火竜王イグナシオ
裸にシャツ一枚で寝るのはカノンのポリシーです(*'ω'*)
このヴェルド世界には、『竜』と呼ばれる種族がある。
鰐に似た恐ろしい顔をしており、その大きな口には鋭い牙がびっしりと生え、更に両側頭部からは巨大な鋭い角が生えているのが特徴だ。
その体付きはずんぐりむっくりしている為に基本的に四足歩行ではあるが、太くて強靭な後ろ脚で立つことも可能であり、立つ事で自由になった前脚に生える凶悪な爪による攻撃は鋭い牙による噛み付きと同様に恐ろしい。
そして竜の背中には蝙蝠の羽に似た皮膜の翼が生えており、その翼に魔力を流す事によって魔法的な浮力を得、大空を雄大に飛ぶ事も可能としている。
大きさは小型の竜で体長5m程もあり、大型の竜になるとその体長は20mを優に超えるという。
その竜の中でも、火竜と呼ばれる種族がある。
俗に言うレッドドラゴンだ。
その紅く輝く鱗は炎の魔力を宿しており、炎や熱に対して絶大な耐性を誇っている。
その為、鉄をも溶かす溶岩でさえも火竜からすれば風呂にでも入っている感覚であろう。
しかし、生まれながらにその絶大な耐性を持っている訳ではない。
何度も脱皮を繰り返し、長い年月を経てそこまでの耐性を得るのだ。
古代竜にまで成長した火竜は強靭な体力及び膂力を誇り、その巨体は当然の如く体長20mを超える。
そして古代竜ともなれば、その口から放たれる〈竜言語魔法〉は雄大な山並みの形を変えてしまう程の威力である。
その火竜は人の寄り付かぬ、いや、魔物でさえも寄り付かない程の峻険な岩山が連立する火山の火口にて生まれた。
卵から孵った瞬間から溶岩の高熱に曝されたが、母火竜譲りの強靭な熱耐性によって事なきを得る。
その後、順調に成長したその火竜はある時、母火竜を自らの牙に掛けた。テリトリー内において、絶対強者は常に一体であるとの理由からだ。
そうして母火竜さえも糧にして大きく成長した火竜は、長い年月の末、いつしか火竜王となっていた。
溶岩でさえも自らを滅する事は出来ぬと、このヴェルド世界で最強を自負する火竜王。その鋭き眼光は、心弱き者ならば一睨みで死んでしまう事だろう。
その彼、あるいは彼女にとって、その日は忘れる事の出来ない日となった。
自らのテリトリーである溶岩の沸き立つ火山に、彼、あるいは彼女は侵入者を感知した。
わざわざ喰われに来るとは馬鹿な奴め。
どうやって喰らってやろうか、馬鹿な侵入者を。
全身を炎で炙り、程よく火が通った所で喰らった方が良いか。
それとも踊り食いか。
やはり炎で炙って喰ってやろう。その方が獲物は美味い。
そんな事を考えつつも、炎属性の古代竜──イグナシオは、自らの巣穴の中で侵入者が罠にかかるのを寝たフリをしながら待っていた。
「悪いけど、君の事を狩らせてもらうよ。────〈スフィア〉よ、行け。そして、〈エーテルドレイン〉」
──ッ!?
何だ!?
何が起きている!
か細くも、凛とした声がイグナシオに向けられた直後、イグナシオは自らの体を襲う異変に動揺する。
絶えず湧き上がってくるはずの強大な力が突然抜けていき、天変地異を起こす『竜言語魔法』を放つ為の『竜氣』さえも抜けていく。
数千年という長い年月を生きてきたイグナシオにとって、それは初めてとなる経験だった。
(舐めるなよ、矮小なる者よ! 我こそはイグナシオ、火竜の頂点に君臨する火竜王なり!)
