22
磯っぺの見るからにいやらしい性的な視線が、舐め回すようにラブ公に絡みつく。
「そ……そんな……そんな!! だって僕男だよっ?」
「ワシはそんなん気にせぇへんでっ!! ワシは第五おさかなちゃんパラダイスのトップやっ! 生活に不自由はさせへん。どや? ワシの花嫁にならんか?」
「は! はな、花嫁ぇ!? ぼ、僕がっ!?」
その瞬間、ラブ公の額に半ば埋まるように張り付いているミーティアのアニマの結晶が、激しく点滅を繰り返した。
「ああああああああああっっっっ!! い、いた、痛い!! ミーティアちゃん!! わか、分かってるよぉ!! え!? そんなわけないよ! だからゆるしああああああああっっっ!!」
何と会話をしているのか、周囲からは分からないが、ラブ公は突然頭をおさえながら痛みに耐えかね膝をついてしまった。ミーティアからのお叱りが入ったのだと思われる。
「さぁ、その球から出てきてくれ……ワシと一緒に行こうや、かわいこちゃん……とりあえず接吻しよ? な? な? ワシ、ちゃんと順番は守る男やで?? な? ええやろ?」
「だ、だから僕は男で接吻なんてああああああああああああっっぅぅぅぅ!! ミーティアちゃん、分かってるから! 分かってるからぁぁぁぁあああぁ!!」
チョンカとシャルロットはラブ公と磯っぺのやり取りを、青ざめつつ後ろから見ていた。
「や、やっぱり、そういう愛の形もあるのね……」
「シャ、シャル??」
「あたし、昔に見たことがあるの……そ、その……男の人同士が……ごにょごにょ……するマンガ……」
ずっと西京の家から出なかった世間知らずのチョンカも、さすがにマンガくらいは知っている。西京がチョンカのために万引きをしてきたマンガが多数あったからだ。
余談だがチョンカが一番好きだったマンガは、光の戦士であるマンドリルが闇のサルやヒヒと戦う「グッバイ! モンキーサンクチュアリ」というマンガであった。勧善懲悪のとても分かりやすいマンガで、当時の子供たちにとても人気があったマンガであった。
チョンカはシャルロットが何を言っているのか意味が分からなかった。辛うじて分かるのはマンガを見たことがあるということだけである。なぜそれを伝えるだけでこうも顔を赤らめる必要があるのか、そしてごにょごにょとは何なのか、無性に気になった。
「シャル、ごにょごにょって何? なんでそんな顔が赤いん?」
「え!? い、いいでしょ、別に」
「えー! 教えてやー? 男の人同士がごにょごにょって何? どんなマンガなん? あとでうちにも見せてや。シャルの家にあるんじゃろ?」
「ダメっっっっっっ!!」
チョンカはシャルロットの声に肩を震わせた。そんなに頑なに拒否されるとは思わずびっくりしてしまったのだ。
「ご、ごめんなさい。でもダメ……ダメなの……チョンカがもう少し大人になってからよ……」
「え、うちシャルよりも歳上やないん?? あ、あかんのん?」
「そ、それより騎士君よ! 騎士君!!」
「………………」
チョンカは納得がいかないような顔でシャルロットを見ていた。後でシャルロットの家に行ったときにこっそりシャルロットの部屋を探してみようと決心するのであった。
「騎士君、どうするのよ!」
「えええ!? シャルちゃん、どうするって……な、何が?」
「決まってるでしょっ! 騎士君の気持ちよ! お付き合いするの? ああでもだめよ? 騎士君にはミーティアがいるんだから!」
「な……何を言ってるの? シャルちゃん」
チョンカとラブ公はシャルロットの様子がおかしいことに気が付いた。何が、というわけではないのだが、どことなくテンションが高いのだ。
余談だが、シャルロットが一番好きだったマンガは、王国公認の男性アイドルグループの恋愛を描いた「give me マイエンジェル 乱☆心」というマンガであった。シャルロットが持っていたマンガは、いわゆる二次創作にあたるものであった。作者は不明であるが「give me マイエンジェル」というマンガをBL化したものを所持していたのだ。
