眠る人格
それから一週間は忙しさのあまり瞬く間に過ぎていった。朝はディサナスとの「記憶旅行」。昼はマリーと合流しての試験に向けたピアノと歌のレッスン。そして夜は子どもたちにヴェルヴの使い方を教える。そんなルーティンが繰り返されていた。
マリーとのレッスンは幸いにも楽しかった。別課程に進むことになるとマリーが告白したために生じたもやもやが続くのではないかと少し心配していたが、マリーに会えばそんなことは忘れてセッションに集中できた。元々マリーの音は好きだったからか、演奏を合わせるのは割合容易で、練習を始めた初日からピッタリ音を重ねることができるくらいだった。
そして、子どもたちにリベラメンテの使い方を教えるのも問題は感じなかった。子どもたちはみんな熱心に取り組んでくれていて、習熟の個人差はもちろんあるものの大半はもう完全に魔法をコントロールできていた。
──問題は、そう、ディサナスとの旅だ。
「どうにも進展が感じられませんね」
クラーラ王女はそう独りごちると、銀色で縁取られた大皿に乗ったお菓子「セミリア」を口に入れた。眉間にシワを寄せながら僕が作成した今までの報告の束をパラパラとめくる。
「ハルトは頑張っていますが、会話のほとんどが、なんというか、表面をなぞるだけというか……」
「仕方ないですよ王女。肝心の記憶を持つ人物がまだ現れてくれないんですから。ですが、ハルトのおかげでディサナスさん、だいぶリラックスはしてますけどね。どんな手法を使っているのか、ぜひ、私も体で教えてほしいところです」
王女の向かいに座って暇そうに頬杖をついていたクリスが、また余計なことを言った。お菓子を食べようと伸ばした手が王女によってはたかれる。
この人は下ネタしか言わないのか。どこかの誰かが連想される。
「ハルト、私が留まっていられるのは残りジャスト一週間です。あちこちで噂されているように、反乱軍が再び動き出す危険性は極めて高いでしょう。何か反乱軍の目的を聞き出す方法はないのですか?」
「不協和音の秘密じゃなくて反乱の心配をするとは、さすがの王女も焦ってますね」
クリスが叩かれた手をヒラヒラ振りながら、からかう。
「当たり前です。 こんな状況で落ち着いて研究ができますか?」
反乱軍の情報を聞き出す方法。それがわかっていればとっくに情報は集まっている。ニコライ執事長の言葉も取り入れて、いろいろやっているつもりなのだが。
最初に出てきてくれたディサナス、アーダ、グスタフとはもうだいぶ打ち解けて、多くの事柄を教えてくれた。ディサナスらのいた孤児院は3階建てで、教会も兼ねていたのか女神ユセフィナの像が1階の大広間にあったとか。たまに行商人が立ち寄ったときに出されたお菓子がとても美味しかったとか。他の孤児たちと過ごした様子とか。反乱軍に所属してからは生活が一変し、小さな町や村にあるギルドを言われるがままに不協和音の魔法を使って襲撃したことなど、信頼していない相手には絶対に言わないであろうことも話してくれた。だが、たとえば孤児院が火事にあったときの様子やそのあと反乱軍に加わった理由、なぜ襲撃するに至ったのか、など重要な記憶はすっぽりと2人の中には抜け落ちていて、知っている様子のグスタフも「全員の同意が取れていない」と教えてはくれない。
あるとき、彼にその理由をたずねたことがあるが、それまで穏やかでいたグスタフは急に真顔になり、僕と2人しかいないにも関わらず耳打ちするようにそっと「眠っている人格が暴れ出す」と言った。
結局、強行手段を使うことはできずにのんびりと、その眠っている人格が自分から出てくるのを待つことしかできないまま、今に至る。
「仕方がありませんね。なんとか話が聞けるよう祈るとしましょう。このままわからないままで対応が後手に回るのは避けたいところですが……。もう時間でしょう、ハルト」
王女の言葉に後ろの壁に掛けられた壁時計に目をやると、ちょうど昼の12時を指していた。
「おっ、マリー様とのランチタイムからのレッスンか。楽しい一時だな」
なぜか目をうっすらと細めて怪しげな表情をするクリス。
「……それでは失礼します」
「ちょっと。可哀想な目でチラ見して無視するんじゃない」
「いえ、それで結構です。クリスにはいつでも緊張感が足りません」
「そうきましたか。ですがクラーラ様。こういうときほど気持ちを落ち着けるためにですね──」
「それでは失礼します。レッスンではなく試験なので」
「あ、ちょ──」
すぐにドアノブを引くと、何か言われる前にすぐさま扉を閉めた。忙しいんだから、どうでもいい話に付き合っている場合じゃない。
僕とマリーの進級試験が待っている。