『グルルル……! グルォオオオオオオッ!!』
未知なる状況に陥ったとしてもイグナシオは古代竜。しかも、火竜の頂点に君臨する火竜王だ。
矮小なる者に舐められてなるものかと、数千年の間に蓄えてきた強大な力を放出する。
巣穴の外──火口でボコボコと沸き立つ溶岩がイグナシオの力と呼応し、急激に上昇を始めた。
噴火の前兆である。
イグナシオは炎の力を宿す火竜王だ。ゆえに、同じ炎属性である溶岩を操る事は自らの体を動かす様に容易い。
たとえ竜氣を使えなくても、たとえ恐るべき膂力が封じられたとしても、イグナシオにはまだ強大な魔力が残っているのだ。
「……ふ〜ん。千年前に狩った古代竜よりも小さいから弱いのかと思ってたけど、意外と強いんだね、君。もしかして、火竜の王なのかな? ま、たとえ火竜王だろうとボクには勝てないけどね。〈スフィア〉!」
転移に使用した〈スフィア〉は、既にイグナシオの力を吸い取っている為、カノンは更に二つの銀色の球体を作り出す。
右手掌から一つ。左手掌からも一つ。計二つの〈スフィア〉を生み出すと、カノンはイグナシオに向けてその二つの〈スフィア〉を追加で放った。
計三つの〈スフィア〉で〈エーテルドレイン〉を発動させるカノン。
その効果は凄まじく、イグナシオの力は目に見えて衰弱していった。
「おっと。いくらボクの身に纏う外套類が黒龍王の皮殻や鱗と『神金』、それに『緋緋色金』を合わせて造ったとは言え、さすがに溶岩を無効化出来る程の耐性が無いからここから少し離れないと。……魔力を外套に流せば多少は耐えられるけど、避けた方が楽なんだから避けるに限るよね、うん」
軽く。
まるで自らが綿であるかの様にフワリとその場から宙に舞うカノン。ライトブラウンの外套が風を孕んではためく。
そのカノンの目の前を灼熱の溶岩が空へと向けて流れていった。
噴火の圧も利用して更に距離をとったカノンは噴火の余波が及ばない上空にてピタリと静止する。
「うん、もう少し吸い取れるかな? あ、今のうちに翠緑蜂の巣を探しておくか……」
三つの〈スフィア〉でイグナシオから力を吸い取る〈エーテルドレイン〉を継続する傍ら、カノンの体からは新たな銀色の粒子が立ち昇る。
瞬く間も無く〈スフィア〉が形成されると、再びカノンの頭上にてゆらゆらと揺れ動いて止まった。
「翠緑蜂の巣は海の中に造られるからなぁ。……うん、あったね。────行け、〈スフィア〉! これでいつでも転移出来る、っと。うん? ──ッ!? 危なッ!?」
古代竜を見付けた時と同様、〈スフィア〉は瞬く間に空の彼方へと飛んでいった。
〈神出鬼没〉を発動すれば、カノンの体を翠緑蜂の巣の前まで瞬時に運んでくれる事だろう。
順調に事が運んでると一人で頷くカノン。
──と、その時、視界の端に何かが光るのをカノンは感じた。
イグナシオによる火炎のブレスである。
翠緑蜂の巣の探索に気を取られ過ぎていたのか、イグナシオの〈灼熱の息吹〉をギリギリで躱すカノン。
ショートにしている銀髪の先端から焦げた匂いが僅かに漂う。
「舐めてたのはボクの方かもね。うん、少しだけ本気で相手してあげるよ……!」
自在に宙を舞う魔法である〈フライウォーク〉を維持しながら、カノンは呟く様に宣言する。
カノンの視線の先では、三つの〈スフィア〉に囲まれたイグナシオが残った力を振り絞る様にゆっくりと迫って来ていた。
大きくばさりと皮膜の翼を動かして空を舞うイグナシオ。
かなり衰弱しているが、炎を宿す紅蓮に輝くその瞳にはまだ力があった。
(我の力を奪うはこの人間か!! こんな小さき人間にここまで追い込まれるとは思わなんだ……! だが、我の残された力を使えば負けはせん。見せてやろうぞ、我が『竜言語魔法』を!)
