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菰宮牡丹は100倍可愛い。  作者: ジンボヤスヒデ@ぼんじー
1/30

1.0 失礼な一年生ね。胸を見なさい。胸を。

   0.0  僕は、小説を書こうと思う


「20年後の未来を想像して物語を書いてください。」

 

 そんな文句から始まる文学賞の募集を見たとき、僕は不快感を抑えられなかった。その賞には、数十万円の副賞もついている。


 確かに過去、数十年後の未来を想像して書かれた、素晴らしい小説や物語は存在している。エドモンド・ハミルトンのフェッセデンの宇宙。映画では、バックトゥーザフューチャー。しかしこれらは、夜空を埋める星の数ほど存在してきた物語の語り手たちの、ほんの一握りの天才たちが生み出した物語だ。


 それらは確かに、『傑作』と言っても足りないほどの名作だ。そこで描かれる『当時の未来』は、僕たちの好奇心を掻き立て、科学技術―テクノロジー―の一層の発展を望ませる。


 しかしそれら『未来』は、『当時の現代』が緩やかに続いた先にある。空を飛び交うマシーンは、ドローンではなく自動車だ。人間とボードゲームやトランプに興じるのは、人間と"互角に"対戦するロボットだ。


 しかも現代の人間生活を取り巻く科学技術には、未だにムーアの呪いが撮り憑いている。5年先の未来すらも学生の僕には想像できない。そんな中で大人たちはたった数十万という金額で、僕たちが読むに耐える小説を書くことを期待するのか。


 きっと、日本人の一部のテクノロジーマニア、つまりほんの一握りの物好きにしか、数十年先なんて考えられないだろう。そして想像力の限りを尽くして書き上げた小説が、ただのSF小説として大人たちに読まれると考えただけで、小馬鹿にされた気分になる。


 それでも、それでも書けと言われるのなら、僕なら次のように書き始めると思う。


「あれから20年、科学技術の弛まぬ進歩によって、僕たちの生活は一変したように見えた。けれど実際どうだろう。ほんの少しだけ立ち止まって考えてみると、人々は穀物を主食にし、一日6時間程度の睡眠をとり、異性との性交で子孫を残している。身体の牢獄からは逃れられず、理不尽な感情に支配され、理解し合えない他人に頼りながら生きている。


 そして、命はいつか燃え尽きる。


 この20年で、確実に『変わった』と言えるものがあるとすれば、きっとそれは、今までの常識の中の一つ。


 それはとても些細な常識で、これが覆ったからと言って、気にしない人も大勢いた。いや、この国のほとんどの人が、耳にした三日後には忘れるほど、意味のない常識だったのかもしれない。


 けれども一年前、その事実は確かに世界を驚愕させ、その発表を耳にした僕は、その意味を考え、理解してしまった僕は、日が沈むたびに恐怖に震え、朝を迎えるたび、途方もない喪失感に襲われる日々を過ごしたのだった。」



  一年前、春、確かに常識が覆った。



 7:30


 目覚まし時計が鳴っている。分厚くて重い、安物の掛け布団の中から手を伸ばし、枕元の電子時計のアラームを切った。部屋の中の空気は乾燥している。


 登校時間まであと一時間。僕は布団から抜け出し、ベッドの下に脱ぎ捨ててある上着を着て部屋を出る。階段を降り、1階のリビングの扉を開けた。


 「おはよう」と、リビングに入る。ちょうど朝食を食べ終えた父は僕を一瞥し、「おはよう」と言い、出社の準備を始める。テレビ画面には、真面目な格好で、真面目な顔をしたニュースキャスターが写っている。


 毎朝、NHKのニュースを見る。どのテレビ局も平日のこの時間は、ニュース番組を放送しているが、扱っている内容は大して変わらない。ではなぜ毎日NHKを見ているのかと聞かれれば、「毎日見ているから」という以外、あまりいい答えは見当たらない。もう一つ理由を無理に上げるとするなら、「他局よりも騒がしくないから」だろう。とにかく我が家では毎朝、NHKのニュースを見ている。昨日も、先週も、きっと、明日も、来週も。


「おはよう。」と、キッチンから母が僕の朝食を運んできた。

 

「おはよう。」

僕は、父の対角線上の席に着く。


「『人口知能をもつロボットに市民権を認めるべきか』だって。新聞にも出てる。」

と言う母も、テレビのニュースに目を向ける。


 テーブルの上には、今朝の新聞が置いてある。人工知能を積んだ人型ロボットが、海外で人権を得てから十数年が経つ。日本の議会では、反対意見を恐れて、話題にもならなかった。


 新聞。僕が生まれたときには、スマートフォン、アプリケーションという言葉が普及して十年は経っていたはずだ。新聞紙という紙媒体もとっくに滅びていていいはずなのにと常々思う。「昔はよかった。」と言いながらスマホを持つことを拒否する老人たちは、いつになったら絶滅するのだろう。僕の高校の図書館にも、6社の新聞が毎日届いている。生徒が読んでいるところなど、一度も見たことはない。


 僕はテーブルの椅子に腰かけ、その新聞の一面を開いた。


『渋谷事変から一年。難航する捜査の行方は。』


『人工知能搭載ヒト型ロボに市民権。』


『米修士論文 RW理論を証明か。』


 それだけ読むと、僕は新聞を畳んだ。RW理論とは何だろうか。テレビの内容が天気予報に変わった。今日の天気は晴れだ。


 朝食を食べ終えた僕は、歯を磨き、高校指定の制服に着替えて家を出る。


「いってきます。」


「いってらっしゃい。」と、キッチンから母の声がした。


◇◇◇


 僕の通う高校までは、自転車を漕いで十分程度だ。交通量が少なく、存在意義を失いかけている交通信号を無視すれば、八分で着く。もちろん、信号無視が交通違反であることは、十分理解している。


