異動はがき
なし
4月の中旬
年度当初の
時期を
見計らうかのように
はがきが届く
「やっぱり
こういうことか」
嫌な予感はしていたが
おとうとからのはがき。
紋切り型の
異動はがき
やめました
の一文が
印刷された字の
わきにある
ずっと
「やめたい」
「やめたい」と
こぼしていた
おとうと
あんなに大きな会社にいて
何が不満なのかと
思った
兄より
いいところに行った
とのひねくれもあったか
長らく
関西支社にいて
忙しくて
年に一度
正月に
舞浜で酒を飲んだ
その1回の集まりも
忙しすぎて
東京駅で
飲んだこともあった
昨年
やっと
本社にもどれると
うれしい話を
居酒屋で聞いた
ところが
秋ごろから
「会社の先行きに
不安を感じる」と
めずらしく
メールが
きていた
心配もあったが
優しすぎるおとうとのこと
職場の人間関係での
悩みかと思っていた
本社は
人の足を引っ張ってなんぼという
やから
おとうとには
なじめないところも
あるのではないかと
心配していた
しかし
その考えも
寄らば大樹。
くさってもタイと
思ってごまかしていた
12月中旬
自社最高の
株価
大丈夫じゃないか
そう思った
矢先の報道
会社の紙袋は
持ち歩けなくて
家から別な袋を
持ってきている
との話を
くだんの居酒屋で聞く
何もかける言葉もなく
私自身の
会社の業績の不振
その自虐ねたで
ごまかす
メールもこなくなるが
報道は
年明け
ますます悪くなっていく
前もあったが
弱いものを
たたくアメリカのやり方
アメリカの
損害賠償は本当に
すごい
2度目の今回は
悪意すら感じる
「いい会社
なんだが・・」
と言って
転職していく先輩
「毎週末は送別会
だったんだとよ」
「転職するかどうかで
悩んだんだとよ」と
母が
教えてくれた
はなはだ
苦しかったのだろう
沈みかかった船から
にげだす
ねずみのよう
元来
そういうところは
よわかったおとうと
自分も
逃げたかったけど
できなかったのだろう
理系はつぶしがきくが
文系はだめ
そして
大学の頃から
毎週末
キャンプ生活を
していた
おとうと
伊豆の
自給自足の
コミュニティに
入会するとの
はがきの文面
「自給自足で生きていきたい」
そう言っていた
バカにしていたし
ことあるごとに
言っていて
まさか
会社を辞めてまでと
冗談と思っていた
格下の会社には
行きたくなかったのだろう
一流の会社
東証に上場の会社
昔からの誰でも知っている会社
父はとくに
落ち込んでいるそうだ
むかしから
そうだが
母には相談していた弟
「自分の好きなように
したらええ」
そう常々
おとうとに
母は言っていたらしい
追い込まれていたのを
知って
心配に思い
伝えていたのだろう
近所の公園
遅咲きの桜が
満開
わたしには
なんだか
とくに桜が散り急いでるように
思えた
なし




