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柚の花  作者: 雪葉 白
20/22

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()()姿()()()()()()()()()()()? 何言ってんの。一度悪霊化した幽霊は、もう元には戻れないよ』


『現状を放置すると、君は近いうちにまず間違いなく死ぬ』


梵さんの、あの真っ直ぐな目が頭に思い浮かぶ。


____あの日からもう一週間が経とうとしていた。


私の脳裏には梵さんに言われた言葉もずっと残っていて、それをふっと思い出してはどうしたら良いのかを悩んでしまう。しかしユズとの日常は何も変わることなく穏やかに続いていて、私の悩みは杞憂なのかもしれないなんて思えてくる。


だが、それでも不安は完全に消えることは無かった。


だから私は、不安を少しでも軽くする為にあえてユズとずっと一緒にいた。


ユズが悪霊にならなければ良い。私が気を付けて見守っていれば大丈夫。そんな根拠の無い自信で自分を安心させて、実際何も起こらないから本当に安心していた。


やっぱり杞憂だったのかもしれない。そう安堵していた。


____________________


「ユズ、どこまで読んだ?」


勉強をしながら後ろのユズに声を掛ける。

ユズはパラパラとページをめくり、文字を目で追いながら慣れたように返事をする。私が勉強する時は、なぜかユズも決まって読書をする。いつからかそれがお互いの習慣になっていた。


「あと数ページって感じです」

「じゃあ、読み終わったら教えて。その時に私も勉強やめる」

「分かりました」


それから数分後、ユズに声を掛けられて休憩に入る。少し会話をして、遊んで、眠くなったら遅めの昼寝をして夜中に起きてしまい、眠くない夜を二人で過ごす。

そんな生活を続けているからいつの間にか昼夜逆転していて、それが許せないのかユズは「またやってしまった……!」と頭を抱えていて、まぁなんとも面白い光景なのだ。


「皆が寝静まった夜中ってさ、なんだかわくわくするよね」

「どうして?」


私は薄明かりの部屋のカーテンを開ける。暗い景色にポツポツと、丸い明りがついているのが見える。


「見て。私達を含めてこれだけしか起きてないんだよ」

「多くないですか?」

「昼間に比べたら全然少ないよ」

「それは、そうですね」

「起きてたらいけない時間に起きてるのって、なんだか悪いことしてるみたいでわくわくするんだよ」

「私達、悪い子なんですか?」

「え?」


悪戯な笑みを浮かべたユズが、こちらを見上げている。


「……そう、悪い子。悪い子だね」


言いながら可笑しく感じて、笑いながらカーテンを閉めた。


「線香、焚いても良いですか?」

「良いよ。どれにする?」

「今日はせっけんの香りです!」


言いながら、手慣れた様子で準備をするユズを眺めていた。棚から必要なものを取り出して一旦机の上に置くと、今日使ったまま出しっぱなしにしてしていた小物達を元の場所に片付けていく。それから机を拭いて、用意した一式を並べていく。


その様子を眺めながら、ユズが現れた最初の頃を思い出していた。

ずっと遠慮していて、壊してしまうかもしれないからと私の物には絶対に手を触れなかった。自由に触れて良いからと根気良く言い続けて、やっとおそるおそる手に取っていたのだ。それが今では慣れたようにお互いの物を手に取って、私が普段閉まっている場所に片付けている。

前まで使わなかった場所にユズの物がある。今まで一人で使っていた場所にもユズの物を置いている。


(なんか、よく分からないけど……嬉しいなぁ)


