エピローグ
大学一年生になると、僕の生活は瞬く間に一変した。
まず高校と違うのは授業を自分で組めるという点だった。まだ一年生だから必修科目も多く、平日は週五で講義があるのだが来年には週4にするつもりだ。単位さえ落とさなければ週三だって夢じゃない。
僕は経済系の学部だからこれが出来るが、友人の細川の話によれば理系は二年に上がっても週四は不可能だろうと肩をがっくりと落としながら言っていた。はい、ざまあ見ろ。僕に対して「ぶぶぶ、文系ですかあ!?ハッハー、お前みたいな根暗野郎が行っても就活で乙って蟹工船にでも乗るのがオチだぜプギャー(殺したくなるような変顔)」と言ってた罰が当たったんだ馬鹿め。どうでも良いけど、時によく細川と交友関係が続いているなと自分でも感心してしまう時がある。いつか僕か細川の片方は他殺体の姿になって地獄へ流され、もう片方は殺人罪によって刑務所に投獄されないのを祈るばかりだ。
次に、一応サークルというものに入った。その名前は「人間観察同好会」、字面からは全く意味が分からないが半年加入している僕も分からないから安心して欲しい。取り敢えず僕を含めて総勢六名のメンバーを紹介しよう。
まず一人目。土日のどちらかは必ずショッピングモールのベンチで買い物客を人間観察して一日を終える部長の中村舞。それを聞いたのは新入生歓迎パーティーという無礼講な場だったので、冗談として言ったのかと思えば偶然由樹と買い物しに行った時に目撃してドン引きした。変人だ。
二人目。空き時間は金がある限りパチスロを打ち続けている権田光。期待値だとか機械割だとかハイエナだとか、無経験者の僕からすれば暗号にしか思えない単語をひたすらに諳んじながら常にメモ帳に何かを記入している変人だ。でも本人曰く一年を通して数十万は勝ってるらしい。
三人目。投資関連のことなら任せろ、とこれまた新歓パーティーで酔っぱらいながら僕に10回くらい豪語した酒井洋。だが部長の中村舞は「ああも尊大に自信持って言ってるけど酒井がやってる投資ってバイナリーオプションで、しかも無駄に消費者金融から借金もしてるから絶対信用しないようにね。プラス、この人去年のファイナンス系の講義、Dで再履だから」と酒を飲む酒井を冷たい目で見ながら言っていた。やっぱり変人だった。
四人目。小説家の土浦香奈。有名出版社から小説を出しているらしく、ただ本については聞いても絶対に教えてくれない。性格的にはマトモだが旅行に行くたびに風水に関連したお土産を持ってきてくれる。少し占いを信じすぎている面はあるが、この面子の中だとちょっと変人くらいで済む。
そして五人目。僕と同じく今年入学した千ノ浦春乃。今時の明るい女子大学生と言った印象で、ファミレスについてヤケに詳しい以外には特段変わった趣味嗜好はない。彼女が僕がこんな趣旨不明のサークルに入ってしまった原因を担っているのだが、それは今は置いておく。ともかく、僕を除いて唯一マトモなサークルメンバーである。
この六人で毎週決まった曜日に空き教室へと集まって、同好会と言う名の暇人同士の駄弁り合いが半年間続いている。特に同好会としての目標は無く、活動の名目としては『人間社会の多様性を分析する』だのさも高尚な観念みたくパンフレットに書いてあったが、要するに上手く社会に馴染めないからじゃあ社会について考えてみよう、と社会不適合者が現実逃避気味に机上の空論を繰り広げているに過ぎない。地を這うマムシに対して木の棒で突いて探りを入れるようなものだ。まあ、とは言っても僕が入った今年の時点で真面目な討論なんて影も無かったんだけど。
長くなったが、そんなわけで僕は意外にもキャンパスライフを謳歌していた。去年の僕は、大学でも高校と同じように授業の為だけに学校と家とを往復するだけの非リアノンサー大学生になると予想していたから本当に予想外。生きていれば色んなことがあるんだなあと僕自身も感心してしまったほどだ。
12月の上旬のコンクリートを踏みしめる。今日も今日とて四限に入っていた基礎英語の講義が終わって午後3時を過ぎている。いつもならここから適当に寄り道して帰るんだが、今日は用事があった。
大学の敷地から出ると、最寄り駅から電車に乗って家へと足を向ける。今でも僕は実家に住んでいて、大学からは大体1時間ちょっと。通うには十分に近い距離だったりする。
