魔法の杖:イノベイト*インベイド
広場にはたくさんの人が集まっていた。それだけなら別に賑やかなだけでなんでもないが、それらは全てある共通点を持った者たちであり、この集会には特別な意味があった。
人々の共通点は、黒ずくめの格好と、杖––––––魔法使い。
「とうとうこの時が来たな、アル」
「ああ」
これが全て魔法使いであるのだから、なかなか壮観なものだ。俺たちはずっと隠れ、目立たないように生活していたのだから。
魔法使いと科学者は、永きに渡って対立を続けている。ある時は魔法使いが世界を支配し、またある時は科学者が世界を支配する。一方が世界を支配しているとき、もう一方は滅ぼされない様に隠れ、力を蓄えて逆転する。そんな歴史がずっと続いていた。
「今日集まってもらったのは他でもない。憎き科学者たちを殲滅する目処がたったからだ」
まるで台風が訪れたかの様な歓声が上がる。
台風の目となって演説をしているのは俺の友人のラドカーン。共に科学者と戦い続けた仲であり、親友だ。
「皆に杖が行き渡ったことによって、我々は大きな力を得た。今日という日はそれを記念し、皆の志が一つであることを確認する為の式典だ」
魔法の杖––––––魔法を強化し、その精度を向上させる道具。才能のなかった魔法使いも並み以上の腕を得て、元々優秀なものもより高みを目指せるようになる。
それは、つい最近まではごく限られた少数しか持つことの許されないない貴重なものだった。
「ここにいる彼、アルバート・トリスメギストスのお陰で杖は量産化された。彼のお陰で我々の永き戦いは、終止符を打たれようとしている。彼の尽力に、乾杯!」
『乾杯!!』
俺たちは演説台から降り、そして会食中の人だかりになだれこんだ。
「おい!」
「嘘は言ってないだろ?」
俺の不満などいざ知らず、ラドカーンは飄々とした様子ではぐらかした。
「杖を作ったのはレフだぞ? 俺は動作確認を手伝っていただけだ。それなのになんで担ぎ上げる様な真似をした」
さっきの演説ではまるで俺が杖を作ったかのようになっていたが、実際に杖を発明したのは俺じゃない。
レフ。故郷を科学者に襲撃され、家族を失った俺を育ててくれた魔法使いで、義理の父親だ。
「ここにいない開発者よりも、ここにいる開発協力者の顔を立てた方が指揮が上がる。当然だろう?」
お前だって勝利をより確実なものにしたいだろう、と、ラドは確信犯の一点張り。しかし彼のその合理主義的なスタンスは、科学者との戦いにおいて何よりも頼りになる武器であり、実際に俺は何度も命を救われている。
「だからって、なあ......」
だからこそ、これ以上の口論は意味がないことを俺は知っている。
「そんなことよりもさ、もっと喜べよ! アル。俺たちはやっと......復讐を果たせるんだ」
「ああ」
「レフさんはやっぱり参加してくれないのか? 彼ほどの実力者が戦線に加われば、勝利をより盤石なものに出来るんだが」
「んー。相変わらずレフは戦争に乗り気じゃないみたいだからなぁ。まあ......もう少し説得を続けるよ」
レフは自分の実験場に引きこもってほとんど外部との連絡を取らない......いわばオールドタイプの人間だ。俺はその石の様に頑固な父親をどうやって外に引きずり出すか、もうずっと悩み続けている。
大昔の魔女アマテラスは、結界の中に閉じこもって籠城したとされている。それといっしょに日の魔法で太陽を陰らせたせいで、他の魔法使いたちはえらく被害を受けた。皆は試行錯誤でアマテラスを引きずり出し、太陽を元に戻させたのだそうだ。これが俗に言う日の大魔女の試練。
まさかこんな現代にも通じる教訓だったとは......。
「ありがとう。引き続きお願いするよ。また、あの勇姿を目に焼き付けてみたいものだな......」
「ラド」
「ん?」
「滅ぼすそう。科学者を............もう、あんな悲しいことを、二度と起こさない為にも」
「俺もお前もその為に生きてきた......だろ?」
今年で丁度、十年。それは、俺が全てを失ってからの時間であり、復讐のために牙を研ぎ続けた歴史でもあった。
何も出来なかった少年があのとき指差された方向。それが今も俺の進むべき道になっている。
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付与魔法––––––自立魔法の一種であり、その初歩に該当するものである。大抵の場合は術式に適した素材に付与することで、数ヶ月単位での長期間の機能を実現している。初歩と言われているもののその難度は高く、絶えず変化する素材......特に生物などに付与した場合は、ものの数分で術式が損壊する。
それを防ぐ為には、素材の状態に適した術式に絶えず更新し続ける別の高度な術式が必要であり、その術式そのものが付与魔法であるという構造的矛盾がある––––––生物付与のパラドックス。
その為、魔法使いたちは付与魔法を使用する為に呪具に頼った。術式ではなく、それによって生じる現象を一定にする術式などを付与魔法で道具に適用し、携帯した。
つまりは、付与魔法には入念な準備が必要であり、緊急時には使用できないということだ。
だから––––––僕の命はもってあと数分、ということなのだろう。
辺りは燃えていた。木々は紅く揺らぎ、その命の搾りかすを黒い煙に宿した。川は日の光を七色に写し、全ての命を白日のもとに晒した。人だったものは既に魂をこぼして、物言わぬただの人形になった。
科学者の襲撃だった。
最初に隠れ里の中央で大きな爆発の音が聞こえた。外で魔法の練習をしていた俺は、つい好奇心で様子を見に行くと、爆心地から流れてきた黄色い霧に呑み込まれて気を失った。
世界からは光が失われ、苦痛が全てを包み込んだ。
俺は毒霧に全身を焼かれたのだ。そして、そのまま死ぬはずだった。
気が付いたときには、里の外にいた。父さんと母さんが、俺を助けて逃げたのだ。俺を助ける為に毒霧に飛び込んで、父さんは目を失った。俺を助ける間に森が焼かれ、二人とも体にやけどを負った。俺の治療に無理な魔法を使って、母さんは自分の命を削った。二人とも俺を助けたせいでそうなった。
「『フルステルス』 行け! アルバート!! アルバート・トリスメギストス! お前だけが希望だ。この地獄を......それを引き起こした科学者を絶対に許してはならない!」
父さんは俺に隠蔽の付与魔法をかけて、里の反対側を指差す。
「あな、たは、生き......て......!」「行くんだ。振り返る時間はない」
そう言って、二人は俺の目の前で事切れた。
両親の命まで込められた全力を受けた俺は、考える暇なく走った。一心不乱に父親の指差した方向へ進んだ。景色は目に入れず、ただ、目に焼きついた父親の指先を追い続けた。
案の定木の根につまづいて転んだ。
少しだけ冷静になった俺は、付与魔法のことを思い出す。触媒もなければ、呪具もない。この術式は、長くはもたないだろう。
「............行かなきゃ」
立ち止まっている暇はない。そうやって前を向いたその先に、俺は白衣の人影を見た––––––科学者だ。
俺が転んだ音に気づいたのだろう。科学者は変わったゴーグルを覗きながら、キョロキョロと辺りを見回していた。
今ならまだ、完全に気づかれてはいない。迂回すれば見つからずに済むだろうか?