私はユズの背中に手を伸ばして、後ろから抱き締めた。


「……どうしたんですか?」


ユズは後ろから回された私の手を握りながら首を傾げた。


「ユズ、愛してるよ」


カタン、と物音がした。どうやら、ユズが手に持っていたマッチ箱を落としたらしい。


「ど、どうしたんですか急に?!」


ユズは真っ赤になった顔で私を振り返った。


「なんか、今言いたくなって」

「なななななんのタイミングですか?!」

「タイミングってことじゃなくて、えっと……」


言い淀みながら、ユズの肩に顔を埋める。


「私のことを分かってくれる人が、もういるんだなって思えたことが嬉しかったんだよ。私のことを理解してくれる人と付き合えたことが嬉しいの」

「…」

「だから、愛してるって言いたくなって……」

「…」


ユズは目の合わない私を横目でそっと見てから前を向いて、私の頭にコツンと凭れ掛かる。


「もう一回言ってください」

「あ、愛してる」

「もう一回」

「……愛してる」

「もう一回」

「愛してる……。な、何でこんなに言わせるの」

「私が何回も聞きたいからです! ……ふふ、幸せ」

「…」


顔を上げると、ニマニマと頬を緩ませるユズの横顔が見える。私は急に自分の想いを連呼することになって結構動揺しているのに、なんだかユズは平気そうだ。こんなに密着しているのにユズの心音は全く聞こえない。いや、聞こえないのは当たり前だった。


(でも、これ以上言わせ続けられるのはちょっと恥ずかしい)


私は、「もっともっと」と催促するユズを軽く押し倒した。油断していたユズはいとも簡単に私の片腕に収まる。


「愛してる」


急に抱きかかえられて戸惑うユズに覆い被さるようにキスを落として、赤くなっている顔を見られないように抱き締めた。


「今日はこれで最後、ね」

「……は、はい」


顔を見られたくないので、そのままの体勢から動けない。ユズも動かないので同じ気持ちなのだろうか。しかし赤い顔を隠せたとしても、私には新たな問題が出てきてしまう。


(し、心臓の音が)


大きくなった鼓動が体内を伝って耳まで届いてくる。ということはきっと、ユズにも聞こえているのだろう。


(……恥ずかしい)


あんなことをしておいて余裕が無いことがバレてしまうのが恥ずかしすぎて、思わず目を瞑った。


「ハル、どうしよう」


しかし、不意に聞こえてきた声にはっと目を開けた。


「なに……____!」


頭を上げてユズの顔を見て、言葉を失った。私の目に映ったのは、透き通ったユズの体とユズ越しにぼんやりと見える自分の腕と床だった。


「ごめんなさい」


ユズは私の腕の中で、寂しそうに笑った。


「私、消えちゃうみたいです」


心の奥底で、ユズが「すぐに戻りますから」と安心させてくれるんじゃないかと思っていた。でも全然違った。ユズから告げられた真反対の言葉で、私の心は簡単に打ち砕かれた。


「…」


頭が、真っ白になった。


一度まっさらになって、ぼんやりした後は大量の不安(『どうしよう』)で頭の中が埋め尽くされた。


「ハル、聞いて」


現実を受け入れようとしない私を、ユズの声が引き戻した。ユズはいつになく穏やかな笑みを浮かべて、私の頬に手を当てた。


「嫌だ。聞きたくない……」


その手も透けていて、触れている感覚が分からないくらいの軽さが辛くて、私はその手を握りながら首を小さく横に振った。


ユズは困ったように眉を下げる。


「お願いです。ハルに、伝えたいことがあるんです」

「……なんで」

「え?」

「なんでそんなに落ち着いてるの……? 死なないでよユズ。最期の言葉だって聞きたくないよ。嫌だよ……」

「そんなの、私だって嫌ですよ……?」


ユズは声を震わせて呟いた。その時初めて、今まで保っていた笑顔の裏から悲痛な表情が現れた。


「私だって死にたくなかったんです。ハルに『愛してる』って言ってもらえて、嬉しくて。でも私は幽霊で、もう死んでるから……やっぱり無理で……」


言いながら、ユズの目が潤んでいく。やがてそれは大粒の雫となって目から溢れ落ち、次から次へと降ってくる。


「充分幸せだったって言いたいのに、言えないじゃないですか。ハルのせいですよ。もっと一緒にいたいのに。もっと愛してほしいのに。ハルがそんなこと言うから。あぁもう、どうしよう……怖くなっちゃったぁ」


一人取り残された迷子の子供のようにわんわん泣きながら、ユズは私の胸に顔を埋める。


「怖い……。また死んじゃうのも怖いし、ハルと離れ離れになるのも怖い……! 嫌……一人ぼっちはやだ……!!」


(……私も)


私もユズが死ぬのが怖い。離れ離れになるのも怖い。


(一人ぼっちになるのも、怖い)


