6
「あ……ああ……」
「………………」
チョンカもシャルロットも、目の前で起こっている光景から目を逸らすことが出来ずにいた。
頭では分かっているのだ。見たくない、見てはいけない、そう脳が警告を発しているにも関わらず、ただひたすらダディを見ていた。
しかし助けることなど出来ない。いや、それどころか近寄ることすら難しい。見ることさえ脳が拒否反応を起こしているのだ、当然出来るはずがない。
二人はいつからか、互いの手を握り合っていた。
二人とも震えている。
心なしか、肩を寄せ合い距離を詰めていた。
チョンカは信じたくなかったのだ。
爆発するとは思っていなかった。
ダディは火の輪くぐりですら乗り切ってみせた。
もしかして我慢しているのはただのパフォーマンスで本当は我慢などしていないのではないかとさえ思っていた。
しかし目の前のダディはどう見ても脱糞、失禁している。それも大量に……
聞きたくはなかったが気持ちのよさそうな嬌声をあげながら……
「気を……失っているのかしら……」
「え……?」
突然シャルロットが喋りだした。
もしかしたら、シャルロットのほうが、チョンカよりも精神的ダメージは少なかったのかもしれない。
「気を失ってしまえば、誰でも我慢なんかできない……と、思うわ……」
「え……ま、まぁ、そうじゃけど……」
気を失っているから漏らしてもセーフだと、そう言いたいのかとチョンカは尋ねたかった。
尋ねようとしてシャルロットの顔を見て気付いた。
違った。そうではない、そう思わなければシャルロットは卒倒してしまいそうなのだ。
真っ赤な顔をして、目がグルグルしていた。
ポンと、チョンカの肩に背後から手が置かれた。
西京である。
「二人とも、大丈夫かい? 凄まじい現場を見てしまったね。どれ、武士の情けだ。それ」
ダディの尻の膨らみがなくなり、そして突然現れた大量の水が緩く渦を巻きながらダディの体を包んだ。
「まぁ、シャルロット君の言うとおりンダディ君の意思ではないからね、せめて綺麗にしてあげよう」
チョンカは西京の操る水の渦に身を任せるダディをぼんやりと見ていた。
そして、大切な何かを忘れていることに気が付いた。
その忘れている何かが思い出せないのだが、腕を組んで考えてみる。
「チョ、チョンカ!!!」
隣のシャルロットが突然大声を上げた。
シャルロットはいつの間にかチョンカとは反対方向を見ている。
反対方向、つまり──
「ラブ公!?」
忘れていたのはラブ公のことであると、チョンカはようやく思い出した。
橋の中央、ラブ公が用を足していたであろうその場所には大きな穴が開いており、ラブ公の姿はなかった。
穴の横で、秋刀魚のような魚がピチピチと跳ねているだけであった。
穴はラブ公なら落ちることが出来るほどの大きさがあり、ラブ公がいないことからして──
「ラ、ラブ公……まさか、おち、おち、落ちよったんじゃ!!」
「騎士君……どうしてトイレのたびに落ちるの……この魚……ま、まさかね……」
「シャル!! のんびりしとる場合やないよ!!」
「あ、そ、そうね! 助けにいかなきゃ……って……かなり高いわね……」
「先生!!」
チョンカはラブ公が落ちたであろう穴から下に見える海を覗き込み、西京の名を叫んだ。
「ふむ、ロープは古代の切れない特殊なものでも、木の板はそうじゃなかったようだね。私はンダディ君が目を覚ましたら一緒に追いかけるとしよう。チョンカ君、下を見れば分かるだろうがこのあたりの海流は荒いよ。海に入るなら必ずサイコガードを使いなさい。いいね? 決して解いてはいけないよ? そのまま沖まで流されてしまう恐れがあるからね」
「はい!! 行くよ、シャル!!」
「え、ええ」
シャルロットは今の西京の言葉を聞いて、嫌な考えが頭を過ぎっていた。
サイコガードの使えないラブ公は沖に流されてしまっているのではないのだろうか。そう考えながらもチョンカに腕を引っ張られ、サイコキネシスで橋から飛び降りたのであった。
「…………………………………………さて、ンダディ君には感謝だね。おーい、ンダディ君」
「ニ……ニン……♡」
「ふむ、体に異常は見当たらないが久々の排便によるダメージが大きいようだね。自分の意思で出したかっただろうが、まぁまた我慢すればいいだけのことさ。おーい、ンダディ君」
「ニンニン♡ ニッヒ♡ ンニィ♡ ンッンッンッ♡♡」
「……きりがないね。それ、サイコスパーク」
西京はダディの股間の辺りに、電気を帯びた小さな光球を投げ込んだ。電気の力で目を覚まさせようとしたのだ。
「ンニーーーーーーーーンッ♡♡♡ ンニニニニイニンイ♡♡」
ダディの体が大きく、そして激しく何度も痙攣をした。
「力が強すぎたかな? おーい、大丈夫かい?」
