『死神と家族』
遅くなりましたすみません
「あらあら、もう駆も彼女ができる年頃になったのね。お母さんうれしいわ。こんな可愛い彼女連れて来て!」
違うんだ。違うんだ母さん。微笑みながら俺達を見る母さん。視線が痛いです。
否定する気力も湧き上がってこないのでアリスにべったりとくっついたままアリスの髪に顔を埋める。
もう何も聞きたくない。俺は何も知らない。
「お兄ちゃん私にもそんなにべったりしないのに…。なにさ?その彼女さんがそんなに好きなのか!」
その光景をみた妹の優奈がそんなことを言うがもう俺はてこでも動かんぞ。
アリスの髪から漂う甘い香りに身を任せていれば生きて帰れると信じている。
もう家だけど。もう帰ってきてるけど。家が罠だらけ。
「駆、この娘の名前は?」
「…アリス。うちのクラスの転校生。」
生気を失った声で応答する。先ほどより強く抱きしめることで精神を保つ。
何をやってるかわかんなくなってきた。うひぁ。
「どうも、アリス=アルフォードって言います。駆とカフェに行ったりしてたら夜ご飯買い忘れたんです。
駆がなんか作ってくれるって言ってくれたのでお言葉に甘えたんですが・・・。もしかして私、帰った方がいいでしょうか?」
心配そうに尋ねるアリスに朗らかな表情を母さんは宿して
「いえいえ、こんな可愛い彼女さんを追い返すなんてできませんしするつもりもないわ。
今日は珍しく仕事が速く終わったから家族でお寿司でもとろうって思ってね。少しくらい人が増えたって変わりはしないと思うわ。むしろ大歓迎。」
「よかったぁ。ありがとうございます。・・・そして駆はどのくらいしたら満足するの?私、ちょっと恥ずかしい。」
戸惑った声音に反応して少し顔を上げてみると耳がほんのり赤くなっているように思える。かわいいな。
今ちょっと深い絶望に叩き落とされたので羞恥心とかすでにもう死にました。
そんなもの俺は知らん。海に投げ捨ててきた。
「しばらくこのままでいてくれ。精神が持ちそうにない。」
「そ、そう・・・?」
「あらら、ごめんなさいねアリスさん。うちの息子がこんなに甘えるなんて珍しいのよ。許してやってちょうだい。
それくらいあなたのことが好きなのよ。」
何故か母さんがアリスに謝ってる。誰が甘えてるだ。うるせぇやい。
「違うし!」
「…私のこと嫌い?」
「やっぱ違くない。」
再び顔を埋める。こいつはすごい落ち着く。体柔らかくて抱きこごち良いし。
「アリスさんには敵わないみたいね・・・。私よりも貴方の言うことの方が聞くんじゃないかしら。」
ニコニコしながらそう話す母さんとアリスの会話を聞いていると絶望感は徐々に消えていった。
そうするとなんだか羞恥心が海を猛スピードで泳いで帰ってきた。北島○介さんもびっくりだぜ。
ゆっくりと顔を持ち上げてアリスから離れる。
「ん。やっと満足?それともまだ足りない?」
「若干足りない。まぁ我慢する。」
何を言っているんだ俺は。こいつの香りには麻薬みたいな効果でもあんのか。
自分で何を言っているかが分からなくなってきている。
「立ち話もなんだから二人ともいらっしゃい。」
玄関からリビングに移動すると父さんが椅子に座ってビールのふたを開けていた。
はええよ。まだ人そろってねえぞ。
「お?駆。いい女の子連れてくるじゃないか。お前も見る目があるなぁ。」
「うるせぇやい。んで?もう座っていいのか?」
「あ、彼女さんの分も皿とってやってくれ。一枚足りない。ついでに箸も。」
言われるがままに食器棚から醤油を注ぐ皿と箸を一膳とって席に着く。
うちの家のテーブルは四人家族なのに六人分椅子がある。いつもは誰もいないのだが今日は俺の隣に一人増えている。
もうテーブルには寿司が置かれており、たくさんのネタが盛り込まれている。
こいつ外国から来てるから寿司ってわかるのかな。隣のアリスを見やると同じタイミングでこちらを見たアリスと目が合って不覚にもどきっとしてしまう。
「じゃあみんな席に着いた?それじゃいただきます。」
「「「「いただきまーす」」」」
声を揃えて食事の挨拶を行う。隣のアリスを見ると…寿司を先ほどからとろうとしているようなのだが…
持ち方が滅茶苦茶でうまくつかめていない。この辺は学んでいくしかないか。外国人だしな。
「駆ぅ…とれない。」
「こうやってとるんだよ。」
うるんだ瞳でこちらを見るアリスに見えやすいように箸を持って、先ほどとろうとしていた寿司をとってやる。
「あーん。」
・・・え?