––––––いや。間に合わない。第一、こんな大がかりの襲撃で科学者が少人数なわけがない。もう既に、逃げ場なんてあるはずがないんだ。
やることは決まっていた。立ちふさがる科学者を殺して、殺して、突破する。
でも、どうやって? 自慢じゃないが俺は魔法の才能がない。同年代の子供が遠くの的を発火させている横で、薪に火を付ける事さえ満足にできないのが俺だった。
俺の魔法では科学者を倒すどころか、目くらましをする事さえ怪しい。俺は無力だった。
「そこの木の横。魔力で居場所がバレバレですよ」
––––––気づかれた!?
魔力隠蔽の魔法は、最も高度な魔法の一つであり、それと同時に燃費の割には効果の薄い魔法であると言われる。真っ先に効果が満たされなくなったのはそれだった。
「体積を見るに子供ですか。さて、捕獲か処分か......まあ、サンプルは足りているので......」
科学者は確実に俺のもとに視線を向け、担いでいた道具をこちらに傾ける。筒の先端に開いた空洞が、朱く赤熱しているのが見えた。
『うわああああああああ!!!』
僕は必死で、訳も分からずに魔法を放った。ただ、死にたくなかった。前に進みたかった。
きっと、世界がその想いに応えてくれたのだろう。何かがぬるりと流れる感覚がして、気が付いた時には、科学者は忽然と姿を消していた。呆然と立ち尽くす俺だけがその結果の証人になった。
科学者がいた場所にはよく分からない道具が落ちている。それは自然の中では聞くことのない音を立てた。
「おい? 何があった?」
その機械から聞こえてきた声で理解した。それは連絡用の道具なのだ。そして、それに答えるものがいないというその状況こそが、俺に歓喜を––––––いや、今は亡き皆からの賞賛を錯覚させた。喜びと虚しさ。そして、不足感。
俺はその道具を手に向かって言い放つ。
「俺は、お前達を許さない」
返事は聞かず、走った。行き先なんて知らない。ただ、科学者を滅ぼす未来へと通じていれば、それで良い。脇目もくれず、何度も転びながら、森を抜け、川を渡り、遠くへ、遠くへ––––––
「それで、あんなところで倒れていたのか」
「…………......」
俺は、川の途中の石に引っかかって気絶しているところを拾われたらしい。
「災難だったな。俺は......レフ。レフ・アインシュタイン。見ての通り、魔法使いだ」
薄汚れた黒のローブを自嘲気味にヒラヒラはためかせた、一見するとみすぼらしく情けない男の姿がそこにはあった。
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レフは湖のほとりに居を構える魔法使いだった。科学者に滅ぼされた俺の故郷の様に、集まって集落を作るタイプではなく、一人で魔法の研究を行っている......まるで神話に出てくるかの様な古典的な魔法使いだった。
他の魔法使いどころか、人との交流自体がない......そんな中で、俺は彼の手伝いをすることで、居候を許されていた。
手伝いと言っても魔法の研究の助手をさせられるわけでもなく、普段の生活の手伝いをするだけ。退屈で、やりがいがない。
そもそもレフは面倒臭がりで研究以外のことをしようとせず、凄まじい勢いで生活の綻びが溜まってゆく。
今までどうやって一人で生活をしていたのかが不思議なほどであり、俺の家事の腕前はみるみる上達していった。
一方で、俺の魔法の腕はいまだにからっきしで、上達の兆しはない。
レフに師事をお願いしても、才能がない、まだ早いの一点張り。そんな雑音にもめげず、俺は毎日の様に魔法の練習をしていた。
「うわ↑ああああ↓......違うか......う↑わあ↓あ↑あ→............う←わ→––––––」
「何を騒いでいるんだ?」
「うわあ! ......なんだレフか......」
「なんだとはなんだ。いつも庭で騒ぎやがって......」
「迷惑がかかるご近所もいないくせに」
「俺がうるさい。で、何の為に騒いでるんだ?」
「何って......魔法の練習だよ」
「魔法? ......それが? わははっ......くく、傑作だなぁ?」
「なんだよもう! 邪魔しないでくれよ!」
あのとき––––––科学者と対峙したとき、俺は少なくとも自分の知らない魔法を使った。その未知の魔法は、よく分からない感触とともに、目の前の科学者を退治した。
決死の覚悟で放った魔法だ。決してふざけてなんかいない。
「どうしてその変な喚き声で魔法が出せると思ったんだ?」
「どうしてって......そう叫んだときに出せたんだよ」
「魔法における詠唱は何の為にある?」
「術式イメージの確認と、固定、あと癖を付けるためだろ?」
「上出来だな。じゃあお前がそのときに使った魔法にはどんなイメージがあった?」
「............分からない」
思い出せるのはぬるりと何かが流れる様な感覚だけ、ただ必死で、俺には術式の役割を果たせそうなイメージは思い出せなかった。
「そう。お前はイメージをしていなかったんだ」
「じゃあ何で?」
魔法が発動したのか。
レフは何故か少し嬉しそうな様子で、近くに落ちている木の枝を拾っては地面に図を描き始めた。
「お前は魔法への理解が甘い。魔法には大きく分けて二種類あるんだ」
「二種類?」
今まで魔法を教えてくれる気のなかったレフが、遂に教える気になった。嬉しかった俺は、食い入る様にその図を凝視する。
「そう、まずはお前も知っている普通の魔法だ」
地面に縦の線を引いて分けた左側を指したレフは、そこに本の絵を描いた。
「お前は魔法をどうやって使える様になった?」
「習っt「そう!」
まだ何も応えていないぞ。
「魔法というものは既にあって、それを習うことで使える様になるものなんだ」
『ファイア』
