『初仕事』
すみませんすごく遅くなりました
そこに存在していたのは魔剣と大鎌が火花を散らし、昼間のグラウンドを戦場へと変えた現場だった。
俺の鮮血を求めるがの如くその牙のような刃を剥くダーインスレイブとその主。
「血を…血をよこせ…」
一筋冷や汗が流れる。こいつの覇気は練り上げられた殺意のようなもので心臓に重く響く錯覚を覚える。
どす黒いオーラを纏いながらフラフラと倒れ込むように斬撃を見舞うその男はある種の人形のようにさえ思えた。
感情が消え去っている。破壊衝動だけで行動しているようにその斬撃に技術と言うものは見受けられない。
(だけど…重い…。)
一つ一つの斬撃はアリスと比べれば遅く感じさえする。避けようと思えば避けられないこともない。
だがそれでは永遠に止めを刺すどころか傷一つつけられない。
それに加えてその一太刀一太刀が凄まじい威力を伴っている。例えるなら解体用の大きな鉄球。あの圧力を一点に集中しているかのような重さだ。
受け流すことなら出来なくはないがそれでは常に防御側に立ち回らなければならなくなる。
さて…どうしたものか。一発当たればゲームオーバー。こちらが隙を突いて攻めても回避されて相手の間合いに入られて切り裂かれるのがオチだ。
何この超難易度。どうしようもないような気がしてきたが相手はそれ以上思考を許してくれなかった。
ゆらゆらと揺れる陽炎のように袈裟斬りを放たれ、鎌の湾曲した部分を滑らせるように受け流すと、男は返す刃で逆袈裟気味に振り上げる。
(しまっ…!?)
遅かった。間一髪で避けたかのように思えたのだが認識が甘かったらしい。
小指…否、小指があった場所に今まで感じた事の無い激痛が生まれる。
俺の血が地面に滴り落ち、あっという間に血で作られた水たまりが作り上げられる。
「きゃああああああああああッ!?」
俺の小指が吹き飛ばされて黒那のもとに転がっていくと堪えていた悲鳴が堰を切ったように溢れ出す。
「…小娘風情が。貴様から殺してやる。」
その悲鳴に反応したのか、男がゆらりと俺に背を向けて黒那に先ほどより赤く空気を澱ませる魔剣を手に、堂々と近づいていく。
逃げようとしている黒那だが腰が抜けたようにがくがくと体を震わせていてとても逃げ切れるようには思えない。
ゆっくりと大ぶりな動きで頭上に剣を擡げる男。無慈悲にそれが振り下ろされれば即死は免れないだろう。
指は今も焼けるような痛みを放ち、今まで感じた事の無い凄まじい痛みに意識を飛ばしそうだ。
だがそれでも、黒那を斬らせるわけにはいかない…。
「テメェの相手はこの俺だ!関係ねえヤツに目移してんじゃねえぞ!」
叫ぶと同時に鎌をがら空きの胴に横薙ぎする。男も反応したが思考と言うものを放棄した男には数瞬俺の方が勝っていた。
肉を切り裂く感覚と骨を数本断つが、それ以上は俺に向かって振るわれた剣によって中断せざるを得なかった。
鎌からは赤い鮮血が滴り、今俺は本気で命を賭けて戦っているという事を再確認させられる。
「ぐ…ぁ。貴様…。」
苦しそうに口から血反吐を吐きながら俺を睨みつける。
そりゃそうだろう。骨を折られたうえに肉まで大きなダメージを入れられたのだから。
だがその口元の血を手の甲で拭いながら息を整えることもなく言う。
「…『状態変化、双銃形態。」
赤黒い闇が剣を覆ったと思った瞬間、先ほどあった剣は無く、代わりに漆黒の光沢を放つ双銃が彼の手には握られていた。
(そんなのありか!?圧倒的不利じゃねえかよ・・・。)
瞬時にバックステップで距離をとりつつ鎌を先方に構える。
握られた銃からオレンジ色の閃光が迸ると同時に前方へと構えていた鎌へと衝撃が訪れる。
今、構えていなかったら俺の脳天は先ほどの銃弾で撃ち抜かれていたに違いない。
ここは完全に敵の殺傷域、俺の刃は届かない。絶体絶命じゃねえかよ。
「駆っ!!」
アリスが堪えられないといったように叫ぶとその声に男は一瞬で反応し、振り向きざまに左手に握られていた銃のトリガーを引き絞る。
その弾丸はアリスの服を容易く貫き、左腕を掠める。
