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レスト~美味しいコーヒーの淹れ方~

「カ、カロリーナ様、どうかもうお止めください! そんなことは私どもがやりますから!」


「だから気にしないでって言ってるじゃない。なんなら私一人残して休憩していいのよ」


 むしろ、休憩を命令したいくらいだった。なんのためにこんなに労力を費やしているのかと問われると、恥ずかしくなってしまうから。いや、恥ずかしくなる必要はないんだけれど。これは日頃の感謝の意味を込めてやっていることなわけであって、他意はない。と、思ってもやっぱり質問されると恥ずかしくなるからできれば出ていってほしい。


 2階の厨房は、すでに失敗したカフワ(ハルトの世界ではコーヒーと呼ぶらしい)の芳ばしいというよりも焦げた香りが充満していた。流しには布のフィルターがいくつも置きっぱなしで、粉末の残骸がちょっとした山になって積まれていた。


 私は、決して料理ができないわけではない。もちろん、普段は我がカールステッド自慢のシェフ達が腕によりをかけて、最高級料理を披露してくれるわけだけど、私だってそれなりのものをつくることはできるわけで、今よりももっと若い頃には胃袋を満たすために密かに厨房で夜食などを作ったもの。カフワだって、何も今日初めて作ったわけではない。


 ところが、どうしてか満足いく味が出せないのだ。


 カフワの作り方は簡単だ。湯煎した布フィルターの水気をとって粉末状のカフワを入れ、その上からゆっくりとお湯を注ぐだけ。中心から円を描くように満遍なく注ぐのがポイントだが、さほど手先の器用さが要求されるものでもないし、私は器用なのに、何度やっても「これだ」と思える味が出ない。


 以前こっそりシェフに出してもらったハルトの深煎りのあの味が、ハルトの割合固い頬を毎日のように緩ませるあの味が出せないのだ。


 どんな楽譜でも正確無比に奏でることのできる『天使の指先』と呼ばれる私の腕を持ってしても、攻略できない難攻不落の曲が、こんなところにあるなんて。


「カロリーナ様?」


「ナルヴァネン総料理長! 遠慮なく言って! その味はハルトの口に合うかしら?」


 年齢は50を超えた大ベテランの総料理長は、これまた何度目かわからない深々とした溜め息を吐いた。好好爺の見た目に反して、たとえ王族だろうと来賓だろうと料理に関しては一切譲らないと豪語するその神の舌の判定はーー。


「ですから、美味しいと」


「違うのよ!」


「遠慮しないでって言ってるでしょ? 私が満足していないのに美味しいわけがないじゃない!」


「そんなこと言われましても。もう、何十回と試飲させて頂いていますが、ハルトさんがいつも飲む味ですよ、これは」


「いいや! 違う!!」


 感情に任せてバンッとテーブルを叩くと、横に置いたカップが揺れて、中身が溢れた。


「ああ! カロリーナ様、大丈夫ですか!? 火傷などは!?」


 いい加減こんなに心配されるのにうんざりする。


「ええ、大丈夫よ」


 が、それを決して表に出さないのが、王女としての礼儀。いつものように笑顔を作ると、メイドが頭を下げた瞬間に小さく溜め息を漏らす。冷静になりなさい、カロリーナ・カールステッド。


