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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ツバメが飛び去る頃に。

作者: 粂島怪法

四月中旬、玄関の軒にツバメが巣を作りはじめた・・・・。

 四月の、或る日―

 我が家の玄関の軒に、ツバメが巣作りをはじめた。

 ツバメの巣は幸運を呼ぶと信じていたおふくろは、よほど嬉しかったのだ。

そのまま隣人の家に飛び込んで、得意げに話をするほどのはしゃぎぶりだった。

 ツバメが巣を作った家で長年患っていた夫の病が平癒したり、長い間子供が出来なかった夫婦に子供ができたりという慶事は起きてはいたが、それは、つばめの巣が幸運を呼んだわけじゃない。

ただの、偶然。

だが、偶然や稀事を神や仏、伝承伝説の成せる業と妄信するのが人の性。

喜寿を迎えようとするおふくろが、良き運勢が巡り来るのをツバメの巣に祈る気持ちは、分からないでもない。

 我が家はある問題を抱えていた。それは、素行不良の次男の存在だった。

 次男は、親父やおふくろが散々甘やかして育てた所為で、身勝手で我儘な気質になり、幼い時からいろいろと問題を起こしてきた。

中学生になると、同じ中学の不良仲間とつるんで悪さをするようになり、幾度となく警察の手を煩わすようになった。

高校だけは卒業したものの、三十過ぎても定職に就くこともなく毎日遊び暮らす始末。

 一年前、『俺が甘やかして育てたのが悪かった。』と、口癖のように言っていた親父が亡くなってからは輪をかけて遊び暮らすようになり、地元では札付きの悪という評判のグループとつるんでは数日、時には一週間以上家に帰らないことがあった。

 次男が家に帰らない度に、何か悪事でもしでかしやしないかと気を揉むおふくろの姿を見ていても、僕は気の利いた言葉一つ掛けてやれないし相談にも乗ってやれない。

そんな母子の関係の家に作られたツバメの巣。

おふくろの気の入れようは、一入だった。

 親鳥が何度も往来して泥土を運び、巣がお椀の半形のようになっていく様子を、目を細めながら見守るおふくろ。

その目は、わが子の誕生を心待ちにする母親の慈しみに溢れた目だった。

 

 四月の、また或る日―

 親鳥が巣の中に居るようになった。卵を産んだのだ。

おふくろは目を丸くして喜び、早速、玄関ポーチに新聞紙を敷いた。

それから、新聞紙を毎日取り換えるのが日課になった。

僕は仕事から帰って晩飯を食べている間中、おふくろからツバメの巣作りから子育ての様子を聞かされるようになった。それはもう、うんざりするほど。

 

 五月の、或る日―

 四羽の雛が、孵っていた。

 おふくろが目を潤ませながら、つぶさに巣の様子を見れば、身体の大きな三羽と身体が一回りは小さい雛が他の三羽に押されるようにいる。

「うんうん、頑張って、大きくなるんだよ。」

そう言って、おふくろは目を細めた。

 末っ子の雛は、いつも三羽の兄弟に押し潰されるようにいたが、親鳥が餌を運んで来ると嘴を大きく開けアピールし、必死に餌を得ようとする。身体は小さいけれど、逞しい子だった。

 

 雛の産毛はすっかり抜けかわり、その身体は小さな巣から乗り出すようになった。

末っ子の雛も大きくなったが、巣から頭を出すのがやっと。

 巣立ちの日が近づいていたかにみえた、五月の下旬に入った或る日―

 