レフは詠唱し、枝の先端に火を灯した。そしてそのまま燃えている先端で地面の本にファイアと書き、火を消した。
「名前を知っている、現象を知っている......その記憶を術式に利用して、魔法は発動する。体が覚えていれば詠唱なしでも発動はするが––––––」
レフが持っている枝の先端が再び発火した。
「––––––頭の中では、変わらずイメージが必要になる」
木の枝はレフの手を離れてふわふわと舞ったあと炎に包まれて一瞬で灰になる。それを見た俺も興奮してハイになる。
「本から学ぶ。人から聞く。普通の魔法というものはそうやって模倣されることで続いた伝統そのものだ。ではその魔法は最初にどうやって生まれたのか?」
レフの足元をつむじ風が舞い、砂埃が立った。その砂埃は凝縮し、さっきまで持っていた木の枝と同じくらいの石の棒に変化する。その棒を手に取ったレフは、右側に線を引いて––––––
「イメージが不要な魔法。一番最初の魔法。......それが––––––」
––––––記号の様なものを描いた。
「––––––自然魔法だ」
「......自然、魔法?」
その記号の意味を、俺は理解できなかった。それなのにそれを見た瞬間、得体の知れない恐怖が肩をすっと撫でて、ゾクリと体を震わせた。
「お前が使ったものはそれだ。そして、それはあることをしなければ二度と使うことは出来ない偶然の産物だ」
「どうすれば、また使えるんだ?」
「簡単だ。名前を付けてただの魔法にする。しかしただの名前じゃない。その現象に当てはまる名前は一つしか存在せず、多くの自然魔法は使用者が名前を見つけられないまま生涯を終え、二度と使われることはなかった」
風が吹いた。レフが描いた絵はそれに巻き込まれて、見られないほどに風化した。それはとても寂しい光景だった。
「まあ、ワーワー叫んでまた出せるものじゃあないうえ、少なくともワーって名前ではなかった訳だ」
やれやれとレフは鼻で笑う。その様子を見て、俺は怒りが込み上げてきた。
「なんだよ! 知らなかっただけじゃないか! バカにしやがって!」
「そう、別に知らないことは悪いことではない」
「じゃあ」
「しかし知らなかったからこそお前は無駄な努力で時間を浪費したんだ。知っているものが馬鹿と評しても文句は言えまい」
「........................」
俺はレフに言い返すことが出来なかった。更にレフは追い討ちの様に畳み掛ける。
「自然魔法にのめり込むのは無駄だ。今その名前が分からないというのなら、それはもう再現性は無い。天啓でも得ない限り、一生使える事はないだろう。それはそういうものだ。」
俺のグラグラと支えを失い、体幹が崩れ、その場にへたり込む。
「そう落ち込むな......と言っても無理な話か。お前には魔法の才能はないからな......それこそ偶然を奇跡と崇めて縋りたい気持ちも分からないでもない」
偶然、その言葉はあの出来事を中身のない空っぽのものに変え、俺の胸に深々と突き刺さる。あの時生き残った俺は、今ここで殺されている。そうとすら思えた。
「二度出せないとしても......! 同じものは一度しか使えないとしても。毎回別の魔法でも良いから、自然魔法さえ発動出来れば......」
「一度使ったお前なら、それが無理だと直感で分かっている筈だ。お前が自然魔法のことを知らないのは、それだけ稀な現象だからだ」
分かっていた、ただ、このまま否定され続けることを、心が拒絶しただけだ。もとより勝てる筈もない反論が、傷を深くする無駄な抵抗だったとしても。俺は口を動かすことを止められなかった。
「一生に一度発現しただけでも感謝しろ。それが絶体絶命の窮地から救ってくれたんだから、万々歳じゃないか。それはもう効力こそ切れているものの、紛れもなく奇跡的なことだった」
「でもそれじゃあみんなの仇が撃てない!! 科学者をこの世から滅ぼすことが出来ないんだ!!」
「復讐はやめろ。お前じゃ無駄死にするだけだ。お前が生涯に持てる力では、その願望は荷が重すぎる」
「........................」
これ以上の反論はできない。ただ、逃げる様に、絞り出す様に、口からこぼれ落ちた。それは断末魔に紙一重の本心だった。
「......俺は......強くなりたい............」
科学者に恨みを抱く前から、ずっと持ち続けていた本心。科学者を滅ぼす––––––目的を得る事で具現化したそれは、目的の否定によって剥き出しになった。
「そうか」
数秒間の静寂。その間にどんな思考がなされていたのか、俺には知る術はなかった。ただ、その後レフの口が開かれ、
「力が、欲しいか?」
お約束の言葉が聞こえた。それは散々使い古されて陳腐になり、どこか間抜けな響きをしている。それでいて、俺にとっては無視できない切実な問題だった。
「お前たちの神話ではこういって、過ぎた力を与えるのだったな。そして......持て余す力を与えられたものは、驕り、最期には一つの例外もなく滅びる」
「レフ......?」
レフはじっと見定める様に俺を見ていた。
「俺はお前に力を与えることができる」
まるで俺を試すかの様に、言葉が重ねられる。
「だが、力は所詮力だ。見極め、振るうのはその宿主たるお前自身になる」
その昏い目はしっかりと俺の方向を見据え、そして、俺を見てはいなかった。
「お前は全てを失う覚悟があるか?」
そんなもの、ずっと昔から答えは決まっている。
「なんでもいい! どんなことをしてでも、俺は強くならなくちゃいけないんだ!!」
「......ついてこい」
レフは踵を返し、実験場の方向へと歩いてゆく。
まるで俺がいることを忘れているかのような速さでずんずんと歩いてゆくレフを、俺は置いていかれまいと追いかけた。
