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私は制服が嫌いだ。無意識に人間を二つの種類に分け、それ以外を認めないように感じるから。
私は学校が嫌いだ。閉鎖的な空間はまるで逃げることを許さず、一度でも道を外れたものを絶対に許してはくれないから。
私は……私が、嫌いだ。
「……ん………ル、さ………ハルさん!」
「………っ!!」
はっと目を覚ますと、椅子の横から不安そうに私を見上げるユズと目が合った。どうやら勉強の休憩中に、座ったまま眠ってしまったようだった。
「今……」
「今は二十時を少し過ぎたくらいです。ハルさん、大丈夫ですか? すごくうなされてましたよ」
心配そうに額の汗をハンカチで拭ってくれる。その力加減に心なしか安心してお礼を言うと、安堵混じりの笑みを浮かべた。
………ん?
「きゃっ」
頬に当てられていた手を掴む。その手には、私の白いハンカチが握られた。
「……持てるの?」
「は、はい。ハルさんの汗を拭いてあげたくて、試しにそこの棚にあったハンカチを持ってみたら……」
(持てたと)
何故昨日は物が持てなくて、今日になって突然物が持てるようになったのか。原因は不明だが、確かに昨日触れた時より腕の感触がしっかりしている気がした。
「あの、ハルさん?」
「あ、ごめんね。ハンカチ、ありがとう」
手を離すと、ユズはハンカチを机に置いて、下から持ってきておいた水を私の元まで持ってきてくれた。
「飲んだ方がいいですよ」
「ありがとう」
水を口に含む。冷えてた水はすっかり温くなっていて、喉をまろやかに落ちていった。
は、と小さく息を吐いた。嫌なことを思い出した所為で、まだ頭が煮えたぎっているように熱い。ぐるぐると過去のことを思い出して、熱くて、怠くて。
片手で視界を覆って、冷静じゃない頭でユズの名前を呼んだ。
「……ユズ」
「はい?」
ベッドに座り、本を読んでいたユズは顔を上げる。
昨夜本棚に並ぶ沢山の本に興味を示していたユズに「読めそうなら好きに読んで良いよ」と言ったので早速読んでいるのだろう。まさかこんなに早く読めるようになるとは思わなかったが。
「死ぬのって、どんな感じ?」
「…」
ユズは本を閉じ、ベッドの上に置く。
「ハルさん、死にたいんですか?」
その表情は酷く傷ついていて、瞬間に聞いてはいけないことだったと気付いた。
「ごめ___」
「めっ……ちゃくちゃ苦しいですよ。あと辛いし痛いです。やめた方がいいですよ」
苦々しく表情が歪むユズに拍子抜けして、羽織っていたカーディガンが肩からずり落ちる。
「……そうなの?」
「はい。死ぬ瞬間のことは覚えてないんですけど、とにかく苦しくて辛くて、体が痛くて涙が出た気がします」
「だからやめた方がいいです」と再び読書に戻る。
その姿を眺め、落ちたカーディガンを直す。椅子から立ち上がると、ユズの隣に座った。
「ごめんね」
「?」
「……それ、面白い?」
「はい!」
「五巻まであるけど、読む?」
「良いんですか?!」
「好きに読んで良いよ、って言ったじゃん」
瞳を輝かせるユズに笑みが零れる。まるで死んでいることを感じさせない彼女だが、体から出ている冷気は彼女が間違いなく死んでいることを表していた。
(……涼しい)
本に夢中になっているユズの隣に寝転がり、冷気を冷房代わりに涼む。
ベッドまで垂れている絹のような白髪に触れる。冷たくて綺麗な髪は触れることも出来るのに、やっぱり香りはしなかった。
(死んでるから、だろうか)
そんなことをぼんやり考えていると、いつの間にか眠ってしまっていた。