「さっきから外野が何をぶつくさ言うとんのじゃ!! ワシはこのチャーミングボーイと会話しとんのじゃ!! 黙っとけや! ブッサイク共がっ!!」
「僕は会話なんてしたくないよっ! ぞわぞわっ」
「シャル、もうええけぇはよこいつ殺そうや? マンガのことは後で教えて?」
「ええ……そうね。そうしましょうか……あ? あら??」
チョンカ達を包むサイコガードの下、海底すれすれの部分で何かが動いたように見えた。
シャルロットは目を凝らしてよく見てみた。
「……タコ?」
「え? あ! あれウルフさんだよ!! 無事だったんだねぇ! おーーーーーーーーーーーいっっ!! ウルフさぁーーーーーーーーーんっっ!!」
ラブ公は大きな声でウルフと思しきタコ影に呼びかけた。
その声を聞いた途端に、タコ影はピタリとその場で止まり動かなくなってしまった。
「あ、あれ? 止まっちゃった。おかしいなぁ……あれ絶対ウルフさんだよぉ? あんなに足が多いもん!」
「騎士君良く見えるわね……」
「ね、ね! ちょっと降りてみて? 僕ウルフさんに会いたい! いいでしょ? ね、チョンカちゃん!」
「ああ、ウルフって壷輔か。うん、別にええよ」
チョンカはシャルロットと顔を見合わせ目線で合図した後、ゆっくりとサイコガードを降下させた。
「お、おい! 待てやっ! ワシをおいてどこに行くんじゃ!! ちょ、待てって! 待ってくれ!!」
突然会話を切り上げて降下していくチョンカ達を、磯っぺは慌てて追いかけていくのであった。
仕方がなく、第五おさかなちゃんパラダイスの兵士たちもそれについていく。また磯っぺの悪い癖が出ているなと、ため息を吐きながら。
「ウルフさーーーーーーーーーーんっ!!」
「げぇっ! やっぱラブ公かっ!! おまっ! 今はあかんて!! しかも後ろの軍勢、第五の奴らやんけ!! せっかくこっそり戻ろうとしとるんやからほっといてくれや!!」
ウルフの必死の叫びもむなしく、チョンカ達を乗せたサイコガードはウルフの元に辿り着いてしまった。後ろに磯っぺをはじめとする第五おさかなちゃんパラダイスの兵士達を引き連れて。
「ウルフさん、無事だったんだねぇ!! 本当に良かったよ!!」
「お、おう……ラブ公も無事みたいでワシもホッとしたで……」
「壷輔、西京先生と一緒やったんやないん?」
「せ、せやで……せやけどお前らの姿が見えた途端にもう帰ってもええゆうて解放されたんや……もうええか? ワシ急いどるさかいな」
ウルフと会話をしているチョンカ達の間に、磯っぺが無理矢理割って入ってきた。
「ちょっと待ったらんかいや! 今はワシがこの天使ちゃんと話しとるんじゃ!! お前誰やねんな、タコ助が!!」
「はぁ? て、天使ちゃんやと……? 美人姉ちゃんのことか?」
突然因縁をつけられ、何のことか分からないながらもウルフはシャルロットを指差した。
「こんな計画ロリビッチのどこが美人やねん!! ああ、おまえタコやから目ぇ悪いんやな。可愛そうなやっちゃで」
ビキキッッッッ!! という音がサイコガード内に響き渡った。ラブ公は、下から覗き込んでも黒くなって表情の見えないシャルロットを見て額に脂汗をかいた。
「ウ、ウルフさん、もうそれ以上はやめ──」
ラブ公の必死の制止もウルフには届かない。
「あ……?? ほ、ほなチョンカの方か? まぁワシ好みとはちゃうけどええ線いっとるんと──」
「おまえアホか?? こんなピンクゴリラのどこがええ線いっとるゆうんじゃ? ええ線どころか脱線しまくってぐっちゃぐちゃに絡まってどーしょーもなくなっとるやんけっ!!」
ビキキキキキキキッッッッッッッ!! という音が再度サイコガード内に響き渡った。ラブ公は、下から覗き込んでも黒くなって表情の見えないチョンカを見て額に脂汗をかいた。
