受験生
なし
私が留学した時
おとうとは
中学生だった
ましてや
受験生。
中3だった。
おとうとの
卒業式の日は
わたしは
外国にいた。
式には
出れず
べらんべえの
父も出るはずがなく
母が一人で
式に参列した。
中3の夏
おとうととは
あまり会えなかった
夏山に登っていた
しかも
北アルプスとかの
メジャーに
しておけば
よいものを
なにを
狂ったか
北海道の山々を
縦走
容姿は
汚く
まるで
ケモノのよう
フェリーで
やっと帰ってきた
そして
3日もしないうちに
成田から出国
おとうとに
なんのアドバイスも
してやれなかった
外国で
言葉になやみ
苦しんだ
その時
家族にいろいろな
想いを伝えようと
おもった
手紙。
はがきを
母やおとうとに書いた。
とくに
おとうとに
はがきをたくさん書いたと
記憶していた
4月に
おとうとからの
会社を辞めた
はがきがきてから
電話が
かかってきた
めずらしく
母からだった
会社をやめて
一時
実家に籍をうつしたこと
さまざまな
手続きをしに
かえったこと
そして
古い箪笥がある部屋の
たたみをはずして
フローリングにし
リフォームして
旅立っていたとのこと
正月に
祖母の箪笥を
どうにかしないと
家族で相談していたところ
だった
血は争えない
私が
好き勝手して
自己中心的に
出て行った
あの時と
同じだと思った
そして
母から小包が
届いた
中を開けると
私が
おとうとに送った
外国からの
絵葉書がでてきた
何十年かぶりの
対面となった
なし




