久し振りのノート
その日。最初に会ったのはマリーだった。何日かぶりに朝食を取ろうと訪れた食堂の端っこの席にちょこんと座っていた。入ると同時にこちらに気づくと、食事中にも関わらず立ち上がり、満面の笑みで手を上げた。
僕も歩きながら手を上げて応えると、マリーはそそくさと一礼して椅子に座り直す。その横に座ると、食器を移動させて空いたテーブルクロスの上にいつものノートを置いた。
〈えっと、おはよう。久しぶり〉
僕はノートへと書き込みをせずに、口答で「うん、久しぶりだね、元気にしてた?」と話す。
大きく頷くマリーの水色の瞳は輝いていて、確かに元気なんだと再確認する。マリーは続けて話そうとするが、大事な試験前の朝食はしっかり食べたい。
「マリー、まずはご飯を食べよう。話はそれから」
一瞬、不満そうな表情になったが、マリーはコクン、と首を振り、〈そしたら、ハルトくんの特訓の話を聞かせて〉と言った。
「特訓の話か……」
出されたパンを食べながら記憶をさかのぼる。ずたずたの一日目によれよれの二日目。つらい場面しか出てこない。
「けっこうしごかれたよね。でも、そのおかげでそれなりに戦えるようにはなったかな?」
適度に相槌を打って聴いてくれるマリー。2日間会っていないだけなのに、ずいぶん懐かしく感じる。
「2日目が特にキツかったかな。ろくに剣も扱えないくらいだったから、剣の持ち方から1日で教わったから身体ボロボロになった」
カロリナ曰く、カールステッド家は魔法だけじゃなく武術も仕込まれるらしく、カールステッド流剣術を叩き込まれた。今でも傷痕が残っているが、至るところに生傷がつけられ、結局最後までカロリナに勝つことはできなかった。
「それでも一通り戦い方は教わった」
あとは、試験でどれだけやれるかだ。他の生徒がどんなレベルなのかわからないから、やれることをとにかくやるしかない。
「マリーはどうだった?」
お互い食事が終わったタイミングでマリーに投げかける。マリーはにっこりと微笑んで、ノートにペンを走らせる。
〈私もやれるだけやってみる〉
パンっとノートを閉じると、マリーは椅子から降りて僕に手を振り、あっという間に食堂を後にした。閉じるドアの隙間からちらっと見えた笑顔が、なぜか悲壮感に満ちているように僕には見えた。
「どうだ、調子は?」
エドが肩を叩きながら話し掛けてきた。試験会場となる校舎の南に位置する樹木や草花が彩る庭園に、全生徒が密集していた。今日は少し風が強く、髪や制服が揺れている。きちんと整えてきたのであろうエドの髪型も残念ながらすでに崩れていた。
「まあ、それなりだな」
「お、自信ありげだな」
「そんなことないよ。実戦は初めてだし。お前の方こそどうなんだ?」
「ハルト。最初に言っとくが、俺は試験を勝ち抜いて演習に参加する。今日だけはお前と敵同士だ」
そう言って去っていったエドの目はいつになく真剣だった。いつも異性のことばかり考えているようなやつだが、今日ばかりは本気らしい。普段ナメられている平民出身者が貴族階級を倒して上を目指す。確かに燃えるようなストーリーだ。まあ、エドはエドで頑張ってもらえればいい。僕は絶対にそこまではいけないだろうから。
制服のポケットに入れたヴェルヴを取り出し赤く光る宝玉をはめた。僕は、演習なんかに行きたいとは思わない。が、無様に負けるわけにもいかない。初戦は勝って2回戦か3回戦くらいで善戦して負けるというのが、そこそこ印象にも残りつつ無駄に目立つこともない結果になるだろう。そのためにはーー。
「あら、ハルトさんじゃない」
人込みのなか、嫌な声に呼び止められて思考が途絶した。嫌々ながら声のした方に振り返ると、やはりルイスが気取ったように腕を組んで立っていた。
「なんだよ」
「なんだよとは失礼ですわね。せっかく応援しようと声を掛けてあげましたのに」
風よけのためか被っていたフードを取ると、ルイスはこっちに近付いてきた。
「いつもの取り巻きはどうしたんだよ」
「取り巻き? ああ、アニタとドリスのことですわね。別にいつも一緒というわけじゃないんですのよ。それに今日の試験は個人戦。誰もがライバルですわ。まあ、あなたは違いますけどね」
「そうか。じゃあ、すぐにルイスに当たるよう女神様に祈っとくよ」
「あら、光栄ですわね」
ルイスは、嫌らしい笑みを浮かべると、再びフードを被って人込みに消えていった。決めた。あいつだけは何回戦で当たろうが全力で叩き潰す。
「試験参加のみなさん! 間もなく始めます! 試験の説明をしますので、こちらを見てください!」
カロリナのよく通る声が響いた。ざわざわとしていた声は一斉に静まり、一点に注目が集まる。