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ちょっと佇んできます

 いつになっても色褪せない思い出がある。それはとくに一人のときや感傷的になっているときに脳裏にふと浮かんでくる。その思い出は、まるで当時のその場にいるかのように鮮明で、色や匂いや音や温度まで蘇ってきて、あの日に時間が戻ったんじゃないかと錯覚するほどだ。あの頃のぼくはまだ中学生の三学年で夢や希望に満ち溢れていた。いま思えばとても恥ずかしいけれど、いまはこの懐かしい思い出にゆっくり浸っていたい――


    *


 海に来ていたぼくと彼女はオレンジ色の夕日が沈んでいくのを座って眺めていた。ぼくの隣で体育座りをしている彼女は遠くの地平線を見つめて言った。


「ねえ、将来の夢って決まってる?」


ぼくは彼女のその横顔を見つめ、それから彼女と同じ方向を眺めて答えた。


「決まってはいないかな。でもやってみたいことはたくさんあるよ」

「ねぇ、聞かせて」


 そう言った彼女は突然立ち上がり、ぼくの腰くらいある防潮堤の上に軽々飛び乗ってみせた。

 とん。

 とん。

 とん。

 細い幅にも関わらず軽やかで流れるようなステップを踏んで小さく飛び跳ねる。まるで小鳥のようだ。ぼくよりも小さい身体が宙に浮くたびに長い髪がふわっと舞い、フリルの着いた服が風にやさしくなびいていた。

 このとき。この瞬間。何もかもがきらきらと輝いていて、言葉にならないほど美しい光景だった。


「ねぇ、はやく聞かせて」

「あぁ、うん。小学生の頃は学校の先生になりたかったんだ」

「先生に憧れていたの?」


 彼女は両手を広げてバランスを取りつつ、さらに進んでいく。


「うん。ぼくはね、担任だった先生にすごく憧れていたんだ。男の先生でね、普段はとってもやさしくて、でも怒るときはまるで鬼のように怖くて、でもやっぱりやさしくて。勉強もわかり易く教えてくれたし、スポーツも何でも得意でね、少年野球の監督も務めていたんだよ」

「すごくいい先生だったんだね」

「うん。あんな先生にぼくもなりたいって思ったんだ」


 とん。

 とん。

 とん。


 彼女はさらに軽やかに跳ねて進んでいく。


「小学生の頃はってことはいまは先生になりたいと思っていないの?」

「もちろん先生にはなりたいよ。でも当時はまだあまり多くのことを知らなかったからね。先生にはなりたい……けれどいまは他の職業にも興味があるんだ」

「他には何に憧れているの?」

「いまは誰かの役に立てる仕事に興味あるんだ」

「それってたとえばお医者さんとか警察官とか?」

「うん。他にも弁護士とか介護士とか例を挙げたら誰かの役に立てる仕事はいっぱいあるんだけどね、その中でもぼくは小説家になりたいんだ」


 彼女は意外そうな顔をして「小説家?」と聞き返してきた。


「うん、小説家。本ってすごいと思わない? だって子どもから大人まで幅広く愛されていて、どの本も必ず誰かの役に立っているんだよ」

「たしかにそうかもしれないけど、難しいんじゃないの?」

「そうだね。きっととても難しいと思う。物語を書くにはたくさん勉強もしないといけないし、相手に想いを伝わるように書かないといけない……」

「そこまで分かっていても小説家になりたいの?」

「うん。ぼくは読んだ人が幸せになるような物語を書きたい。そしてたくさんの人に夢を与えたい。ぼくが先生に憧れた時みたいにね」

「いいね。すごく素敵な夢」


 夕日が沈んでいく。数分も経たない間にどんどん空が暗くなっていく。


「ありがとう。ね、もうそろそろ降りたら?」


 ぼくは彼女に手を差し伸べ、その柔らかな手を掴んで、飛び降りる彼女をやさしく受け止めた。とっても軽かった。彼女の重さはほとんど感じることはなく、まるで宙に浮いているかのようだった。


「ねぇ――――」


 甘い声が耳元をかすめる。やわらかな髪がぼくの頬を撫で、柑橘系の甘酸っぱい香りがぼくの鼓動を早める。


「いつか物語が書けたら一番初めに読ませてね」

「うん、ぼくも読んでもらいたい。」

「約束――――」


    *


 汐風が匂うこの場所が大好きだ。あの頃はここでずっと彼女と話をして、沈む夕日を眺めながら一日一日を過ごしてそのまま大人になれると思っていた。けれどそんなに人生は甘いものじゃなかった。彼女は中学を卒業すると同時に引っ越してしまい、ぼくらは離れ離れになった。ぼくも彼女も間違った選択をしたわけじゃない。そもそも選択できるような立場でもなかった。彼女が引っ越したのは両親の都合、県外の高校に進学を決めていたわけでもない――それは十分わかっている。それでもぼくは彼女とどこまでも行けるって、心の底から思っていたんだ。


ときどきぼくはこの場所に足を運んでしまう。ここにいればいつかまた会えるのではないかと期待しているからかもしれない。ぼくはいまでも彼女のことを忘れられないでいる。当時はあまり意識していなかったけれど、いなくなって初めて分かった。



ぼくは彼女が好きだった。



 ああ、なんだろうこの感じ。夕日が沈んでいくにつれて喉の奥が熱くなる。視界もぼやけてきた。この気持ちはいったいなんだろう。

 あとすこしだけ。夕日が完全に沈むその時までここにいよう。


 空も暗くなればぼくの気持ちもきっと落ち着くはずだ――――












 読んでいただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] せつない。せつないですね。 でも別れてから気付く恋。それって本当にあるんですよね。 主人公がどう成長するにしても、少女が彼の思いを壊さないで成長して欲しいものです。
2014/11/05 21:23 退会済み
管理
[一言] 久し振りにいい話を読みました。 通り過ぎた時が、切なければ切ないほど心に残るものですね。 出会いと別れは星の数ほどあっても、見つめている星はひとつなのです。 ぼくの腰くらいある塀の上に軽々…
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