そうなった後の未来を想像するだけで、心がズンと重くなって

息が吸うのが辛くなってくる。


「なら、私も連れてってよ」


不意に、口からぽろっと言葉が溢れた。


「え……?」

「私もユズと一緒にいたいよ。だから一人が怖いなら私も連れてって。そしたら、ずっと一緒。怖くないよ」


「大丈夫」とユズを抱き締めた。私の言葉は、ユズを通り抜けて真っ直ぐ床に落ちて消えた。


「何で……そんなこと言うんですか……」


ユズは私を見る。そして控えめに、私の服を掴んだ。


「死んじゃうんですよ……! こ、怖くないんですか……」

「怖いよ。だから、痛くないようにして」

「お、お母さんとお父さんにも会えなくなるんですよ……!」

「……迷惑をかけてごめんなさいって言えなかったのが心残りだけど、ユズも私の大切な人だから」

「何で……何で……」


服を握る手の段々強くなっていく力とは反対に声は弱く小さくなって聞き取れなくなり、やがて泣き声だけが部屋に響く。


「ユズ、一緒にいよう」


私の言葉にユズはとうとうしゃくり上げて泣きながら、ギリギリ聞き取れる言葉で一言、「うん」と呟いた。


すると、ユズの体が一層薄くなる。私はユズに頬を擦り寄せもう一度しっかりと抱き締めると、その時を静かに待った。


「大丈夫。怖くないよ」


自分にも言い聞かせるように呟いた。すると、ユズはまた「うん」と頷いて目を閉じた。


「ありがとう、ハル。あなたのこと、ずっと愛してる」

「……うん。私も___」


「私も愛してる」。そう言おうとしたところで急に、腕の中にあったはずの感覚が消えた。


「…………え?」


自分の手を、眺めた。


ユズがいなくなった。そう、死んでしまったのだ。そうだ。それは分かった。理解した。


____それで?


「私、は?」


床に手をついて、ぽそりと呟いた。


(……置いてかれた?)


まずその考えが頭に浮かんで、でも違うとすぐに否定した。


(連れて行かなかったんだ)


「…」


ぼんやりと、机の上に置いてある燃やされるはずだった線香を眺めた。


スンと鼻を啜った。目元が熱くなって、視界がじわりと濡れていく。


「ずっと一緒って、言ったのに……」


視界が水に沈んだ。涙が頬に垂れて、それを拭った手を伝ってぽたぽたと床に落ちた。


「馬鹿、ユズの馬鹿、連れてって欲しかったのに……私だって一人ぼっちなのに……!」


鼻が詰まって咳き込んだ。息が苦しい。顔がぐしゃぐしゃで気持ちが悪い。


「ううう」


ユズをトリガーに、全てが嫌になってしまった。


「うああああぁ……!」


嫌になったから、そのまま蹲った。


________________________


その日、私は初めて夜を泣き明かした。


自分のせいで泣くことはあっても、誰かの為に泣くことは初めてだった。

今は悲し過ぎて、泣かずにはいられなかった。


ユズに文句を言って泣いて、不安や恐怖を訴えて泣いて、泣いて泣いて泣き続けて、とうとう朝になった。


雨でも降れば良いのに悔しいくらい綺麗な朝日が昇って、眩しいのが嫌で逃げるようにベッドに潜って目を閉じたら、いつの間にか眠っていた。


目が覚めたら、太陽がすっかり天高く昇っていた。時間を見る。いつの間にか十三時過ぎになっていた。


泣き疲れて寝落ちた後だったからか妙に頭がスッキリしている。そのまましばらく布団に丸まってユズのことを思い出して、また悲しくなって少しだけ泣いて、落ち着いてからカラカラになった喉を潤そうとリビングに水を取りに行った。


すると、リビングに母親がいた。


「おはよう、お腹空いたでしょ。ご飯食べる? 朝は先に食べちゃったけど………どうしたの?」


いつも通りに話しかけてくれた母親が、私の顔を見て目を丸くした。

思えば、母親の前に泣き腫らした状態のまま出ていったのは今日が初めてだった。いつもは先に顔を洗ってある程度身支度を整えてからリビングに行っていたから、恐らく誤魔化せていたのだ。