弾けるように血が飛び散るのを見た瞬間、俺の中で何かが明確に音を立てて千切れた。
(アリスに手を出した…?殺さなきゃ…違う、殺ス…。)
何をすべきか今の俺には明確に分かった。アリスに手を出した者は絶対に逃がさない。
心に浮き上がる感情は今までに感じたものではない。憎悪とは少し違う、心を蝕むような感情。
――これが『殺意』か。
随分粘ったが、この状況を覆すのは容易ではないだろう。
目の前の黒髪の青年を見据えてそう判断する。思考と言うものはとっくに失われ、本能だけで動いている状態である。
右手の銃で牽制し、その隙を突いて左手の銃で仕留める。
そんな単純な作戦ではあったが、銃に耐性のなさそうな青年のことだ。引っかかるに違いない。
右手にある銃を再度握りしめ、足元辺りに狙いを付けて弾丸を放とうとした瞬間、目の前の青年の気迫が爆発するように膨れ上がる。
今まではそこそこ戦える死神だという印象だったが。今はそんな次元を超えている。
青年の焔のように紅いその瞳は今では碧い満月のように神秘的な燐光を帯びて碧く変色していて、只事ではないと一目でわかる。
本能的に距離をとって逃れようとするが、ビリビリと肌を焦がすようなその覇気は先ほどの青年とは別人ではないかと疑ってしまうほどに大きく膨れ上がり続けている。
「…『付呪、氷牙』。」
低く掠れるように、だがしっかりと言葉を紡ぐ青年。今まで生きてきた中で他と比較にならないほどの殺意をその身に纏い、今にも視線の先を喰らおうとするその姿は氷牙を携えし幻獣と呼んでも差し支えないほどのものだった。
次に感じたのは九月の日本では考えられない温度の低下。
斬られた痛みによって額に浮かんでいた汗は瞬時に凍り付き、荒い呼吸によって吐き出される空気は白く変わっている。
脇腹の傷さえも血がピキピキと音を立てて凍り付いていく。体温の低下を招く恐れがあるのでどうにかしなければならない…。
本能的にこの状況はまずいと判断する。早急に相手を止めなければ命の危険が迫っていると誰に言われなくとも分かる。
慌てて引き金を引こうとするが、引き金は凍り付いてしまったのかどれだけ引き絞っても小さく氷の割れる音がするだけでびくりともしない。
「・・・・・・」
碧き光を瞳から放ちながら肩を回転させるように右側から左下に向かってその手にした大鎌を振りぬくと極薄の氷の刃と思しきものが形成され、
一直線に己の方へと向かっていることが辛うじて認識できる。弾丸に負けずとも劣らない速度で放たれた氷の刃はどんな刃よりも鋭利な輝きを放っているように思えた。
刹那、視界が目まぐるしく変わる。空と地面がぐるぐると回転していく。
最後に見た景色は立った状態の下半身、上半身は無論無かった。
その時やっと自らが上半身と下半身の間で分断されたということに気が付き、そこで意識は途切れた。
「うぅ…いてて。ここは?」
鈍い痛みを放つ頭を押さえながら見慣れない天井、ベッドで目を覚ました。
頭には包帯が巻かれており、ただならぬ状態ではないと認識できる。
服装は病院のものに着替えさせられており、肌には電極のパッチのようなものがモニターに向かって伸びている。
開かれたカーテンからは満月が顔を覗かせている。そう、すでに日本は夜の帳を降ろしていた。
ふと鼻孔をくすぐるのは懐かしさを覚えるような安心する香り。
その香りに導かれるようにして左を向けば、両目に溢れんばかりの涙を浮かべたアリスの姿があった。
「え、えっと…アリス?」
俺が戸惑いを含んだ声音でそう言うと堰を切ったかのようにその涙を溢れださせながら俺に抱きついてくるアリス。
「よ、かった…。ほんとに…駆が目を覚ましてくれて…!」
詳しいことはよくわからないが非常に心配をかけたらしい。
俺は昼からここに運ばれてきてずっと意識を失っていたということになる。
「ちょっと仲良しな所失礼するよ。少ししたらまた去るからその後で続きはしてくれ。」
何処から現れたのか、ふと目の前には京谷が立っていた。ワイシャツのネクタイは緩め、少し気の抜けた服装。
その状態でポケットに左手を突っ込み、話を始める。
