先生と約束。
「うそ・・・上がった」
中間テストの数学の答案を手に、思わずそう口走っていた。
ガヤガヤと騒々しい答案返しの教室。
時折、迫じいが「静かにせい!!」と怒鳴っているが、一度騒ぎ始めた女子校の教室は、なかなか静まることはない。
授業中にも関わらず、せんちゃんが私の席へやって来た。
「きい、どうだった?」
「あっ上がった!」
「えっ?」
「上がったよ〜せんちゃん!ほらっ!」
せんちゃんに答案を見せる。
「わっ!うそ?88点!?これホントにあんたの答案?」
「うんっ・・・」
「うっそ、信じられない。あんなに数学苦手だったきいが、私より高い点数取るなんて」
「私も・・・信じられない」
松山先生のおかげだぁーっ・・・
あれから三度。
松山先生に数学の勉強を見てもらった。
土曜日の夕方。
診療が終わった後のクリニックで。
技工室にはいつも、仲村さんがいてくれる。
松山先生はいつも優しい。
間違っても絶対に怒らないし、わかるまで何度も説明してくれる。
早く・・・松山先生に報告したいなっ・・・
−休み時間−
「きい〜」
「え?」
「なぁ〜にニヤニヤしてんのぉ??」
言ってるせんちゃんもニヤニヤしてる。
「あ、別に。なんでもない。」
ズリ落ちたメガネを押し上げる。
「ふふっすごいじゃない。松山センセと勉強した成果でしょ?」
「うん・・・」
「いいなあ〜。きっと先生も喜んでくれるんじゃない?」
「んー、成績上げることが、一番のお礼になると思ったから」
「うんうん。偉い!」
バシッ☆っとせんちゃんが肩を叩く。
「うっうん・・」
痛いよ。
「あ、私ね、実はっ、きいにプレゼントがあるの」
「プレゼント?誕生日まだだよ?」
せんちゃんが自分の席から鞄を持ってくる。
「ふふんっ」
「なーに?」
「こーれっ」
せんちゃんは、鞄からチケットらしきものを2枚取り出した。
「なに?」
「映画の前売り券。あんたにあげる。」
「え?どうして?せんちゃんは?」
「大丈夫。私ももう2枚持ってるから。」
見る限り、邦画のチケットのようだ。
「どうしたの?これ」
「彼氏がね、バイト先の人から貰ったみたいで、4枚あったから、2枚はあんたに。」
「えーっありがとう!」
「うん。センセと行けば?」
「ー・・は?」
は?
「だから、松山先生誘ってみれば?」
「ー・・え?」
にこにこしながら、せんちゃんが何を言ってるのかわからない。
「だーかーらあ!松山先生をデートに誘うのよ!」
ピシッ☆っと、今度は額を弾いた。
「痛いぃ・・・そんなことできるわけ・・」
「なんで?」
「だって私、男の人とデートなんてしたことないし」
「だからいいんじゃない。初々しくて。どーせいつかは誰かとデートするんだから」
「いや、ちょっ、ムリ。デートなんて、絶対無理!」
「無理って、自分で決めつけてるだけじゃない」
「ぅっ・・・」
そりゃあ、せんちゃんの言う通りだけど
「だ、だって、何て言って誘うの?誘い方もわからないのに」
「あ〜、そうねえ、・・・あ、じゃあさ、松山センセに教わったおかげで成績が上がったから、そのお礼に、とか言ってみたら?」
「お礼にデートって言うの!?」
「だったらデートだって思わなきゃいいじゃない。ただお礼するんだって思えば。」
「ー・・・お礼かあ・・・」
確かに、お礼はしたい。
「ちなみにこの映画、恋愛モノだからね。もう公開されてるから、早くね。」
「ええっ」
チケットをよく見てみると、大学生の青年が、年の離れたOLの女性と恋に落ちるピュアラブストーリー・・・と書かれている。
いっ・・・いかにもって感じがっ
「明日、センセのとこ行くんでしょ?」
「うん」
「じゃ、明日誘ってみなさい。」
「は、はい・・・」
あー 完全にせんちゃんの口車に乗せられてるなぁ
最近こういうの多いなぁ
せんちゃん強引だしコワイし
でもやっぱり、何かお礼したいのは本当の気持ちだし
お金とか使わず、友達に貰ったものなんだからちょうどいいかもしれない
だけど
何て言って誘ったらいいんだろーっ・・・
10月下旬。
季節は秋へと移り、駅周辺の銀杏が黄色く色付き始めている。
土曜日。
いつもの18時半。
クリニックのあるビルへ制服で向かう。
扉の前で深呼吸。
中を覗くと、受付に松山先生がいるのが見えた。
扉を開けて中に入る。
「こんにちは・・」
松山先生が、カルテをトントンと揃えながら私を見る。
「おっ、きいちゃん。いらっしゃい」