おいまてどういう状況だ?これどんなラブコメ?アリスが小さな口を開いてこちらを向いている。
これはあれか?相手に食べさせる俗に言うあーん、ってやつか?
そこの妹。目を輝かすな。キラキラしすぎだろ。
「だめ?あーん。」
かと言ってこいつ結局何も食べられませんでしたとかなったら可哀想だな。
「だめなら駆が口移しで――」
「よし口開け。」
背に腹は代えられん。これは口移しとか笑えない。冗談にしても笑えない。
震える箸でつかみ取った寿司に醤油を少し付け、渡そうとしたとき
「お前わさび大丈夫?このタイミングで言うのもあれだが。」
そう質問するとアリスはぶんぶんと首を横に振った。どこかからか新しい顔でも飛んできたのかってレベルで。
「だめ!辛いの私好きじゃない。」
「そうか。んじゃ箸でとってからな。」
握った方には少し申し訳ないが仕方がないので一度シャリとネタを分解してわさびの部分だけ取り除く。
その部分を自分の口に運んだあと、アリスの口に運ぶ。
もぐもぐと咀嚼してごくんと飲み込むアリスを見ていると非常に何か心の中が満たされるような感覚を覚える。
すげえかわいい。小動物みたい。動物園の餌やり体験のはるか上位に位置してる感じ。いいね。
「きゃー!生のあーんとか初めて見た!しかも間接キス!」
妹の優奈が喚き散らす。うるせえ。ぶっ飛ばすぞ。
優奈の発言を聞いてよく考えれば同じ箸を使っているわけで。わさびをとった後に俺が口に入れた箸をアリスがしっかり咥えたのでそれは…うん。
思わず赤面するとアリスも同様の反応を見せる。やっぱり恥ずかしいのか。
「お兄ちゃん!私にも!」
「はぁ!?」
馬鹿を言うな妹よ。そんな横暴兄ちゃん許さないぞ。
「だめ。駆は私の。駆、あーん。」
「アリス!?!?」
わけがわからないよ。白目になってるよ多分。
優奈が同じように懇願してくるとそれをかき消すようにアリスの上書き。
俺は何をしたらいいんですか。
口から魂が出ていって危うく死神関係の管理職の方に迷惑がかかりそう。まずいまずい。
その後は自分の分を食べながらアリスに食わせるという非常に恥ずかしい時間が流れていた。
もう忘れようこのことは。思い出すだけで悶え死にそう。
「よし皆!ゲームしよ!」
妹の掛け声にぞろぞろと出てきた舞薗一家+α。
優奈の手元には双六のようなものが置かれている。何かのパーティグッズだろうか?
