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同じ夜の夢は覚めない 5  作者: 雪山ユウグレ
第1話 空の日々、罅の霹靂
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 そこから先のことはもう、るうかにとって悪夢でしかなかった。ただ見ていることしかできない非力な自分が情けなく、またそのことがより一層ここが現実の世界であることを嫌というほどに実感させていた。

 次第に“天敵”と化していく警官目掛けて頼成が自分の着ていた黒色の上着を投げた。同時に彼は(ほぎ)に向かって叫ぶ。

「あいつに触るな! 多分、鱗粉がついている」

「鱗粉? まさか、あの黒い蝶か」

 黒い蝶。それは頼成が浅海柚橘葉(ゆきは)の依頼に基づいて造り出した人間を“天敵”に変えるための道具だ。その翅から零れ落ちる鱗粉には人間の細胞を異形化させる効果がある。いわゆる変異原というものだった。

「ってことは、あんたの責任っすね」

 ふん、と祝が頼成を睨みながら言う。頼成は渋い顔をして答えず、ただ警官に向かって体当たりをする。呻きながら地面に倒れた警官の身体がぱんと音を立てて弾け、頼成のかけた上着を突き破って肉の塊が飛び出した。頼成はすぐさまバックステップで飛び退る。

「っぶね」

「おい、黒い蝶にしても随分“天敵”化が速いんじゃねぇの。あんた……自分の仕業なら分かるだろ、どうなんすか!」

 祝の問い掛けに今度は頼成も頷きながら答える。

「ああ、おかしいくらいに速いね。改良したんだろ」

「改良? 誰が」

「んなことできるのは……ああもう! なんだってこんなことに!」

 叫びながら頼成はさらに後ろへと下がった。そしてそのついでとばかりに祝の首根っこを掴んで後方へ放り投げる。ぐっ、と祝の呻き声がしたが頼成はそれを気にする様子もなく、近くにうずくまるもう1人の警官を怒鳴りつけた。

「おいあんた、武器あるだろ。貸してくれ!」

「え、あ?」

「警棒でも拳銃でも何でもいい。素手じゃあれをどうにもできねぇ! あんただって、あんな化け物に殺されたくはねぇだろうが!」

 噛み付かんばかりの頼成の勢いに押されたのか、警官は持っていた拳銃を取り出す。しかし彼はその場でハッと首を横に振った。

「あ?」

「貸せるわけがないだろう!」

 警官の至極もっともな反論に、しかし頼成は不気味に落ち着いた笑顔を向けた。

「ああ、そうか。この世界にはそういう法律もあったなぁ」

「……っ!?」

「だが見てみろ、あんたの同僚はもうこの世のものじゃあなくなっているんだぞ。そこでこの世界のルールに縛られていたらあんた、絶対に生き残れやしない。ほら、ようく見てみな」

 ふっ、と頼成の手がもがき苦しむ元警官の“天敵”へ向かって伸ばされる。そこにいるのは最早人間ではなかった。警官の制服と頼成の上着の切れ端を身体のあちこちにまとわりつかせた大きな肉塊が、その赤色の表面をぼこぼこと音を立てて波打たせながらうごめいている。もう少しだろうな、と頼成が呟く。

「あとほんの少し経てば、あれは完全に人間の“天敵”になる。人間を食うものになる。朝の死体、見たんだろ? どんなだった。何かに食われたような死体じゃあなかったか。あんた、あれを殺せるか? ただ殴ったり撃ったりしたって倒せない。で、俺はあれを倒す方法を知っている……ほら、寄越せよ」

 そう言いながら頼成は警官の手から易々と拳銃を奪い取った。そして装弾数を確認するとすぐに安全装置を外して銃口を元警官の“天敵”へと向ける。その動作に一切の迷いはない。

「お、おいあんた!」

 祝が焦ったように叫んだ次の瞬間にはもう頼成は1発目の弾丸を発射していた。弾丸は肉塊に当たってその表面を弾けさせるが、ただそれだけである。しかしそれを引き金として元警官の“天敵”化はさらに加速した。おおおお! という雄叫びと共に身を震わせた肉塊は完全な“天敵”となって頼成達へと襲いかかる。

「桂木、探せ!」

「っ、あんたなぁ! 何考えて……」

「あァ!? 決まってるだろうが、生きることを考えてんだよ!」

 ぱん、と乾いた発砲音がして肉塊の足元が爆ぜる。残り3発、と頼成は確認するように呟く。

「もう無駄撃ちはできねぇな。おら桂木! とっとと弱点を探せ!」

「分かってる! つうかあんたも探せよ!」

「探してる!」

 2人が何をしているのかというと、“天敵”を倒すための唯一の方法である弱点を探しているのだった。“天敵”は弱点を破壊することによってしか倒すことができない。そしてその弱点というのはそれぞれの“天敵”によって場所も大きさも形すらもまちまちで、ただひとつ共通しているのはそれが“天敵”がかつて人間だったときの名残であるということだけだった。たとえば身につけていたものや毛髪の一部、皮膚の断片や眼球の片方などがあれば、それが弱点に当たる。

