先生とあの人。
1月。
松山先生と二人で行った神社の初詣の思い出・・・に浸るのも束の間。
短い冬休みも終わり、ひたすら入試に向けて勉強する日々。
せんちゃんはすでに推薦入試で短大の合格が決まり、放課後は毎日、私の一般入試の勉強に付き合ってくれていた。
その日も、放課後の教室での勉強を終えて駅に向かっていた。
駅の入口に差し掛かろうとしたとき、私とせんちゃんの目の前に、高いヒールを履いた女性がツカツカと立ちはだかる。
幸せな気分は、そう長くは続かない。
「こんにちは、水嶋さん。」
・・・上原先生
突然のことにびっくりして、挨拶の言葉が出ない。
せんちゃんが不審な顔をして私を見る。
『きい、誰この人。』
「・・・上原先生。」
『えっ』
せんちゃんも驚いた表情で上原先生を見る。
「ちょっと、話があるの。付き合ってもらえない?」
上原先生のその表情には、断るのを許さぬといった雰囲気がある。
「・・・なんですか?」
「ここじゃなんだし、近くの店に入りましょう。」
「・・・」
『きい、行くの!?』
「・・・」
「悪いわね。お友達、少しお借りするわ。」
『はあ?』
高飛車なその物言いに、せんちゃんが苛立つ。
「いいの、せんちゃん。先に帰ってて。」
『きい・・・』
「じゃあ、明日ね」
『うん・・・じゃあバイバイ・・・』
心配そうな顔のせんちゃんを見送ってから、上原先生と歩く。
駅の近くにあるコーヒーショップに案内された。
静かな雰囲気の店内はお客さんも疎らで、一番奥の二人掛けのテーブルに座った。
座るのと同時に、メニューとお水が運ばれてくる。
上原先生が、開いたメニューを差し出す。
「何にする?」
「・・・いえ、私は結構です。」
これからどんな会話が待っているのかと思うと、とても、何かを飲みたい気分じゃない。
「そう」
上原先生はメニューを閉じると、そばに立っていたウェイトレスの女性にコーヒーを注文した。
「ごめんなさいね、待ち伏せみたいな真似して。こうでもしないと、あなたと話せる機会なんて作れないと思ったから。」
アップにまとめられた髪から、少し前に落ちてくる横髪を耳に掛けながら言う。
洗練されたメイクと、大人の女性らしい仕草は、第一印象のままだ。
何度見ても、綺麗な人だと思う。
見るたびに、自分の子供っぽさを卑屈に思ってしまう。
「私、大体知ってるの。」
「・・・」
「真一とあなた、付き合ってるんでしょう?」
「・・・」
「なんで知ってるのかは、この際置いておいて」
「・・・」
「・・・私も、真一が好きなの。]
「・・・」
「それはあなたもわかってるんでしょう?」
上原先生は、真っ直ぐに私を見る。
真剣な、上原先生の目。
「・・・・はい」
私が答えると、目を逸らしてため息をついた。
しばらく沈黙が流れる。
注文したコーヒーが運ばれてくると、上原先生が一口飲んだ。
「歯科衛生士を、目指してるんですって?」
「・・・はい」
クスッと鼻で笑われる。
「真一と同じ職業を目指すなんて、健気ね。いかにも子供が考えそう」
ズキン・・・
「あなた、自分が真一を幸せに出来ると思ってる?」
「・・・・どういう意味ですか?」
「真一と別れてほしいの」
・・・・!
「・・・」
なんで
なんでこの人にそんなこと言われなきゃいけないの
「あなたは、真一にとって、迷惑をかけるだけの存在だってわかってる?」
「なにが・・・迷惑なんですかっ?」
声が、震えてきた。
「私ね、あのクリニックの院長の娘なの。」
「・・・・」
え・・・?
