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菰宮牡丹は100倍可愛い。  作者: ジンボヤスヒデ@ぼんじー
15/30

15.0 どうでもいいことなのです。生きていようが、死んでいようが。


—小石井君、ミントの味は苦手かな?

—いや、大丈夫。

僕は、浮瀬から手渡された、錠剤の見た目をした何かを受け取った。

僕は手の中にある、二粒のタブレットを見つめていた。

—それを口にした瞬間、君の望みが叶うわけでは無いんだ。

—いつ?

—それを飲み込み、眠った瞬間。だからそれまでに、君の大切な人に、別れを告げるといい。

—わかった。ありがとう。

僕は、なぜ浮瀬が、こんなものを持っているのかも、それを僕にくれるのかも聞かなかった。

—どういたしまして。

そして僕は、手の中にあるものを口に運び、飲み込んだ。

—それじゃあ。

と、僕は彼に背を向け、屋上から校舎に続く階段に向かい歩き出す。


—さようなら。



 僕は高校を後にし、自転車を漕いでいた。市立病院に併設された図書館、市立羽津図書館に向かっている。


 九重に別れの挨拶を言わなければいけない。


 浮瀬は別れ際、一言も口にしなかった。彼はこのようなやり取りを、何度も経験しているのだろうか。


 県の北部を流れる海蔵川(かいぞうがわ)に架かる橋を渡ると、図書館に到着した。


 図書館の外に作られている公園の、ベンチの傍で、九重は本を読んでいた。彼女は僕に気が付くと、「小石井くん」と、本を閉じる。


「遅くなってごめん。何を読んでいるの?」


と、彼女が手にしている本を見る。


「アイザック・アシモフの『アイ,ロボット』です。

と、彼女は表紙を見せてくれた。


「ロボット三原則の、アシモフ先生か。」と、僕は傍のベンチに腰を下ろした。


「それで、僕に何か用があったのかな?」

と、九重に尋ねる。

「創部について?」


「いえ、それもありますが。」

と、彼女は一度、言葉を切った。

「RW理論についてです。」


 彼女は、僕がRW理論について、ゴールデンウィークに尋ねたことを覚えていたらしい。


「人間の意識は、睡眠という活動中に一度リセットされる。という理論ですね。私達の自我は、不連続に、つながっている。確かに、これは私たちにとって、由々しい事実です。」

しかし、と、彼女は続ける。

「こんなにも"自分"という根本にかかわる問題に、どうして世の中の人は無関心でいられるのでしょうか。」


 それは僕も疑問に感じていた。疑問に感じ、そして少し、気味が悪かった。


「高度に発達した科学は、魔法と区別がつかない。と言いますが、きっと、私たちの意識のような、"高度な魔法のような神秘"は、コンピュータやスマートフォンなどの、高度な科学と、区別がつかなくなっているのではないでしょうか。」


「それはつまり…。」


言っている意味が、よくわからなかった。


「いえ、簡単なことですよ、」

今度は九重は、一息で話した。

「みんな、どうでもいいと思っているんです。」


 どうでもいい、ことなのだろうか。


「はい、どうでもいいことなのです。生きていようが、死んでいようが。

私達の意識は、寝ても覚めても、確かにそこにあります。ルネ・デカルトの『我思う、ゆえに我あり。』では無いですが、『確かにそこにある』ということが大切なのだと思います。それは想像でも、理論でも、二進数のデータでもなく、昨日も、今日も、明日も、『現実に』あるということです。」


 ゴールデンウィークの前日、菰宮先輩は自身の胸に手を当て、言っていた。


 『これはね、"確かにそこにある"っていうことが大切なの。それは想像でも、理論でも、二進数のデータでもなく、昨日も、今日も、明日も、"現実に"あるということよ。そして私は、そのあるべきものが"無い"。』


 僕たちが座っている、といっても実際に座っているのは僕だけだが、そのベンチの前を、手をつないだ親子が通り過ぎる。


 九重は彼らの様子を、微笑ましく眺めていた。


「小石井くん、私達人間が、一番最後に手に入れた臓器が何か、知っていますか?」


 またもや、言っている意味が、よくわからなかった。


「”いいえ”ですか?知らないですか?」


 ふふっ。と、彼女は楽しそうだ。その理由が、僕にはわからない。


「”(はい)”ですよ。」


と、九重は自分の胸に手を当てた。


「海の中で暮らしていた私達の祖先は、陸上で生きるために、肺という臓器を手に入れました。」


僕はまだ、九重が何の話をしているのか、掴みかねていた。


「だから私達にとって、肺を使った『呼吸』という生命活動は、この上なく、大切な意味があるそうです。」


 息をする。ということが、生きることだと、そんなチープな言葉を思いだした。


「息をする。ということが、生きることだと、そんなチープな言葉は嫌いです。けれど、それは狭い意味では正しいのかもしれません。」


 彼女は続ける。


「最後に手に入れたということは、身体の中では、最先端の機能を持っているということです。」


「呼吸という活動は、"意識的"にも、"無意識的"にも、行われます。ですので、呼吸は身体という"無意識"と、"精神"という意識を結ぶ役割があると言われます。」


「けれどもむしろ、RW理論に対して言うのであれば、」


「私達は、息をすることで、意識と、身体が、そしてそれに伴う記憶が、結ばれています。そして、眠っているときも、呼吸が途切れることはありません。」


「だから私達は、一度も死んではいないのですよ。」


と、九重は結論した。


その結論は、『呼吸をしていれば生きている。』という、至極当然のことだった。


「そうですね、そんな当然なことでは、いまさら納得できませんか?」


と、彼女はやはり楽しそうだった。


「いや、ありがとう。」


と、彼女に返す。


 九重は、先ほど親子が通って行った方を見た。


「"人間"が死んでも、"人類"は生き続けてきました。その事実に、不安を覚える人はいたかもしれませんが、"人類"にとっては、些細な出来事ですよね。」


と、九重は、ふと空を見上げ、「今日は六時四十分から、雨が降るそうなので、小石井君もそろそろ帰らないと。」と、僕の帰路を心配してくれる。


けれども。


「九重さん、創部の話なんだけど」


僕はもう、協力できそうにない。


と、言い掛けると、


「はい、それは明日しましょう。」


と、九重はこちらに微笑んだ。沈む陽が、彼女を照らした。僕の足元には、影が落ちる。


「いや…」


僕にその明日は、無いかもしれないのだけれど。


僕は、ぎこちなく笑う。


これでは九重の方が、自然な笑みだ。


では、気をつけて帰ってくださいね。と、彼女は病院の方へ車椅子を動かし始めた。


「うん。」


僕はそれしか言えなかった。けれど、これだけは言わないといけない。


「さようなら。」


「はい。また明日。」


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