シグルド王子の挨拶
ベルのけたたましい音が部屋中に鳴り響いた。
「なんっだよ……」
上体を起こして目を擦りながら部屋を見回すが、室内はまだ暗く朝と言えるかまだわからない時間帯だった。
催促するようにベルを鳴らし続ける主を止めようと扉を開けると、目の前には仏頂面したカロリナが立っていた。どうやらご機嫌ななめのようだ。
「遅い! 何回鳴らしたと思っているののののののの!!」
なぜか「の」を連発しながら驚いた顔をするカロリナ。その目線とプルプルと震える指の先には、僕の体があった。
「あっ」
寝間着として使用している白いネグリジェのようなパジャマがはだけ、上半身はおろか下半身も少しだけだが露になっていた。寝惚けていたとはいえ、これは大変なミスだ。
「うわっ、ごめん!」
慌てて後ろを向くと、急いで服を直す。
「なんで、そんな状態なのに気づかないのよ! それに普通きちんと服を着てから出るでしょ! 寝衣だけでも論外なのに、は、裸が出てるのは許されないわよ!」
それはカロリナが急かすようにベルを鳴らしたからであって、さっき言ったことと矛盾するのではと思ったが、火に油を注ぐことになるので言わないことにする。
「ごめん!」
カロリナの口から呆れたような吐息が出る。
「いいわよ、もう。次から気をつければ。それより、用件があるんだけど、身支度しながらでいいから聞きなさい」
「はい!」
そそくさと奥のベッドルームの方へ戻り、クローゼットから白シャツとワインレッドのズボンを取り出し、壁を背に見えないように着替える。
「今日の朝1限目の時間にシグルド王子から全生徒に向けた挨拶があるわ。挨拶の中身は省くけど、貴方にはマリーと共に式に参加してほしいの」
数秒沈黙が続く。
「え、それだけ?」
「そう。だけど、重要な任務よ。私は王子と動くから気にしないでいいわ。朝食はマリーと取って。いい、絶対マリーから離れないでよ!」
「わ、わかりました」
厳しい口調に思わず敬語になってしまった。扉が閉まり、カロリナが部屋から出ていった。
シグルド王子と言えば、カロリナの兄でカールステッド家長子。何度かお見掛けして厳しそうな方だなという認識はあったものの、いったいなんでそこまでマリーを丁重に扱わなければいけないのかわからなかった。直系ではないもののマリーは本家筋のはずだし、他のカールステッド家の面々よりも割と近い位置にいると思うんだが。
まあ、でもまだ夜が明けきらない朝から命令が下ったんだから何かあるのだろう。ーー今日も1日忙しそうだ。
そう思いながら僕は紺のネクタイを強めに締めた。
身支度を整え食堂に向かうと、すでにマリーは席について小さくちぎったパンを口に運んでいるところだった。視線は向かいの誰もいない椅子に注がれており、こちらに気づく様子はなかった。
マリーの横の椅子を引いて座っても全く気づく様子はなかった。ときおり息を吐くと、またパンやスープを口に運ぶ。
「はい、どうぞ~」
食膳してくれた給士の声でマリーはやっと隣に僕がいたことに気づいた。恥ずかしそうにはにかんで、頭をペコッと下げる。
「おはよう、マリー 。朝から真剣な顔してどうしたの?」
マリーは、食事の手を止めて苦笑いして困惑気味な表情を見せた。ああ、ノートを持っていないのか。
「今日のこと、カロリナから聞いたの?」
そのブルーの瞳に明らかな動揺の色が浮かんだ。こくり、と小さく頷くマリー。やはり、僕の知らない何かがあるようだ。
目の前に出されたスープを銀のスプーンですくい、口へ運ぶ。薄味だが素材が活かされた豊潤な味わいが口いっぱいに広がっていく。マリーも僕に合わせて再びパンを食べ始めた。
よくドラマやアニメでは貴族階級とか王家とかが出てくると権力闘争が起こるイメージがある。もしかすると、マリーはそんな闘いの渦に巻き込まれているのかもしれない。それでも、いや、だからこそマリーを勇気づけなければいけない。
「マリーのこと、まだ知らないことたくさんあるけど、マリーが頑張ってることだけは知ってるからね。きっと大丈夫だよ」
重くならないように軽くもなりすぎないように、日常会話のようにさらっとそう言ったのに、マリーは驚いた顔をして僕の方をのぞき込むようにして見てくる。
「いや、なんでもないんだ。マリーが頑張っているのは別にみんな知ってることだしーー」
ふわりと優しい感触が僕の手を包んだからその先の言葉は止まってしまった。重ねられた手からなぞるようにして腕と顔を見ると、陽だまりみたいな笑顔が浮かんでいた。
マリーはそっと手を離すと、空中に指で文字を描く。たぶん、〈あ、り、が、と、う〉
僕も上手くできてるかわからないけど、〈ど、う、い、た、し、ま、し、て〉と指を動かした。