「それなんだ?双六か?」
「ふふん♪今日はお兄ちゃんと遊ぼうと思って家族で買ってきたんだよ!アリスお姉ちゃんも一緒にやろ!」
自慢気に無い胸を張って双六を掲げる。
ふむ。確か今日早く終わったとか言ってたな。その時にその辺で買ってきたんだろう。
あとは風呂入って寝るくらいの気分だったけどせっかくアリスも来てる事だしやるか。
「すごろく?」
今度は右隣のアリスが疑念に満ちた声を上げた。むこうじゃ双六もなかったらしい。
外国にしかないものも逆に気になるな。今度聞いてみるか。
「双六ってのはダイスを振ってその分だけ駒を動かしてゴールを目指すゲームだ。
マスに何か書いてあった場合はそれに従う。例えば一マス戻る、とかな。」
「そういう感じだよ!今回は結構長いやつだし、色々お題のあるやつ買ってきたから覚悟してね!」
んじゃさっさとやってしまうか。
今はもう八時くらいだし風呂入ったら結構遅くなるし。
「あ、お母さん洗い物があるからごめんね。参加できないかな。」
「父さんも風呂掃除があるからパスかなぁ。」
まぁ仕方ない。家事をしてくれるなら無理は言えないからな。
流石に人数が少ない気がするけどまぁいいか。
ピコン!手元のスマホが小さなサウンドを発してメッセージの受信を知らせる。
『電話かけるよ』
おいマジかよ。このタイミングかよ。クラスメイトの女子からだ。なんでこのタイミングでくるんだよ。
夜中とか意識しちゃうじゃん。隣に書類上の嫁いるけど!
思い出して左手の薬指を見るとアリスと同じように指輪がはまっている。少し気恥ずかしい。
言ってから数秒も経たないうちに電話の着信画面に切り替わる。
仕方がない。今忙しいと言って手短に切るか。
応答の部分をタップして通話を繋げる。
「ねー舞薗君。明日暇?ちょっと買い物に付き合ってほしいんだけど。」
「ん?買い物?わりぃ明日用事が・・・。」
流石に組織のトップに来てって言われてるのに女子と買い物してましたとかならぶん殴られるよね普通に。
京谷絶対そういうタイプだろこわすぎ。
「どうしてもだめ、かな?なんなら明後日でも・・・。」
「お?もしかしてデートのお誘い?」
なんてな。こいつは冗談通じるタイプだからこういう事言っても多分大丈夫だろう。
俺はだろう運転で行くぜ。
ふと隣を見ればアリスがこっちをジト目で見ている。
仮にも嫁だってことか。くそ。アリスには逆らえない。大人しく切るか。
「う、うん。だめかな?」
「…だめ、駆は私、アリス=アルフォードとの用事が入ってる。」
「え?アルフォードちゃん?いるの?」
「おま、馬鹿ッ!?用事があるのはマジだがアリスが言うことじゃないだろッ!?そんじゃ切るぞ!?」
「え?ほんとにいるの!?それに『アリス』って――」
半ば強引に通話を断つ。嫌な予感しかしないな。ああ聞き取られた。まずい。
最近のコミュニケーションアプリはタイムラインだのグループ会話だのあるから今頃あいつによって吹聴されてるに違いない。
あぁ気分が重いぜ。学校どうしよ。
つかもうあれだ。スマホがピコピコうるせえ。
クラスメイトと連絡先交換なんてするんじゃなかった。めっちゃうるせえ。どうしようもねえくらいうるせえ。
『アルフォードさん家にいるってマジ?』『お前やっぱり抜け駆けしたのか!?』『ちなみに結婚はいつ頃・・・』
居るよ、してねえよ、してるよ。ささっと返信してみる。
『おいどういうことだ!?』『嘘吐き!』『!?!?』
もう返信なんてしねえ。電源切ろ。
「え?いいの?皆がメッセージ送ってきてるんでしょ?」
「いや、返信しだしたらキリがないからな。やろうぜ。」
優奈が心配そうに尋ねてくるが俺は知らん。
大体あんなタイミングで電話かけてくんなよ。
電話の相手を恨みつつ意識を携帯からそむける。
「んじゃ始めようか。誰が最初にする?」
「じゃあ駆から時計周りで始めよ。」
俺の質問にアリスが答える。
「あれ?最後だけどいいのアリスお姉ちゃん?」
「うん。問題ない。きっと私が勝つ。」
にやりと口元を歪ませて不敵に笑う右隣のアリス。
すこし挑発的な素振りなので今回は本気で行こう。
双六に本気も何もねえけど。双六で本気出しても運ゲーだし。あんま変わんねえや。
「じゃあ俺から・・・。4、か。まぁまぁだな。」
駒を四つ進めるとそのマスには何やら文字が書いてある。何かのお題だろうか。
「えと・・・?左隣の人の言うことを何でも聞く?」
俺から見て左隣って優奈か。これ初っ端から結構きついことくるくね?