でも今日はそんな余裕すら無くて、何も考えずにリビングに行ってしまった。


「……お母さん」

「うん?」


優しい目に見つめられ、ほんの少しだけ目が潤んだ。


(あんなに、泣いたのにな)


今までずっと、ユズのことを家族に隠してきた。話しても信じてもらえなかっただろうし、もし信じてもらえたらその時はユズと別れることになると思っていた。それにユズは家族には隠しておきたかった秘密の友達であり、恋人だったから、言いたくない気持ちも大きかった。


でももうその相手は、いなくなってしまった。


「あのね。聞いてほしい、話があって」


ユズのことを覚えているのは私だけ。そう考えるとどんどん悲しくなってきて、誰かに話を聞いてほしくなった。


「私の、大事な人の話」


すると、母は少し面食らったような顔をしてから真剣な顔つきで「分かった」と頷いた。


母は私に椅子に座るように言うと、キッチンから温かい紅茶を入れたマグカップを持ってきて私の前に置いた。

それから私の向かいの椅子に座って、机の上で手を組んだ。


私は貰った紅茶を飲んでふっと息をつき、机の下で服を掴みながらゆっくりと話し始めた。


梅雨入りと一緒に現れた不思議な少女のことを。

彼女がどんな人物で、そんな彼女のどこに惹かれたのかを。


勝手に震える声で、それでも誤解されないように丁寧に、精一杯言葉を選んで話した。


二人でどう過ごしていたのか。

彼女はどんな風に笑って、怒って、泣いて、喜んだか。


そして、彼女が死んだ日のことも。


私が話せる全てを話し終えて、母の顔を伺い見た。母は組んだ手を口元に当てて考えて込んでいるようだった。

当然だ。ずっと不登校で部屋に籠っていた娘が急に『自分には幽霊の恋人がいて、昨日死んでしまった』なんて言い出したら、とうとう頭がおかしくなったかと疑うことだろう。


「急にこんな話して、ごめん」


なんだか居た堪れない気持ちになって謝ると、母は「まぁ、確かに急だったわね」と苦笑した。


「相談してほしかったとは思うけど……もう、全部終わった後の話なのよね」

「……うん」

「そっか」


そこで会話が一旦止まる。訪れた静寂に私の緊張は跳ね上がっていく。


(……言うんだ)


ユズの話をしようと決めた時から、もう一つ決めていたことがあった。


「……お母さん」

「うん?」

「……もう一つ、言いたいことがあって」


私はすっと息を吸って、


「…………わ、私、また学校に通いたい」


思っていたよりも大きく出た声量で、決意を口にした。


「……ハル」

「ち、違うの! 通いたい……は通いたいんだけど、あの学校は嫌で! べ、別の学校に行きたくて」


きょとんとした母の声に、自分の決意を話した恐怖と母が何を言うか分からない不安で涙が出ながら言い訳の言葉を重ねた。


「い、今更だって分かってるけど。でも、ユズが行けなかった分、私が、ちゃんと通わないとって思って。だからっ……」

「落ち着いて」

「!」


ポン、と頭に置かれた手の温かさに、漸く私は母の顔を見ることが出来た。


……笑顔だった。私の不安なんて何処吹く風と笑っていた。


私は、母はきっと今更かと呆れるだろうと思っていた。なんなら今までの苦労から怒ったり、溜息をついたり、泣いたり、もしかしたら、どうせ嘘だろうと聞いてもらえなかったり、諦めの表情を浮かべられると思っていた。


そんなこと今まで母にされたことは無かった。でも今までずっと溜めてきた罪悪感が、勝手にそんな母親を自身の頭の中に作ってしまっていたのだ。


「良いよ。ハルが沢山考えて出した結論なら、応援する。無理矢理考えたなら反対だけど、そうじゃないんでしょう?」


私は首を横に振る。


「なら、大丈夫よ。気に入った学校が見つかるよう、色々見てみようね」


友達に向けるような明るい笑顔でにこっと微笑まれ、優しく優しく頭を撫でられる。


「うん……うん……!」


肩がふっと軽くなった気がした。安心して気が抜けて、昨日から緩んだままの涙腺からまだ出るのかと呆れるくらい涙がドバッと溢れ出る。


「ありがとう……お母さん」


母に撫でられながら、私は私の気が済むまでわんわんと泣きじゃくった。

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