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鳥の囀りで目が覚める。窓の方を見ると、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。
(……いつの間にか寝てた)
起き上がると、体に掛かっていた毛布がずり落ちる。
掛けた覚えのない毛布に首を傾げ、やがてユズが掛けてくれたのかと気付いた。
机を見ると三巻まで読んだらしい形跡を残して本が積まれており、四巻にはページの途中に私が勉強に使っている黄色い付箋が栞代わりに差し込まれていた。
(読むの早いな)
ユズが座っていたところを見るとベッドは沈んでおらず、冷気も残っていない。
涼しくて良かったのになと少し残念に思いながら、顔を洗いに下へ降りた。
「おはよう、ハル」
キッチンから声がする。母が朝食を作っている音と、卵が焼ける良い匂いがした。
「おはよ。今日、晴れてるね」
「ね。梅雨なのに晴れてるとなんか珍しい感じがあって嬉しくなるわよね」
「何それ」
ルンルンと卵焼きを折り畳む母は、「顔洗ってらっしゃい」と卵液の入った計量カップを手に持った。素直に顔を洗って戻ってくると食器棚の中から母と私のお茶碗を取る。そしてその隣にあるはずの父の茶碗を探すが見当たらない。
「お父さんは?」
「もう仕事に行ったわよ。今日は早いんだって」
「そう」
なら無いはずだと二人分のご飯をよそい、机に運ぶ。
味噌汁も器に注いで机に運び、箸と水の入ったコップを手に食卓に着くと母も出来上がった卵焼きを手に食卓に着いた。
二人で手を合わせて朝食を食べる。
「今日は起きるの早いのね」
「昨日早く寝たから」
「あら珍しい。いつもは夜更かし常習犯なのに」
ふふっと笑う母だが、今の時刻は朝の九時。もうとっくに学校は始まっている時間だった。
「……そうだね」
____私は、今年の春から学校に行っていない。
一年使用した可愛いと評判の女子高の制服はクローゼットの一番見えないところに掛かっていて、春から新調した教科書はピカピカなまま勉強机の上にある。
毎日、母や父と言葉を交わす度に思う。不登校の娘を恨んでいるのではないかと。自分を責めているのではないかと。早く直れば良いのにと思っているのではないかと。
近所の人からも何か言われているのかもしれない。きっと先生からも何か言われているのだろう。
申し訳ないとは常々思っているし、親に心配を掛けてはいけないと何度か朝早く起きて支度をし、家を出ようと玄関の扉に手を掛けたことはある。
……でも、無理だった。
ドアノブに掛けた手は震え、足は棒のように動かなくなり、顔から血の気が引いていくのだ。
玄関で立ち尽くす私に、母も父も無理に行かなくていいと頭を撫でてくれた。
私はその温かい手が有難く、また、酷く辛かった。
自分を責めて、恥じて、恨んで、憎んで、また責める。こんな親不孝な娘なら早く死んでしまえと毎日呪いを掛け、何もしない自分に焦りを覚えては明日が来なければいいのにと長い夜を過ごしていた。
いっそ楽になれるなら。苦しまずにいられるなら。
でも痛い思いはしたくないと駄々をこねる自分が、情けなかった。
「___ハル、今日一緒にクッキー作らない?」
「あ……今日?」
母に話しかけられ飛び掛けていた思考を今に戻す。
「クッキー? 何で?」
「食べたくなったから! 材料は買ってあるし、どうせなら皿から溢れ返るくらい作って食べ放題みたいにしたいなって」
ココアとか抹茶もあるのよとはしゃぐ母。私は頷いた。
「私も食べたい」
「なら決まりね! ハルが着替えて戻ってきたら始めるからね」
「うん、分かった」
食べ終えた食器を手に立ち上がった。
____夜、部屋に戻ってベッドに腰掛ける。
母と作ったクッキーは本当に沢山できて、帰って来た父が驚いて固まる程だった。
