4.0 「普通」って、努力しなければ手に入らないのよ。
放課後の校舎は、吹奏楽部の各パートが、各自思い思いに練習する音、金属バットがボールを打ち返す音、演劇部の声出しや、柔道部員が畳に打ち付けられる音など、この高校の生徒がどこかで、何かに取り組んでいる空気で満たされていた。
将棋部の部室に近くでは、将棋板を駒が弾く音が聞こえるかもしれない。
エレベーターは使わず階段を上り、将棋部の部室の前にたどり着いた。扉の取っ手に手を掛けたとき、将棋部のポスターが張られていることに気が付いた。
掲示板に張り出されていたものとは、違うデザインの物だった。
『将☆棋☆oh! 神の一手を極めろ!』
神の一手は将棋では無い。と思ったが、この部室に囲碁部も同居しているのかもしれない。何にせよ、話くらいは聞こう。幽霊部員の入部が可能かどうかを。
手に力を入れ、扉を恐る恐る引いてみるが、扉は開かなかった。
ここが部室で間違いないはずだ。もう一度ポスターを見る。
『将☆棋☆oh! 神の一手を極めろ!
毎週木曜日に活動 全員参加!
それ以外はお休み 対局準備中デュエルスタンバイ!』
将棋部に入部するのは辞めておこう。
と、僕は来た道を戻り、将棋部の部室を後にする。
将棋板を駒が弾く音は、もちろん聞こえなかった。
◇◇◇◇◇
家に帰ると、母はキッチンで夕飯を作っていた。リビングのテレビからは、民放のニュース番組が流れている。母から、「おかえり。早かったのね、まだ部活動は始まらないの?」と、聞かれたが、「まだ仮入部の期間だから。」と答えた。
仮入部の期間は、一週間前に終わっていたが。母は、「そう、ちゃんと考えて決めるのよ。大切な3年間なんだから。」と言い、夕飯を作る手を止めることなく、テレビに目をやった。
一年前の渋谷事変、被害者の声。と題して、インタビューを行っている。
「被害者の人たちって、何か少し変わっているのよね。」
通学鞄を床に置き、テーブルの椅子に腰かけた僕に、母は言った。
「そりゃ、そういう人たちへのインタビューの方が、テレビ的には面白いからでしょ。」
と答える。
テーブルの上には、朝と同じ新聞が置かれていた。
「それはわかっているけど…。」
と、母は納得のいかないようだった。
インタビューされているのは、売れない芸人や駆け出しのミュージシャン、理論物理の大学院生。宝くじで大金を手にし、半年で使い切ったフリーターや、親の虐待を受け続けるAV女優、四年の浪人の末、やっと合格した東大生。
「うちみたいに、普通の家庭、普通の生活って、なかなか難しいことなのね。『普通』って、努力しなければ手に入らないのよ。」
と、母は包丁で何かを斬りながら語った。
「うん、そうかもしれない。」
僕はテーブルの新聞を広げた。僕が望むと望まざるとに関わらず、気が付いたらこの両親から生まれ、この家で育っていた。もちろん、僕はそれが不幸なことだとは思っていない。
幸せな家庭に生まれたと思っている。
ただ、母にとってそれは、それを望み、努力して手に入れたものなのだ。
教養と新聞とはあまり関係はないと思うけど。と、僕は今になって、心の中で九重に反論しつつ、広げた新聞に目を通した。
『渋谷事変から一年。難航する捜査の行方は。』
一年前、何度もメディアで耳にした、事件の概要が書かれている。犯人はいまだに逃走中だそうだ。警察は犯人の目星すらつけられていない。犯人は、逃走なんてせず、どこかで普通に生活しているのかもしれない。
犯人の普通な生活とは、どんなものなのだろうか。
人口知能についての記事を飛ばし、次の記事に目を通す。シンギュラリティはまだ来そうにない。
『米修士論文 RW理論を証明か。』
なんだこれ。と思い、読み進める。
『昨年、オランダの脳科学者が提唱したRW理論だが…』
RW理論、その内容は、
『…意識の連続性についてのRW理論では…』
「ねえ、頼。夕飯の前に、お風呂に入る?」
『…一度途切れ…』
「頼、聞いてる?」
と、キッチンから母の声が聞こえた。
頼、小石井頼。僕の名前だ。「ご飯の前に、お風呂、入る?」「あ、うん。そうするよ。」と、僕は新聞から顔を上げずに答えた。「じゃあ、」と言って母はお風呂場に向かった。僕は、新聞を読み続けている。
『…いわばメモリに保管された記憶と…』
なんだこれ。と、僕は記事から目が離せずにいる。
『…意識が形成され…』
何が書いてあるんだ。
『…その不完全性を補間するため…』
書いてあることは、わかる。きっと、その理論とやらが噛み砕いて説明されているはずだ。
『…つまり似て非なる…』
きっとそうだ。僕のような高校一年生にもわかるように内容にだいぶ手が入っているに違いない。
『…に保存された記憶と…』
マスコミのことだ。理論を、事実を誇張して、面白おかしくなるように書いてあるに違いない。
『…ということは、生物としてのは…』
実際はこんな内容であるはずがない。だって今日、学校でこの話題を口にしなかった。僕がチェックしているSNSのグループも、RWの二文字を発言すらしていない。もしRW理論の内容がこの記事の通りだったなら、誰も黙っているはずがない。
『…生死の概念が覆ったと言えるのではないか…』
この記事が、まして、この理論が、正しいと言える保証はない。
バカバカしい。
『私達は、…死んでいると言えるのではないか。』
しかし、どうしようもなく翌朝、少なくとも僕の中で、生死の概念が上書きされたのは事実だった。