実験室の扉を開け、底の見えない長い廊下を奥へ奥へと歩いてゆく。ここに入るのは初めてで、案の定足の踏み場もないほどに荒れていた。
まっすぐに続く廊下には無数の扉がひしめいており、薄暗く不気味だった。それはまさに深淵という様子で、外から見た小屋が嘘の様に広い。空間魔法の類だろうか。
肘がよく見えない何かにぶつかり、ガタンと音が鳴った。
「あっ」
音に振り向いたレフが素っ頓狂な声を上げたが、すぐにげんなりした表情で前を向きなおし歩みを続ける。
「ごめん......」
「.......................ここで待っていろ」
すぐに少し床に余裕のある場所で制止された。レフは扉の一つに入った後一つの金属製の棒の様なものを持ってくる。
渡されて、そのズシリと響く重みによろめく。この重みは、俺が手にした未来の重みと等価だ。そう思った。
「これはお前の魔法を補助し強化するものだ。......そうだな。足腰が不自由なものが足を支えるために使うのが杖であり、これは魔法が不自由なものの魔法を支える杖の様なものだから魔法の杖でいいだろう」
その杖は、まるで俺を認めたかの様に、手に馴染むとさっきまでの重さが嘘の様に軽くなった。少しだけ異質な感じがした。
「それはまだ試作品だ。最終的には、量産も視野に入れている」
表面はわずかな明かりを反射し鈍く光らせる。それはまるで未来を閉ざすかの様に濁っていた。
「いいか? お前が完成させるんだ」
その意味を、レフの言葉を、俺はもっと注意深く考えるべきだった。
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魔法使いにとって、家名は血筋を表すものではない。
魔法使いは一人前になった弟子に家名を授ける。それは、愛情の証であり、信頼の形でもあった。
自分の子供を自分の弟子にする絶対数の多さによってそれは目立たないものになっているが、血よりも智というその思想は決して薄れず、魔法使いたちの信念になっている。
俺の家名、トリスメギストスは両親から引き継いだものの、決して能力を認められた訳ではない。科学者の襲撃がなければ、俺はまだトリスメギストスの名を貰うことはなかった。
だからこそ、この家名の意味は家族や師弟関係ではなく、あの日に指差された復讐の指令だった。
杖を受け取った日。アルバート・トリスメギストスはレフ・アインシュタインの弟子になり、養子になった。
––––––そして、杖の量産化を成功させたというのに。俺はまだ、アインシュタインの名をもらっていない。
俺は、愛されていないのかもしれない。
「調子はどうだ?」
「悪くない。十分だ」
俺は杖を持ち、応える。
「お前がそう言うのならそうなんだろうな」
ラドは杖を構えて、自分の調子を確認しながら言った。
杖の量産化に成功した俺たちがすることは一つだった。科学者たちへの戦争。
俺たちは肩を並べて、互いに杖を向け合う。
「「『フィジカルアクティベート』」」
「「『プロテクトプレート』」」
お互いに掛け合う強化魔法というものは、一見すると非効率で手間だけかかる意味のない行動だ。片方が術式を維持できない状態に陥ったとき、もう一人の強化も解ける。一人が崩れればもう一方も崩れる。
だが、それは相棒の死を誰よりも早く、それこそ敵よりも早く気付ける事と等しい。
途切れれば、自分一人だ。巻き込む見方はもういない。そう、本気の大規模魔法を、揺動に気を取られた空きだらけの敵に当てられる。
これから科学者の一人を討つ。それも、ただの科学者ではない。
『工場長』––––––名高い科学者の一人であり、科学者のコミュニティでもナンバー2の座を持つ者。あらゆる科学者とのつながりを持ち、発明の量産化を担当する。俺の故郷を襲った科学者の道具は、全て彼の作ったものと言い換えられる。
俺たちは二人で、その"工場長"の潜伏する大工場へと侵入する。科学者殲滅戦の一手目だ。
「いいか? この襲撃で隠れ住んでいる科学者たちのコミュニティの場所を特定する。奴の顧客リストを発見し次第、後方の部隊に通達。すぐにリスト内全ての集落への攻撃を開始する」
「分かってるさ。アル。俺がお前の話を真面目に聞かないことがあったかな?」
心外だ、とでも言う様にラドは笑ったが、こちらには思い当たるものが沢山ある。
「結構あったと思うぞ」
「ありゃりゃ......さて」
肩を落とした
「「『フルステルス』」」
「隠蔽圏外になった魔力の残滓でおおよその位置は特定される。途中までは一緒に行動して、目的に遭遇するあたりで分離する」
「一人だけ見つかったら? 残りはリストの探索かな?」
「ああ。だが、遠くからでも目的の位置がわかる様に『ビーコン』は付与しよう」
「了解」
俺たちは、憎き科学者の本拠地に足を踏み入れた。
・
・(三人称視点と戦闘描写テスト)
・
コントロールルームの椅子に座る初老の男性は、科学者と呼ぶにはいささか筋骨隆々とした姿をしていた。
「ここまで魔法使いが侵入して来たのは初めてだぜ。しかし、隠蔽魔法のせいで防衛装置が役にたたないなんてなァ?」
リチャード・ホーキンス––––––工場長と呼ばれるその白衣の男は、誰もいない虚空に向けて言葉を放った。
その光景を見たものは誰もが彼の痴呆を察することだろう。しかし、それが見当違いであるということは、結果から見て明らかだった。
虚空は揺らぎ、青紫に光る雷が、リチャードを襲う。
「おっと」
彼は軽やかなステップでそれをかわした。日頃から重機に触れる体は伊達ではないとでも言う様に、老体を捻る。
揺らぎはそれを見て驚いたのか、同じ雷を連続して放った。
「最初からバレてんだから無駄だぜ」
そして今度はかわそうともせず、白衣から取り出した装置で受け止める。
「平井死んだ。若いな、何度も同じ手を使うのは二流だぜ」
