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目覚めた人格

 水のエレメントでは、どんなに温度を低くしても氷になることはない。こんなことができるのは、この場において一人だけ。


「ディサナ──!!」


 ディサナスの体から例の冷たい炎が沸き上がっていた。あれは、以前マリーの魔力が暴走したときに起こったものと同じ現象。いや、それよりも僕が驚いたのは、ディサナスの表情が数瞬単位で次々と変わっていることだった。まるで転調が繰り返されるかのように、奏者が入れ替わるかのように。


 僕がディサナスの元へ走るよりも速く、まず、隣にいたゾーヤが動いた。だが、手を触れようとした瞬間に指先が凍り始め後ろへと跳ぶ。次にクラーラが手をかざし聖性魔法を試みるも、同様に手がブルーの塊に覆われ断念した。


 ルイスは、と視線を移すが、頭を抱えてうずくまっている。嫌な予感が足先から一気に頭まで上ってきた。


「クリス! 一旦ここを離れる!! 女の子の保護を頼む!」


 クリスが胸元まで氷付けにされた男の腕から少女を引き離すのを確認した僕は、後方へ引き返していく。顔面に当たる風が異様に冷たい。ディサナスから吹雪が起こっているかのようだった。


 それにルイスも気にかかる。戦闘前に感じた妙な違和感──まるで記憶が途切れたかのように、説明に窮したあの様子──は、もしかすると……ルイスも。


「ハルト!」


 グスタフの声に思考から離れると、その表情の明らかなおかしさに目が留まる。それは左右の表情がまるっきり反対の、愉悦と悲嘆が同時に表された表情だった。


 グスタフが苦悶の声を上げた。


「すまん、ハルト……もう保てない……『奴』が目覚める」


「!!」


 表情が今まで見たことのない愉悦の顔に統一された。グスタフは言っていた。 ──もしあれ以上の暴走が起これば、オレたちにもどうすることもできないし、ハルト一人じゃ死んでたかもしれない──と。


 あれは、単純に暴走の危険性に言及した言葉だと思っていたが、そうじゃない。あれは、目の前にいるのは、グスタフ達が必死に奪われまいと戦っていた狂暴な人格──おそらく今までの怒りと恨みと衝動を一身に引き受けてきた人格。


 それは口角を横に引くと、フルートを口に当てた。息が吹き込まれると、強大な不協和音が村中に響き渡り、ディサナスの体を纏っていた刺々しいまでの白藍が拡散していく。


「ディサナス!!」


 ディサナスを中心に辺り一面を覆う頭蓋骨を揺さぶるその音は、ユラユラと漂う青白い炎を創り上げた。それが空気に触れ、舞い散る雪に触れた先から氷が形成される。音が、途切れた。


「お前が、ハルト」


 ディサナス、いや──。


「君は誰なんだ!?」


 その、おそらく女性は悪意に満ちた笑顔を張り付けたまま空高くに向かって腕を突き上げた。手の平に氷の塊が凝縮されていく。


「ワタシに名はない。誰も彼もワタシの存在を無視してきたからね。ただ彼女らはこう言っていたヘイター(憎悪)と」


 ヘイターと名乗った人格が形成するそれは、一つの武器を成していく。三ツ又に分かれた長柄武器。さしずめ氷のジャベリンだ。不純物のない透き通った青色のその長槍は、僕の後ろに狙いを定めた。穂先の先が見据えるのは、もはや全身が氷付けにされたあの人質を取った男。


「ダメだ、やめろヘイター!」


 氷の瞳が不思議そうに僕を見つめた。


「なぜ? あの男はすでに罪を犯している。それも数え切れないくらい。殺したって誰も悲しみはしない」


「確かにそうかもしれない。だが……」


 だが、なんだ? どうしたらヘイターを止められる?


「だが、何? 人を殺すのはよくないとか、そういう理屈? ディサナスやあのグスタフなら納得しただろう。だが、残念ながらワタシにはそんな優しさはない。あいつは、あいつらは、過去のワタシがやられたことをやった。それが許せないから、殺す。ただ、それだけ」


 止める間もなかった。ヘイターが指先をほんの少し前へ押し出しただけで氷の槍は対象に向かって真っ直ぐ軌道を描き飛んでいく。僕が声を発したときには、すでに男の顔は砕かれ、貫かれ、赤い鮮血が噴き出していた。


 少女を抱えて雪原の上を転がったクリスが唖然とした顔で人間だったものを見ていた。不協和音の魔法で、血飛沫すらもすぐに凍結していく。


 遅かった。……ダメだ。嘆く前に行動しなければいけない。ヘイターを止めなければいけない。少なくともこの状況は、ディサナスが望んだものではないはず。


 持っていたヴェルヴに力を込めると、僕はあの戦い以来今一度ヘイターに、ディサナスに、その刃を向けた。焔が噴き上がる。


「ワタシを止めるつもり? ムダ」


 ヘイターは躊躇うことなく、纏った青白い炎の帯から氷塊を弾丸のように飛ばした。それをアレグロの演奏とともに燃える刃で受け止める。氷が瞬時に融けていく。


「ハルト! 危ない!」


 クラーラの鋭い声に反応して後ろへ跳ぼうとするものの、気付くのが遅かった。すでに足が雪面に縛り付けられ移動することができなかった。炎を起こそうにも両手が封じられる。


「インシ・エルド!!」


 焔の渦がその氷にぶつけられるが、ヘイターが手をかざすだけで氷はより強固になり、融けるどころか王女が繰り出した炎をも凍り付かせていく。すぐさま王女のトランペットから音が流れ出るが、もう遅かった。


 脚と腕の両方から氷の面積が広がっていく。同時に身が裂かれるような冷たさが体を覆っていく。全身が痺れ、意識が朦朧としてくる。


「邪魔する者は殺す」


 その言葉をかろうじて聞き取ると、目の前が綺麗なブルーに包まれていった。瞳が抗おうとするほんのわずかな意志に反して閉じてゆく──。


「隊長!!!!」

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