「クリニックは他にも、分院が五つ。知らなかった?」
「・・・・」
「クリニックの歯科医師が、患者の、しかも高校生に手を出したって表沙汰になったら、クリニックの評判に関わるの。そうなったら、真一だけじゃなく、他のスタッフにも迷惑がかかる。だから、真一だって、あなたとのことを内緒にしようとしたでしょ?」
「・・・・」
・・・内緒・・・
それは、私を守るためだと思ってた・・・けど
「・・・幸い、今のところ知ってるのは私だけだし、別れてくれるなら、何も問題ないの。」
「・・・・」
「キツイ言い方かもしれないけど、子供のあなたには何もできない。」
バカだ
私はなんてバカなんだろう
上原先生の言う通りだ
私は
社会の仕組みを
理解していなかった
『いいかげんにしろよ、てめえ』
突然、横からの大きな声が話を遮った。
技工のユニフォームに黒いダウンジャケットを羽織った仲村さんが、ズボンのポケットに手を入れて立っていた。
私もびっくりしたけど、上原先生も驚いている。
「仲村くん、びっくりした。なんなの」
『そっちこそなんなんだよ。いい大人が、高校生相手に脅迫か?』
「悪いんだけど、邪魔しないでくれる?」
『邪魔してんのはあんたの方だろ』
仲村さんは険しい表情で、声も荒い。
「大事な話をしてるのよ、黙ってて。」
上原先生も苛立っている。
『いーや、黙りませんねえ。何にも言えなくなってる高校生がいるのに、黙って見てられっか。大体こんなことしたって、あの人が今更あんたに振り向くわけねーだろ。』
今更・・・
「なにが言いたいの?」
上原先生は、仲村さんを睨みつける。
うわっ、怖い・・・
『俺、知ってんですよ。あんた、歯科医を目指す松山先生より、外科医を目指してるあの人の兄貴の方に目が眩んで、別れたいって言ったんだって?』
え・・・
「・・・・」
上原先生が押し黙る。
松山先生が大学生の時に、上原先生の方から別れたいって言ったって・・・それって、松山先生のお兄さんの方を好きになったからなの・・・?
『おかげで、兄弟は犬猿の仲だ。金目当てってのがバレバレなんだよ。怖えぇよなあ、自分の生活水準のためなら、無力な高校生でも脅迫すんだもんな』
どうしよう・・・私のためとはいえ、仲村さんの暴露モードが止まらない。
「口を慎みなさいよ仲村くん・・・これでもあなたの上司よ。あなた一人くらい、簡単にクビに出来るのよ。」
えっ・・・
仲村さんが、クビ・・・
『どこまでも汚ねえ女だな。』
「仲村くんこそ、なんでそんなにムキになるの?」
『はあ?』
「クビだって言われても、まだ私に楯突いて」
『・・・・』
・・・仲村さん?
「このコのことが好きなの?」
ー・・・・・!!
『・・・・』
「だから、必死になって守ろうとするんでしょ?」
勝ち誇ったような、上原先生の目線。
「図星ね。モテるわね、水嶋さん」
上原先生はクスッと笑うと、煙草に火を点けた。
仲村さんが・・・私を?
どこを見るわけでもなく、仲村さんの目が動く。
『いい加減なこと言うなよ・・・。俺をクビにしたきゃそうしろよ。その代り、もうこのコを脅迫するような真似すんなよな。』
そう言うと、仲村さんは私の手を引っ張った。
『行こう』
「あ、」
引っ張られるままに、鞄を持って席を立った。
振り向き様に上原先生を見る。
足を組み、テーブルに顎肘をついて、やれやれといった具合に煙草を蒸かしていた。
でも
その表情の先が
どこか寂しげに見えた。
仲村さんに腕を引っ張られたまま、ネオン輝く駅前の通りを、人ごみを縫うように足早に歩く。
「あ、あの、」
急にコーヒーショップを出たせいで、メガネが曇ったままで前が見辛い。
「・・・仲村さんっ」
力強く掴まれている腕が痛い。
「仲村さんてばっ!!」
手を振り払うようにして、足を止めた。
ハッと我に返ったように、仲村さんも足を止めて振り向いた。
「あ、ああ、ごめん・・・」
「い、いいえ、あの、違うんです、メガネが曇っちゃって」
慌ててメガネを取り、制服のコートのポケットからメガネ拭きを取り出す。
おもむろにメガネを拭いて掛け直す私を、仲村さんは、黙って見ていた。
・・・何か、言わなきゃ
気を取り直して、ゆっくりと歩き出す。
「仲村さん、どうしてあの店に・・・」
「ああ、舞子ちゃんからメールが来たんだ。上原が、君を連れてったって」
「せんちゃんが・・・」
ん?