「............」
数秒の沈黙のあと、揺らぎは観念した様に隠蔽を解いた。
黒いローブに身を包み、燻んだ銀色の杖を持った魔法使い––––––ラドカーンが、苦々しげな表情をしながら現われた。
「そういうそっちは老いているな。かわしておけばまだ雷は効くと思わせられたものを」
「まあそろそろ歳だからな。これを期に骨格の機械化でも検討するとしようか」
リチャードはラドカーンの挑発など気にもとめない様子で機械を操作する。すると、壁や天井が裏返り、侵入者を排除する為の仕掛けが起動する。
「隠蔽魔法を解いたのも失敗だったな紫電のボウズ! 蜂の巣になりやがれ!」
数えきれぬほどの鉛玉がラドカーンに降り注ぐ。リチャードの発言通り、彼は穴だらけにされるかに思われた。しかし、
「驚いたな......」
跳弾対策のシャッター越しにそれを眺めていたリチャードは少し楽しそうにこぼした。
まるで目に見えない壁に阻まれた様に全ての弾丸は弾かれ、そこには無傷のラドカーンが立っていた。アルバートが付与し、今も維持に勤めている防御魔法の効果である。
「なんだかんだで生で見ると面白いもんだなァ。さっきの紫電でもしやと思ったが、この強力な防御魔法といい、噂に聞くメイガス家の者だろう?」
リチャードは紫電魔法使いとして知られている魔法使いの流派を挙げる。実際に、ラドカーンの両親の性はメイガスであった。
無言で佇むラドカーンは、杖を持つ手に力を込める。すると、彼とリチャードを隔てていたシャッターが真っ二つになる。彼は腰を低くし、飛びかかる。杖の先端には、実体化した氷の刃が鋭く浮遊していた。
「残念、ハズレだ。俺に姓は無い」
それを言った口は、どこか悔しそうに噛み締められる。
リチャードは避雷針でその刃を受け止め、受け流す。かわされたラドカーンはすぐに姿勢を直し、紫電を放つ。それは避雷針のもとに真っ直ぐに飛び、そして、それを握っているリチャードを感電させた。氷の刃を受けた際に、雷を逃すアースが破損したようだった。
「グァ!? その杖は.....!」
呻き声をあげて膝をつくリチャード。
「お前を滅ぼす俺たちの刃だ! 俺に家名が無いことが、お前たちに付けられた傷の証だ......!!」
工場長と名無しの復讐者の戦いは、今、まさに終わろうとしていた。
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・
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工場長と遭遇してすぐ、気付かれないうちにラドと別れた俺は顧客リストを探していた。しかし探すといっても、とてつもなく広い工場だ。すぐに発見できるとは思っていなかった。だからこれは、半分くらいは陽動だ。
入り口はそこまで大きくもない建物だったのに、まるで空間魔法でも使っているかの様にここは広い。もっとも、科学者が魔法を使えるはずがないので恐らく仕掛けがある。例えば、長い廊下を傾斜させれば、地下につなげることができる。それならば、外から見た建物以上に広い空間を侵入者に錯覚させることは可能だ。
生産ラインに沿って近くの部屋をしらみつぶしに探し続けて数分。数人単位での手がかりはちらほら見かけているので、何の成果も得られないというオチだけは既に避けられている。
だが、まだ足りない。そして、途切れないラドの強化魔法が、まだ時間に余裕があることを示していた。
部屋の入り口で、情報探知魔法を使い、関係のありそうな気配を探る。
––––––お前たちは、何処に隠れている。
それは根絶しなければならない。
情報魔法が見せる景色のイメージに視野が奪われて、憎しみが溢れかえってくる。復讐の真っ只中にいる今だからこそ、科学者が世にのさばっている世界が許せない。
その部屋の前で見た景色は多岐にわたり、世界に広く影響した。
「ここだ......!!」
開かない扉を魔法で開けて、その景色の束に手を伸ばした。
工場長はアナログ媒体を好む––––––その手帳には、科学者たちの居場所が確かに記されている様に見える。
情報魔法は嘘を許さない。その手帳に編み込まれた作為は、魔法使いへの悪意を多分に含みながらも、見た者への欺瞞は少しも込められてはいない。
これは本物だ。そう判断すると同時に、俺は体の違和感に気付いた。
地を踏む足は虚しい程に重く、蹴る足は軽い。扉を開けて外に飛び出し、虚空に手を伸ばしたまま無力感に押しつぶされる。
「...........嘘だろ......ラド......お前」
ラドがかけた強化魔法が切れている。俺がラドにかけた強化魔法も、対象を失ってあてもなく空を掴もうとしている。
「いや......まだだ。まだラドが死んだと決まった訳じゃ......」
自分を落ち着かせようと言い訳の様にこぼした独り言に、滲む汗を吸う手帳。
ここで怯んでいる余裕はない。まだ、科学者を殲滅する為の準備に過ぎない。
「『プロテクト』、『ステルス』、『テレポート』、『ファンネル』」
手帳に保護魔法をかけて、屋外に飛ばす。あとは指定した場所––––––待機している仲間の元へと滑る様に、手帳は空へ落ちてゆく。
俺は、次にするべきことを分かっていた。
この戦術のメリットは、味方を巻き込むほどの大魔法を相手に悟られる前に使えること。巻き込む味方がいるから強力な魔法は使えまいと、胡座をかいている敵に奇襲をできること。
俺の行動が遅れては、全てが無駄になる。
ラドの残した位置参照魔法の付与を手がかりに、壁の向こうの敵––––––工場長へと杖を向ける。それは僅かに移動しながらも、こちらに捕捉されていることなど気付いていない様子だった。
もし、仮にラドが魔法が使えない状況になっていたとしたら......?
