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あの日から毎夜私の部屋を訪れるようになったユズという幽霊は、だいぶ私に遠慮しているようで、大変困ったことに部屋の隅で立ち尽くす以外に何もしようとはしなかった。
こっちから話しかけるまで何も言わないし、絶対に暇だろうに何もしない。一ミリも動こうとすらしない。
「…」
勉強を中断し、後ろの方で立ち続ける様をちらりと見て、鼻で溜息をつく。
(本人は私の邪魔にならないようにしてくれているつもりなんだろうけど……逆に気になる)
「邪魔しないで」って言ったのは私だ。だがあれは寝る時だけ邪魔しないでくれって意味だし、ちゃんとそう伝えたはずなのだが……あの子には「私に干渉するな」というように聞こえてしまったんだろうか。
しかし後ろでぽつんと立っていられると気まずいし、何か私が悪いことをしているようで可哀想になってくる。
(このままは駄目だよなぁ)
ペンを置き、椅子を回転させて後ろに体を向けた。
「あのさ」
「あっ、はい。勉強お疲れ様です」
「……どうも。ねぇ、ユズさ。暇じゃないの」
「いえ、大丈夫です! 私、立ってるの好きですし!」
「……そう」
遠慮しまくりな返事だった。事務的な会話しか出来ないと困るので、どうしようか考えてから立ち上がった。
ユズの視線を感じながらベッドに座り、「ん」と隣を叩く。
「?」
「おいで」
「あの、でも」
「良いから」
恐る恐る座った。だが、俯いたまま目を合わせようとしない。まぁ想定の範囲内なので、落ち着いて水を一口飲み、マグカップを机に置いた。
「話をしよう」
「え?」
顔を上げたユズと目を合わせる。前髪の隙間から見える片目は、驚いて固まっていた。
「このままじゃ居心地が悪すぎる。ユズだって立ったままで夜を過ごすのは嫌でしょ。私も、その姿を見ながら勉強するのも寝るのも気まずいから嫌」
「えっ。でも、その」
「ユズがここに居ても良いと許可したのは私。だから、ユズは好きなことしてて良いんだよ。私はそれを許しているんだから」
「……はい」
それまでおどおどしていた目が、やっと真っ直ぐに私を見た。表情も心なしか嬉しそうに見える。一歩前進かな。
(さて。物が持てない場合、ユズが暇を潰せそうな物と言ったら……)
「例えば……そうだな。映画は好き?」
「映画……。わ、分かりません」
「持ってこようか」
机からパソコンを取り、立ち上げる。色んな映画を観られるサブスクを開いて、一覧を見せた。
「洋画に邦画、アニメ映画とかもあるかな。アクション、コメディ、ミステリー、ラブストーリー、ホラー、ファンタジー。色々あるよ」
「見ても良いんですか?」
「もちろん。一緒に見よう」
「じゃ、じゃあ……」
熱心に画面を覗き込むが、種類が多すぎて悩んでいるようだった。「何か気になるジャンルはある?」と助け舟を出すと、やっと一つに目が止まった。
「アクションが気になります」
「分かった」
アクションの項目を選んで一覧を見せると、「これが良いです!」と一つの映画を指差した。
(良いチョイスだな)
ユズが選んだ映画は恐竜ものの映画で、化石から作り出した恐竜のいるテーマパークに遊びに来た人間達が、テーマパークの故障によって恐竜に襲われるという、アクションでもありホラーでもありパニックでもある映画の中でも王道の映画だ。
「じゃあ再生……あ、ちょっと待って」
「?」
ベッドに寝転がり、「こうして見るの好きでさ。ユズも寝転がって良いからね」と言うと、「はい」と頷いた。
「じゃあ再生するね」
「はいっ!」
見始めてすぐに、ユズは映画の虜になった。
「ハルさん! 恐竜ってでかいんですね!」
「そうだね」
「あの人食べられそうです! あっ! あ、あぁ〜……やっぱり食べられましたね」
「まぁ、食べられそうな雰囲気あったもんね……」
前のめりになるほど夢中になって映画を見て、笑い、驚き、焦っていた。
暫くすると座って見るのに疲れたのか、映画を見ながら隣に寝転がり、同じ体制で映画を見るようになっていた。
(? なんか涼しい。何で……あ、ユズから?)