「メルアド交換してたんですか??」
「えっ、あ、うん、ってそこかよ」
「あ、すみません、ちょっと、ビックリして」
「・・・・別に、メルアド交換したのはクリスマスだけど、メールが来たのは今日が初めてだよ」
「そう・・・ですか。別にいいですけど」
別に、せんちゃんが仲村さんとメールしようが、私はいいけど・・・
「・・・心配だったから」
仲村さんが、ボソッと言った。
「え?」
「君が上原に連れて行かれたって聞いて、なんかひどいことされるんじゃないかって」
「・・・・」
仲村さん・・・
「だから、仕事抜けて来たんだよ。」
“このコのことが好きなの?”
上原先生の言葉が脳裏によぎる。
「・・・はい、すみません。ありがとうございました。」
俯き気味に、お礼を言う。
「・・・なんて言われた?上原に」
「・・・・」
「話してみろよ」
「・・・松山先生と付き合ってると、クリニックの人たちにも迷惑がかかるって」
「なんだよ、それ」
「・・・上原先生の言う通りかもしれません」
「何言ってんだよ、さっき聞いてただろ?あの女は、松山先生のことが好きなわけじゃないって。金目当てなんだよ?」
「・・・そうは・・・見えませんでした」
あの、真剣な上原先生の目は、松山先生を本気で想っているように感じた
「それに・・・高校生に手を出した先生がいるって評判になったりしたら、患者さん、来なくなっちゃいますよ。聞こえが悪くて」
私は、なんにもわかってなかった
松山先生は、私を守るために内緒にしてるんだなんて、思い上がりもいいとこだった
「私のせいで、クリニックに迷惑がかかったりしたら・・・申し訳ないです」
「そんなことないよ、誰にもバレなきゃいい話だろ?上原なら、俺がどうにか黙らせて」
「上原先生って、院長先生の娘さんなんですよね」
「そう・・・だけど、最初はそうじゃなかったんだよ。松山先生が就職したクリニックが、後から上原の親父のクリニックと経営統合したんだ。上原が俺らのクリニックに現れるようになったのもここ1〜2年のことで・・・」
「・・・そうだったんですか」
「あの女のことだから、親父に頼んで経営統合させたのかもしれないけどな」
「・・・・」
私の知らないこと、沢山あるんだな・・・
松山先生と上原先生の過去も、きっともっと複雑なんだ
このままじゃ、仲村さんがクビにされちゃうかもしれない
私のせいで
松山先生も
仲村さんも
クリニックの人みんなが困ることになる
「私が松山先生と付き合うのを止めれば、何にも問題ないって言われました、へへ」
どうにか、笑顔を作る。
「そこまで言ったのかよ、あの女・・・」
これ以上、仲村さんにも、心配かけられない
仕事を抜け出してまで、私なんかのために
駅の改札近くで、足を止める。
「ありがとうございました、本当に。仕事に戻ってください。」
泣きそうになるのを堪えて、笑顔を作り続ける。
「・・・別れようなんて考えてないよな?」
「・・・・」
笑顔が、崩れていくのがわかる。
「・・わかりません」
本当にわからない
「なにがわかんないんだよ、松山先生とちゃんと話し合えよ?一人で勝手に決めるなよ?」
「・・・・」
「ちょっと、こっち来い」
仲村さんはまた私の腕を引く。
駅の外の噴水広場に連れて来られ、私をベンチに座らせた。
薄暗くて、それほど人目には付かない。
仲村さんも、隣に座る。
泣きたいのを堪えるのが辛い。
「仕事・・・戻らなくていいんですか?」
「んん〜、今日は残業かなあ」
笑いながら答えてくれる。
「・・・・」
「泣きたいのに、我慢してんじゃないの?」
俯く私の顔を覗き込む。
「・・・・」
仲村さんはやっぱり、女の子の気持ちがよくわかる人だ
堪えていた涙が出てくる
メガネを外して、涙を拭う
「今から松山先生に会えよ」
「・・・・嫌です」
「なんで」
「どんな顔して会えばいいかわかりません」
「・・・辛い時は会わなきゃダメだって。じゃなきゃ、君たちホントにダメになっちゃうよ?」
松山先生・・・
本当はすごく会いたい
会って、この不安から救ってほしい