「おや?」

おふくろは、新聞紙に落ちた糞に羽の切れ端のようなものが混じっているのに気が付いた。

巣を見ると、大きい雛一羽の姿が見えない。

『巣立ったのかしら。』

おふくろはそう思いつつも、

『一羽だけ先に巣立つことがあるのかしら。』と不安になり、あたりを探し始めると、

「あっ!」

おふくろは低い悲鳴を上げ、その場にくず折れた。

裏庭に、左の翼が根元から切りとられた雛の屍骸がころがっていたのだ。

すっかり成長した雛の胴体部分と切り取られた左の翼が、ごみのように捨てられている。

雛は翼を切り取られた後もしばらく生きていたのか、辺りには、のた打ち回ったような形跡がある。

不思議なことに血痕はない。

「だ、誰が、こんなことを・・・・」

おふくろは込み上げ流れ落ちる涙を拭おうともせず、雛の胴体部分を両手で包み込むように拾い上げた。

 急に、頭の上からカラスの物欲しそうな鳴き声が聞こえ、すぐ近くから無下に甲高い人声がする。

おふくろは、そそくさと勝手口にあった手持ちショベルを取り、庭にある椿の木の前を掘り始めた。

四方、深さ共に二十センチくらいまで掘り進むと、穴底に雛の胴体部分を、その上に左の翼をそっと置き、土を少しずつ添えていく。 

最後に、盛り土の上に、そこいらにあった四角い石を置いて、おふくろは手を合わせた。

 その夜、僕はおふくろから雛の酷い最後を聞かされた。

おふくろは涙を浮かべながら、玄関先で羽の切れ端が混じった糞を見つけたことから、胴体と根元から切り落とされた翼を見つけ、葬るまでの様子を事細かに話し続ける。

「誰かが、ツバメが巣を作ったのを妬んでやったんじゃないのかい。」

僕が何気なく言うと、おふくろの蒼ざめた表情がみるみる怒りに満ちていく。

「妬まれるだなんて、お前は何を言ってるんだい。今まで、近所で巣を作っても、こんな事は起きなかったじゃないか。どうして、家だけこんな目に遭わなきゃならないんだい!」

おふくろはそう言って、僕を睨み付けた。

 僕の言ったことが、余程おふくろの神経を逆撫でしたらしい。

今まで、おふくろに、あんな蔑むような目つきで睨み付けられることはなかった。


 身体の大きいあと二羽の雛の姿が見えなくなったのは、それから数日後だった。

おふくろは、血相を変えてあたりを探し回った。ところが、何処を探しても雛の屍骸はない。

 親鳥はたった一羽残った末っ子の雛に、何事もなかったように餌を運んでいる。

おふくろが、今度こそ巣立ったのかも知れないと、淡い期待をしたのも束の間、すぐさま疑心暗鬼が頭をもたげる。

 末っ子の雛のことが心配で堪らなくなったおふくろは、夜中に時折寝床から起きだして様子を見るようになった。

 そんなことが七日も続いた頃だろうか、末っ子の雛は無事巣立って行った。

おふくろは、ほっとした表情を見せたものの、すぐに塞ぎ込むようになった。

末っ子が無事に巣立ちはしたものの、雛一羽が嬲り殺しにされたことが、おふくろはショックだったのだ。二羽の雛の安否が分かっていないこともある。

なにより、次男がこの二週間、家に戻らず連絡も取れなくなっていることが、おふくろの気を一層滅入らせていた。

 次男が家を空けることはしょっちゅうだったが、二週間も帰らなかったことはなかったのだ。

おふくろは警察に捜索願を出すことも考えたようだが、次男が中学校の時から警察の手を煩わしていたことに引け目を感じ、躊躇った。

 僕が弟が居なくなっても平気の平左としていることが気に入らないのか、おふくろは僕に向かって、「お前は、弟が帰って来なくても気にもしないのかい! 捜しもしないのかい!」と、あの蔑むような目をして怒鳴る。

僕がただ黙っていると、おふくろは、

「なんで、お前は、いつもそうなんだい!」とまた怒鳴り、またあの蔑むような目で僕を睨み見る。

 おふくろが行方不明の二羽の雛が無事巣立ったことを願い、次男が早く帰ってくることを願いながらも、その願いと相反する結末になっていたとしたら、という不安で堪らない気持ちは分かる。

おふくろが、一時の不安で堪らない気持ちで僕に対してああいう態度を取らせたとしたら、僕は我慢もしよう。

だが、おふくろに、毎日怒鳴られ敵を見るような目つきで睨み続けられれば、自分の母親でも疎ましくなるし、僕がおふくろの目の奥に僕に対する憎しみさえ感じたとしたら、尚更に疎ましくなるのも当然じゃないか。 