少しだけ、意識の隅に湧いている未来が、俺にささやいた。
––––––どのみちそんな足手纏いの事を気遣う必要はない。そんなことで工場長の首を取り損ねたら、それこそラドに怒られてしまう。
杖を握る手に力を込めて、ブレないようにしっかりと狙い、放つ。
「『ペネトレイター』......!!」
––––––もっとも、これでラドは助からないのだが。
壁を擦り抜け通った後を全て熱で溶解させる光魔法が、照合した座標を貫いた。
肌を撫でる熱風は、どこか懐かしい景色そっくりで、光魔法で出来た焼け爛れた道を前に、俺は泣いた。
「............『フリーズ』」
熱魔法で冷却し、その道を歩く。
大変転びやすくなっておりますのでご注意ください。
全てを飲み込んだ光魔法の後には、何も残っていなかった。
復讐は虚しいもの。レフが言っていた意味を景色に当てはめながら、後悔もできずにやり場のない悲嘆を胸に押し込んだ。
丁度コントロールルームのあたりで焼け焦げた金属片を見つけた。
––––––魔法の杖が壊れたとき、制御の崩れた呪いは外に漏れ出して、怪物を生み出す。だから、壊れた杖には近づいてはならない。
実際、調整段階で何度も、俺は人の頭ほどの大きさの醜い肉塊のような生き物が生まれるのを目にして、レフと焼き払った。
今回は、光魔法に巻き込まれて、既に怪物はいなくなった後の様に見える。
近くを見回すと、廊下に焼け焦げた死体があった。それは上半身と下半身を真っ二つにされていて、焼ける前に何が起こったのかを想像させるには十分だった。
僅かに残った面影が、それがラドカーンである事を教えてくれる。
「ラド..................」
飲み込まれた悲嘆は沸騰し、今にも喉元から飛び出そうとしていた。
せめて、俺の魔法で死んだのなら。それならばお前は二度も科学者に踏みにじられたことにならないだろう。
もっとも、ラドがその時まで息をしていたのかは、ラド本人にしか分からないことだ。
「ラド––––––いや、ラドカーン。お前の復讐は、このトリスメギストスの名にかけて、このアルバート・トリスメギストスが成し遂げよう」
名無しの復讐者の意思は、名有りの復讐者に引き継がれる。
「だから......お前は安心して、俺を見守っていてくれ」
俺は胸の内の怒りを抑えて、最後の別れを言う。煮えたぎる俺の思いとは裏腹に、場はしんと静まり返っていた。
すると突如、その空間を俟っている水蒸気が集まり、人の形をとった。
「アルバートさん......」
人形はラドの遺体を見て、残念そうに俺の名を呼んだ。それは遠くに自分の意識を飛ばす連絡用の魔法だった。緊急の連絡があったのだろう。
「本陣か。どうした? 科学者の名簿は届いていないのか?」
工場長の手帳が届けてから十分な時間が経っているはずだ。
「それが......その、少し問題が......」
「どうした。早く言ってくれ」
人形は言い辛そうに、おろおろとしている。それを見て俺は苛立ちを覚えた。
「早く言え! 遅くなれば科学者に感付かれて、全てが台無しになる! ラドの死までもお前は無駄にする気か!?」
びくっと体を震わせた人形は、恐る恐る答えた。
「手帳の......名簿の科学者の中に、レフ・アインシュタインの名が......」
––––––それを聞いたとき、何かが繋がった様な気がした。何故などという疑問はとうに通り越して、全ての答えが帰って来る。ただ、悲しむことすらなく、胸の怒りにくべられて、そして、どうしようもなく苦しかった。
「......分かった。レフは俺が対処する。そちらは予定通りに動いてくれ」
最後まで言い終わったところで人形は霧散した。
「..................」
この十年間が土台から。何もかも崩れ落ちる様な気がして、俺は妙な脱力感に襲われる。それでも、今更止まれる筈もなく、俺は前に進むしかなかった。
予定ではこのまま俺はラドと共に、科学者の集落を攻撃する筈だった。ラドはもういないが、科学者への襲撃という点においてレフのもとへ行くのはなにも変わらない。
「『テレポート』」
––––––レフ。お前は、何がしたかったんだ......?
