア様は私を冷ややかに一瞥すると、ドレスを翻し取り巻きの令嬢たちを連れて移動していった。

 私はフェリシア様の背中を見つめながら確信した。

 フェリシア様はリュークのことを慕っている。私を憐れんだのは同情した振りをして私からリュークとの婚約を解消させようと思っていたのかもしれない。もしもフェリシア様が国王陛下にリュークとの婚約を強く願ったら? でも……それは無理だということに気付き密かに安堵した。


 フェリシア様はケーマン公爵家の一人娘なので婿を取らねばならない。リュークはブラーウ侯爵家のたった一人の子供で嫡子だから婿入りは無理だ。だから二人が結婚することはできない。そう安堵していたのにまさかこんなことになるなんて。

 お父様にお願いして噂を詳しく調べてもらったところによると、リュークがケーマン公爵家に婿入りすることで話が進んでいる。それならブラーウ侯爵家の後継ぎはどうするのか? ブラーウ侯爵家の縁戚には継ぐのに相応しい子息はいない。ところが――。


「カレルに隠し子がいた。結婚前からの恋人がいて今もその関係が続いている。その女性との間に子供がいたらしい。その事実はエフベルト様や私たちには知らされていなかった」

「そんな!」


 カレル様はその女性との間に生まれた子を跡継ぎに望んでいる。

 それではリュークがブラーウ侯爵家を継げない? 酷い! リュークは家を継ぐため、エフベルト様の期待に応えるために一生懸命学んできた。その重責に弱音を吐くことだってあったのに、彼は真摯に向き合い続けてきた。それが無駄になってしまう。その努力はもちろんケーマン公爵家に婿入りしても役には立つ。でも彼はブラーウ侯爵家のために必死で頑張って来た。こんなふうに取り上げるなんて私はカレル様が憎かった。リュークは今どんな気持ちでいるのだろう

 リュークに会いたい。彼が傷つき悲しんでいるのなら寄り添いたい。私は思わず家を飛び出した。そのままブラーウ侯爵家を訪ねれば見知った執事ではない男性が出て来た。


「本日リューク様はケーマン公爵家に行っています」

「いつ戻りますか?」

「戻ってもバールス伯爵令嬢様と会うことはありません。お引き取りを。そしてもう来ないで下さい。リューク様とケーマン公爵令嬢様との縁談に障りますので」

「リュークはそんなこと望んでいないはずよ!」


 新しく雇われたらしい執事は私を蔑むように口角を上げた。

「リューク様は大層お喜びのご様子です。ああ、そうでした。バールス伯爵令嬢様との婚約は正式に解消されています。これをご覧ください」


 執事が私に見せたのはリュークと私の婚約が正式に解消されたことを証明する書類だった。偽物だと思いたいのにそこには王家の印章が押されていた。


「う……そ……」

「さあ、お帰り下さい」

「待って、リュークの口から本当のことが聞きたいの! だから会わせて!」

「おい。このご令嬢を追い出せ」


 執事は後ろにいた騎士に指示を出し私を屋敷から追い出した。

 リュークに会うこともできず、私は憔悴しながら家に戻った。


「レナーテお嬢様。実は……」


 その日、用事で街に出ていた侍女がフェリシア様をエスコートするリュークを見たと教えてくれた。そして二人は仲睦まじそうにカフェに入って行ったと……。


「いやよ……リューク……嘘でしょう? 嘘だと言って……」


 私との婚約は解消されていた。だとしてもエフベルト様の喪は明けていないからフェリシア様とリュークはまだ正式に婚約者じゃない。それなのに二人きりで外出するなんて不謹慎で醜聞になってもおかしくない。でもケーマン公爵家には王家がついている。貴族たちは眉を顰めても非難はしないだろう。王家の力があったからこそお父様が受け入れていない、私とリュークの婚約解消が成立しているのだ。

 権力を前に私には成す術がない。そしてその苛立ちがリュークに向かっていく。


 どうしてリュークは会いに来てくれないの? フェリシア様とデートをする時間があるのなら一通くらい手紙をくれたっていいはずよ。それとも私の存在はそんなに軽いものだった? こんなにあっけなくいらなくなってしまうほど――。


「リュークは心変わりをしたの? 私よりフェリシア様を選んだの? 公爵家の婿の立場が魅力的だった?」


 私だって分かっている。ケーマン公爵家に逆らうのは王家に逆らうのと同等だ。だからリュークを責めることはできない。リュークはフェリシア様との婚約を望んでなんかいない。きっとカレル様の命令で仕方なくエスコートをしたに違いない。

 そう信じたいのにリュークと話をすることもできない。彼の口から否定の言葉が聞きたい。

 でも……もしもブラーウ侯爵家の執事の言葉通りにリュークがフェリシア様との婚約を望んでいたら? 何が本当なのか、もう分からない。


「ねえ、リューク。私たちの関係は本当にこのまま終わってしまうの?」


 灯りもつけずに暗い部屋で呆然と座り込む。

 その夜の夕食でお父様が憔悴した顔で口を開いた。


「レナーテ。すまない。屋敷と爵位を手放すことになった……」

「そんな! どうして?」


 お父様の顔色は悪く目の下には隈がある。お母様も同じ表情だ。


「我が家と取り引きのある国内の商会すべてが取引を取りやめると言い出した。急激な資金繰りの悪化で不渡りを出してしまったのだ。もう、この国で商売は無理だ。だから爵位を売り国外で新たにやり直そうと思う」

「……」


 私の頭の中は真っ白になった。二か月前までの平穏で幸せな日常がもう思い出せない。それほどほど目まぐるしく状況が変る。それも悪い方へ、悪い方へと転がっていく……。

 やつれたお父様に「嫌だ」とは言えない。私は家の大変な状況を知らずリュークのことで嘆いていただけだったのだから。お兄様はすでに新しい生活拠点となる国に向かい準備を進めている。


「レナーテ……リュークのことは諦めてくれ」

「……分かったわ」


 なんとか声を振り絞り返事をしたが、俯いたままでお父様の顔を見ることはできなかった。悲しみと絶望に体が震える。胸の奥が苦しい。心が引きちぎられてしまいそう。

 

 私は泣くのを堪えるので精一杯だった。







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