19
カタン、カタンと電車が揺れる。私の手の中にあるスマホからは、"外の音"に胸が高鳴っているらしい恋人の声が聞こえてくる。
『ハル、景色! 景色が見たいです!』
『早く』と急かされ、画面を窓に向ける。すると、軽快に流れていく外の景色にわぁっと歓声が上がった。
『太陽の光が眩しいですね! ……んん、景色を見ようとしても目が追いつかないです』
はしゃいでいる声にふっと笑みが溢れる。よほど楽しいのだろう。電車に乗る前から事ある毎にあれは何、これは何、あれが見たい、これが見たいと質問攻め、要求だらけだ。
「ユズ、ちょっと落ち着きなよ。店に着く前に疲れちゃうでしょ」
電車を降りながら言うと、『はーい』と良い返事が返ってきた。
(今日は絶対早く寝るだろうな)
いつぞやの爆睡していた時の寝顔を思い出してクスリと笑いながら、画面をオフにして、人にぶつからないように気をつけながら目的地まで歩いていく。
『人、多いですか?』
「うん。でも都会だし、これが普通なのかなぁ」
『あ! 誰か吠えてます! わんちゃんですか?! 近くにいますか?!』
「ユズ、犬好きだったっけ? いるよ、ほら」
『わぁ〜! 大きい! 可愛い!』
歩きながら会話をして、時々立ち止まっては色んな所を画面に映して。
『……ん、音楽? ハル、これ何の曲ですか?』
「え? うーん。私も知らないけど、今流行ってるみたいだね」
『街中で音楽が聞こえるなんて凄いですね!』
「そうだね。ちょっと楽しいよね」
ユズの好奇心に釣られて、何だか私も色んなことが気になってくる。
「ユズ見て。あの店、凄いカラフル」
『わ〜! なんのお店ですか? あ、待ってください見えます! あれは……クレープのお店ですね!』
「みたいだね」
『クレープ食べますか?』
「お腹減ってないから食べない」
『え〜……』
「ユズ、クレープが見てみたいだけでしょ」
『……そ、そんなことは』
「また今度ね」
そんな会話を続けている内に目的地に着いた。頭上の看板を見ながら様々な種類の物が並んでいる陳列棚を抜けて、やっと探していたものに辿り着いた。
「ユズー」
『ん?』
色とりどりのアロマキャンドルが並んでいる棚に画面を向けると、見なくても目が輝いているのが分かるくらいの大きい歓声が上がる。
(今日はキャーキャー言いっぱなしだけど、喉大丈夫なのかな)
そこまで考えたところで、幽霊にそんな感覚は無いかと勝手に想像して納得する。
「好きなの選んで良いよ。ただし上限は二千円まで。言ってくれたらその場所までスマホ持っていくから、教えてね」
『やった! じゃあ、とりあえずぐるっと全部見たいです!』
「りょーかい」
私はユズの指示通りに売り場を端から端までぐるっと見て回り、時には商品を手に取って全方位を見せたり、値段や商品の説明、匂いをユズに伝えるなどしていた。
全部の商品を見切った後、悩むユズはうーんと唸った後、黙ってしまった。その時間を利用してベンチに腰掛け、少し休憩をしていると、二分くらいで『決めました!』と声がした。
「よし、どれにする?」
『そこのピンクのうさぎの形のと、小さいのがたくさん入ってる……そう、それです! それと、ショートケーキの形ので、お願いします!』
「分かった。じゃあ買ってくるね」
ユズの選んだ三点を購入し、ちゃんと二千円以内に収まったそれらを手に提げつつ、次は線香売り場に向かう。
今度もスマホを売り場に向けると、落ち着いた雰囲気に合わせてか、ユズは歓声ではなく感嘆の溜息を溢した。
「今回も上限は二千円。気になるものがあったら言ってね」
そう伝えてから売り場に行こうとすると、『待って』という声に引き留められる。
「ん? どうしたの」
