12.0 驚くべきことに、未成年とのことです。
翌朝、テレビのニュース番組では、身体補助装具を用いた競技大会の特集が流れていた。足が不自由な人は義足を、腕が無い人は義手を装着した人たちが、スポーツに励んでいる。
僕はテーブルに着き、母が用意してくれた朝食を食べる。
義肢を装着したスポーツ選手たちは、テニスや柔道など、対人の勝敗を決める競技では、義肢を装着していない人と直接対戦はしない。
しかし、陸上競技や水泳など、タイムやスコアを競う競技では、その記録は比較されてしまう。
「今じゃあ、健常者よりも障害者の方が、いい記録を出すのは当然だけど。健常者の選手にも、もう少し頑張って欲しいわ。」
と、母は義肢を装着した選手が、短距離走の記録を塗り替えたというニュースを聞き、目を細めた。
洗い物をしていた母は、手の甲で眼鏡を押し上げる。
母は視力矯正手術の施術費に価格破壊が起こる前から眼鏡に慣れ親しんでいるため、今でも眼鏡を愛用し、余所行きに着替えるときはコンタクトレンズを着用する。
「もし僕が片手を失ったら、義手をつけてくれる?」
「それはもちろん。けれどやっぱり、一般的な機能の義手に限るわ。」
「どうして?」
今の義足には、人間の足で歩行するよりも、楽に、早く移動できるものもある。義手も、リミッターを外せば、成人男性の握力の、三倍程度出せるのが普通だ。マイクやカメラ、加速度センサが搭載されているものもある。
「だって、一般的な人の能力を超えてしまったら、人としての幸せは、掴めないと思うの。」
人としての幸せ。
「私は、眼鏡をしていないと、外を歩けないくらい視力が悪いけど、眼鏡やコンタクトのおかげで、普通の生活が出来ているわ。補助装具は、欠けているものを埋める為に必要で、それ以上のものを手に入れるための物ではないはずよ。」
人が本来持っている力以上の力は必要ない。
僕は母の眼鏡に、ブルーライトカットのレンズが使用されていることには触れなかった。
『速報です。』
と、画面がテレビスタジオに切り替わり、深刻な顔をしたニュースキャスターが映された。
今ではテレビの『速報』も、地震や爆破テロを除いて、ネットでは三十分前からの常識になっている。
『事件から一年が経った今でも、事件の全容が掴めなかった渋谷事変ですが、その容疑者の一人と考えられる人物が判明しました。驚くべきことに、未成年とのことです。その人物は特定されたものの、未だ逃走中で、行方は分かっていません。』
「結局、何もわかっていないのね。未成年だから、名前も報道されないし。」
母は、早く捕まってほしいわ。と呟いた。
人物を特定できたということは、その情報は、ネットではかなり詳しいことまで出回っているだろう。それにしても、未成年ということは、主犯格ではないのだろう。どこから足がついたのだろうか。
ネットで調べてみようとスマートフォンに手を伸ばしかけたが、まだ朝食を食べ終えていなかったので、伸ばしかけていた手を引っ込める。
その後もテレビの画面を眺めながら朝食を口にしていると、「ほら、頼、遅刻するわよ。」と母が促した
自転車を立って漕ぎ、校門を抜けて自転車置き場までとばせば、朝のホームルームには余裕で間に合うはずだ。校則違反を咎める副会長は、もういないのだから。
いつものように、存在意義の無い信号機の存在を、無視し、校門に差し掛かるところまでは順調だった。
しかし、僕の通う、下之宮高校の校門前に、人垣ができていた。
テレビカメラを構えた人、その前でマイクを握る女性。他の場所では、うち高校の生徒がインタビューらしきものをされていた。高校で事件でもあったのだろうか。高校からは、休校やその他の連絡は入っていなかったが。
僕は自転車から降り、校門を囲む大人たちの間をくぐり抜け、自転車置き場へと向かった。
校舎内は、緊張した空気と、何か非日常なことに浮足立った空気が混ざり合っていた。
教室に入ると、猿渡が自分の席で、スマートフォンの画面を、食い入るように見ていた.
彼に「おはよう」と声をかけると、僕は自分の席に着く。
「校門にテレビ局みたいな人たちが来てたけど、何なんだろう。」
と、彼に尋ねてみる。
すると彼は、「小石井。お前、大丈夫か?」と、返してくる。
毎度毎度、『何がどう大丈夫じゃないのか』をきちんと説明して欲しいが、今回はどうやら、「お前のスマホ、ネットにつながっていないのか?」という意味だったらしい。
彼はスマートフォンの画面を僕の方に向けた。
画面に表示されているウェブサイトには、渋谷事変についての、ネットニュースの見出しがまとめられていた。
『【速報】渋谷事変の犯人集団、Wの一人が特定される。』
『【速報】渋谷事変の容疑者は、女子高生⁉』
『渋谷事変容疑者の高校を特定』
『高校生が渋谷事変で指名手配。容疑者は逃走中』
僕が三つ目の記事をタップすると、猿渡のスマートフォンには、その記事が読み込まれた。
彼はその間、一言も発しなかった。
『渋谷事変の容疑者として、東海地方の女子高生が指名手配された。容疑者は数日前に高校を退学しており、行方は分かっていない。記者が独自のルートで得た情報によると、容疑者が在籍していた高校は、県立下之宮高校。容疑者はこの高校の副会長を務めていたようだ。しかし、ゴールデンウィーク直後、校長室に退学届けが提出されており、その後一切の消息をつかめていない。彼女の親族も事態を把握できていないようだ。』
僕は、画面から視線を戻し、猿渡の方を見た。
「これって、菰宮先輩のことだよね?」
彼は下を向いたまま、しばらく黙っていた。
憧れの先輩が実は犯罪者の一味だったということに、気持ちの整理がついていないのだろうか。いや、彼女が渋谷事変を起こしたということが確定したわけではないが、”指名手配犯”という、公的に犯罪者扱いされる立場になっている。
「ああ」
と、彼は顔を上げると、
「ボタンちゃんがピンチだ。」
と、僕の方を見た。
「助けを必要としている。」
確かなことが三つある。
一つ、猿渡は菰宮先輩のことを微塵も疑っていないということ。
二つ、菰宮先輩は、どういう理由ではさておき、”ピンチ”であるということ。
三つ、猿渡には申し訳ないが、そして菰宮先輩にも申し訳ないが、彼女を助けるために、僕たちにできることは何も無いということ。
結局のところ、僕たちにとって彼女は、遠い存在だったのかもしれない。




