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5.慶應4年11月半ば 脱走フランス士官

 十一月も半ばを過ぎた頃、強固な要塞化のため進められている五稜郭の改修工事を手伝っていた金太郎は、突然呼び出しを受けた。

 呼び出したのは伝習隊を訓練し、幕府軍と共に蝦夷地までやってきたフランス陸軍のジュール・ブリュネ大尉だった。

 ブリュネは伝習隊時代の上官でもあり、憧れの人でもある。幕府は精鋭部隊を西洋式に訓練するためフランスから軍事顧問団を招聘していたのだ。

ブリュネは大政奉還後、本国へ引き上げる軍事顧問団と別れ、わざわざフランス軍を辞職してまで幕府軍と運命を共にすることを選んだ人である。

 自分が育て鍛えてきた伝習隊の実力を信じ、行く末を見届けたいという使命に突き動かされたのだろう。

 フランスの顧問団はもちろんフランス流の軍事訓練を伝習隊に施したが、フランスのやり方を問答無用に押し付けることはしなかった。むしろ、日本の武士の流儀と能力をうまく引き出すよう十分気を配ってくれた。

 金太郎が感銘をうけたのは、特にブリュネが武士の心を「極東の遅れた精神」だと一蹴せずに尊重し、むしろその誇りを忘れるなと指導したことだった。

(フランス人とはこんなに高潔なのか……)

 国の話を聞けば、国是は「自由平等友愛」だと言う。それは行き詰まった日本に生きている少年にとって、この上ない崇高な響きを持っていた。

(俺は自由、平等、友愛を目指すぞ。武士だって日本だって、フランス人の気概を受け入れられないはずがない)

 大政奉還を迎える頃には、金太郎はすっかり自由平等博愛主義者になっていた。

 金太郎は当然、工事の手伝いよりもブリュネの呼び出しを優先して駆けつけた。もっとも、要塞化の監督もブリュネが行っているのだが。

「大尉、何か御用ですか?」

 きっちり敬礼すると、ブリュネは豊かな口髭を揺らし笑った。まだ三十歳だというのに、この髭が威厳を与えている。

「もう私は大尉の身分は捨てたんだ。今は同志だと言ってるのに」

「しかし、大尉は自分の上官であります。呼び方はそう簡単に変えられません」

 ブリュネは微笑んで肩をすくめると、少し真面目な顔に戻り呼び出した理由を告げた。部屋には見慣れぬ外国人の若者二人がいて、不安そうにこちらを見ている。ブリュネが仏語通訳の金太郎を呼んだということは、彼らはフランス人に違いない。

「実は彼らは……東洋艦隊に属するフランス海軍士官なんだ。ただ、私たちを追って軍艦を脱走してしまった。しかし、私は彼らを幕府軍に迎えるつもりはない。田島くん、君は彼らに思い留まるよう説得してほしい」

「……わかりました」

「待ってください! 私たちの決意は固いのです」

 テーブルに両手をついて立ち上がったフランス士官は、少し憂いを帯びた顔つきでブリュネを見上げた。金太郎がその隣で沈黙を保っている若者に目を向けると、彼はこちらを探るように視線を寄越した。人懐っこい顔だが、その瞳の奥に並々ならぬ熱意を感じ取った金太郎は、この脱走士官に興味を抱いた。

「あの……、差し出がましいかもしれませんが、私は彼らが軽い気持ちで脱走したとは思えません」

 金太郎が流暢なフランス語で上官に意見するのを聞いて、士官たちは目を丸くした。

「すげえ」

「俺たちも日本語習ったけど、まだまだだな」

「ブリュネ大尉、彼と話をさせてもらってもよろしいでしょうか?」

 互いに気になっている様子がありありとわかったブリュネは苦笑して許した。

 ブリュネが退室すると、まず金太郎が名乗った。

「呼びにくかったらタジマでもいいよ」

「いや、ちゃんと名前で呼ぶ。俺たちは日本で暮らす覚悟で横浜から蝦夷地まで来たんだから。俺はアンリ・ニコール。よろしく」

 アンリは人懐っこい顔の方だ。この時もすっかり緊張を解いた様子ですっと握手のために手を差し出してきた。

「俺の名前はフェリックス。フェリックス・ウジェーヌ・コラッシュ。二人とも少しは日本語わかるんだぜ」

 簡単な自己紹介を終えると、金太郎はなぜ二人が今まで関わったこともない日本の幕府軍に加担したいのか尋ねた。アンリとフェリックスはただ任務で東洋艦隊の一員として日本にやってきただけで、ブリュネのように幕府軍に親近感を寄せる理由はないはずだ。

「同じフランスの軍人として、ブリュネ大尉の姿勢に感動したからさ。それに、南の勢力はイギリスと繋がってるだろ。イギリスは何かにつけてフランスの邪魔をするんだ。フランスが幕府を助けてきたんだから、俺たちが君らを助けるのは当然じゃないか」

 アンリはなんの躊躇いもなく言った。金太郎はまたしてもフランス人の態度に衝撃を受けた。

(逆の立場だったら俺はここまでできるんだろうか)

 それから三人は話を続け、いつの間にか二時間近くが過ぎた。

「……田島くん、ミイラ取りがミイラになったね」

 話し合いの結果をブリュネに伝えると、ブリュネは呆れたように苦笑した。

「申し訳ありません。しかし、これからの戦いのことを考えると少しでも仲間が必要です。アンリもフェリックスも軍艦のことをよく知っていますし」

「謝らなくていい。君が二人を受け入れたがるだろうとは想像できたからね」

「じゃあ……」

「ただし、条件があるよ」

 ブリュネはアンリとフェリックスに、しばらくファーブルという仏貿易商人の店で雑用係として働くことを命じた。ファーブルはアンリたちが蝦夷地に上陸した後、彼らを世話してくれた男だ。

「私が許可するまで、働きながら日本語と生活風習に慣れなさい」

 金太郎が彼らの相談役に指名された。そして、嬉しいことに金太郎と脱走士官たちは一緒に住むことになったのだ。

 三人が住み始めたのは市街地の東端にある鶴岡町の長屋だ。外国人用の住宅もないわけではなかったが、日本の生活に慣れるため長屋暮らしになった。

「いやぁ、ここは快適だぜ。お、フェリックス、おまえ絵が上手いんだな! 箱館山だろ、それ?」

 完全に寛いでスルメをかじっているのは、一である。フェリックスはスケッチが趣味で、よく何かを描いていた。一はもちろんフランス語がわからないので金太郎に通訳してもらうか、簡単な会話はアンリやフェリックスの日本語力に頼っている。

「おい、佐々木。また今日もここで寝るのかよ? 新選組の屯所があるだろ。ていうか、土方局長に外泊バレたらマズイんじゃ……」

「そんときゃそんときだ。金ちゃんが一人で大変だと思ったから来てるんだぜ。仲間思いの行為を咎める方がおかしい! サン・プロブレーム!」

 何が問題ないだよ……と金太郎は呆れたが、本当のところ一も加わった長屋生活は楽しかった。ちなみに、一は「メルシー」と「サン・プロブレーム」しかフランス語を覚えていない。

 一はここを快適だと言うが、それは新選組の仮屯所が手狭で、雑魚寝を強いられていることと比べればの話だ。長屋だって改築されてはいるがそんなに広くはないし、切り詰めた生活に甘んじなければならなかった。

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