取り引き
マリーをちらりと横目で見るも、床を見つめたまま微動だにしなかった。
「アレシュ、すまないが急に演奏は──」
「やります!」
聞いたことのない大きな声でマリーは宣言すると、ピアノの前に移動した。拍手が沸き起こる。
「マリー?」
だけど、伴奏なんてまだ一度もやったことがないのにマリーの歌に合わせることなんてできない。それはマリーも同じことのはず。
しかし、大きく息を吸ったかと思うと、マリーは僕の不安とは裏腹に静かに歌を歌い始めた。その声はマリーの弾くピアノの旋律に似て穏やかで柔らかな音を奏でるが、一方で力強く芯の通った音をも響かせる。
子どもたちの目は自然とその姿に釘付けになっていた。天井の大きなシャンデリアの光がつくる陰影のせいか、どこか神々しささえ覚える。いや、光のマジックだけじゃない。歓びも哀しみも含めてまるで心の襞を解放するかのようなその歌声が、部屋中を共鳴する鐘に変えていた。
マリーが胸に当てていた左腕を緩やかに高く上げた。それに応えるように、僕の指は勝手に鍵盤を叩いた。
即興の演奏だ。マリーの歌声に合わせて鍵盤を弾く。不思議と次の旋律が見えるかのように指は動き、歌と絡み合っていく。アンダンテの速度でゆったりと進む2つの音は、ゆっくりと近づき交ざり1つの音楽になってゆく。
僕とマリーを囲むように薄水色の円筒が現れた。それはメリーゴーランドのように回転しながら輪を大きくし、子どもたちをも包み込んでいく。マリーが両手を優しく挙げると、子どもたちは立ち上がり、マリーに続いて歌を口ずさんだ。大小、高低様々な音が水の輪に支えられるように響き合う。
ふと、マリーは僕を振り返った。目と目が合うと、目尻が下がる。再び前を向いたマリーはより一層声を大きくした。語るように。
長いビブラートのあと、音が止むと耳にうるさいほどの大きな拍手が起こった。マリーは恥ずかしそうに頭を下げて立ち上がって拍手をしていた僕の横に移動する。
「よかったよ、マリー」
「ありがとう」
はにかんだ笑顔を見せたあと、なぜか「あっ」と驚いたような声を上げたマリーは、少し乱れた前髪を整えて僕の目を見つめた。
そして2回目の「ありがとう」。「なにが」との問いに「なんでも」と言って小さく笑った。
「ブラボー!!」
急に扉が開け放たれると、エドが広間に入ってきた。その後ろにはバルバロッサ卿の姿があった。
「いい合唱だった! みんなすげぇじゃねえか!」
エドが手を叩きながら近づいてくる。だが、それよりも後ろでにこやかな微笑を浮かべるバルバロッサ卿が気にかかる。なぜ、ここへ現れる? それもエドと一緒に。
「いやいや、本当に素晴らしい演奏でした。久しいですね。マリー様に、ハルト殿。おや、何か──」
バルバロッサ卿の細目が開き、ワインレッドの瞳をのぞかせる。
「驚くようなことがありましたか?」
僕はその瞳から目をそらさずに微笑みを返した。
「失礼しました。ですが、教育大臣のバルバロッサ様がこのような場所に訪れたのが意外でして」
「なるほど。ハルト殿はご存知なかったようですが、先日からマリー様に無理を言って宮殿に招いた子どもたちに魔法をご教授いただいていたのです」
視線を移すと、マリーはコクリと小さくうなずいて同意を示した。
「そうですか。それで今回様子を見に?」
「ええ。それもありますが──」
バルバロッサ卿は手を後ろに組むと、様子をうかがう子どもたちを見回した。
「すまないが、今日のレッスンはここまででもいいかな? ハルト殿やマリー様と話をしたくてね」
「えー」「せっかく面白くなってきたのにぃ」
あちこちからそんな不満の声が出されるが、アレシュがみんなをなだめながら広間から連れ出していった。子どもたちがいなくなった途端に今さっきの合唱が嘘だったみたいに静まり返る。
「さて」
バルバロッサ卿は、改めてこちらに向き直ると目を細めた。
「実はこのエドガーくんから進級試験について直々に話がありまして、ハルト殿とマリー様にお話しさせていただきたいと思ってここへ来たんです」
エドが横から割り込んでくる。
「そうなんだ。ハルト、お前さっきマリーの演奏をイメージしたら魔法が少し発動しただろ? もしかしてマリーと一緒にピアノを弾けば、さらに現象が引き起こせるんじゃないかと思ったんだよ。今の水の輪もお前が起こしたんだろ?」
今の水の輪?
「いや、今の現象はマリーが……違うのか?」
マリーはコクコクとうなずく。
「な? お前はきっと他人の音を引き出すことで魔法を発動させることができる。マリーと一緒に試験を受ければ絶対合格するはずだ。だから、特別に今回の試験でピアノ二重奏を採用できないか直談判したわけだ」
エドをじっと見つめていた赤い瞳が僕に向いた。
「面白い提案でした。だが、無条件で認めると他の生徒の手前問題があるんです。だから、ぜひ、貴方には子どもたちにリベラメンテの扱い方を教えてほしいと思いましてね。あれだけリベラメンテを扱えるのは、この国においておそらく貴方くらいしかいない。そうすれば、試験内容の変更を認めましょう」
リベラメンテの使い方を教えるだって? 正式な生徒でもましてや軍人でもない子どもたちに武器にもなり得るものを教えるとは何を考えている。
「宮殿に住んでいるとはいえ、いつ何が起こるかわからないのが今の情勢です。そんななかで身を守る術を身につけるのはどこかで役に立つはずです。実際、子どもたちを受け入れる際の議論の的にもなりました。また宮殿が急襲されたらどうするんだ、と。ですから、私は今のようなことを述べさせていただきました。もちろん、実力のある者は将来的に学院か軍にとは考えていますがね」
そうだ。バルバロッサ卿はシグルド王子とカロリナを除けば唯一、子どもたちの受け入れに賛成した人物だった。生徒を戦いに駆り出すような奴だから、本当の目的は最後に言った将来の戦力確保なのだろうが、確かに身を守るという意味では、子どもたちにとってリベラメンテは最適なものに違いない。複雑な作業が必要ないからだ。
「……マリーもそう言われて魔法を教えていたのか?」
「……うん。少しでも、子どもたちのためになればって」
「マリー様のレッスンは子どもたちも毎回楽しみにしていました。自在に魔法を使えるようになりたいから頑張るという積極的な声も数多く出されています」
不本意でやらされているわけではない、ということか。敵とつながっている可能性のあるバルバロッサ卿の話に乗るのは抵抗があるが──。
「引き受けろよ! ハルト! 別にいいじゃねえか。リベラメンテは許可なく持ち出せるものじゃないし、レッスン中だけしっかり管理しとけば子どもたちがイタズラで使うなんてこともないと思うぜ!」
エドめ……。そこまで言われて断るのは逆に不自然に映る。それに危険かもしれないが、見方によってはバルバロッサ卿の情報をつかめるチャンス、かもしれない。
「あくまでも、リベラメンテを使えるようになるためのレッスンでよろしいですね?」
「ああ、もちろんです。あなたのように強力な魔法を扱う必要はありませんから」
バルバロッサ卿は温和な笑顔を張り付けて深くうなずいた。
「それなら、お引き受けします」