『ЯФЙЖЁ……ЭθδζИЩ! ────グルルァアアアアッ!!』
言葉の様で言葉では無く、咆哮の様で咆哮では無い不思議な声をあげるイグナシオ。
未だ三つの〈スフィア〉から力を吸われてはいるが、それでも強引に〈火竜王の咆哮〉を放つ。
それは全てを灰燼に帰す原初の炎であった。
漆黒を孕んだ紅蓮の炎がイグナシオの口──喉の奥からカノンに向けて放たれた。
急激に気温が上昇する、カノンとイグナシオのいる空域。
火山の噴火による溶岩の熱も相まって、〈火竜王の咆哮〉は数万度の温度となって上空一帯を蹂躙する。
カノンの小さな体はその奔流に巻き込まれ、跡形もなくその場から消滅していた。
(馬鹿な奴め。我の力を奪った罰だ。愚かな考えを持った自らを悔いるが良い。……既に死んでいるゆえ後悔のしようもないか)
イグナシオはしばらくそのまま滞空していたが、カノンを消滅させた事で興味を無くしたのか、火山の噴火を止めて自らの巣へと戻っていった。
──三つの〈スフィア〉をその背に浮かべながら。
「うん、さすがにアレは喰らいたくないね。呪いで死ねないと言っても、焼ける苦しみは感じるし。さて、と。少しだけ本気で相手するって言ったんだから、今度はボクの番だね。────〈異神召喚・氷の女神ヘル〉」
イグナシオの放つ〈火竜王の咆哮〉を〈神出鬼没〉にて躱したカノンは更にはるか上空に居た。
そして、イグナシオが巣へと戻る様子を見つつ召喚魔法を発動する。
両手を天へと掲げ、イグナシオから吸い取ったエーテルを糧に異界への門を開くカノン。
晴れていた空は急速に黒い雲に覆われ、辺りには闇が訪れる。
黒い雲の中から幾筋もの雷光が迸り、やがて、一つが直径10cm以上もある巨大な雹がイグナシオに向けて降り注いだ。
────ッ!!?
突如として暗闇に覆われた空にイグナシオは驚く。
そして何が起きたのかと用心深く辺りを窺う。
するとその瞬間、火竜にとって弱点となる幾千万個もの巨大な雹がその巨体を激しく叩いた。
『グォオオオオォォン……!』
ただでさえ〈スフィア〉によってイグナシオは弱体化しているのだ。その巨大な雹は、まさしくイグナシオの命を削っていく。
次第に荒れ狂う稲妻と暴風の中、暗闇を齎している黒雲に一筋の光の線が上下に走った。
巨大な雹によって、もはや天に召されるだけとなったイグナシオはその光景を死しても忘れないだろう。
上下に走った光の線から黒雲が左右二つに割れ、そして扉の様に開いた。
身長100mは超えるだろうか。その黒雲の扉から現れたのは、青白く透き通った肌を持つ美しくも巨大な女神の姿であった。
「ヘル。あの火竜を氷漬けにしてよ」
『ふむ、お安いご用だ。────〈氷獄世界〉』
巨大な女神──『ヘル』へと簡潔に命を下すカノン。
例え異界の神とは言え、召喚主であるカノンの瞳に怯えの色は無い。
対する氷の世界を統べる女神である『ヘル』はカノンを対等の存在として扱い、そしてその頼みを実行に移す。
ヘルがイグナシオに向けて手を翳すと、イグナシオ周辺に直径100mの水色の透明なドームが形成される。
そのドーム内に封じ込められるイグナシオ。
雹によって命を削られた事で抵抗する力も無いのか、イグナシオは自らの周りに展開された水色のドームを静かに眺めていた。
やがて、半透明な水色のドーム内に雪が舞い始める。
雪が舞い始めるのと同時、気温が急激に低下している事を示す様にイグナシオの紅き鱗に氷の粒が付着し始めた。
更にドーム内の気温の急激な低下は続く。
空気中の水分が凍りつき、キラキラと輝くダイヤモンドダストがドーム内に幻想的な光景を創り出した。
キラキラと輝くドームの中、紅き巨体が次第に氷で覆われていく。
その速度は凄まじく、水色のドーム内には瞬く間にイグナシオの氷像が完成していた。
こうしてカノンとヘルが見つめる中、数千年を生きた火竜王イグナシオの命に終止符が打たれたのであった。
お読み下さり、ありがとうございます!
m(*_ _)m