「いいんです。先生は忙しいし、仲村さんも。」
「・・・・」
もう一度、涙を拭って、メガネを掛け直す。
「ハァッ。ホントにもう大丈夫です。仕事に戻ってください。ここ、寒いし。」
鞄を持って、ベンチを立つ。
「・・・送ろうか?」
「いえいえ、電車で帰れますから。」
「そっか」
仲村さんも、ベンチを立つ。
「あの、今日のことは、松山先生に言わないでください」
「なんで」
一人で、ちゃんと考えたい
上原先生が言ったことも
これからの、松山先生とのことも
「余計な心配かけたくないんですよ〜」
通じるかわからない、作り笑いを浮かべる。
「・・・うん、わかった。君がそう言うなら」
「・・・すみません」
再び、駅の入口で、挨拶をする。
「ありがとうございました」
「うん。気をつけてね。」
「はい」
改札に向かって歩き始める。
「なあ」
仲村さんが背後から呼び止める。
その声に振り返ると、仲村さんが駆け寄る。
「携帯貸して」
「え?」
「携帯」
「あ、はい」
制服のポケットから携帯を取り出して渡す。
仲村さんは、私の携帯を開いて素早く入力する。
携帯を閉じて、私に返す。
「俺の携帯の番号とメルアド」
「あ・・・」
「今度また何かあったら、自分で連絡してこい」
「あ、はい・・・」
「・・・あの、それとさ、」
「はい?」
「上原が言ったこと、気にすんなよ」
「・・・・」
「俺が・・・君のことをどうだとか・・・言ってたこと」
“このコのことが好きなの?”
「あ・・・」
「って、別に気にしてねーか♪ハハッ」
仲村さんは苦笑いを見せて言った。
「・・・・」
「ほ、ほら、俺、年下には興味ないって言ったろ?上原のヤツ、なんか勘違いしてんだよ」
「あ〜ハハ」
とりあえず、頷きながら笑ってみる。
「入試も近いんだし、あんまり思い詰めるなよ。松山先生は、君のこと大事に思ってるから。」
仲村さんの優しい言葉には、相変わらず慣れない
「側近の俺が言うんだから♪」
バシッと肩を叩かれる。
「側近て・・・」
「ハハッ、じゃあ、またね。」
「あ、ハイ」
仲村さんは、クリニックの方へ歩いて行った。
黒いダウンジャケットが人ごみに紛れるのを見送ってから、改札に向かって歩き始める。
携帯を開くと、電話帳新規登録画面のままだった。
Name:仲村恵介
Kana:ナカムラケイスケ
Tel :090−****−****
Mail:*******・・・・
仲村さん・・・恵介っていうんだ
知らなかった
快速電車に揺られながら、松山先生と出会ってからのことを考えていた。
患者としてクリニックへ行って、素敵な先生だって思った。
そのあとすぐ、上原先生にも会ったんだっけ。
私が受付に忘れた診察券を、松山先生が走って追いかけて届けてくれた。
歯科衛生士になろうって決めて、勉強を教えてもらうようになって・・・
ここで仲村さんに、初めて会ったんだ。
いつも、私と先生のためにクリニックに残ってくれて・・・
松山先生と初めて映画を観に行った。
レストランで上原先生に会って、クリニックで松山先生と上原先生が一緒のところを見て・・・
仲村さんが、学校まで来て、松山先生が添削した問題集を渡してくれた。
誕生日も、仲村さんがいなかったら、松山先生には会えなかった
クリスマスの先生の部屋でも、一瞬だったけど、二人きりにしてくれた
そして今日
仕事を抜け出して、私を助けに・・・
いつだって、仲村さんは近くで支えてくれてる
でも私は支えてもらってることを、今まで深く考えたことがなかった
“妹ができたみたいなかんじなのかな、俺、一人っ子だし”
“心配だったんだよ”
“今度また何かあったら、自分で連絡してこい”
“入試も近いんだし、あんまり思い詰めるなよ”
“松山先生は、君のこと大事に思ってるから”
いつも支えてくれてる
いつも気にかけてくれてる
いつもそばにいてくれてる
それは“妹みたい”だから
なんだろう
どうしてだろう
胸がドキドキする
私は松山先生が好きなのに
仲村さんのことを考えてる
どうしてだろう
“私は妹なんかじゃない”って
思ってるような気がする