「こんにちは」
いつも、先生は笑顔だ。
「いらっしゃいってのも変か。店じゃあるまいしね」
「あは」
今日はまだ、白衣にネクタイ姿だ。
「ごめんね。カルテの整理が終わらなくてさ、ミーティングルームでちょっと待っててくれる?」
「あ、はい」
先生に言われるまま、ミーティングルームへ入って、いつもの椅子に座る。
「ハァ・・・」
ドキドキするなあ・・・
勉強してる時は、説明を理解するのに必死で、ドキドキなんて忘れてるけど、それ以外はやっぱり緊張する。
鞄から、せんちゃんから貰ったチケットと、数学の答案を取り出す。
先生・・・一緒に行ってくれるかなあ
コンコン♪
ミーティングルームのドアを誰かがノックした。
「あ、はいっ」
慌ててチケットを鞄に戻す。
ドアが開いて、入って来たのは仲村さんだった。
「ウィッス」
茶色い髪は、初めて会った時より少しだけ伸びている。
「こんにちは」
「松山先生が、コレ持って行けって」
そう言うと、私に缶ジュースを手渡した。
「ミルクティーだけどよかった?」
「あ、ハイ。ありがとうございます。」
仲村さんは、他に持っていた缶コーヒー2本を長机に置いて、私の座る椅子の2つ隣に座った。
カコンと缶コーヒーを開ける音が響く。
ズルズルと一口飲むと、仲村さんの方から口を開いた。
「よく続いてんね。勉強」
「え、あ、はい。いつもすみません・・・」
「あ、いや、そういう意味で言ったんじゃないよ。よく頑張ってんなあと思って」
「あ、はい、入試が懸かってるので」
「松山先生から聞いたけど、歯科衛生士目指してるんだって?」
「はい」
「そっかあ。合格するといいね、学校。」
「はい」
仲村さんは、また缶コーヒーをズルズル飲む。
部屋中にその薫りが漂う。
私も、貰ったミルクティーの缶を開けた。
カコンと音が響く。
一口飲むと、温かいミルクティーが喉を潤す。
「あのさ」
その一言に仲村さんの方を見る。
仲村さんは、目線を缶コーヒーに向けたまま話す。
「水嶋さんて・・・さ」
「・・はい?」
「あのー・・・なんとなくさ」
「・・・はい」
「松山先生が好きー・・・なんだよね?」
「ー!!」
えっっ
なにをいきなり!?
仲村さんがこっちを見る。
まずい。
私
絶対
顔赤くなってるっ
「あの、えーと・・・」
「だろ?」
仲村さんの目は、確信を持っている。
「ー・・・」
「・・・・」
だめだぁ
嘘はつけない・・・
「あのう・・・そう見えますか?」
「ハハッ、うん。俺にはそう見えたから、ちょっと聞いてみただけ。当たりだろ?」
「ー・・・」
コクコクと微妙に頷いてみた。
「そうかあ。いいなー松山先生。モテんなぁあの人。」
「ー・・・モテるん・・ですか?」
やっぱり
「んー、院内でも人気あるしね。」
「そう・・・ですか」
やっぱりかあ・・・
そりゃあそうだろうな
カッコいいし・・・
優しいし・・・
改めて言われちゃうとなんか・・・
ショックだ
俯き気味にミルクティーをすする。
ズルズルズルズル・・・・
「水嶋さんて、18歳?」
「あ、まだ17です。」
「・・・てことは・・・」
仲村さんは右手の指を折っていく。
「松山先生とは、約ひとまわり差か」
「ひとまわり・・・」
「うん。あの人もう29だからね。」
「ー・・・」
ひとまわりも年の離れた子供なんて、やっぱり相手にしてもらえるわけないかなー・・・
「ハァッ」
「あははっ」
「え?」
「すげーため息。」
「あ、すみません」
つい
「あのさ、1コ教えてやろうか?」
「え?」
「あの人彼女いないよ」
仲村さんは、白い歯をむき出してニッと笑った。
「ー・・・」
「ちょっとは元気出ただろ?」
「あ・・・」
「ガンバレッ!高校生」
そう言って、左手で拳をつくって見せた。
「は、はあ・・・」
ガチャッとドアが開く。
私服に着替えた松山先生が入って来た。
ドキン・・・
「あ、きいちゃん、ごめんね待たせて」
「いいえ・・」
一瞬、仲村さんと目が合う。
仲村さんは口だけ笑った形にして、席を立った。
『じゃ、俺は仕事に戻りまーす』
「ああ、ありがとうな。」
『はーい』
仲村さんはミーティングルームを出て行った。
「仲村に変なコト言われなかった?」
「変なコト??」
図星は突かれましたケド
「うん。あいつ、若い女の子大好きだからね。きいちゃんも気をつけて。」
「あ・・・ああ、あはは・・・」
松山先生はニコニコしながら、私の向かいに座る。