遅延もなく、予想していた時間通りに駅に着くとそこは物心付いた頃から変わらない駅構内。例え目を瞑っていても改札まで出る事が出来る。夕焼けに照らされながら、僕は勝手知ったる道を進んだ。空を仰げば師走の澄んだ空気は不純物が少なく、目を凝らしたら太陽のコロナさえ見れそうな錯覚に陥る。本当にやったら目をおかしくするけど。何というか、こんな下らないことをついつい考えてしまうほどには今日の僕はセンチメンタルのようだった。
駅から出て、それから左見右見しながら通りを歩く。この通りも何度も歩いて完全に記憶しているのだが、事情もあってその足取りは遅い。傾斜の緩やかな渓流を流れる水みたいに、夕方の街角には人々が思い思いのペースで通りを歩いていく。僕は彼ら彼女らを慎重に、漏らすことなく注視する。
これも人間。あれも人間。そう考えながら僕はベンチを座って息を吐いた。ふぅ、と白い煙が立ち上る。寒い……全く、12月ってのは何でこうも毎年決まって寒いんだろうか。今日くらい地球温暖化の影響で温度が上がっても構わないというのに、というか僕が許す。
地球環境の専門家がもし聞いていたなれば確実に怒声が上がるだろう、自己中極まりないことを考えている合間にも意識は逸らさずに観察する。きっと僕は傍から見たら手持ち無沙汰になったが金がないので仕方なく公共のベンチで時間を潰す金欠の若者という認識をされているだろう。これじゃ人間観察同好会のことも馬鹿に出来ないな。
2分くらいそうして僕は身を震わせながら静かに座っていた。もうちょっとしたら陽も沈んで気温が更に下がるだろう。そうなったら今着てるトレンチコートじゃ心許ない……もっと暖かい上着を着てくるべきだったなぁ。最悪、ホットドリンクでも自販機で買って誤魔化すか。
そう、いい加減嫌になってきた寒さに対策を巡らせていた時だった。
「あっ」
声が零れた。
僕の前には少女が歩いていた。いや、もう高校生だ。その呼称は誤りなのかもしれない。でも制服にすっぽりと着られている感が抜けず、やはり少女だなぁと息を吐いた。
それは横から見た人影だったけど、僕には分かる。間違えようがない。長い銀髪に、白い肌。碧い双眸。
その姿を視認して、僕は立ち上がった。何でもない単純な動作なのに、その行為で物凄い勢いで感情が脳内を駆け巡るのを自覚しながら僕は近寄った。
「あのー、こんにちわ」
僕の言葉に振り向く。その姿は今春会った時より綺麗になってしまっていて。
「あ、もしかしてナンパだったりしますか?」
「そう、だね。喫茶店とかどう?具体的にはえと、例えばそう、アレ。一緒にお茶とか?」
「ふふ……相変わらず下手ですね、天麻さん。二年前より下手になってませんか?」
「……上手くなって溜まるかこんなの」
「確かに。私もそう思います」
くすくすと笑う由樹に、釣られて僕も笑みを浮かべた。
───この日、佐々原由樹と会ってから丁度二年の特別な日だった。
─── ─── ───
喫茶店にやって来た。地元では多少有名な、今時のインスタ映えする商品も多く並べられた喫茶店だ。二年前と同じ場所で、装いだけは変わっているが客層は一緒らしい。女子学生やOLっぽい人で店が賑わっている。
ついでとばかりにメニュー表の値段も据え置きである。当時小遣い制だった僕からすれば大して量も無いくせに550円もするオレンジジュースには納得がいかなかったが、アルバイトも始めて高校時代と比較にならないほど懐が潤沢になった僕からすれば納得……やっぱ出来ねえよ。味は値段からすれば普通でサービスも平凡。たった二年の月日では人の感想は変えられない。こういう思い出が無かったら二度と来なかったはずだ。
オレンジジュースを二つ買って、由樹が先に陣取っている席へと運んだ。
僕は由樹と向かい合うように座ると、そのまま流れるように口を開いた。
「半年ぶりですね。どうですか、大学生活は?」
「高校時代より順風満帆さ。そっちこそどう?やっぱ男子校は針の筵?」
「そんなことないですよ……?中学時代と違って友達も出来ましたし、まあまあ上手くいってます」
そう言って由樹は笑みを湛える。
由樹はこの春、無難に長谷場高校に合格していた。去年の元旦から一緒に勉強する機会も多く、その関係上で成績優秀だったのを知っているからあんまり心配はしてなかったけど、それでも合格した時は一緒に喜んだもんである。これで名実ともに僕の後輩となった訳で……もし大学で僕と同じキャンパスに来たら本当に一年間学友となるだろう。何かその未来が非常に想像がつくのはなぜだろうか。