これメンバーによっちゃえげつねえことになるよね。男子陣で俺も入ってやってたら心に深い傷を負ったに違いない。
いや分からん。物理的に深い傷かもしれん。
あれだろ。『一発殴らせろ』とかそんなこと言うんだろ。おー怖い。
「あれ?私かぁ。んー…。そうだな。じゃあ『アリスお姉ちゃんの好きなところを一つ言ってください』!」
「あー・・・お前最初っからそれ言う?きっつ。えっと・・・そうだな。アリスの好きな所かぁ。可愛いとか小動物みたいとか色々あるけど・・・
やっぱ一番は『俺のためを思ってくれる』ところかな。」
あれ、やべえほんとにリア充みたいじゃん俺。
俺はもしかしたらこいつのことを・・・いやいや。考えるなそんなこと。
俺の脳内での葛藤をよそに両隣を見ると右は耳まで赤くして下を向いてうつむくアリス。
左は俺達を見ながら呆れたように首を振る優奈。まるで「やれやれ」とでも言うように。
「んで。次は優奈の番だぞ。ほい。」
優奈は俺の手からサイコロを受け取りながら気の抜けた声で呟く。
「ありがと。それにしてもほんっとに仲いいね二人とも・・・。私複雑な気分だよ。なんでそんな指示出したのかわかんないあはは。」
やばい妹が壊れかかってる。どうしよ。
まぁもとから壊れてるしいいか。ガラクタだよ、うん。
「あ、私も4だ。アリスお姉ちゃん、なんか指示ちょうだい。」
「『駆に愛の告白をして』」
待ってましたと言わんばかりにアリスはなんか言ったが俺は知らん。知りたくもない。
脳が理解を拒んでいる。何を言っているんだこいつは
「お兄ちゃん!大好き!・・・これでいいかな?」
なんか泣きそう。妹がこんなに可愛く思えたの初めて。そういえばいっつもこいつ俺にべったりだったからな。
友達にも好かれてたから俺が遊びに行くときについてきてたぐらいだし。
昔から俺達よりもやんちゃで困ってたっけ。
「おーい。お兄ちゃん帰って来てー。」
「はっ!?」
その声に導かれて意識を取り戻す。どうやら昔のことを思い出して考え事をしていたらしい。
「わり・・・次アリスか?ほらよ。」
「ん。ありがと。えいっ。」
アリスの転がすダイスは俺たちと同じように4を示していた。
「駆、好きにしていいよ?」
「『好きにして』いい・・・っておいまさかこれ適用されないよな?」
なんかアリスがピクっと耳を欹ててこちらを見てるんですが。
その羨望に満ちた眼差しはほんとに辞めてください。取り消せない。
「今夜は、駆を私が好きにする!」
「お二人さん、それ立場逆じゃないかな。あとエッチなのはよくないよ!」
確かに普通男子の方からこういうんじゃないかな。いや言うつもりは少ししかないから。うん。
ちょっとあるけど。つか今夜好きにするってなんだよ今夜って。いかがわしいわ。
「じゃあ私は駆に好きに命令し放題!そういうことだよね…?」
「え、ちょ、ちが―――」
「うんそうだよ!」
おい優奈てめぇあとでぶっ飛ばす。何言ってんだこいつ。
なにがうんそうだよだよそうじゃねえよああん!?自分でダメとか言ったくせに掌返すの速すぎなんだよ!?