 人間が殴った程度では弱点を破壊することも難しいだろうが、拳銃であれば何とかなるだろう。るうかは祈るような気持ちで頼成達の戦いを見守るしかなかった。幸いにして“天敵”には動きが緩慢であるという特徴がある。なりたての個体ならばなおさらだ。骨格も完成された神経系もないただの肉塊の身体を俊敏に動かすことができるほど、あれは生物として進化していないのである。

 きらり、と何か光るものがるうかの目に映った。それと同時に祝が叫ぶ。

「あった! 左胸位置、金属、小さい、行けるっすか!?」

「……ああ、見えた!」

 答えて叫びながら頼成が“天敵”へと肉薄する。それはリスクを伴う行為だったが、拳銃程度の威力で完全に弱点を破壊するにはある程度の接近が必要だった。そして彼は血と脂の臭いを鼻先に感じるだろう距離で引き金を引く。

 乾いた音が2回立て続けに響き、一瞬の間を置いて“天敵”の肉塊の身体が内側から弾け飛ぶようにして四散した。はぁ、とるうかは詰めていた息を吐いてその場に座り込む。赤い血と肉片を全身に浴びた頼成はそれを払いもせずに、残り1発の弾丸が入った拳銃を持ち主である警官に差し出した。

「助かった、ありがとう」

「……」

 警官は血まみれで平然と銃を差し出す頼成を凝視しながら、声も出せない様子で地面に座り込んでいる。それでも彼は震える手で赤くぬめる拳銃を受け取った。おい、と祝が頼成に呼び掛ける。

「大丈夫っすか。鱗粉は食らってないでしょうね」

「ああ、多分大丈夫だ。あれが完全に“天敵”化した時点で鱗粉の成分ごと内部に取り込んじまってるだろうからな。鱗粉そのものはあくまで触媒だから、細胞異形化の促進をしたところでそれ自体変質することはねぇが……“天敵”の体内だとあれもそのまま栄養にされる」

 そうじゃないと二次被害が出てコントロールできねぇから、と黒い蝶の開発者である頼成は淡々と語った。祝は呆れ顔をしながらもひとまずは安堵した様子で周囲を見回す。特に異常はないようだ。

「まぁ、さすがっすね」

「……“天敵”相手はお前より慣れてるよ」

「ああ、そうっすね。俺は人殺しの方が慣れてる」

 自嘲するように言った祝に、頼成はふと歪んだ笑みを向けた。

「何馬鹿言っていやがる。多分、俺の方がてめぇより多く殺してるぞ」

「……は?」

「お前、銃を撃った経験は?」

 頼成は軽い調子で尋ねて、祝は首を横に振る。それはそうだろう。彼は向こうの世界では騎士らしく剣を使って戦っており、こちらの世界ではそもそも武器など持つ必要のないただの学生だ。武器に近いものとしてもせいぜい金属バットくらいしか持ったことがないはずである。だろうな、と頼成は鼻で笑った。

 るうかは知っている。彼が警官の拳銃などよりももっと大きい、そして当然ながら法を犯した銃を持って多くの人間をほとんど一瞬のうちに撃ち殺したことを。そしてそれをしながら平然としていたことを。彼はこの世界に生きていてもなお、向こうの世界にいるのとほとんど変わらないほどに血生臭い経験を多く積んできていた。それは祝との大きな大きな差だった。

「ああ……本当、最悪だ」

 頼成は空を仰ぎながらそう呟く。彼の足元では同僚を失った警官が呆然としながら涙を流していた。祝は“天敵”の成れの果てである血痕と飛び散った肉片を見やり、その中から割れた金属の欠片を拾い上げて警官へと差し出す。るうかのいる場所からではほとんど見えなかったが、淡い陽射しにきらりと光るそれは何かの徽章のようだった。祝の手からそれを受け取った警官はさらに嗚咽をもらす。

 頼成はそんな彼を見下ろしながら、ふと思い付いたように言った。

「なぁおい、あんた……俺を逮捕しなくていいんでしょうかね?」

 小馬鹿にしたような態度で言われ、警官はハッと目を剥いて頼成を見上げる。確かに今の彼にはそうされるだけの罪があった。警官の拳銃を奪って発砲した。しかも殺した相手は変貌していたといえ明らかに元は人間だったものだ。“天敵”の扱いに関する法律などこの日本にはない。るうかは刑法には詳しくないが、その罪状が軽くないことくらいは簡単に想像することができた。

 しかし、警官は動かなかった。頼成はそれを見ると一旦るうかの方へと視線を向け、ひらりと手を振る。

そしてそのまま地下鉄の駅がある方角へと黙って歩き去った。

「頼成さん!」

 るうかは慌てて後を追ったが、正門のところで祝に捕らえられる。

「追うな! あれであの人はお前を庇ったんだ」

「え……?」

「そこの警察はあの人を逮捕しなかったけど、上に報告なり何なりすれば確実にあの人は犯罪者だ。お前を巻き込むわけにはいかねぇって……そういうこと、だろう。くっそ……」

 祝はそう言ってひどく悔しそうに顔を歪める。るうかは何も言えず、ただ遠ざかっていく頼成の背中をそれが見えなくなるまでずっと見送っていた。

執筆日2014/06/01

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