まだ杖を使いこなしていないころ。レフは、俺とラドが科学者に殺されそうになっているところを救ってくれたことがあった。その時の、俺の無事を確認したときの安堵の顔は、今でもありありと思い出せる。それが嘘だとは、今だに信じ難かった。
歪んだ視界が繋がり、見慣れた小屋が見えた。科学者殲滅戦に参加しないレフは、まだそのなかで一人いつもの様に研究をしている筈だ。
普段は勝手に入ってはならないと言われていたが、その約束を無視してズカズカと上がり込む。
ここに入るのは初めて杖を受け取って以来だろうか。あの時はここを空間魔法で圧縮された空間だと思い込んだものだが、今になって入ると工場長の施設と同じ仕掛けを使っていることに気付く。
「『ナイトビジョン』」
杖から漏れ出た光は広がり、薄暗い廊下は瞬く間に明るくなった。
魔法が使える杖が作れるならば、魔法使いのフリをするのも容易いことだろう。
ものだらけの廊下を、それらを踏み潰すことを厭わずに進む。最奥部の扉の前に着くまでに、それほど時間はかからなかった。
「『フィジカルアクティベート』、『プロテクトプレート』」
万全の準備で扉を開ける。
––––––レフ・アインシュタイン。彼は俺が来る事を全て知っていたかの様に、そこに立っていた。いつも俺の前で着ている黒いローブではなく、科学者然とした白い白衣。
「そろそろ来る頃だと思っていた」
声音は淡々と、まるで何も思っていないかの様に安定していた。
「そうか、あんたが物音に反応してソワソワと立ったり座ったりしているのが目に浮かぶよ」
別に、そんなことが言いたい訳じゃない。答えを聞きたくない俺の弱い心が、無意味に時間を稼いでいる。
「レフ......俺は、お前を信じていた。お前は何度も俺を救ってくれたし、俺に力をくれた。......全て、演技だったのか......?」
永い時間だった。そして、答えもまた一瞬で終わる。
「そうだ」
覚悟はしていた。いや、覚悟は、出来ていなかった。ただ、その返事が来る事を知っていただけだった。
頭が真っ白になった––––––。
思い出が、裏返った。思いは、裏切られた。その歳月は、全てが燃やし尽くされて灰になる。全ての解釈は変わり果て、楽しかった記憶も、辛かった記憶も、全てが茶番に置き換わる。
命からがら逃げてきた俺が、その黒いローブを見た時にどれほど安心していたか。家族を失った俺に、親しみが持てる人が出来た喜びが。どれだけ救われていたのか。
アンタに愛されたくて、アンタを愛したくて、ずっとアンタの期待に応えたくて。信じたくて。役に立ちたくて。
––––––全てが掌の上だったんだな。
汚らわしい魔法使いに自分の名を与えるのは嫌だったろうな。復讐をやめろと口では言っても、アンタは俺を復讐者のままにしておいた。アンタは俺をずっと騙して、見下して、操っていたんだな。
––––––愛してなど、いないくせに。
『■■■_■_■■』
何かがぬるりと流れる感覚と何か意味のある音が聞こえた。昔一度感じたことのある感覚にのあと、我に帰った俺の目の前で白衣を赤く染めたレフが伏している。
「レフ......!?」
その声を上げた俺自身が、一番驚いていただろう。駆け寄って治療魔法を試みるが、血は止まる気配がない。
レフの腹には大きな穴が空いていた。
「お前との付き合い方には............ずっと難儀していた」
ゴホゴホと合間に血を吐きこぼしながら、レフは俺を見据えていた。
「............だが......これで良かった......」
––––––恨め。
最期は言葉にする力もなく、唇が弱々しく音の形を成すだけだった。
科学者のレフ・アインシュタインは、アルバート・トリスメギストスに討伐された。
「......ああ、そうだな」
これで良かったんだ。
復讐は虚しいもの。それでも、心の指針を失ったものは、元の道に戻るためにそれを選ばざるを得ない。
もう十分味わった。あとは、進むだけだ。燃える森の向こうには、科学者のいない未来が見えているのだから。
その部屋を去ろうとして、扉に手をかける。血に濡れた自分の手が、この十年の結末を悠々と物語っていた。
そして、血でぬるりとノブが滑り、開かない––––––違う。扉が固く閉ざされて、ノブが回らない。
扉は厚く、その内側で、特有の噛み合ったパーツとパーツの擦れ合う科学の音がする。
––––––閉じ込められた......嵌められた!
振り返ってレフの死体を見る。それは様子も変わらず倒れ伏している。
扉に向き直して、俺は攻撃魔法を使用する。
「クソッ......!! 『インパクト』!!」
しかし なにもおこらなかった
––––––!?
「『フリーズ』、『ブラスト』!」
依然として何も起こらず、扉は重くそこに鎮座している。
––––––レフが杖を使えなくした......?
レフは杖の開発者だ、だからこそ発動する魔法を杖で堰止めるなど造作もない筈である。それは当たり前のことだった。
––––––何故、ラドが工場長に敗れたのか?
もし、工場長との戦闘中に杖が使えなくなったとしたら。その隙を科学者が逃す筈ないだろう。いや、そもそも杖の機能を科学者たちが制御できないと考えるほうがおかしい。
ラドの杖はここぞというところで工場長に停止させられたのだ。そう考えると全ての辻褄が合う。
もっと早くに気づいてもおかしくなかった筈なのに、レフに気を取られていた俺は、その前提を見落としていた。
......そこで俺は、もっと根幹の疑問に気付いた。
––––––いままで俺が使っていたのは、本当に魔法だったのか......?
掌に握る異質な金属の杖を、硬い地面に向けて叩きつけ、踏み折る。断面から煙が出て、肉の様な何かが膨れ出て来た。物怖じせず、それが杖を飲み込む前に掴み、ちぎり取る。もうそれを呪いなどとは思わない。
引きちぎられたそれは、杖内部を巻き込んでおり、ずるずるとその中身を露わにした。
電子回路––––––科学者たちが確かそう呼称しているものが、ぎっしりとそこに詰まっていた。
......これが、魔法を強化する呪具の正体だと言うのだろうか?
