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柚の花  作者: 雪葉 白
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4

ユズと共に夜を過ごすようになって、気付いたことがある。

それはユズから出る冷気で室温がやや低めになっているということだ。


普段はもうすぐ夏だということもあって冷房いらずで助かっているのだが、今日は雨のせいで気温が低く、いつもよりも厚着をしないと震えが来てしまう程冷えていた。


それからもう一つ悩みがあった。それはユズがいなくなった後のことだ。

ユズがいる夜は冷えてて快適に眠りにつけるのだが、いなくなった朝は当然冷房を点けていない部屋は湿気やらなんやらで大変暑くなる。一度暑すぎて寝てる間に脱水症状になりかけた時は本気でやばかった。

まぁそれはユズに頼んでおくことや冷房のタイマー機能で何とかなったから良しとしよう。


勉強に飽きた私は徐に窓の外を眺める。外は雨が降っていた。天気予報は『翌朝まで雨が続くでしょう』だったっけ。

雨の降り方からしても、まず間違いなく夜の間は降り続けるだろう。


「ねぇ」


私は本を読み終えて休憩しているユズに話しかける。


「はい?」

「電気って、消しても良い?」

「良いですけど、どうしてですか?」

「雨の音が聞きたくなったの」

「雨……?」


足をぱたぱたしていたユズを通り過ぎ、電気を消した。

部屋が暗闇に包まれる中、ユズだけは淡く光っていた。


「そっか、ユズは光るんだったね」


窓の前まで移動すると、「こっちに来て」とユズを呼ぶ。ユズは首を傾げ、私の隣に立った。


鍵を開け、窓も開ける。途端に大きくなる雨の音。むっとする湿気と共に、雨の匂いが鼻を撫でた。

床に座ると今日は厚めの生地のカーディガンが半分ずり落ちてしまったが、外の熱さで室温が和らいだので問題ない。

最初は不思議がっていたユズも、自然と腰を下ろした。


目を閉じて、暫く雨の音に聞き入った。


「雨の音がね、好きなの」


ゆっくりと目を開けて、独り言のように呟いた。


「雨の音を聴いていると、頭がスッとして落ち着くから。ぐちゃぐちゃに絡まった思考を優しく解いて溶かしてくれるみたいで。窓を閉めているとよく聞こえないでしょ? だから偶にこうして窓を開けて、雨の音を聴くの。電気を消すのは明かりにつられて虫が入ってこないようにする為ね」


そのまま後ろに寝転がると、隣に座るユズの横顔が穏やかな笑みを浮かべているのが見えた。

偶に風が吹いて、銀糸のように綺麗な髪が靡いていた。


「良いですね。そういうの」


ユズも私の隣に寝転がった。


「雨って、変な匂いがしますね」

「……そうだね」


ふふふっと楽しそうに笑うユズに、笑顔で返した。


「ハルさん」

「……ハル」

「え?」

「ハルで良いよ」

「ハルさ、ハル」

「うん。何?」

「私ね、なんだか最近……安心するんです」

「安心?」

「死ぬ時って、近くに人が居ても孤独なんですよ」


「……私はそうでした」と呟くユズ。

初めて聞いたユズの心の声に動揺して、その横顔から目が離せなくなる。


「だってこれから一人になるんです。死後の世界なんて分からない。天国とか地獄とか輪廻転生とか、それが本当にあるのかも分からない。親しい人にも会えなくなって、一人で、真っ暗闇で過ごすことになるかもしれない。

それって、凄く怖くて、とっても、孤独じゃ無いですか?」


ユズの話を聞いて、確かに。と思う。

だってそうだ。死んだ経験なんて得られないのだから、この世の誰も分からない。憶測でしか、分からない。


強いて言うならたった一人。


「……ユズは」


ユズにしか、分からない。


「…」


そっと口を閉じる。死んだ時はどうだったのか、なんて不躾な質問だ。今度は言ってしまう前に気付けて良かった。気付かれる前に止められて良かった。


(……私は)


私は、死んだ後は無になりたい。と思う。

天国にも地獄にも行かなくて良い。輪廻転生とか死んでもごめんだ。もう一度この人生を送る羽目になるなら、私は……無になって消えてしまいたい。それで良い。


それが、良い。


「でも今は、ハルがいます」


ユズと目が合った。こっちに寝返りを打ったユズの瞳に、私の姿が薄暗く映っていた。


「目が覚めるとハルがいます。目を開くとハルがいます。眠りにつくその時まで、ハルが側にいてくれます。私はそれが凄く嬉しくて、なんだか、生きていた時よりとっても安心するんです」