『あのっ、実はですね。買いたい物はもう決まってて』
「うん」
『前とおんなじのが欲しいんです。……ラベンダーの線香』
「そっか、分かった。なら他には? まだ余裕あるし、もう一つくらい」
するとユズは少し考えてから、私の選んだ物が欲しいと言った。自分が選びたいと言うと思っていたので本当に私で良いのかを確認すると、私が選んでくれた方が嬉しいとのことだった。
ユズの頼みだ。だからいつもより慎重に選んで、石鹸の線香と、甘いミルク飴の線香を選んだ。少し予算はオーバーしてしまったが、外出することなんて前はほとんど無かったのだから、少しくらい良いだろう。
「買ってきたよ。……気に入ってくれるか分かんないけど。あ、でも一つは自信ある」
『ありがとうございます。ふふ、使うのが楽しみです』
「うん。すぐ帰るね」
『はい、待ってます』
二つの買い物袋を手に提げて、少し速度を上げて歩いていく。度々ユズの好奇心に釣られ来た道を戻ってしまい、慌てて元の進行方向を小走りで進んでいった。
「ユズって色んなことに気が付くね。これじゃずっと電車に乗れないよ」
『あはは……初めて見る物ばかりだから、つい』
「楽しい?」
『すっっごく楽しいです!』
「そう。……あっ」
前に見える信号機が青から赤へとチカチカと点滅しだして、私は慌てて駆け出した。しかし、丁度横断歩道の前に着いたところで、信号機は赤に変わってしまった。
(あとちょっとだったんだけどなぁ……)
たった数メートルで乱れた息を整えながら、信号機の更に奥を見る。その先も赤。ここは信号機が二箇所続いているから、ここを渡れたとしてもまた待たなくてはいけなくなる。
「…」
私はちらりと横を見る。その先には歩道橋があった。階段も道も広く、上には手すりが無いタイプのベンチまで設置してあるくらい大きな歩道橋だ。今までにベンチの利用者は見たことがないけれど。
普段は歩くのも面倒で使わなかったのだが、今日はちょっと早く帰りたいので歩道橋を利用することにした。
幅の広い階段を少し大股で上っていく。誰ともすれ違わずに上り切ると、珍しく、ベンチで休憩している人がいた。
不思議と存在感のある人だった。やや深めに被った黒のキャップから覗く髪の一房が暗めの緑色をしていて、でも服装はダボっとした無地の白のパーカーと中に焦茶のスタンドカラーシャツ、下は黒のスキニーに白のスニーカーと、とてもシンプルな格好だった。
それなのに、何故かその人から目が離せなかった。ぱっと目を逸らしても何故かまたその人に目がいって、段々歩く速度が落ちて、その人と上ってきた階段の中間辺りでとうとう足を止めた。
イヤフォンから私の名前を呼ぶ声がする。急に黙った私を不思議に思ったのだろう。返事をしようとして口を開けると、不意にその人が、こっちを見た。
「!」
帽子の影に隠れてよく見えないけれど、その人の目が確実に私を捉えている。緊張で動けないでいると、じっと見つめられていたその目がゆっくりと細まり、優しげな笑みに変わったように見えた。
その人は立ち上がり、私の方へ歩いてくる。流石に警戒して後ずさった私の目の前に立つと、今度はその人の目がはっきりと見えた。黒と白茶色のオッドアイが綺麗な三白眼だった。珍しい、なんて思っていると、その人に話しかけられてぼんやりしかけていた意識が目の前の人に集中する。
「おじょーさん。少しお話、しませんか?」
それを聞いて、スッと心が冷えていくのを感じた。私は男に冷ややかな目を向ける。
「結構です」
そう言って背を向けると、男に手首を掴まれた。
「はっ?!」
「ちょちょちょ待って。notナンパ、notナンパ」
「……警察呼びますよ」
「いやいやいやいや! だから、ナンパじゃなくて!」
