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『あの子?』
『そう、あの子』
ひそひそと声がする。
『へぇ。普通そうなのに』
『それがさぁ、一組のあの子に手を出したらしいよ』
『泣いちゃってたんだって。可哀想に』
『何それ、サイテー』
私を見つめる目は鋭く光っていて、
『私達も気を付けよ』
『うんうん』
彼女達の中では、私は異物に違いなかった。
「……ケホッ」
……今年になってから、ずっと悪夢を見続けている。
(寝覚め、最悪)
体をゆっくり起こすと僅かに頭痛がした。
寝汗か冷や汗か分からないが、大量の汗をかいていて気持ちが悪いので違う服に着替える。
「……?」
途中で気付いて目元に手をやると、溜まっていた涙が目から零れていた。
それを無言で雑に拭う。
「……ユズ」
(今日、ちゃんと来るかな)
前まで一人だった部屋が今は少し寂しく感じた。
ベッドを背もたれに床に座り、膝を抱えてさっき持ってきたスポーツ飲料を飲む。
まだ若干熱っぽい頭は、一人になると嫌でも悪夢のことを思い出してしまう。
ぎゅっと目を瞑り、唸りながら頭をぐしゃぐしゃと掻いた。
(私……何か、しなきゃ)
何もしないで寝ているだけの自分に焦りを覚えた。いけない。何かしないと、不安になる。
立ち上がろうとしてそのまま床に倒れてしまった。
熱がぶり返したのか、呼吸が苦しくなって意識が朦朧とする。
(……怠い……辛い……でも、このままじゃ……)
弱音が涙になって溢れ出す。
「……っ、う」
怖い。
あの目が怖い。ちくりと刺さる言葉が怖い。あの指先が怖い。無遠慮な手が怖い。学校が怖い。外が怖い。人が怖い。自分も怖い。
みんな、みんな怖い。怖いものばかり。
床の上で丸まって泣いていると、疲れてそのまま眠ってしまった。
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「ん”んー-っ!!」
「……?」
体が浮いている感覚に目を覚ますと、いつの間にか来ていたユズが私を抱えて引っ張っていた。
しかし重いらしく、寝ていた場所からは数センチしか動いていない。
(ちゃんと、来た)
「……ユズ」
「! ハル!」
私と目が合うと、ユズは半泣きの顔で抱きついてきた。
「し、心配したんですよ! だって私、私が来たらハルったら、床で死んでるんですから」
「生きてるよ。ごめんね」
ユズの頭を優しく撫でると、少し落ち着いたようだった。
体を離してユズが安心するように微笑んでみせる。
「ちょっと、熱出ちゃって。運ぼうとしてくれたんだね。ありがとう」
「熱って、私のせいじゃないですか! だから言ったんです! あんなことしてっ……」
「ユズ、冷たくて気持ち良い」
怒るユズの首に抱きつくと、ユズはぐっと堪え、やがて諦めたように溜息をついた。
「……ハル、もう寝てください」
「え?」
「熱が高いです。私、火傷しそうです」
さっさと促され、ベッドに寝転がる。
離れようとした白いワンピースを咄嗟に掴んだ。
「ユズ。……近くにいてよ」
「……駄目ですよ。私の近くに居たらハルが、病気になっちゃう」
「ならない。約束するから、傍にいて」
「…」
ユズは、泣きそうな顔でベッドのすぐ傍に座った。
「どうして、私を受け入れたんですか」
ユズの顔を見る。しかし、前髪に隠れて見えなかった。
「……嬉しく、なかった?」
「嬉しかったです! でもっ、ハルを巻き込みたいわけじゃない」
「…」
泣いているユズを見ていると、脳裏にユズの言葉が浮かんだ。
『死ぬ瞬間のことは覚えてないんですけど、とにかく苦しくて辛くて、体が痛くて涙が出た気がします。
だからやめた方がいいです』
(……あ、そうか)
そして、気付いた。
「死なないよ」
ゆっくりと体を起こす。
「ごめんね、不安にさせて」
手を伸ばし、指先でユズの頬を伝う涙を拭う。
「もう二度とユズを不安にさせないって約束する。絶対。だから、泣かないで。ユズ」
「……本当に?」
「うん。約束」
ユズを抱きしめようとして止まり、厚手のカーディガンを前もしっかり留めてから腕を広げる。
「来て」
飛び込んできたユズを受け止め、頭を優しく撫でた。
「目が覚めた時、床に倒れているハルを見て私がどれだけ不安だったと思いますか」
「……ごめんね」
「絶対絶対、約束ですよ」
「うん。絶対ね」
「………死なないで、ハル」
「……うん」
そのままベッドに倒れる。厚手のカーディガンと毛布を挟んでいるとあまり冷気を感じず、ユズとくっついている首元は冷気で涼しくて気持ちが良かった。
(今度から、気を付けないと)
ユズの涙を見た時に、咄嗟にこの子を泣かしては駄目だと思った。
ユズの涙は拭ってあげたいし、泣かせた原因である自分を酷く責めた。