プレーン、ココア、抹茶にミックス。兎に熊に人の形。絞り出したものまである。
カリカリと食べながら寝そべると、「喉に詰まりますよ」と声がした。
「!」
「こんばんは、ハルさん」
「ユッ……」
ユズ、と言いかけた喉に乾いたクッキーが入り込み、盛大にむせる。
漸く息が落ち着き、涙が滲む目尻を拭って一息ついた。
「大丈夫ですか?」
「なんとか」
「良かった。これ……クッキーですか?」
ユズは机の上に置かれたクッキーを「美味しそう」と眺める。
「今日母親と作ったんだ。食べてみる?」
「食べれるか分からない___です」
戸惑うユズの目の前にクッキーを一つ摘まんで差し出した。
「触れるようになったんだし、もしかしたら食べれるかもよ。ほら」
「でも……。……いただきます」
ユズは少し迷って、やがて意を決したようにクッキーへ顔を近付ける。
目元の髪を耳に掛け、控えめに口を開きクッキーを噛んだ。
「あっ」
しかし、クッキーはユズにかじられることなく、ユズの中をすり抜けて床に落ちてしまった。
「すみません……」
「良いよ。流石に駄目だったか」
私はクッキーを拾い上げると、ふぅっと息を吹きかけてから口に入れる。三秒ルールだから問題ない。
「?! ハ、ハルさん!」
だが、問題があったのはユズの方らしい。
「ん?」
「駄目ですよ! そんなの食べたら……!」
顔を真っ赤にするユズに「平気だよ」と笑う。
「三秒ルールだもん」
「そ、そうだけど、そうじゃなくて……。わ、私が食べたやつですよ?!」
「え? ユズ食べれてなかったじゃん」
「そうだけど……そうじゃなくて……」
もごもごと言うユズに首を傾げる。
「とりあえず座りなよ。昨日の続き、読むんでしょ」
「あっ、そ、そうでしたね」
まだ顔が赤いユズにここにおいでと手を招く。
素直に座り、ぎこちなく本を手に取った。ユズが読み始めたのを見て、私も勉強しようと立ち上がる。
椅子に座り勉強を始めると、室内は穏やかな静寂に包まれた。
ペンがノートを擦る音。本のページを捲る音。
いつになく集中していた私は、ユズの本を閉じる音に気付いて後ろを振り返った。
「面白かった?」
丁度五巻を読み終えたらしく、ユズは「はい!」と満足げに頷いた。
「アクションシーンが迫力満点で、文章なのに凄く引き込まれました!」
「分かる。読みやすいから頭にスッと入ってくるよね」
「主人公があそこであんな大技使っちゃうなんて……」
「あーあそこか。あれは無謀だったよね」
「ですよね! でも主人公だから勝っちゃうんです」
「そうそう。主人公だからね」
あははと笑って、大きく伸びをする。
「勉強やめた。大分集中できたから結構理解出来たし」
ユズの隣に寝転がると、天井をぼんやりと見上げる。
すると、視界の端から一冊の本を手にしたユズが顔を出した。
「ハルさん、この本読んでも良いですか?」
「……良いけど、逆に良いの?」
ユズが手にしているのは幽霊もののかなり怖い物語だ。幽霊がホラーを読むって有りなんだろうか。
「凄く面白そうなんです!」
「まぁ……ユズが良いなら」
「はい!」
___ニコニコと本を読み始めて二十分後。
「ハルさん……わ、私が寝るまで起きててください……」
相当怖かったらしく、ユズは私の上に乗っかかってブルブルと震えていた。
「……はぁ」
仕方ないので起き上がる。するとユズは即座に私の背中に手を回した。ぎゅっとしがみつかれ、密着している部分から冷気でどんどん冷えていく。
幽霊が幽霊を怖がるなんて、それは無いだろ……。
寒いので毛布を体に巻いて、その上からユズを抱きしめた。
泣き虫幽霊の気を逸らす話を続けている内に、いつの間にか日は昇っていた。