「君は今日、昼間に魔剣と対峙した。そうだね?」
「ダーイン…スレイブ…?」
俺の呟きに反応し、コクリと一つ頷きを返してくるとそのまま話を続ける。
「あの魔剣は我々が到着した際に回収した。君の戦利品として報告は通っている。
要するに君の所有物扱いとなっている。消し去るもよし、利用するもよし。好きにしてくれ。」
それだけ手短に伝えるとあっさりと病室を後にした。
その間にも俺に顔を埋めて泣きじゃくるアリスを優しく撫で続けていた。
泣き腫らしたその双眸を擦り、箏の顛末を話してくれた。
アリスが言うには俺は相手を殺し、それと時を同じくして崩れるように武器を格納しながら意識を失ったのだという。
無論あの場にいた人間には他言無用と指示を出してはいるだろうが…。
(恐らく知れ渡っているだろうな。俺が武器を用いて戦ったことは。)
まぁ今更そんなことを危惧しても後の祭りと言うやつだ。
顛末を話し終えると崩れるように眠ってしまった。俺のせいで精神的に疲れさせてしまったのだろう。
「…お疲れ様。」
気障な行動だと分かっていたのだがなんだかやってみたくなった。
閉じられた瞼の上に俺はそっと口付けをした。
(って何をしてるんだ俺は。)
今更ながら自分の行動に恥じらいを覚え、気を紛らわすように病室のベランダへと足を踏み出す。
夜風に当たって頭を冷やすのも悪くないと思う。
先ほど時計を確認したところ深夜二時過ぎ辺りだった。俗に言う丑三つ時ってやつだ。
しかしもう俺は高校生。闇夜に恐怖を覚えることはない。
『~~~♪』
「――!?」
ふと背後の屋根の上から奏でられる笛の音に反応して振り返る。
怪しげな旋律だが切なさを伴い、奇妙な感覚を本能的に感じ取る。
『驚かせてしまったかい?』
俺が振り返った先には深く外套を被り、横笛を片手に屋根に足を組んで腰掛ける人間の姿があった。
その声やシルエットは中性的で男性か女性か判断しかねる。
唯一判断ができそうな顔は狐の面によって隠されており、その表情は窺い知れない。
『そんなに身構えないでおくれよ。・・・僕は君と戦う意思は無い。寧ろその逆だ。僕は君に助けを求めている。』
軽々と立ち上がり、屋根から器用にベランダの手すりに着地する。
俺が今いる場所は普通の病院ではなく、死神のビルの中層あたりに存在している戦闘員の為の医療施設だ。
その為地面からの高さはマンションの十階程度はある。落ちれば一たまりもないのは容易に想像できる。
「君は何者だ・・・。」
掠れるような低い声で警戒を解かずに問いかける。
俺の声音にひるむことなく肩をすくめてあっけらかんとした様子で答える。
『助けを求めている人間だといっただろう?ここはひとつ、取引と行こうじゃないか。』
「取引…?」
おうむ返しに疑問を返すとあははと乾いた、だがそれでいて心底楽しそうな笑い声を一つ洩らすと
『そう、取引。僕は君に〝アーティファクト〟を譲ろう。それの代償として君は僕を護ってくれ。…っと、もうこんな時間か。
・・・君のお姫様がお目覚めだ。僕は一旦立ち去るとするか。そのうちまた君の前に現れるから今回の話について考えておいてくれ。』
「お、おい・・・!?」
俺の静止の声も聞かず背後からふわりと音もなく落下していく。
慌てて手すりを覗き込むと闇夜にかき消えるかのようにその姿はすでに消えていた。
「どしたの駆?なんかあった?」
ふと気が付けば背後には寝惚け眼をこするアリスがいた。俺がいなくなったことに気が付いて起きてきたのだろう。
「あぁ、悪い。ちょっと夜風に当たりたくなってな。今から戻る。」
ベランダのドアを閉め、カーテンも閉める。
暗い室内には俺とアリスの呼吸音だけが響いていた。
(アーティファクト…。なんだか気になる名前だな。)
だがこれ以上の思考は俺の脳は許してくれないらしい。昨日の昼間にあった戦闘で疲労が出ているのかもしれない。
考えるのは起きてからでいい。
アーティファクトとやらもそのうち聞いておかなければならないし。今は体を休ませることにしよう。
おもむろにベッドに潜り込み、そっと意識を手放していった。