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ディサナスの音

「その通り。ノーラと会わないことにはこの先に進めないだろう。僕的にも、そしてディサナスとしても。それはグスタフもわかってるだろ?」


 曖昧に微笑むと、グスタフは椅子へと進み腰を下ろした。テーブルの上に腫れ物を扱うかのようにそっとフルートを置いて、組んだ脚の上で両手を絡める。


「そんなことはわかりきっている。だが、ハルト。この先に進むということは、突然、魔物の群れに投げ出されて、飢えた奴らの口のなかに腕を差し出すようなものなんだ。オレたちは全員が全員であることでこの体を守っている。ディサナスを保つために、この中にいる全員が役割を果たしている。全員の同意が得られない限り、お前の提案に乗ることはできない」


 白色に光るテーブルに注がれた視線をこっちに向かせるため、僕も向かいに座った。いつもとは違い真正面に座る、ただそれだけで僕とグスタフの間に漂う空気が変わったのを感じる。


「だけど、ディサナスはフルートで魔法を発動できる。それが不協和音だとしても、現象をコントロールできる力は持っているはずだ」


 グスタフはちらりと僕の目を見ると、フルートの方へ視線を移した。その手はまだがっしりと組まれたままだ。


「今回は、ディサナスだけが演奏するわけじゃない。僕との、言ってみれば協奏曲だ」


 組まれた手が少しだけ緩み、指と指の間にほんのわずか隙間が生まれた。


「危険があれば戻ればいい。僕らの旅はそういう旅だろ?」


 ハッとしたような顔つきをして、目線が真っ直ぐに僕へと向かった。文字通り目の色が変わっていた。


「フルートを手にとってディサナス。久しぶりの演奏だ」


 おずおずと恐らく不安を胸に抱えたまま、ディサナスはフルートを優しく包み込むように手に取ると、立ち上がってピアノの前へと移動した。


 その後ろを僕も移動し、固いイスへ座る。蓋を開けて見慣れた鍵盤の上に指を置くと、指がそれを求めていたみたいに馴染む。やはり、自分のピアノが一番落ち着く。


 斜め前から窺えるディサナスは、どこか落ち着いているように見えた。いや、いつも落ち着いているように見えるが、何かを決意したような、たとえるなら、嵐の前の静けさのような。……それなら嵐が来てしまうわけだが。


 ディサナスはすっと目を閉ざした。自分自身に問い掛けるように。カロリナ曰く、「音楽は孤独とのたたかい」らしい。だけどオーケ先生は前に言っていた。「演奏者同士が合奏することによって想像をも超える現象を引き起こすことができる」、と。


 どちらが正しいのか、どちらも正しいのか。それを判別することは今の僕にはできない。だけれども、今はオーケ先生の言葉を信じたい。──マリーの音が僕を救ってくれたように。


 ディサナスは静かに目を開いた。ここではない別のどこかを見るような深いブルー。その深淵に少しでも音を届けることができればきっと。


 その薄い小さな唇にフルートの歌口が当てられた。細く長く息を吸い込む音が聞こえ、やや間が生まれたあとで、息がフルートに吹き込まれ、音が発せられた。


 やはり、不協和音。下手な音、なのではない。絶妙に構成された音の歪みは、唸るように部屋の四方へ広がる。何かを訴えているように。同時にディサナスの前方に出現したのは、一つの巨大な焔。ディサナスの髪やその瞳に似た青い水宝玉のような焔が、静かに燃焼している。


 触れるもの全てを凍りつかせる「冷たい炎」。それこそがディサナスの心を物語っていることに、今、気がつく。宝石のように綺麗な結晶の中には、怒りや不安、疑念といった負の感情が抑えきれない焔として内包されている。


 そこへ届く音はなんなのか。乱暴に鍵盤を叩き、音を散らしてみるも、眼前にいる少女の無機質な音は変わることなく鳴り続けた。焔はますます大きくなり、今にも弾けそうな勢いだ。


 ディサナスの涼しげな横顔はしかし1ミリも変わっていなかった。それが魔法をコントロールできているからなのか、その逆なのかわからない。だが一つわかっているのは、僕とディサナスの音が、少しも重なっていないということだ。お互い別の曲を演奏しているかのように。


 どうすれば届く? どうすればその炎を解かす、あるいは消火することができるのか。


 胸を抉るようなその音が心をざわつかせる。こんなノイズのなかでディサナスは過ごしているのか? ──ああ、そうだ。ディサナスの中には何人もの人格が存在している。一人ひとり個別の意見を持ち寄って。


 そうであるとするならば。


 体を左に傾けて重低音を全ての指で強く弾く。僕は、ディサナスの音に抗うのをやめた。

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