綴られる過去
ルイスの取り巻きらがまばらな拍手をするなか、気づいたら僕は小刻みに肩を震わすマリーの元へ駆け寄っていた。
階段を下りる度に大きくなるマリーの姿に胸を締め付けられる。ルイスが僕をちらりと見てすぐに踵を返して席に戻っていく。カロリナがマリーの手を取り立ち上がらせる。僕に気付いたマリーが顔を上げる。まるで大雨でも降ったんじゃないかと思わされる、ぐしゃぐしゃに歪んだその顔が、僕の肩に飛びついてきた。
「マリー!!」
ふわりと漂うシャンプーの香りと焦げ臭さが合わさった何とも言えない匂いが鼻をついた。滴り落ちる涙が制服を濡らす。
僕の腕から顔を離したマリーは、何かを告げようと懸命に口を動かした。溢れる言葉を、感情を、想いを、決して震えることのない声に乗せようと。
僕はカロリナとともに、ひとまずマリーを教会へと連れていった。マリーの負けは決定したが、もちろん選抜試験は続行される。
試験が告知された3日前と同じように、教会のなかには眩しい陽光が注ぎ込み、壁や長椅子の背もたれがキラキラと光輝いているように見えた。
3日間、マリーはきっと一人で闘っていたんだ。オーケ先生には理由を言わずにピアノで試験に臨むことを決め、葛藤と恐怖と闘いながら今日を迎えた。
水で濡らしたハンカチで顔を拭いたマリーは、鞄からノートを取り出し、言葉を綴った。試験会場から教会まで少し歩いて、だいぶ落ち着いたようだった。
〈ごめん、変なところ見せちゃって〉
〈大丈夫だよ。みんなの前で抱きつかれたのはちょっと恥ずかしかったけど〉
〈ごめん……〉
カロリナは教会の外にいた。「マリーの本音を聞くのなら、二人きりの方がいいと思うのよ」と耳打ちして、すぐに席を外したのだ。
〈どうしてリベラメンテを使わなかったの、って思ってるよね?〉
〈うん。でも、オーケ先生がカールステッド家っていうプライドじゃないかって言ってたけど〉
マリーは、考え込むようにじっと一点を見つめて、止まった手を動かした。
〈それもあると思う。だけど、なんかピアノから逃げたら負けたみたいでいや、だったのかな〉
〈ずっと頑張ってきたことが無駄になる、みたいな感じ?〉
マリーは躊躇いながらもゆっくりと頷いた。
僕はしばし迷ったが、率直にあのとき感じた思いを伝えることにした。すなわち。
「そんなに頑張る必要あるのかな?」
マリーは驚いたように口と目を大きく開けて僕の顔を見る。その目をじっと見つめながら、僕は言葉を続けた。
「そこまで無理をして、傷ついて、そこまでしないとダメなのかい?」
マリーは引ったくるように僕の手からノートを取ると、文字を書き連ねた。
〈だって、頑張らないといけないから。私は、魔法を使えないといけないの! だから、頑張って、頑張って、この声だって出せないとダメなの!〉
後半の文字はぐしゃぐしゃに崩れていた。昂る感情のまま書いたせいもあるが、またその涼しげな青色の瞳一杯に涙が貯まっていた。
その瞳はいったいいくつの哀しみを見つめてきたのだろう。いくつの痛みを閉じ込めてきたのだろう。
自分の両親を目の前で亡くしたマリーは、声を失うほどの衝撃を受けた。マリーはずっとそれに捕らわれたまま生きてきたんだ。
「マリー。いくらカールステッドの名を持つとしても、そこまで頑張る必要はないんじゃない?」
〈違う! そうじゃない! カールステッドだから頑張ってるわけじゃない! 私は、私は〉
言葉はそこで途切れてしまった。溢れ出た涙を止めるために両手で顔を覆わなければいけなかったから。
「マリー」
言わない選択肢もあった。言わない方がよかったのかもしれない。だけど、僕にはどうしても言わざるをえなかった。
「クーデターのとき、マリーの目の前で両親が殺されたのは知ってる」
マリーの手がピタッと止まった。
「それが原因で話せなくなったことも、魔法が使えなくなったことも。だから、無理をする必要はないと思うんだ。頑張れば頑張るだけ、そのことがマリーを苦しめる」
マリーは涙を流しながら首を横に振った。何度も、何度も。僕の言葉を否定するように、過去の出来事を否定するように。そして、ノートに震える手で文字を綴る。
その文字が僕の目に飛び込んできた。
〈違う。私が殺したの。私が、私が、私が、私が!〉
「なん……だって?」
私が、殺した? なにを? 両親を? なんで? どうして?
疑問の眼差しを向けると、マリーは苦しそうに身体を屈め、頭を両手で押さえつけていた。過呼吸状態のように呼吸が乱れ、止まらない涙が椅子を濡らし、地面に垂れる。
いや、涙の量がこんなにあるわけない。これはーー。
マリーの身体が青白く包まれ、眩い光が放出され、教会中が光に包まれた。