「ニン……ニ……お、ぉお、に、西京殿♡」
「ンダディ君、目が覚めたかい? そろそろ「♡」をやめて貰えるとありがたいのだが?」
「ワ、ワシは一体……」
全身ずぶ濡れになりながら橋の中央で横たわり、体の自由が利かない。記憶が少し飛んでいるようだ。
「君は綱渡りの最中に転落し、その衝撃で脱糞、失禁をしたのさ。ずぶ濡れなのは私が君を洗ったからで、体の自由が利かないのは目を覚ましてもらうために少し電気の力を借りたからさ」
「そ、そうであったか……確かに膀胱と直腸の猛々しい怒りが鎮まっておるな……くっ、不覚」
「さてそろそろ沖に流れきっている頃だろうから、チョンカ君達の様子を見に行こうか」
「お、沖……?」
「こっちの話さ。さて、ンダディ君。サイコキネシスをかけて海に潜るよ」
自分の意思で出せず悔しい思いを噛み締めるンダディの気持ちを配慮することなく、西京はンダディの体と自分の体を宙に浮かべた。
「ラブ公――――――!!」
「チョンカ、ここは水中よ? 聞こえないわよ!」
チョンカとシャルロットは互いに力を合わせて一つのサイコガードを張り、球状のガードの中でサイコキネシスを使いながらラブ公を探していた。
「で、でも!! シャル!!」
「分かってるわ! でも闇雲に探しても……そうだ、チョンカ! サイコキネシスを使わずに海流に任せてみましょう? そうしたら騎士君と同じ場所に辿り着けるんじゃないかしら?」
「う、うん? よう分からんけどそうなん? サイコガードを解いたらええの?」
「ば、馬鹿!! 解くのはサイコキネシスよ!! サイコガードは解いちゃだめってマスターも言っていたでしょ?」
「わ、分かった!!」
シャルロットに言われるままに、チョンカはサイコキネシスを解いた。それに合わせてシャルロットもサイコキネシスを解く。
その瞬間、二人を包む球状のサイコガードは大きく揺れ海の底へ向かって流され始めた。それもかなりの勢いであった。
「こ、これは!! あ、危ない!! サイコキネシスを使ってるときから変な感じはしてたけど、まさかこんなに海流があったなんて!!」
「わ、わあああ!! シャル! これ大丈夫なん!?」
「くっ、多分あたしとチョンカのサイコガードなら滅多なことがない限り大丈夫……なはず……」
チョンカとシャルロットはそのまま海流に身を任せ、海面へ侵入した地点から少し陸側へ押されながら海の底へ流されていった────
「チョンカちゃん……うう、こ、ここは? あれ?」
ラブ公が目を覚ました場所は、ラブ公の知らない場所であった。
薄暗い、鉄製の小さな部屋。
知らない場所ながらも少し見覚えがあるのは目の前の鉄格子のせいであろうか。
これを見ているとワカメシティでの記憶が蘇る。
「僕……そ、そうだ! 橋から落ちたんだ!! もう、チョンカちゃんったら、ずっと見ててくれるって言ったのに!!」
そう言いながらプリプリと怒って見せるが誰の返事もない。唯一、自身のお腹がねじれる様な音を立てて返事をした。
「う、いたた……まだちょっと痛いやぁ……なんでお尻からお魚が出てきたんだろう……僕お魚なんて食べたかなぁ……あれ?」
そこでようやくラブ公は気付いた。
自身を取り巻く緑色の球状の光の壁。温かいその色はラブ公が良く知っている色だった。
「ミ、ミーティアちゃん……?? ミーティアちゃんのアニマガードだ!!」
ラブ公の額に張り付いている、ミーティアのアニマの結晶が淡く点滅した。そしてアニマガードはゆっくりと消えていった。
「ぼ、僕、海に落ちて気を失っちゃって……そっかぁ、ミーティアちゃんが守ってくれたんだね……えへへ、ミーティアちゃん……早く元に戻してあげるから待っててね!」
ラブ公は額のアニマの結晶を優しく撫でて、改めて周囲を見渡してみる。
鉄格子に阻まれ、よくは見えないが通路の先に明かりが見えた。
「ね、ねぇ!! 誰かいますかぁー!? おーい!」
明かりのある方の通路の先、その壁に影が映り近寄ってくる。
その影は明らかに人間のものではなかった。
床を濡らしながら這いよるように、うねりながら近づいてくる。
うねる茶色の触手を伸ばし、床に固定し体を引きずる音を立てながら──
「わ、わあああ!! た、タコ!!」
「やかましいな自分。なんや、目ぇ覚めたんかい?」
ラブ公の言うように、鉄格子の向こうに立っていたのはタコであった。三本の触手で槍を構えている。
「わぁ! すごい!! 僕タコさんに会ったの初めてだよぅ! か、か、かっこいい!!!」
「な、なんやねん、ワレ。照れるやないけぇ……お? 緑のケッタイな壁も消えとるようやな!! なんや、自分エスパーなんかいな? 今どえらい騒ぎになっとんで?」
「ぼ、僕エスパーじゃないよ? 緑の壁はミーティアちゃんが僕を守ってくれたんだよぅ!」