「ね、ねえ? も、もうやめよう? ウルフさんも人魚さんも、二人とも殺されちゃうよぉ? ね? ね?」
「おーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい!!」
間が悪かった、としか言いようがない。
彼は必死に自分の飼い主である磯っぺの元に辿り着こうとしていただけなのだ。
今この状況の、この場に姿を見せてしまったのは彼にとって不幸としか言えない。
「げぇっっっ!! しゅ、主任やんけっ!!」
ウルフが青ざめ、海底の土の中に潜り込もうとするももう遅かった。
その人物とは、ウルフが主任と呼ぶ大蟹、ラブ公をリフティングし、チョンカにお仕置きをされた蟹であった。
「お前! ヤスヒロやんけっ! 遅すぎるわっっ!! 約束の時間はとっくに過ぎとるで! 後で殺すからな!!」
「い、磯っぺさん、そないなこと言わんとってくださいな。ワシ、ちゃんと黒あわび持ってきたんでっせ?」
「ふんっ、見せてみいやっ!!」
「なっ!? 黒あわびやとっ!?」
土に潜ろうとしていたウルフは見た。ヤスヒロと呼ばれた自分の上司である蟹が、鋏の中から海の秘法、黒あわびを取り出したのを。
磯っぺが書いた筋書きはこうである。
まずは有事の際に第六おさかなちゃんパラダイスに内通者であるヤスヒロを潜り込ませていた。
黒あわびの発見に伴い、ヤスヒロに黒あわびを盗ませ、先程の珊瑚姫との会話のときに持ってこさせる。発見された黒あわびは協議会に報告し、回答待ちの状態である為、ヤスヒロがその場に黒あわびを持ってくれば協定にある「協議会が与えるまでは黒あわびの所有権は協議会が持つ」という部分に抵触し攻め込む理由を得る。
そうして攻め入って第六おさかなちゃんパラダイスも黒あわびも全てを手に入れることが出来る。
しかし実際には約束の時間になってもヤスヒロは登場せず、西京という訳の分からぬエスパーの乱入により筋書きは崩壊してしまった。それでも第六に攻め入る口実だけはなんとか確保したため、黒あわびは半ば諦めていたのであるが、ここにきてヤスヒロが黒あわびを持ってきたのだ。
「おおーーーーーーっっ!! ヤスヒロ!! やるやんけっ!! 西京はこっちに気付いとらへんな? はよよこせ!」
磯っぺはひったくるように、ヤスヒロの鋏から黒あわびを取り上げた。
「はぁ~~~~……う、美しい……」
海の秘法、百薬の長「黒あわび」
大きさは人間の顔ほどある、巨大なアワビである。
その身とその殻は「黒あわび」の名に恥じぬほどに漆黒に染まり、なおかつ海中にあるにもかかわらず表面がぬめり、黒光りしている。
休まずにウネウネした様子はたくましく生命活動をおこなっている証である。
「そ、そや! ええこと思いついたで!! これを天使ちゃんにプレゼントしたるっ!! せやさけワシと一緒に来ぇへんか? 接吻しよ? な? な?」
「え、磯っぺさん!? ワシがせっかく命がけで取ってきた黒あわび、人にやるんでっか!? そな殺生な!!」
「やかましいわボケが!! お前目の前の天使ちゃんが見えへんのか!? 今日からワシの妻になる子やぞ!! 黒あわびでも釣り合いが取れへんで!!」
「目の前の……天使……??」
ヤスヒロはサイコガードの中にいるチョンカ達に視線をやった。
チョンカもシャルロットも、ヤスヒロの反応を待っていた。
二人とも、少しでも精神の安定を図ろうとしているのだ。
「え、まさかこの、……ちんまるこい奴でっか?」
「おおおおおおおおおお!! ヤスヒローーーーーーーーーーー!! お前分かっとるやないけぇ!! お前昇進させたるっ!! ギャーーーーーーーーーーーーーーッハッハッハッハ!!」
「あ」とラブ公が思わず口にしてしまう。チョンカとシャルロットが握る拳から血が滴ってきたのだ。もうこれは誰かが死なないと収まらないのではないかと、ラブ公の背筋が凍りついた。