さておき、問題は僕だった。何せギリのギリ。推薦という入試形態は1つのテストで全てが決まる訳じゃない。過去の積み重ねがそのまま推薦権を取れるかどうかへ影響してくる。本来なら付属校推薦を取るのは一般入試で通るより簡単なのだが、僕の場合高校二年の二学期まで散々たる評定だったから他より圧倒的に苦労するのは明白で。そして二年の三学期、三年の一学期、二学期、三学期と超優秀な成績を取らなくてはならない地獄のような高校生活後半が幕を開けたのだ。
とまあ、既に過ぎ去った事だからここで詳らかに語るべくは無い。僕が大学に今通っているというのは即ちその困難に打ち勝ったということなのだから。
その功労者は間違いなく由樹だ。由樹が一緒に勉強する習慣を作ってくれなかったら確実に推薦条件を満たせなかった。流石に留年する程の評定ではないにせよ、碌に受験勉強もしてない僕が今通ってるレベルの大学に受かる理由も無いし、恐らく卒業後適当な大学に通って高校時代以上の暗黒時代を作り上げたに違いない。そうすれば暗黒大魔王の誕生だ。マジ笑えない。
それにしても由樹の言葉は二年前を考えると感慨深い。
「そっか……友達できたんだな」
「はい!部活に入ったのが正解でした」
「因みに何部?」
「ええと……音ゲー部」
アレ、そんな部活動があるとか聞いたことないんだけど。てか音ゲーって部活になるのか?
はてなを浮かべていると由樹は補足した。
「部活と言っても自称ですけどね。勝手に部を名乗ってるんです。何でも天麻さんの代の先輩が作ったらしいですよ?」
「今年卒業した奴が?」
「確か……創設者は林田と言っていました」
モロ知り合いだった。何なら良く麻雀卓を囲んで殺り合った仲だった。アイツ、僕と同じ帰宅部の癖に僕の知らないところでそんな集団作ってたのかよ……。
「まあ……それは良かったな」
「天麻さんはサークルとかは?」
「入ったよ。人間観察サークルってとこ」
「何ですそれ……?」
「僕も分からん」
因みに人間観察と謳ってる割には新入生の最初の活動は人間の思考を感じる事という題目でパチンコ屋に行って空いてる良さそうな台を探すことだった。パチスロ狂いの権田の仕業だ、おかげで店内を一生ウロウロし続けた僕と千ノ浦はずっと変な目で見られ続けた。
「何と言うか、お互い変な団体に入っちゃったな」
「そうですね……なんか私たち、似た者同士ですね」
互いに苦笑してしまう。新生活から暗礁に乗り上げなかったのは幸いだけど、お互い奇怪な蜘蛛の糸に引っかかってしまったみたいだ。でも由樹的には音ゲー好きだし、本人的にもアリなのかもしれない。
「まあ、友達が出来たってことは結果的に成功だったか?」
「そうですね……。寂しかったですけど、成功でした」
その事には十全には納得してないのか、恨めしそうに空白を置くと渋々頷いた。
さて、満を持してこの話をしよう。三月からこの半年強、由樹と会わなかった話だ。
僕が由樹と会わなかった理由は別に仲を拗らせていた訳でも、ましてや喧嘩していた訳でもない。他ならぬ由樹の為だった。それまで元々僕へ若干依存気味だった由樹は、新生活を始めるに当たって僕との関係性を優先して高校の同級生を蔑ろにする可能性があった。だから僕は思い切って一定期間会わないことを提案したのである。由樹は最後まで嫌そうだったがそこは理論武装をガン積みしてそれはもう説得した。泣かれながら説得した。悪者の気分ってきっとこんなんなんだろうなぁとかシンパシーを覚えつつ説得した。ホントに滅茶苦茶大変だった。最期には再会の日を今日とすることで何とか由樹が妥協してくれて、やっと締結されたのである。
思い返してると、ストローを甘噛みしていた由樹は徐に離すと唇を動かす。
「本当に、寂しかったんですよ……?」
「悪いとは思ったけど、必要だったしさ」
「だからって携帯で連絡すら取っちゃいけないなんて……酷いです」
「やるからには徹底的だって」
むぅ~、と可愛らしい小動物のような唸り声を上げて由樹は上目遣いでこちらを凝視してくる。当初の僕ならここで取り乱したり、だが男だ!と必死に自分を保つため自己暗示をかけたんだろうが、流石に年単位で仲良くしてれば案外慣れるものだった。ごめん、見栄張りました。半分嘘です。油断すると今でもやられる。生粋の思春期男子キラーっぷりは退化するどころか年々あざとさを覚えることでその威力を上げていた。