「総料理長?」


「はっ! なんでしょうか?」


「本当に本当に私に遠慮はしていないのね?」


 総料理長は鍛え上げた胸を突き出すと、拳で胸を叩き、「もちろんです。王宮総料理長の名に懸けて嘘偽りは申しておりません」と言った。


「だとしたら……一体何が違うのかしら」


「差し出がましいですが、いいですかな?」


 ハッと後ろを振り返ると、入口の扉を開けてニコライ執事長が顔を出していた。


「失礼しました。カロリーナ様。そろそろ会議の時間でして、こちらにいらっしゃるとうかがったもので」


「それよりも、何か美味しいカフワを作るコツがあるのかしら?」


 執事長は何も言わずじっと私の目に視線を合わせ続ける。こうなれば、職務を優先にするしかない。


「わかりました。会議に向かいます。みんなごめん、仕事を続けてください」


 厨房の扉を閉めたところで執事長はすぐに口を開いてくれた。


「皆さんお待ちかねなので、歩きながら話しますが、味は総料理長が認めるほどの物ということは、足りないとしたらーー」


「足りないとしたら!?」


「ずばり、心ですな」


「心?」


 技術ではなく、心、精神の問題だということ? でも、私は……。


「そう心。カロリーナ様は、そのカフワを通じてハルトに何を与えようとしているのでしょうか」


「そ、それは、いつものお礼の気持ちで美味しいカフワを飲ませてあげたいなという」


 横を歩く執事長の瞳が光った……気がした。このあとは必ず本質を突く質問を投げかけてくる。


「本当にそれだけですか?」


 ほら、やっぱり。そんな質問に正しく答えられるわけがないじゃない。


「それでは、きっと満足いく物は作れないでしょうな」


 会議は予想以上に長引いてしまった。やはり、自分の利しか考えない連中の相手をするのは、精神力を消耗する。


 執事長から預かった鍵でこっそり誰もいない厨房の扉を開ける。みんなが寝静まった夜の暗がりの中では、重い扉の音が大きく聞こえる。


 いや、何をこそこそしているのよ。私は、王女なんだから堂々としていればいいのよ。でも、もしハルトが目覚めて「こんな時間に何してるんだ?」とか言われたら、ちょっとあれよね。


 扉が閉まると、途端に静けさが増した。心臓の鼓動が聞こえそうなくらい。


 誰もいないがらんとした厨房は、とても暗く、そしてとても広く感じられて、自分の行動を客観的に見させてくれる。


 明日も早朝から慌ただしいというのに、深夜に厨房に忍び込んでカフワを作ろうとする王女なんてどこにいるのか。それもこれも全てあのハルトのせいだ。


 なんだか、だんだんイライラしてきた。早く美味しいカフワを作って終わらせよう。


 魔法を用いてコンロに火をつけてお湯を沸かす。その間にカップとドリッパーを用意。


『カロリーナ様は、そのカフワを通じてハルトに何を与えようとしているのでしょうか』ーー執事長の言葉が頭をよぎる。


 私は……そう、ただ、ハルトにお礼をしたいだけ。慣れないここでの生活に、学院での講義に、魔法の修練に、嫌な顔をしたり、文句を言いつつも、いつも側にいてくれる、あの無愛想な横顔を少しでも弛ませられたらと思うだけ。


 沸騰した湯にフィルターを入れて、2、3回まわす。フィルターを清潔な布にくるみ、水気を取る。


『本当にそれだけですか?』 ーーそれだけよ。


 フィルターをドリッパーに装着する。


 いえ、それだけではないわね。なぜなら、こんなに苦戦したプレゼントを誰かにあげたことなんてきっと初めてだから。


 スプーンでカフワをきっちり計りながらフィルターに均等になるように入れていく。


 だから、きっと、これは。


 ポットを手に取ると、腕が微かに震えているのに気がついた。その腕に手を添えて、目を瞑れば。


 無愛想な彼の頬が少し緩み、柔らかい笑顔が浮かんだ。


 同時に浮かんだ気持ちのまま、熱いお湯を注いでいく。腕の震えは消えた。


 ゆっくりと丁寧に。


「できた」


 まだ熱いカフワにそっと口をつける。苦い。どうしようもなく。だけど、そのあとに上質なカフワの香りとしっかりとした味が広がり、舌に残った。


「ちょっと火傷しちゃったかしら」




 ハルトはいつもの調子で何気なくカフワを口に運んだ。その表情が微妙に変わる。


「美味いわよね?」


 平静を装ってそれとなく聞いてみる。


「え? ああ……少し味が変わったような」


 よかった。その言葉だけで心が満たされていくのを感じる。


「少し豆の量増やしたの。前にもう少し濃い味が好きだって言ってたから」


「一介の執事への心配り、痛み入ります」


「まぁた、皮肉な物言いね。人の好意は素直に受け取りなさい」


「善処します」


 そう言って少し緩めた頬を見届けると、本題に入った。本当は、もっとこうして平和な時間を過ごしたいのだけれど。


 王女として、やらなきゃいけないことは山ほどあるのだ。だから、せめてカフワを飲むときくらい、ずっと一緒に。


「あっ、そう言えば、マリーからノートを預かってたんだった」

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