拳一個分の距離から僅かに冷気が漂っていた。涼しくて快適だったので、もう少しだけ距離を詰めた。
映画もいよいよ終盤に差し掛かり、大迫力かつ驚きの展開の連続に、何回も見たはずの私も思わず夢中になって映画に見入ってしまう。
やがて映画はエンドロールを迎え、二人で感嘆の息を漏らした。
「とっても面白かったです! ハルさん、次! 次見ましょう!」
「そうだね、私も見たくなってきた。じゃあ次、再生するよ」
「はい!」
その後、二作目、三作目と順調に映画を見進めていたが、三作目の途中で集中力が切れてしまったので休憩用として別の映画を見ることにした。
「何見ようか。何でも良い?」
「何でも良いですよ」
アクションからジャンルを移動して一覧を眺め、無難なものを選んだ。
(これ好きなんだよね)
画面に表示されているのは、人間の家から気付かれないように食料や日用品を借りて生活する小人達の映画だ。
幼少期に初めて見た映画で、主人公の小人の女の子が小さくて可愛いのにとても勇敢で大好きだった。
「これにしようかな。どう?」
「見てみたいです!」
「良かった。じゃあ再生するね」
「はーい」
映画を見ながら、ぼんやりと思い出した。
(このシーン、好きだったな。屋根の上から見る景色。世界が大きくて空が広くて、どこまでも続いているみたいで)
昔見た映画をもう一度見るのは、子供の時には分からなかった言葉の意味が分かったり、新しい発見をしたり、違う見方が出来ることに気付くことが出来るので結構楽しいのだ。
(自分でも無意識の内に、いつの間にか沢山の言葉や意味を知っているんだろうなぁ)
やがて映画が終わってエンドロールが流れ出した頃、やっと隣が静か過ぎることに気付いたのだった。
「ユズ? ……あ」
「……すぅ」
いつの間にか眠っていたらしく、腕を枕に小さな寝息を立てていた。
「流石に疲れたのかな。いつから寝てたんだろ」
安心しきった寝顔を見ていると、なんだかこっちまで眠くなってくるようだった。
(起こした方が良いかな)
試しに緩んだ頬を指で摘むと、「うーん」と僅かに身動ぎをした。
「……まぁ、良いか」
(今日は歯を磨いたら寝てしまおう)
パソコンを静かに閉じ、起こさないように気を付けながらそっと下に降りる。
歯を磨くついでに毛布を一つ持ってきて、ユズの隣に寝転がると毛布を自分達に掛けた。
「…」
穏やかな寝顔をぼんやりと眺める。
随分と人懐っこい幽霊だ。夏によく見るホラー番組の幽霊とは違う。最初の頃の面影なんてもうとっくに消え去っていて、今はまるで同年代の少女のように見える。
(…)
試しにユズの手首に指を当て、脈を測ってみる。しかし、やっぱり脈はピクリとも動いていなかった。
(まぁ、ね)
手首から指を離し、寝返りを打って仰向けになる。
ぼんやりと天井を眺める。規則的な寝息を聞いていると、昔のことを思い出した。
___今はもう懐かしい、一年も前の記憶。
休み時間度に趣味の話をして盛り上がったり、帰りに寄り道をしてコンビニのちょっとリッチなアイスを食べたり、長電話をして夜を明かしてしまったり、お泊り会をして恋バナなんてしてみたり。
そうして、楽しい思い出を作っていたはずだった。小さな幸せを一つ一つ増やして、繋げて、形を作って。
……でも。今はもう、楽しかった思い出よりも辛い思い出の方が色濃く残ってしまっている。私の中で脚色されて、分解して新しく組み立てたりなんかして、自分自身が辛い思い出を濃く、強く頭に残してしまっているのだ。
嫌な記憶程強く残る、と言うのだろうか。確か、精神的なショックが強い方を覚えてしまうんだっけ。
それにしたって強く残り過ぎだ。お陰様で、私は今も過去に足を取られて歩けなくなっている。
いつになったら立ち上がれるのだろうか。いつになったら歩けるのだろうか。
もしかしたらもう既に立てていて、それなのに歩かないことを選んでしまっているだけなのだろうか。
いつになったら。いつになったら。いつに……____
「……っ!」
慌てて体を起こした。落ち着かないまま窓を見ると、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいて、あのまま寝てしまっていたことに気が付いた。
息を吐いて、強張った体を緩める。隣を見ると既にユズの姿は消えていて、形跡すら残っていなかった。まるで私が一人で映画を見て、そのまま寝落ちしてしまったかのようだ。
一瞬夢だったのではないかと疑ってしまったが、映画の履歴と、記憶の中にはユズの楽しそうな姿が確かに残っている。あの輝いていた瞳を思い出して、ふっと笑みが零れた。
(……幽霊と夜を過ごすのも、案外悪くはないかもな)
今日の夜は何をしようか、考えることにした。




