3.0 そうですねえ。とりあえず、新聞?とか読んでみます。
放課後、ホームルームが終わるとすぐに、猿渡は部活動に向かって教室を出て行ってしまった。可愛いマネージャーがいるとのことで、サッカー部に入部したそうだ。きっとそのマネージャーも、かっこいい先輩がいるとかで入部を決めたに違いない。
僕は通学かばんを肩にかけ、教室を出る。直接自転車置き場に向かう足を止め、僕は部活紹介掲示板がある廊下に向かった。
どうしてこんな、人通りの少ない廊下に部活紹介の掲示板を設置したんだろうと思ったが、部活紹介に興味を持つのは、全校生徒の3分の1の一年生だけだ。しかもその1年生も、入学して1か月もたたないうちに、自分が所属する集団を決め、その掲示板にも興味を失っていた。
掲示板の前には、一台の車椅子が止まっていた。
その車椅子に乗った少女は、掲示板を見上げている。
「九重さんは部活動とか、参加するの?」と、僕は近づいて声をかけた。
九重は首だけこちらに向けると、
「小石井君も、まだ入部届出していないのですか?」
と返してくれた。能楽のような、ゆったりと、けれども無駄のない動きだった。
「うん。今朝、副会長に注意されたよ。」と、僕は九重の隣に立ち、掲示板を見る。
『野球部。部員募集。マネージャーも大歓迎!選手と一緒に汗をかき、甲子園を目指そう
その経験はきっと青春だ!』
これは、野球部マネージャーの勧誘だろうか。流した汗を吸ったユニフォームを、女子マネージャーに洗濯してもらいたいという、現部員たちの思いが伝わってくる。
「私は、こんな身体ではどのクラブにも入れてもらえないので。」
『こんな身体』とは、病気のことを言っているのだろう。ただ、その病気がどういったものなのか詳しくは知らない。
文化部でもダメなのだろうか。
「そっか、ごめん。でも、生徒は全員、クラブに所属しなくちゃいけないはずだけど。」
「そう。形だけでもって、伊勢先生に言われました。」
伊勢茉鈴。僕たち一年二組の担任だ。担当教科は国語。初回のホームルームが終わった直後から、クラスの生徒からは「まりんちゃん先生」と呼ばれている。結婚適齢期。
「でも、私、自分で立ち上がることもできないので。」
と、九重は目線を足元に向けた。
自然と、僕も彼女の足を見る。
傾きかけた陽の光が差し込む廊下、二人で顔を伏せている。何か冗談でも言えればいいんだけれど。「新しいクラブを作ったら?」と、特に面白くもないことを口にしてしまった。
「そうですね、電動車椅子部とかですか?」
いや、それは笑えない。
「いや、えっと。その、それは何をする部活なんだろう。」
毎週雑誌を購入して、付属の部品を組み立て、電動車椅子を完成させるのだろうか。
「活動内容は、電動車椅子レースです。」
と、彼女は言った。
「電動車椅子レースか。」そんなレースが日本で開催されているとは知らなかった。
「そんなレース、ありませんけどね。」と、九重は笑った。
顔をこちらに向け、目を細め、「ふふっ」と笑っている。
けれどもそこには、違和感を感じる。
彼女はまるで人形のように可愛らしく笑っているが、それがあまりにも人形のようだと感じた。
人の形を、模した様だった。
僕も無理やり、作り笑いをする。この場の空気を和ませようとしてくれたのは確かだ。
「すみません、冗談ですよ。」
と、九重は続けた。
「けれど、どのような部活を作ればいいのかわからないのは本当です。」
創部についてこそ、僕は半分冗談のつもりで言ったのだが、彼女はまじめに考えてくれている。
「一般的な部活動は、もう存在しているんだし、九重さんのやりたいこととか、身に着けたい何かを学べる部活動にすればいいんじゃないかな。」
「やりたいことはあるのですが、高校生の部活動にはふさわしくなさそうなので。そうですねえ、身に着けたい何かですか。」
九重は目を伏せ、少し考えると、もう一度こちらを見た。
「教養ですね。」
教養。
それは、電動車いすに乗った、謎の病気の少女を相手に、クラブ活動の話題を引っ張る僕の無骨さを非難しているのだろうか。いや、部活紹介掲示板を眺める生徒と、クラブ活動の話をしてはいけないというのは、それはそれで理不尽だ。クラスメートとはいえ今日初めて話した相手。あまり、馴れ馴れしくしてはいけないのかもしれない。
「なんか抽象的というか、ざっくりしているね。具体的な活動は?」
やっぱり話を引っ張ってみる。
「そうですねえ。とりあえず、新聞?とか読んでみます。新聞なんて、過去の遺物、いわゆるデッドメディアですけど。そこから昨今の情報を得ようとする行動が、教養につながりそうです。」
と、九重は冗談っぽく言う。もし新聞での情報収集を教養と呼ぶのなら、うちの両親は立派な教養人だ。
新聞。僕は今朝、家のテーブルに置かれていた新聞を思い出した。
あの渋谷事変から一年。
「この紙の掲示板自体、立派なデッドメディアだ。」
と、僕が返すと、九重はうなずいた。
「それより、小石井くんはどうしますか?クラブ見学とか、行きました?」
「僕は、美術部に見学に行ったんだけど、なんかピンとこなくて。」
と、僕は掲示板に視線を戻す。
『将棋部。新入部員募集。君の一手が世界を変える!』
「将棋部とか、見てみようかな。」
と僕は言った。ルールくらいしかわからないけど。
「将棋ですか。一昔前は、世間でも盛り上がっていたみたいですね。」
と、九重も将棋部のチラシに目を向ける。
「なんでも、天才を冠した棋手が同時期に二人いたと。」
そうなのか。とりあえず、部室くらいには行ってみよう。
「じゃあ、部室に見学に行ってみようかな。」
僕は鞄を肩にかけ直した。
「はい、楽しんできてください。私は帰りますね。」と、九重は車椅子を操作し、向きを変える。
「じゃあ、気をつけて。」
僕は将棋部の部室がある校舎へと歩き出した。
背後から「はい、また明日。」と、声が聞こえた。
振り返ると、その後ろ姿はやはり、人形のように綺麗だった。




