5.0 いない。まあぶっちゃけ、可愛ければ誰でもいい。
昼休みを告げるチャイムが鳴る。
ぼんやりと考え事をしていた僕は、慌てて立ち上がり、室長のあいさつに合わせて先生に礼をする。
なぜか、五十年も昔に流行ったビデオゲームのことを考えていた。どうしてそんなことを考えていたのかは思い出せない。
先生が教室を出ていくのを待たず、教室の生徒達は昼食の準備を始めた。僕も、教科書やノートを机に片付け、鞄から弁当を取り出す。
将棋部(?)の部室を訪ねてから昨日までの三日間、僕は結局、どの部活にも見学には行かなかった。伊勢先生は、僕がまだ入部届を提出していないということに何度も言及したが、簡単な注意で終わった。同じ教室に、九重がいたからかもしれない。
明日から大型連休が始まる。今日一日、伊勢先生から逃げ切れば、数日間の猶予が生まれるのだ。
そんなことを考えながら、眠気に負けそうになる目をこすり、午前の授業と戦った。
挨拶とともに教室を出て購買に向かった猿渡が、僕の後ろの席に戻ってきた。手には焼きそばパンとコロッケパンを持っている。
「小石井、すげー眠そうだな。」
「うん。なんだか最近、寝つきが悪くて。」
僕は猿渡の机の上で弁当を広げながら言った。あの新聞記事を読んでから三日が経つ。
「でも、四時間くらいは寝てるから。」
たった四時間でも、寝ていることには違いない。「まあ、帰宅部だしな。四時間寝れば十分か。」と、猿渡は何かに納得をしていたが、「そういえば」と話題を変えた。
「ゴールデンウイーク、予定はどうなってるんだよ。」
「いや、特にないけど。猿渡は?」
「俺は部活だよ、ほとんど毎日、練習試合がある。まあ、サッカー未経験の一年だから球拾いで連休が終わるだろうけどな。やっぱデートに行きたかったよ。デートに。」
と、猿渡は焼きそばパンに噛り付いた。
「デートって、相手はいるの?」
「いない。まあぶっちゃけ、可愛ければ誰でもいい。ただ欲を言えば、ぼたんちゃんみたいな美人がいいなあ。」
「ぼたんちゃん?」
「小石井おまえ、大丈夫か?」
と、猿渡は驚いた顔で、僕の方を見る。
「菰宮副会長だよ。菰宮牡丹」
お前こそ大丈夫か?と、僕は猿渡を見る。数日前は普通に『菰宮先輩』と呼んでいただろう。
「二年生の間では、『ぼたんちゃん』とか『こもたん』とか呼ばれてるって、一昨日聞いたんだよ。さすがにまだ、『こもたん』って呼ぶのは早いと思ったからさ。」
自慢げに語るっているが、『ぼたんちゃん』と呼ぶのも馴れ馴れしいし、『こもたん』に関しては、千年後も呼べるかどうか危ういレベルだ。
「どうせ菰宮先輩は、彼氏とデートだろ。」
と、僕はウインナーソーセージを箸で突き刺す。親の前ではできない食べ方だ。
「小石井もさっさと彼女作れよ。確か蒔田女子高校に幼馴染がいるんだよな?デートに誘えよ。可愛いんだろ?」
まず、そういうセリフは自分が彼女を作ってから言って欲しい。
幼馴染の事は猿渡に話したが、可愛いかどうかは話していない気がする。しかも猿渡は、彼女が学力最底辺の高校なので、紹介すらも断った。まあ、紹介する気なんて無かったけれど。
「あいつは、インドア派で、なかなか外に出ないから。万が一、付き合ったとしてもデートなんてできないよ。」
「だとしたら、彼女のお部屋でデートだな。」
と、猿渡は何かを妄想しながら、ペットボトルのコーラを飲み干した。
車椅子の少女が教室に戻ってきたころ、午後の授業開始の予鈴が鳴った。弁当を片付け、授業の準備をするため、黒板の方を向く。
「小石井、次の授業は栗木先生だから寝るなよ。バレたらすげー怒られるぞ。」
と、後ろから猿渡の声がした。
「大丈夫だって。」
僕は振り向かずに答える。
「お前、四限の授業、首がかくかく揺れてて、寝てるのがバレバレだったぞ。」
先生、注意せずに放置してたけどな。と、猿渡が言った
寝ているのがバレバレだった?
僕が、寝ていた?
眠りに落ちてはいないはずだ。考え事をしていた。
きっと猿渡には、僕が寝ているように見えたのかもしれない。
いや、本当は寝ていたのかもしれない。
僕は、夢を見ていた。
僕は穴に落ち、もう一人の僕がまた歩き出す。
そんな夢を見ていた。
RW理論の新聞記事が、頭をよぎる。
『…眠るということはつまり…』
眠っていたとしたら。
『…自己を認識している意識は消え…』
死んでいるはずだ。
午後の授業の内容は、何も頭に入ってこなかった。