「離してください警察呼びますよ。えっと確か、ひゃく、とお、ば……」
「ストップ!! 分かった! 手ぇ離すから! で、俺が離れるから! だから逃げないで! ほんとにお願い!」
「……何なんですか?」
やっと自由になった手首を摩りながら、手を伸ばしても届かない距離まで離れた男を睨みつける。返事は出来なかったが、繋がれたイヤフォンからはずっと私を心配するユズの声が聞こえていた。だから怖かったけど、まだ冷静でいられた。
『ハル?! 大丈夫ですか?!』
「うん、とりあえずは大丈夫」
ユズに返事をしながら男を見ると、男は「分かってるよ」と小さく呟いて、私にさっきと同じ笑みを浮かべる。その作られた笑みのせいで余計に怪しさが際立っていた。
「怖がらせてごめんね。不審者では無いから通報しないで」
(不審者だ)
「ナンパでもないから。本当に、君と話がしたいだけ」
(不審者のナンパだ)
男はそこまで言い切って、「あー……」と私のスマホに目を向ける。
「悪いんだけど……電話、切れない?」
「無理です」
「んん、その彼女には聞かせたくない話だと思うんだよね」
「電話は切らな………え?」
私は思わず、男の顔を見た。
知らない筈だ。男は私の電話相手が女性だということなんて、この男は知る訳がない。イヤフォン越しだから声も聞こえない。私も、電話相手が女性だと判別出来るような発言はしていなかった筈なのに。
男はさっきまでの笑顔を止め、真剣な眼差しで私を見つめていた。
「『最近、交通事故に遭いかけたことがある』」
「!」
「しかも、『一回だけじゃなくて複数回』。更に言えば、『君は特殊な友人がいる』。とか」
「…」
私はユズに「後でかけ直す」と伝え、電話を切った。
「ありがとう」
私は男に疑いの目を向ける。男は居心地が悪そうな顔で頬を掻いた。
「うん……どこか移動しようか」
「ここで良いです。早く帰りたいので」
「なるほど。じゃあ、どうぞ?」
男はさっき座っていたベンチに座ると、隣へ座るよう手で促した。しかし私が促された席の隣にある別のベンチに座ると、男は何とも言えない表情で行き場を失った手を下ろした。
「貴方、何者ですか」
「ただの占い師だよ」
「何であのことを知っているんですか」
「それは企業秘密。で、俺の名前は梵 楽」
(変な名前だ)
「変な名前でしょ。俺もそう思う」
「…」
「じゃあ、俺からも質問。君はどこでその幽霊と知り合った?」
「……私の部屋、ですけど」
「部屋……今の幽霊の状態は? 悪霊になったのはいつ?」
「! ……悪霊になったのは、まだ、最近。今は元の姿に戻って落ち着いてるから……」
「元の姿に戻って落ち着いてる? 何言ってんの。一度悪霊化した幽霊は、もう元には戻れないよ」
「……え」
男はポカンと口を開けた私の顔を見て一瞬険しい表情をした後、真剣な眼差しで私に体の正面を向けた。
「良い? 君は今、非常に危険な状態にあるんだよ。君が一緒に住んでいるのはただの幽霊じゃなくて悪霊で、既に君には複数回危害が及んでいる。影響が出ているんだよ。危ないんだ」
「あ、危なくなんか……。それに、危害なんてそんな、ただの私の不注意なだけで」
「違う。全部その幽霊が関係していることだ。誘い込まれるような感覚に襲われたりとか、覚えあるでしょ」
「……っ」
私は右手に持っていたスマホを強く握り締める。
「現状を放置すると、君は近いうちにまず間違いなく死ぬ。……考えて欲しい。君が死なない為に」
「…」
「だからこれは、その為の提案」
男は少し間を置いて、言った。
「俺がその幽霊を引き取る」
私は反射的に男の目を見た。何も言わず、瞬きも忘れて男を睨みつけた。
(こいつ、今、何て言った?)