「じゃあ駆、私を膝の上にのっけて。」
言うが早いか俊敏な動きで胡坐をかいていた俺の上にちょこんと丸まってすわるアリス。
もういいや。何も考えたくない。
「おーい、そこの人達、お風呂だれか入ってー。」
風呂洗いを終えた父さんが向こうで俺達を呼んでいる。
もうそろそろ風呂に入るか。
「誰が入る?一番風呂欲しいならお二人さんのどっちか入って。」
アリスが俺達兄妹に聞いてくる。どうしようかな。
「駆、一緒に入る?私なら大丈夫。」
「俺が大丈夫じゃないんですけど!?」
主に精神的な意味で。何か血迷って理性を弾けさせないか心配だ。
「だめだよアリスお姉ちゃん!」
ほら、さすが俺の妹。こういう時だけはまともなんだよなぁ。
うんお兄ちゃんうれ「お兄ちゃんは私と入るんだから!!!」
・・・前言撤回、あほが増えた。
どうすんだこれ。とりあえず風呂に逃げるか。
「んじゃ俺先に入ってくる。」
「「私も」」」
「おい」
こめかみに青筋を浮かばせながら振り向きざまに言う。
「入ってくんなよ?特にアリス。」
「なんで。いや?」
そう言えば俺が許すと思うなよ。
こちとら理性との闘いなんだよ殺すぞ。いや殺さねえけど。
そっと耳打ちするようにアリスが俺に小声で伝える。
「じゃあ今夜駆の部屋で一緒に寝てくれるなら手打ちにしてもいい。」
一瞬ドキッとする。ほのかに香る甘い匂いにくらっとして言葉を誤ってしまう。
「あぁうんええよ。・・・ハッ!?」
「計画通り」
デスなんとかを取り戻した夜神なんとかさんみたいな顔をしてアリスがどやっとする。
ほんとに耐性付けないと学校でアリスのえげつない発言に無意識に同意してしまいかねん。
「…?」
きょとんとした目で優奈がこちらを見ている。
「あぁわりぃ。なんでもねえよ。んじゃはいってくる。」
その場から逃げるように部屋着と替えの下着を持って脱衣所に入る。
もう追ってくる様子はないな。
今日はゆっくりと風呂につかるとしよう。
軽く体を流し、ゆっくりと湯船に入る。暖かなお湯が体を包み込む感触に思わず笑みがこぼれる。
(やべ・・・眠くなってきた。)
睡魔に付け入られ、ゆっくりとお湯の底に沈んでいく。
身体に力が入らねえ。くそっ、やべえ。
ゴポッと一際大きな音を立てて口から空気を吐き出し、そのまま意識を闇に葬った。
(――!?)
ガタッ。大きな音を立てて椅子から立ち上がった。。ゾクリと背中にさす寒気がたちまち体中に広がっていく。
突如大きな音を立てて立ち上がった私に優奈ちゃんが疑問を投げかけてくるが・・・聞き取れない。
「どうしたの?なんかあったのアリスお姉ちゃん。」
『――たすけて』
「駆が・・・私を呼んでる。助けなきゃ。」
ふと意識の片隅にあの優しい声音ではなく、苦しんだような声が脳内に反響する。
その声は私の焦燥を撃っ乱すには十分すぎる物だった。
私が無意識にそう呟くと同時に洗い物をしていた駆のお母さんが大きな音を響かせて皿を落とす。
その皿を見て更に怖気経つ。ダメだ。これは何か良くない予兆だ。
お母さんが亡くなる前に言ってた。
皿が割れるのは良くないことが起こる注意喚起だって。
「ちょっと…!アリスさん!?」
脱衣所のカギは…開いてる。好都合だ。駆のお母さんが私を追ってやってきたが止まっていられない。
気が付けば私は脱衣所のドアを開けていた。無意識のうちにここまでやってしまうことに少々恐怖を覚えたが今重要なのはそこじゃない。
駆を。駆をッ!