……何故かは、よく分からなかった。
でもきっと、私にとってユズが掛け替えのない大切な友達だからだろうと思う。
(ユズを失いたくない、と思ってるのは大切な友達だから……で……)
茹で上がった頭では、それ以上を考えることが出来なかった。
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「うぅ……」
暑さに耐えかねて目が覚める。
明るい。いつの間にか朝になっていた。
カーディガンを脱いで立ち上がると、昨日までの怠さや熱っぽさがすっかり良くなっていた。
(ユズのお陰だな)
固まった体を伸びて解しながら、下に降りてシャワーを浴びに行く。
「____……でさー」
「__アハハ……____」
「!」
ふと、外から聞こえてくる声に足を止めた。近所の女子高生達が談笑しながら楽しく登校している最中のようだった。
「…」
聞こえないふりをして、足音を殺して風呂場まで移動する。
シャワーを浴びながら、昔の記憶を思い出していた。
課題を忘れて見せてほしいと頼み込んでくる友人達。盛り上がっていたちょっと過激な恋バナ。若い女の先生と友達のように会話するクラスメイト。ややだらしない教室の雰囲気と、女同士の友情で結ばれた絆。
(……あの頃は、良かったな)
楽しかった。あの雰囲気に包まれるのは居心地が良くて、時間があっという間に過ぎて行った。
……でも、今は。
「……!!」
ぎゅっと目を瞑り、膝を抱えてうずくまる。
(……ユズに会いたい)
ユズのことを思い出すと、気持ちが軽くなるのを感じた。
髪を乾かしてリビングのソファに座る。ぼんやりと風邪の時用に買ってもらって残ったスポーツ飲料を飲んでいると、丁度買い物から母が帰ってきた。
「ただいま。ハル、風邪はもう良くなった?」
「うん。お母さんありがとう」
「今日は何が食べたい?」
「……お粥。作ってくれたやつ美味しかったから、また食べたい」
「分かった。怠かったらまだ寝てるのよ」
「うん」
会話を終え、母が日課のティータイムに入った。
その準備の音をBGMにユズのことを考える。
(……ユズ、まだ怒ってるかな)
脳内で頬を膨らませて怒るユズを想像して思わずふっと息が漏れる。
(何か、ユズの機嫌が直りそうな物…………あ)
一つ思いつき、カレンダーを確認する。
(そうだ、アレなら)
「お母さん」
紅茶を飲んでいる母に声を掛ける。
「ん〜?」
「休憩が終わったら、連れて行ってほしい場所があるんだけど……」
___時刻は二十時ちょっと過ぎ。いつの間にか現れたユズは、やっぱり少し不機嫌だった。
(やっぱりか)
「ユズ」
抱えた膝に顎を乗せた可愛い膨れっ面を呼ぶと、元気そうな私を見てパッと嬉しそうな顔になる。
「ハル! 治ったんですね!」
「お陰様でね。もう元気になったよ」
笑いかけると、思い出してまた膨れっ面に戻る。
「ごめんね」
コロコロと変わる表情に笑いを堪え、ユズの目の前にあるものを出す。
「これなんだ」
「? ……!」
そう。昨日発売の、ユズが続きが気になるとヤキモキしていた本の最新刊だ。
待望の最新刊に、途端に黄色の目が黄金に輝いていく。
「はい、どうぞ」
「えっ、えっ! いや、こ、こんな物でハルのことを完全に許した訳では……」
尖った口とは裏腹に、両手でしっかりと本を受け取った。
「でも、まぁその……す、少しは許してあげても……」
「あはは、うん。ありがと」
「読んでいいよ」と言うとわぁっと定位置であるベッドに向かう。
そんな姿を見て、もう今日は勉強は良いやとユズの隣に座る。
隣を見ると、長い髪が邪魔で横顔が見えなかった。
「…」
顔に掛かっている前髪をさらりと耳にかけた。
「?」
笑顔のままで何? とこっちを見るユズに「何でもない」と返し、そのまま寝転がる。
ぼんやりと天井を眺めているとユズも隣に寝転がった。
「あれ、本は? もう読み終わったの?」
私の問いかけに、ユズは首を横に振った。
「面白いから取っておこうと思って」
「直ぐ読み終わったら勿体ないでしょう?」と言ったのを聞いて、明日もちゃんと来るんだと安心する。
(良かった)
こちらを向いた横顔に前髪がかかっていたのでもう一度耳にかけ、はにかみながら頬を緩めるユズの頭を撫でる。
(……可愛い)
ユズを見ていると、本当に彼女は死んでいるのか疑ってしまう。
でも朝に消える人間なんていないし、体から冷気を出す人間もいないし、食事をしないで平気な人間なんていない。
でも、ここまで人間らしい幽霊もいるだろうか。
考えたが、そもそも幽霊に会ったのが初めてなので分からなかった。
(ユズって、なんなんだろ)
撫でられて照れているユズを見ると、私よりも人間らしいと思った。