「え? えへ、えへへ! いやぁ、なんや変なゴリラとクソみたいな狙い過ぎのうさ耳の帽子かぶった奴は、さすがに磯っぺさんの好みやない思いまして……」
「せやでせやで!! ほんま分かっとる!! よっしゃ、見とけよ!!」
磯っぺはチョンカ達のサイコガードの上にスイスイと上機嫌に泳いでいき、再びへばりついた。
「ふんっはっ! ふんっはっ! ふんっはっ! ふんっはっ! ふんぬうううううぅぅぅぅぅぅぅぅぅ…………ぎぎぎ…………うひゃぁーーーーーーーーーーーー………………ぶるるるるぃ」
黙って上を見上げるチョンカ達の視界が白い煙に遮られた。
磯っぺの尾びれがそれはそれはせわしなく左右にブンブンと動いていた。
可愛い子への挨拶。それは自分達ではなくラブ公のことなのだ。見れば見るほどに神経を逆撫でさせられる。もう我慢も限界であった。
「ぐへへ! 天使ちゃんはワシのもんやでぇ!!」
「げぇ……なんちゅうことさらすんや……」
その光景を見ていたウルフがポツリと呟いた。
「え? ウルフさん、この白いの何か知ってるのぉ?」
ラブ公は悪意なく聞いてみた。
それが地獄の門だとは、ラブ公も思わなかったからだ。
「何てお前……よぅそないなもんかけられて平気な顔しておられんなぁ……それはな、─────や」
真っ黒な表情だったシャルロットが目を見開き顔を上げた。その顔にはびっしりと汗が浮かんできていた。信じられないことを聞いたという表情である。
「え? 何? 今何て言ったのぉ? もっと近くに来て喋ってよぉ」
「い、嫌やわっっ!! そないなもん、近寄りとうもないわ!! だから─────や! ─────! そいつ、お前らに─────しとんでっ! そのサイコガードっちゅうんか? それを卵や思うとるんとちゃうか!? ほんまキモイで!! ぶるるる」
シャルロットが涙を流しながら膝をついた。さすがに黒い表情のチョンカも突然のシャルロットの豹変ぶりに一緒になって屈み、シャルロットを心配した。
「シャル! シャル!! ど、どうしたん? 急にっ」
「チョ……チョンカぁ……あたしたち穢されちゃった……うううぅ」
「え? え? 何? どゆこと?? うち全然分からんのじゃけど?」
「チョンカ……あなたまさかっ! し、知らないの??」
「何が?」
なんと幸せな子なんだろうと、シャルロットは思った。
知らないことが、穢れのないことがこれほどまでに幸せなことなのかと、シャルロットは思った。とめどなく溢れるシャルロットの涙を優しく拭ってくれるチョンカは、今自分達が穢れたことを全く理解できていないのだ。
しかし、知らないままではいられない。
いつかは知るときが来るのだ。
悲しみを知って誰もが大人になる。悲しいとは言えない大人に──
「チョンカ、あなた、子供がどうやってできるか知ってる?」
「な、急にどうしたん? うちもそのくらい知っとるよ! あれじゃろ? ちゅーしたらできるんじゃろ? そ、そういえば……うちとシャルの子供もできるかもしれんね。にへへ……」
頬を染めるチョンカの耳に、シャルロットは自身の唇を当てた。
「もう一発いくでぇーーーーーーー!! お祭りじゃぁ!! ギャーーーーーーーーーーーッハッハッハ!!」
シャルロットの説明は詳しかった。それはそれはもう経験したかのように事細かにリアリティのある説明であった。どこでそのような知識をシャルロットが得たのかは不明であるが、説明が細かすぎて時間をかなり要した。
その間、上で磯っぺが白い煙をかけまくっていたのだが、それを知りつつもシャルロットはチョンカに一生懸命説明をした。
青から赤へ、そして赤から再び青へ、説明を受けるチョンカの顔色がめまぐるしく変わった。チョンカは一足飛びに大人の階段を駆け上がっていた。
そして地獄の門の開く時が、とうとうやって来たのだ──