この男の言葉を脳内で反芻する度に、自分の死の恐怖よりも強く、ユズが奪われるかもしれないという焦りとこの男への怒りが沸々と湧き上がってくる。
「渡さない」
ユズの笑顔が、脳裏に浮かんだ。
「お前にユズは渡さない」
男はその間、一度も私から目を逸さなかった。冷静に、まるで観察しているかのように、私をじっと眺めていた。
「その怒りは、俺には全く理解出来ない」
「…」
「本当に良いの? 君に聞いてるんだよ」
そう言われ、私の方から目を逸らした。何故だか真っ直ぐな男の目を見ることが出来ず、足元に視線を落として、はっきりとした答えも言えない。
体の中からドクン、ドクンと段々強くなる鼓動が耳まで伝わってくる。
何故だろう。分からない。分からないけれど、頷くことが出来ない。
「……そう」
視界の端で男が立つのが見えた。そのまま立ち去るのかと思っていたら、急に視界に男の姿が飛び込んできて驚いた。
男は私の目の前でしゃがんだまま、何かを取り出した。
「これ、俺の連絡先。君のことでも幽霊のことでも良いから、何かあったら教えて。極力出るようにするから。良いね?」
「え……」
男は狼狽える私の手に強引にその紙を握らせると、「じゃあね」と立ち上がり、私が来た方向に向かって歩いて行った。
(なんで? なんでこの人、ここまでしてくれるの)
私はこの人に明確な敵対心を向けた。初対面だし、赤の他人だし、なんならお互いもう嫌いになっただろうに、この人は何かあれば自分を頼れと言った。放っておけば良いのに。知り合いでもない人のことなんて、気にする必要も無いのに。
「待って!」
思わず男を引き止めた。
「貴方、本当は何者なんですか……? 何でこんなこと……」
男は振り返ると、うっすらと笑みを浮かべた。
「強いて言うなら、俺も君と同じ霊問題に悩まされているから。それに人って、放っとくとすぐ死ぬでしょ。あれ嫌なんだよね」
「同じって」
「俺は君にも死んでほしくない。そういうだけ。じゃ、またね」
私の返事を待たずに、男はひらひらと手を振ってまた歩き出す。しかし数歩進んで「あ」と声を上げると、何故か早足で戻ってきた。
「ごめん、忘れてた。俺、知らない番号からの電話は基本的に出ないんだった。連絡先交換しよ」
「……はい」
切りの悪い男の行動に若干呆れながら、私は男___梵さんと連絡先を交換した。
梵さんは別れる直前まで「一人で抱え込まないこと」「直ぐに俺を頼ること」と耳にタコが出来そうになるくらい繰り返して、私が強引に話を切ってやっと止めることが出来た。
「またね」
今度こそ去っていく後ろ姿を見送った。
(本当に変な人。でも、悪い人じゃなかった)
私も帰ろうと、梵さんに背を向けて歩き出す。すると、後ろからチリンと鈴の音が鳴ったような気がした。
「?」
後ろを振り返る。しかし、梵さん以外何も見えない。
確か彼は音が鳴るような物は何も持っていなかった筈だ。服の中に入っていたとしたら、こんなに鮮明には聞こえないだろう。
不思議に思って梵さんの後ろ姿をじっと眺める。そのまま何気なく視線を下に落とすと、彼から伸びた影の肩の辺りに、不自然な丸い影があることに気が付いた。その影が動いたかと思うと、二つの三角がぴょこんと立つ。
(……猫?)
まるで彼の肩に乗っているようなそれから、細くて長い影が伸びて、揺れた。
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手の中でスマホが震える。
「!」
ユズから電話が掛かってきていた。そういえば、「掛け直す」と言ってから結構時間が経ってしまっている。
(しまった……)
慌てて出ると、イヤフォンから音漏れがするくらいの大きな声が響く。
『ハルッ!』
「うぉっ……ま、待たせてごめん」
『本当ですよ!! 具体的な数字も言ってくれないで一方的に切られて! よく聞こえませんでしたけど変な人と話してるままみたいで! ハルがどこにいるのかも分からないから探しに行くことも出来なくて! すっっごく不安だったんですよ!!』
「ご、ごめんなさい……」
電話の向こうから半泣きの声が聞こえてきて、ユズを放ったらかしてしまったことを猛省する。
「あの、すぐ帰るから」
『もう電話切らないでくださいね』
「うん。もう切らない」
『……それで、変な人と何話したんですか?』
「…」
一瞬、返答に迷った。ユズにさっきのことを話そうか、話さまいか。梵さんは話しては駄目なんて言っていなかったのだから、ユズに話したって問題は無い。
でも、この話をユズにしてもただ困ってしまうだけだと思った。私の身に起きていることをユズは知らないのだから、変に不安にさせて、悩ませてしまうだけだと。
だから私は話さないことを選んだ。
「簡単に言うと、幽霊についてかな。ユズのこと。あの人も幽霊が見えるみたいで、何かあったら相談してって連絡先を交換したんだよ」
『……何か?』
「まぁ、今のところは何も無いよ」
ユズに嘘をつく後ろめたさは感じつつも、それを隠して他愛無い会話を続ける。
頭の片隅にはずっと、さっきの梵さんの言葉が残っていた。
いつか梵さんの話も書こうかなと思いましたが、蛇足になりそうな気もするので迷っています。
満足するものが書けたら投稿します。