明らかに、それは魔法ではなく科学のものであり、決して魔法使いたちの希望になり得るものには見えなかった。
醜い肉塊は酸を出して、その電子回路を壊して食べている。俺はそれを踏みつける。それは、嫌な悲鳴をあげて、血溜まりに変わった。
扉は開かない。俺は、この事実を早く皆に伝えなければならないというのに。
杖は、殲滅戦に参加する全ての魔法使いに配られていた。彼らがこのまま襲撃を開始すれば、すぐに杖が無力化されて返り討ちに遭う。それだけは阻止しなければならなかった。
俺はこの部屋の中に、何か扉を開ける物がないかと調べ回った。棚の中は研究資料で埋め尽くされ、扉の制御に関わるものはない。レフ自身の持ち物は、血で汚れて読めなくなった手帳と、右腕につけていた腕輪状の魔法の杖。レフの杖ならば魔法が使えるかもしれないと思ったが、どうやら装着者を識別しているようでなにも発動しなかった。
最後にはどうしても触りたくなかった机の上の制御板に手を伸ばした。
この後に及んで科学者の道具に触れたくないなんて、なんておめでたい頭をしているのだろうか。ずっと俺は、科学の杖を信じ続けていたというのに。
震える手は制御板に触れ、そこに均一に並ぶ突起群のいくつかを押した。
壁一面に映像が現れる。どうやら、これは俺でも起動できるようだった。そこに映されているものは複数の場所の景色であり、どうやらそれらは科学者の集落であるようだった。
「遠見の魔法.....? いや、これが科学なのか......」
今更驚くこともない。魔法も科学も、高度なものであれば同じことができる。そういうことなのだろう。
起動したそれをかちゃかちゃと触り続けるが、反応している気配こそあれ、何が変化したのかがわからなかった。扉の開け方はおろか、意図的に操作をすることすら叶わず、俺は途方にくれる。
「このままでは......全てが......」
––––––俺のせいで失敗する。
目的は果たされず、皆の命も無駄に失われる。
まるで自分が盤上を支配していたかの様な言い草だった。
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魔法について研究している、奇異な科学者の施設。その一室にいた一人の魔法使いは、モニタを虚な目で眺めていた。
画面の向こうでは、魔法使いの同胞たちが無残に散っていた。彼らの襲撃は、途中までは上手く進んでいた様に見えた。実際に何ヶ所かの科学者の集落はその圧倒的な魔法の前になす術もなく潰されていた。
しかし、ある時から一人、また一人と魔法が使えなくなっていった。科学者たちはその隙を見逃さず、崩れた魔法使いたちに反撃を始めた。そこからは一方的な虐殺はそのままに、その向きが反転した。
潰える魔法使いたちは口々に、こう言い残した。
『––––––裏切り者』
こうして彼らの襲撃は、失敗に終わった。魔法使いの大部分を失うという形で。
彼はそれを、何もできずに眺め続けていた。全てが終わった後、彼は膝から崩れ落ちて床に倒れた。眼前にはその施設の主人である科学者の手帳があった。持ち主の血がべっとりと染み付いた手帳は、乾き固まっていた。
魔法使いは不意にある言葉を口にした。
『......アルターエーテル』
すると手帳から血が消えて、ぱらぱらと開く。
『––––––アルには申し訳ないと思っている』
それを視野に入れた魔法使いは精気を少しだけ取り戻し、その手帳に手を伸ばした。
『––––––だが、俺は魔法使いをこの世から消し去らなければならない。アルが魔法使いであるならば、アルを手にかけなばならない。これは最初から決定していた』
彼の手が震えていた。震える手で、その次の項へと紙をめくった。
『だから、俺がアルにできる事はそのプライドを最後まで守ってやる事だと考える。アルバート・トリスメギストスは狡猾な科学者に踊らされた哀れな傀儡ではあっても、科学者に仲間を売った裏切り者であってはならない。だから、アルに俺の家名を押し付けてはならない。アルは最後まで魔法使いとして科学者への復讐に生きて、魔法使いとして魔法を操って戦い、魔法使いとして誇りを持って死ぬ。そうあるべきだ』
そこにはとても身勝手な事が書いてあった。彼は無言でそれを読み進めていた。
『お前には黙っていたが、魔法の杖全個体の無力化フラグは俺の命の消失だ。科学者でありながら自然魔法に手を出した俺の贖罪......のつもりだったが、今では魔法使いへ復讐者として自分とアルの父親としての自分の不協和から逃げ出す唯一の救いになっている。先立つ親友を許してくれ。そして、俺の愛した息子に直接的に手を下す役割を負わせてしまってすまない。こんな俺の独断で犠牲になる科学者たちにも、申し訳がない。もしこれをリチャード・ホーキンス以外のものが読んでいるのであれば、彼に渡してもらえると助かる。これが、科学者の異端、"魔法使い"レフ・アインシュタインの人生だ』
彼の顔から感情は読み取れない。パタリと手帳を閉じて、懐にしまった。
突然、頭上のモニタの映像が変わり、この施設の外が映った。
そこには十代前半くらいの少女が一人、泣きながら立っていた。
『......助け......さい......』
少女は弱々しい声で扉に呼びかかけていた。その白衣は血塗れで、泥がついて、とても清潔の象徴とは思えない。
モニタには応答するか否かの選択アイコンが映り、コンソールはそれぞれアイコンに対応した色で発光していた。
彼は、応答を押して、言った。
「わかった。今、出る」
彼は黒いローブを脱ぎ捨て、部屋にあった新品の白衣を着る。真っ白の白衣は、瞬く間に彼の体に付いた血を吸い取り、紅く染まった。
彼は扉を一瞥すると、また、あの言葉を口ずさんだ。
『アルターエーテル』
ガチャリと、今度は扉の開く音がした。
長い廊下を歩いて、彼は入り口の扉を開ける。モニタ越しと違ってフレームレートのない現実は、生々しく襲撃のあとを映していた。
「大丈夫か? 何があった?」
彼は一言目にそう言った。
白衣を見て少し安心したのか、少女はモニタ越しのときよりもはっきりとした声で話した。
「魔法使いが、急に攻めて来て......わたしだけ......みんな、死んじゃって......」
少女は杖が無効化される前に陥落した集落の生き残りだった。彼女は震えながら、今にも消えそうなか細い声で話した。
「ここには、いたん、がいるって。そこなら大丈夫だって、みんなが」
少女は致命的な怪我を負っているわけではなく、そのほとんどが返り血であった。それだけの返り血を浴びるような惨劇を目の当たりにしたのだ。
「大変、だったな。......でも、もう大丈夫だ。俺はアル。............アルバート・アインシュタイン。見手の通り”科学者”だ」
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––––––遠い未来、世界から魔法は消え去って、誰からも忘れ去られていた。
世界は科学が支配して、人々の生活は、もはやそれ無しでは成立しないほどになっていた。
乗り物に乗り、スマートフォンを使い、インターネットを泳ぎ、薬を飲んでいる。
しかし、それらが魔法で動いていないという保証を、いったい何人の人が知っているのだろうか?
歴史には彼の名が残り、それが真実であったと証明できるのだろうか。
魔法の杖は今もなお、世界に蔓延っている。
発達した科学は魔法と見分けがつかず逆もまた然り。
良くわからないものに頼れば足元を救われる......かもしれない。
愚かな作者はそれでもスマホをやめられない()
みんなも情報リテラシーを意識しよう!
ラノベに挑戦した作品です。