「ミー……ティアちゃん? よう分からんけど、自分エスパーちゃうんかいなぁ! なんやほんなら、はよ報告せなあかんな!」
「ま、待って! ここはどこなの? 僕どうして閉じ込められてるの??」
報告をしに立ち去ろうとするタコを、ラブ公は焦りながら引きとめた。
自分が置かれている現状の把握をしたいのだ。
「なんや自分ここがどこかも分からんと来たんかいな!? エスパーが攻め込んできたゆうて、ほんま皆びびりまくっとんねんで? あー、まぁ、自分はなんや何も知らん子供みたいやしまぁええか、ここはな、第六おさかなちゃんパラダイスゆうとこや」
「おさかなちゃんパラダイス??」
「せやで。この海にはここと同じように古代の設備があってなぁ、北から順番に数字が与えられとるんやわ。ここは六番目のおさかなちゃんパラダイスや。……あ、地上のもんには内緒やで?」
「ふーん……うん、僕誰にも言わないよ! そっかーじゃあここはやっぱり海の中なんだね?」
「せやな。ワイは海水がのうてもちょっとは呼吸できるさかい、こうやって自分の見張りに立っとるわけやな」
「ねぇねぇ」
「なんやねんな、あんまり質問すなや!! 自分が危険かどうか分からんからここにぶち込んどるんやで!? ワイこないな性格やさけ、聞かれたらなんでも答えてしまうんや」
「僕ね、タコさんって足が八本って聞いたんだけど……八本以上あるのはどうしてなのぉ?」
ラブ公はワクワクした表情を隠しもせず、鉄格子に手をかけ質問をしてみた。
ラブ公にとっては良く分からない機密事項や古代の施設のことよりもよほど大切なことであるのだ。
聞かれたタコも意外すぎる質問に、少し呆然としていた。
「よ……よぅ聞いてくれたのぅワレ!!! かーーーーー!! 自分ほんま見所あんな!! これ気ぃ付いたん自分が初めてちゃうか?? ワイの足な、何本あると思う?」
「えっとえっと……いち、にぃ……十三本?」
「なーーーーーはっはっはっは!! ちゃうちゃう! ちゃうで坊主!! ワイの足はなぁ、なんと!! 二十八本や!! でや? すごいやろ?」
「えーーーーーーー!! す、す、す、すっごいよぉ! タコさん!!」
ラブ公に褒めちぎられ、タコは地面に持っていた槍を刺し、槍の柄を足一本で支えながら空中で二十七本の足が見えるように円形に開いてみせる。
「うわぁぁ!! すっっっごいよ!! すごいよ!! タコさんかっこいい!!」
「フッ……ワイはタコさんやない。ワイのことはウルフって呼んだってくれんか……」
「え? タコなのに?」
「せや……この二十八本の足で海を駆け抜ける狼……おさかなちゃんパラダイスのタコウルフとはワイのことや!!」
「さかなのタコで狼なの? ウルフさんって呼べばいい?」
ラブ公にそう言われタコの目が輝いた。
「え、ええで。もっと呼んでくれ……」
「ウルフさん!」
「おぅふ、ええ……ええで……たまらん……もっとや坊主! もっと呼んでくれ!!」
「ウル──」
「こらぁ!!! 壷輔ぇ!! ワレなにさぼっとんじゃボケが!! はよこっち戻ってこんかいやっっ!!」
通路の先のほうで、大きな怒鳴り声が響いた。
それを聞いたウルフとラブ公は驚きのあまり地面から少し浮いてしまう。
「あ、あ~い! ただいま戻りまっさかい! すんまへぇ~ん」
猫なで声を出してヘコヘコしているウルフを、ラブ公はジッと見ていた。
「つ、壷輔……さん?」
「……はぁ……せや……ウルフはワイの通称や。……かっこ悪いところ見せてもうたな……かぁー、しもたなぁ」
四本の足で目を覆う壷輔を見て、ラブ公はクスリと笑った。
「えへへ、僕ウルフさんって呼ぶよ。かっこいいもん! 僕はラブ公だよ!」
「お……おま……」
ウルフの目に涙が浮かんだ。
「ラブ公か! お前、ええやっちゃなぁ!! よっしゃ!! ワイがここから出られるように上に掛け合ってきたるわ!! 待っとれよぉ!!」
そのとき、ウルフが来た通路のほうから、大きな蟹がラブ公の体以上もある鋏を鳴らしながらカサカサと足早にやって来た。
「お前ほんまええ加減にせぇやコラ!? 戻ってこいゆうんが聞こえんのか!? タコ助が!! ワレ死にたいんけコラァ!? ええわほんなら今日は十本くらい足切ったるさかいな!! 間違うて頭切って死んでもうてもワシ知らんからな!!!」
「ぎゃあああああ!! か、か、蟹さん!!」
「うわあああ!! しゅ、主任!! す、すんません!! 今すぐ戻りまっさかい!! 堪忍してください!!」
「やかましいわ!! あかん!! 殺す!!」
ラブ公は鉄格子から離れ、ウルフには悪いと思いながらも小部屋の奥に避難をした。
ウルフの悲鳴と共に、鋏のジャキジャキという音が鳴り響いていた。