「なんででしょうね」と微笑む顔は私でも分かるくらい本当に安心しきっていて、その無邪気な笑顔にこっちまで広角が緩んでしまう。


(それを言うなら私だって)


いつの間にか私は、ユズがいてくれることに安心してしまっている。孤独だった夜を共にする相手が出来た。側にいても疲れない友達が出来た。それがどれ程心強かったか。


ユズは、私の心を覗かない。

きっと気付いているのだろう。部屋の片隅に置かれ埃を被った通学鞄に。クローゼットに隠された制服に。ローファーを履いたことがない素足に。

でもユズは、何も聞かない。何も言わない。時折制服を眩しそうに眺めている時はあるけれど、何も言わずにそっとクローゼットを閉じるのだ。


ただ側にいてくれて、話しかけると返してくれて、私の趣味を認めてくれる。

それに何度救われたことだろう。


勉強にも集中出来るようになったし、前よりも多く喋るようになった。一度目を通して棚に放置したままだった本をもう一度手に取るようになったし、服もまめに着替えるようになって、部屋の掃除も適度にするようになった。


変わったのは全部、ユズがいてくれたお陰だ。


(もう、ユズがいないと夜を過ごせないかもしれない)


ユズの手を握る。ひんやりとした感触に安堵する。


「……ハル?」

「ユズが消える時は事前に、ちゃんと言ってね」


ユズは幽霊だ。本来存在しないもの。消える運命のもの。

それがいつかは分からない。ならせめて、覚悟だけはさせてからいってほしい。


ユズが消えてしまうことを恐れている自分を怖いと思った。


「えっ? う、うーん……? 今は、分かんないですけど……分かりました!」

「うん」


ぎゅっと握り返してくれる手の冷たさ。数分後には消えてしまうであろう感覚。

ならせめて今だけは、このまま繋ぎ止めていても良いんじゃないだろうか。


暫くの間二人で雨の降る暗い空を眺め、そっと窓を閉じた。


部屋は再び静寂に包まれ、程なくしてユズの冷気がほんわりと部屋に広がっていく。

ふくらはぎを摩ると、それを見たユズが「ごめんなさい」と呟いた。


「寒いの、私のせいですよね」

「良いんだよ」


俯くユズの頭を撫でる。


「私は、寒い方が好き」


それを聞いて、ユズの瞳が嬉しそうに揺らいだ。


「____可愛い」


自然と言葉が口をついて出た。


「えっ」


ユズの頬が僅かに赤らみ、照れてまた俯いた。

嫌がられないのを良いことに暫く頭を撫でていると、一瞬ユズの姿が薄まったように見えた。


(えっ?)


しかし次の瞬間には戻っている。


「……ユズ?」

「はい?」


私を見上げるユズは、いつものユズだ。


(じゃあさっきのは……?)


胸がザワザワする感覚に怯え、もう一度、今度はしっかりとユズの手を握る。


「ハル……?」

「今日は、一緒に寝よう」

「? 分かりました」


ユズを連れてベッドに入る。

いつもと違う私に戸惑うユズを抱き寄せると、体全体が冷気に包まれた。


「ハ、ハル……体が冷たくなって……」

「良いから」

「でも」

「今日は、このまま」


有無を言わさぬ私に戸惑いながらも目を閉じた。

腕の中にいるユズを忘れないように、もう少しだけ腕に力を込める。


さっきまで心地良かった筈の静寂が、今はやけに不安を煽ってくる。


(大丈夫……大丈夫……)


確証のない言葉でドクドクと鳴る不安をなんとか鎮めようとする。ユズにも聞こえているだろうか。聞こえていないと良いけれど。


______________________


時計の針の音を聞いている内にいつの間にか眠っていたらしく、目を覚ますと腕の中からユズは消えていた。


「…」


毛布の中は最初から私だけだったかのように一人分の空間しか空いていない。でも、腕には若干の怠さが残っていた。


不安な気持ちを紛らわせるように掌を握りしめる。


(ユズ)


今日の夜、ちゃんと会えるだろうか。もし来なかったら。このまま消えて、終わりだったら。

……いや。


(約束、したもんね)


消える時は事前に言う。ユズもちゃんと「分かりました」って言っていたじゃないか。

大丈夫。きっと、大丈夫だ。


「……ケホッ」


(? 頭が、ぼーっとする)


喉に引っかかる異物感。体も妙に熱っぽく、いつもより頭もぼんやりする。


(……疲れたのかな)


もう一度毛布を被り直した。

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