 校門を通り向け、自転車置き場へと自転車を漕いだ。校内では自転車から降りて自転車を押して進まなければいけないが、信号無視という重罪を幾度と犯す僕には、校則違反は大したことに思えなかった。


「校則違反よ、小石井(こいしい)君。退学は免れないわ。」


 自転車のスタンドを立て、ハンドルの前の籠から通学鞄を取りだそうとした僕は、背後から声を掛けられた。自転車を停めるまで両耳にイヤホンを指していたので、後ろに人がいたことに気が付かなかった。もちろん、イヤホンやヘッドホンを使用して自転車を運転するのも交通法規違反だ。


 僕は振り返り、腰に手を当てて立っている先輩に、「おはようございます、菰宮(こもみや)先輩。」と挨拶をする。背中まで届く長い黒髪、整った目鼻立ち。大きな瞳の中には、琥珀色に輝く光彩、黒く、深い瞳孔。褐色のいい唇は、自分の美貌に自信を持ち、同時に、常に何かに不満をもっているかのように結ばれていた。


「女性の顔をじろじろ見て、どういうつもり?」


もう一度、その唇が開かれた。


「失礼な一年生ね。胸を見なさい。胸を。」


もっと失礼なことを要求してきた。


 しかし彼女は、全校生徒の誰もが認める容姿を持つ、絶対的アイドルだそうだ。彼女からの命令を断れば、校内でいつ背中を刺されるかわからない。


「じー。」


 僕は言われた通り、先輩の自身に満ちた胸部を見つめた。菰宮先輩の自信の大きさとは反対に、とても小さかった。


「うんうん。小さいでしょう?」

 先輩は、満足そうに頷いている。


 僕が凝視している制服の胸元には、生徒会役員であることを表す、役員バッジが付いている。


 彼女は二年生にして、この高校、つまり下之宮高校(しものみやこうこう)生徒会副会長だった。


 無い胸を突き出すように仁王立ちの副会長と、それを見つめる男子生徒。


自転車を停めようと近づいてきた女子生徒が、後ずさりしようとして、手で押していた自転車を倒してしまった。女子生徒のか弱い腕では、目の前の状況から目を逸らしつつ、自転車を後進させるのは無理があったようだ。やはり、校内でも自転車は、ぎりぎりまで漕ぐべきだと証明されてしまった。


「あ、すみませんっ。」と、その女子生徒は慌てて自転車を立て直し、自転車置き場に置くと、気まずそうに校舎に歩いて行った。


 気まずいのはこっちの方だった。


「先輩、校内で自転車を漕いではいけないという校則のせいで、女の子が怪我をするところでしたよ。」


「小石井君が、私の胸を見つめるからでしょう?」


 それはつまり、あなたのせいだ。と、口から出かかった言葉を何とか飲み込み、別の言葉を探す。


「そんなことより先輩、どうしてここにいるんですか?」ここは自転車置き場でも、一年生用のエリアだ。


「僕の登校を待っていてくれたのですか?ありがとうございます。」


「いえ、いくらあなたが小石井君でも、恋しいとは思わないわ。」


 笑顔で返された。人の名前で言葉遊びとは、なかなか失礼な先輩だ。


「それに、この時間は生徒会の役員会議があるはずですよね。ツインテール会長に怒られますよ?」


「そうね、確かにこの時間は会議時間ではあるけれど。でも今日の議題は早く終わったの。それと、生徒会長のことを、ツインテール会長なんて呼ぶなんて、重大な校則違反ね。敬意を示して、『ふたちょんろりい会長』と呼びなさい。」


 先輩、ふたちょんろりい会長に退学にさせられますよ。


「役員会議が早く終わったことはわかりました。でもどうして、一年生の自転車置き場にいるんですか?」


そうだった、と目的を思い出したかのように、菰宮先輩は胸の前で手を合わせた。


「小石井君、まだ入部届を提出していないでしょう。」


 確かに、僕はどの部活動にも入部届を提出していない。入学式よりも盛大に盛り上がった体育館での部活紹介イベントの熱もすっかり冷め、もう四月も終わろうとしている。たいていの一年生はいずれかのクラブに入部していた。新しく部を立ち上げようという生徒もいたそうだが、何らかの条件を満たしていなかったらしく、創部は叶わなかったそうだ。


 だが、入部手続きがされていないということは、その時点で僕は、まぎれもない『帰宅部』の部員だ。


「帰宅部なんてものは、本校には存在しないわ。」


 知っている。部活動について新入生向けに説明がされた時、『本校の生徒は原則、いずれかの部活動に所属しなければならない。』という『本校は、個と自由を重んじる。』という理念に反逆した校則を聞かされた。


 とは言っても、それは規則として名ばかりで、帰宅部入部希望、もとい帰宅部退部の拒否をする生徒は何人もいるはずだ。僕は彼らと心を共にし、生徒指導の先生や生徒会の役員をやり過ごせばいい。


「未提出なのは二人だけよ」


 未提出なのは二人だけ。


「いつになったら提出するつもり?このまま逃げ切ろうなんてできないわよ。」


 このまま逃げ切ろうと思っていたのに。


「それと…」と、副会長は続ける。


「それと小石井君、いつまで私の胸を見ているのかしら?」


 やめろと言われるまで、いつまででも。



 ホームルームの開始を告げる、チャイムが鳴った。


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