その武器が僕に効かないと悟ると、由樹はあからさまに溜息を吐いた。
「はぁ……天麻さんはしょうがないですね。昔はもっと照れてたのに……クラスメイトなら通じるのに」
「それはそうで……いやちょっと待て。聞き逃せない言葉があったんだけど。もしかして男子校で姫サーみたいな真似してないよな……?」
「あっと何でもないです。私がそんなことするわけないじゃないですか。にしてもここのオレンジジュースの味は変わらないですねー」
由樹はさっと話題を逸らしてジュースを飲み始めた。……これ、やってるな。
「全く、いつからそんな小悪魔になったんだかなぁ……」
由樹のそんな態度を見ててふとそんな言葉が突いて出てしまったのだが、「そりゃそうですよ」と不満そうに由樹は言う。
「だって私、結局天麻さんと付き合ってないじゃないですか。断られましたし」
「ま、まあ」
「でも天麻さんは私のことが嫌いな訳じゃないですよね?」
「それはそうだけど」
「じゃあもし仮に私が女だったらどうです?付き合います?正直に」
「あーえー、ノーコメントで」
「ほら、中途半端じゃないですか!」
何故か由樹は勢い良く指摘する。
中途半端と言われても困るんだけどな……。どんなに女っぽくても男と結婚するのは流石に無理だ。肉体的にも精神的にも社会的にも色々ハードルも多いし。
そもそも僕の性的志向はノーマルで、多分由樹だって基本的にはノーマルだ。由樹は例えイケメン相手でも僕を除いた男に見向きはしないし、コンビニ雑誌のグラビアアイドルには一般的な興味は示す。趣味だってゲームやら深夜アニメやらと男性的だ。なので言うなれば、由樹は性同一性障害とかではないのである。現在の状態はまさに、好きになった相手が好きという言葉が当てはまるのかもしれない。
「それに天麻さん付き合っている方もいらっしゃらないんですよね?」
「あ、ああ。そうだな」
「ならアタックしない理由なんてこの世に存在しないですよね?あと、わ、私……あの……生まれ持った武器を使ってるだけで小悪魔とか呼ばれるのはその……、心外……です」
「突然分かりやすくあざとくなるなよ……。小悪魔じゃないならもう大悪魔だ。ほら強そう」
「酷いです!?」
適当に言葉を投げ返しながら、思う。
この半年で気付いたことなのだが、由樹の人生を歪めてしまったのは僕に他ならない。僕が安易にナンパを敢行してしまったせいで、その時はただの女装少年だったのが価値観まで変色してしまったのだ。あの時の由樹はきっと人生で一番辛い時期の由樹で、それを知らず知らずとはいえ救ってしまった僕に女の子として認められてしまってから由樹の人生におけるボタンが掛け違ったのだろう。
僕と出会わなければきっと普通に女の子と出会って、胸をドギマギさせていたかもしれない。異性に告白してしっかりとノーマルな高校ラブコメしていたかもしれない。だがそんなifはこの手で無意識でとは言えこの手で壊してしまった。由樹の学び舎は男子校、異性との距離は遠い。
「まあでもさ。この半年は色々あったけど、僕は嫌われない限りは由樹から離れるつもりはないからさ」
「え。もしかして……それって告白ですか?」
「鮮度抜群、不純物ゼロの純白な友情だよ。これからも宜しくな由樹」
「ええっ……。まあ、良いです。私は諦めませんからね!」
手を取れなかった僕には責任がある。もし由樹が正しい方向へと進もうとしたとき、背を押さなければならない義務がある。だからそれまではどんなことを言われても一緒に居ようと思う。人生を支えるくらいは、巨大な鉄の塊みたいに重くとも、恋人じゃなくたって出来ることだ。望むなら一生涯のパートナーにはなれなくとも、一生涯の友人にはなれるはずだ。
この結論がどういう結果を齎すのかは分からない。だけどもう僕にやり直すという選択肢はなく、その選択をしたことに後悔も無い。確固たる意志を持って突き通すしかないだろう。
それが、ナンパした相手が男の娘だった時の僕なりの回答だ。
ここまで読んでくださりありがとうございました!少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
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