白いパーカーにジーンズ、首元には青いダンガリーシャツの襟が少し見えている。
先生・・・
彼女・・・いないんだあ・・・
ぼんやり先生を見てしまう。
確かに、仲村さんの言葉で少し元気が出た。
「じゃ、今日は何からやる?」
先生は、仲村さんが置いておいた缶コーヒーを開ける。
カコン
「あ、えっと、その前にこれ・・・」
松山先生に、折りたたんだままの中間テストの答案を渡す。
「ん?」
「この前の中間テストです。」
「ああ!どうだった?」
そう言って、答案を開く。
「おっ!88点!なかなかいーじゃない!上がった?」
「はいっ、上がりましたっ」
「そっかあ!ヨカッタヨカッタ♪」
先生は嬉しそうに答案を見ている。
「この調子で頑張れば、入試も大丈夫だね。」
「はい・・・あの」
ドキン ドキン
「ん?」
勇気を出して
松山先生を、映画に
「あのっ」
「うん?」
先生が、じっと私を見てる。
どうしよ
声が上ずってる
ドキン ドキン
顔が、熱くなってきたっ・・・
「こっ、これっ」
鞄からチケットを取り出し、先生に差し出す。
両手で
先生の反応がコワくて
顔は見れない
「なに?映画のチケット?」
先生がチケットを手に取ったのを合図に、そっと先生を見上げた。
「これ、僕に?」
先生は、優しい表情で聞く。
「この前、私と一緒にいた友達・・・覚えてますか?」
「うん、泉さん・・・だったよね?」
「はい、そのコから・・・2枚貰ったもので・・・その」
ドキン ドキン
勇気を出して
「何か先生に、お礼が・・・したくて」
「そんな、お礼なんていいのに」
ドキン ドキン
「ー・・でも」
どうしよう
断られる・・・?
ドキン ドキン
「じゃあ、一緒に行こうか?」
ドキン・・・
先生は、私を見て微笑んでいる。
「へ?」
「え?だっ・・・て、2枚あるし、きいちゃんと僕とって・・・ことだよね?」
しっ・・思考回路がうまく回らない・・・
「いっ・・・いいんですかっ?」
「ハハッ、うん。もちろん。僕なんかで良ければ」
「ー・・・はい・・・」
メガネが・・・ズリ落ちてくる・・・
「うん」
先生は笑顔で、確認の「うん」を言った。
「あ、そうだっ」
先生は、ジーンズのポケットから、セルリアンブルーの携帯電話を取り出した。
「僕の番号とアドレス教えとくね。いつも教えようと思って忘れててさ、きいちゃんが帰ったあとに思い出したりしてたんだよね。」
先生の・・・携帯番号・・・
「あ・・あ、はい、じゃあ、私も・・・」
制服のポケットから携帯を出す。
「じゃ、言うね。090・・・」
「あ、」
「ん?」
あ、先生の下の名前・・・
「あのう、下の名前・・・」
「ああ、僕の?シンイチ。真に一って書いて、真一です。」
真一・・・先生
先生の番号とアドレスが、自分の携帯に登録される。
すごい・・・
信じられないっ・・・
「勉強でわからないところとかあったら、いつでも掛けてきていいよ。僕が仕事中なら、メール入れといてくれたら、後で掛け直すし。」
「ー・・・はいっ、ありがとうございます。」
「ああ、もちろん、それ以外で掛けてきても全然いいけど♪」
「はい・・・」
「うん。」
松山先生の「うん」には、本当に優しさが込もってる。
「で、いつにする?コレ」
先生は、映画のチケットを私に向ける。
「あ・・・私は、いつでも」
「じゃあ、明日は?日曜だし。僕も仕事休みだし」
そんなに急に!?
「・・・はい」
「うん。じゃ、決まりだね。」
こんなっ
トントン拍子にっ・・・
「きいちゃん、家どこ?近くまで迎えに行くよ」
うっうそお・・・
「住吉町です・・」
ドキン ドキン
「あ、そうなんだ。僕は東区だから、んー・・だったら、車で30分ぐらいかな。」
「いいんですか?」
「いいよ♪」
「えっと、あのじゃあ、13時ぐらいに・・・」
「13時ね。了解っ」
ほ、本当に・・・?
「よ、よろしくお願いしますっ」
顔が、熱くてたまらない
「こちらこそ。なんか、デートの約束みたいだね。」
松山先生は
笑顔で私にそう言った
「ー・・・」
もう
ドキドキしすぎて声が出ない
「なんてねっ。じゃ、始めよっか」
「はっはい・・・」
「テストで間違った問題から見直していこうと思うんだけど・・・・」
初めて
男性を誘った。
初めての
デートの相手は
目の前にいる
松山先生
せんちゃん
やったよ
松山先生と
デートだよ
今夜はもう
絶対眠れない