「駆っ!?」
お風呂のドアを開けると顔いっぱいに湯気が当たって視界がぼやける。
だがそんなことは気にしていられない。数秒ドアを開けていると湯気はなくなる。そこに駆の姿はなかった。
――否、見えなかった。駆が使っていたであろう湯船の上には黒く、禍々しいオーラを放つ球体が浮かんでいる。
その物体はただ丸い黒い球体だったが、私の方を睨んだかのように思えた。形のない凶器。それがそこにある気がした。
球体は徐々に巨大化していく。そう、まるでこの空間を飲み込もうとしているみたいに。
「させない…ッ!」
こうなれば武器だって使ってやる。あっちは殺しにかかってる。なら私も・・・殺さなきゃ。
浴場に広がっている闇の片隅で右手に光が宿る。ナイフだ。
いつもは逆手で握っているそのナイフを順手に持ち替えて・・・切り裂く。
何の慈悲も迷いもなく。刃先すら霞む速度で振るわれたそのナイフはその闇を啜るように吸い込み始める。
「闇を喰らえ・・・邪剣『幽閃』。」
純白だった刀身が闇夜のようにその姿を黒く染める。それに反比例するように浴場を包んでいた闇は何もなかったかのように消し去られ、浴場の中に光が戻る。
「駆っ!!!」
無我夢中だった。
湯船の中に沈む、青い顔をした駆を乱暴に引き上げて揺する。
だが応答する気配はない。まずい…どうする!?とりあえず体にバスタオルを巻いておく。色々見えてはまずいかもしれない。
「嘘・・・お兄ちゃん・・・?嘘だよね…?」
崩れるようにそこに座り込む優奈ちゃん。まずい。このままじゃ彼女にも大きな精神的ダメージが。
ごくり。一瞬生唾を飲み干す。
(違う。今からやるのはそういうのじゃない。至極真っ当な、救助活動。)
もちろん初めてである。講習会で習ったことはあるが実践するのは初めてだ。
相手が駆・・・なんだか気恥ずかしい。
ええい!四の五の言ってる場合じゃない。下手をすれば駆はもう戻ってこなくなる。
意を決して人工呼吸をしようと唇を近づける。
空気の通り道を確保して唇を合わせて空気を送り込もうとした瞬間・・・うっすらと駆が目を開く。
「ゴホッ・・・。」
苦しげに喉の奥から駆が水を吐き出す。
慌てて体制を起こして水を吐きやすい体制に戻してあげる。駆の負担は極限まで減らさなければ。
思えば今までの人生で人のためを思ってここまで行動したのは初めてだ。
駆の背中をさすりながらそんなことを考える。実の両親はもう亡くなってしまったのでもうこんな機会もない。
こんな機会あっても困るのだが。苦しそうに息を吐く駆にそっと優しく伝える。
「落ち着いて。大丈夫。私が傍にいてあげるから。」
きつそうな顔をしながらなんとか頷きを返してくる駆。
だがこのままじゃ体温が奪われてしまう。今はバスタオルを巻いているが、呼吸が荒くなると寒気が襲ってくることもある。
「優奈ちゃん、そこの着替えとって。」
「あ・・・!うん!」
「ありがと。駆、着替えられる?手伝おうか?」
「わり・・・まだきつ・・・い。」
きつそうなので私が服を着させる。
今脳内は真面目な状態なので駆の体に興味を抱いたりは少ししかしていない。少しした。認める。
思いっきり目を背けて下着とか着させてましたけど。
「俺・・・何がどうなったんだっけ。全然覚えてねえや。」
シャツと下着、部屋着のズボンを履いた駆を私が膝枕させながら答える。
「とりあえず今日はゆっくり寝たらいい。もちろん、私も一緒に。」
そんな私の発言を聞いて元気のない、乾いた声であははと笑う。
なんだかすごく心配になってきた。
「そっか。アリスが一緒なら心強いや。」
いつもと雰囲気が違うって言うか、冗談でこういう事をすることはあった。
でも今回の場合、心から言っているように感じられる。
「ごめ…アリス。俺、今ほんとに怖いんだ。」
あぁなるほど。まぁ仕方ないと言えば仕方ない。駆は男子であるが、それ以前に一人の人間だ。
死に直面して恐怖感を抱かない方が不思議だ。
「あぁね。駆だって死にそうだったんだもんね。怖いよね。」
だけど駆は私の答えを打ち消すかのように首を横に振る。
確信に満ちたその表情で。
「それもなくはないけど…アリスと一緒にいられなくなるのは嫌だから。
アリスの隣に俺じゃない誰かが立ってるのは考えたくもないから。」
――私は気が付くことができなかった。
これが駆なりの『告白』だと言うことに。