 実は、僕はこの二つの事件の顛末をおふくろには聞かせまいと思っていた。

生い先短いおふくろに、最悪の結末を話して聞かせて何の得があると思っていたからだ。

 方や、おふくろに対する疎ましさが日に日に募り、それが、自分でも信じ難いほど憎しみに近い感情まで昂じていくと、

『そんなに知りたければ、話して聞かせてやればいいんじゃないか。』という悪魔の囁きが聞こえはじめ、それが次第に僕の心を支配していく。

 おふくろに、この、ツバメの雛惨殺事件と次男の失踪事件の顛末を話して聞かせれば、涙が枯れるほど泣き悲しむだろう。絶望の淵に追い詰められるだろう。

だが、最後には、悪魔の囁きが僕の心をすっかり支配していた。


 人の心の中に存在する魔ものは、その人自身が埋めきれない心の隙に、残虐な息吹を送り込む機会を常に伺っている。

 目の前に飛んできた吸血蚊を叩き殺すように、三羽のツバメの雛を殺した犯人。 

 犯人は、身体の小さな末っ子の雛を生かしたわけだが、それは同情からじゃない。

生まれながらにして身体が小さく、その所為で幼い時からいじめに遭っていた犯人は、身体の小さな雛を殺すことは、自分の息の根を止めるようで気乗りしなかっただけの事だ。

 僕には分かる、犯人は殺生などなんとも思っていないことを。むしろ、愉しんでいることを。

子供の頃からいじめられ、虐げられて来たこの犯人の救いようのない邪悪な心の闇を、誰が知りえようか。

それは、残忍でえげつない犯行の手口にもあらわれている。

 実行したのは、人が寝静まる真夜中。

 まず、脚立を使って巣まで上る。厚手のゴム手袋をはめた手で雛を掴み上げ、ギューッと適当な圧で握り締めて気絶させる。

気絶した雛を、地べたに押し付け翼を広げる。

鋸状のカッターの刃を、料理用の携帯バーナーで赤くなるまで焙る。

この時、あたりに炎が見えないように、ダンボール箱の中でカッターの刃を焙る。

カッターの刃が赤く熱したところで、左の翼を強く押さえ付けながら、刃を雛の翼の根元にグイッと刺しこみ、小刻みに押し引きしながら引き下げていく。

こうすれば、熱しられたカッターの刃が翼を切ると同時に傷口を塞いでいき、血が流れ出すことはない。あとはそのまま放っておけばいい。

雛が息を吹き返したところで、胴体と片翼でのた打ち回った末に絶命してしまう。

 犯人の思惑通り、おふくろは悲しみに暮れ人目を憚りながら雛の死骸を葬った。

 後日、犯人はあと二羽の身体の大きい雛も同じように始末する。

一羽目の雛の始末と異なる点は、雛二羽の左の翼を切り落としたあと、おふくろが最初の一羽を葬った墓穴を掘り返し生き埋めにしたことだ。

生き埋めにしたのは、おふくろに二羽の雛が巣立ったという微かな期待を抱かせようとする犯人の姦計。

これが、ツバメの雛惨殺事件の顛末だ。


 隣人の奥さんから『ツバメは巣立ったの。』と聞かれ、『無事巣立ったわよ。』と嘘を付くしかないおふくろのしどろもどろした姿は、実に滑稽だった。

 あぁ、それから―

 厄介者の次男だが、隣町にある鬼塚山のふもとにある沼の底に沈んでいる。

 その沼は、千年の昔から、『魔性の精が潜み一度沈んだら命ある物全てを喰い尽くす。』と言い伝えがある曰くつきの場所。

 二週間前、仲間のリーダーの女に手を出した次男は、この沼のほとりで半殺しの目に遭い、そのまま沼に投げ捨てられたのだ。

 次男が沼底に沈んで二週間。躯が消えて無くなるまで、あと数カ月・・・・。

おふくろには、いつ頃、話して聞かせようか。

そう、九月、末っ子のツバメが、この地を飛び去る頃には。

                                   了


・・・・すべては、九月、末っ子のツバメがこの地を飛び去る頃には。


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