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同じ夜の夢は覚めない 5  作者: 雪山ユウグレ
第10話 同じ夜の夢が覚めても
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5

 そんなことがあってからもるうかの日常はあまり変わらなかった。強いて変化を挙げるとするなら、例の花の芽が伸びてきたことくらいだろうか。小さな芽は春の訪れと共に順調に育って、緑色をした葉を広げていた。そろそろ鉢を替えた方がいいかもしれない。

 高校生活は滞りなく過ぎているが、3年生になるとほとんどの授業が受験を意識したものへと移っていく。るうかは昨年の中頃に進路志望調査書なるものを担任の教師に提出し、その志望に沿った内容の学習を進めていた。とはいえ、その道のりは決して楽なものではない。苦手としている英語に関しては佐羽のおかげで大分点数が取れるようになってきたので、それは喜ばしいことだった。

 頼成とも休日の度に会っている。5月の5日だという彼の誕生日ももうじきだ。昨年のるうかの誕生日にリングをもらっていることもあり、彼女は頼成に何か贈り物をしようと決めていた。しかし何がいいのか、考えてみても甘い食べ物ばかりが浮かんでくる。何しろこちらの世界でデートをする度に彼は必ず苺と生クリームを使ったスイーツを食べる行程を入れ込んでくるのだ。それほど好きならいっそのことホールケーキでも焼こうかと密かに練習を始めたるうかである。静稀(しずき)や理紗に頼んで試食に付き合ってもらった限りでは反応は悪くないが、果たして頼成の口に合うかはまだ分からない。改善の余地はまだまだありそうだ。

 そうしてつつがなく過ぎていく毎日の中、るうかはときどき水に溺れる夢を見るようになった。ひどく苦しい夢で、暗く青く沈む水の中でるうかは必死にもがく。見上げれば星明かりに煌めく水面があるというのに、身体は全く浮かんでいかない。そしてそのままるうかは汗をびっしょりとかいた状態で目を覚ますのだった。

 さすがに不安になったるうかは、休日でこちらの世界にやってきた頼成に相談してみた。彼自身の部屋で話を聞いた頼成は顔をしかめ、そして言う。

「なんかその夢、あのときに似てないか?」

「あのとき……?」

「ほら、あんたの記憶を取り戻そうってんで一緒にPMCとやらにアクセスしに行ったろ。パーソナルメモリークラウドだっけか。あんたの記憶ファイルは夜の湖の格好をしていて、その水があんたの記憶データだった」

 頼成に言われてるうかも思い出す。向こうの世界で勇者として死んだるうかは一度その記憶を失ったが、全ての人間の記憶を記録しているデータベースとやらにアクセスすることでそれを取り戻したのだ。確かにそのときも今の夢と同じような状況だった。

「何か、思い出そうとしてるんでしょうかね」

 頼成は少しだけ考え込む口振りでそんな風に言った。るうかは何とも答えることができず、曖昧に頷いただけだった。

 それから数日、るうかは夜に夢を見なかった。ところが頼成に夢の内容を相談してから5日目の夜、再び溺れる夢の中でるうかは目覚めた。夢の中で目を覚ますというのも不思議なものだが、そう表現するのが最も合っていると感じられたのだ。長い夢を見ていたような気持ちがする。暗く青い水に囲まれて溺れもがきながらも、るうかはそこに何か懐かしいものを感じていた。

 おぼろげな記憶の中で幼いるうかが同じように溺れている。すると水面近くから誰かが潜ってきて、るうかに向かって手を伸ばした。そうだ、そうしてるうかはあの世界に“生まれた”のだ。るうかの手を掴んでにこりと笑った誰かの耳元で赤い鳥の羽根が揺れる。青い水の中でもはっきりと分かるほどの鮮やかな赤が、るうかの視界でひらめいて、消えた。


 ピピピピピ、ピピピピピ、ピピピピピ……

 か細い電子音が聞こえてきて、懐かしい夢を再び記憶の底へと遠ざけていく。るうかは枕元に手を伸ばし、赤い目覚まし時計を見つめる。夢の中身を思い出そうとしてもうまくいかない。今朝は汗こそかいていなかったものの、どういうわけか目尻に涙の跡ができていた。

 悲しい夢を見たのだろうか。ふわふわとした気持ちのまま身体を起こしたるうかはそのままぐんと伸びをしようとしてそれに気が付く。窓辺に置いた小さな鉢の中、輝くように広がる緑色の葉に囲まれた真ん中に花が咲いていた。それは透き通るような紫色をした見たことのない花で、るうかがじっと見つめているとその中心辺りに伸びる青色の蕊からふわりと青い何かが浮かび上がる。

 不思議な光景だった。

 青く光る細かい粒子がるうかの部屋の中に広がる。甘い花の匂いが、カーテンの隙間から差し込む朝の陽射しが、くるりくるりと渦を巻く青い光が、るうかにその遺志を伝えてくる。水のある景色がるうかを手招きしていた。

 るうかはすぐに身支度を整え、鉢ごとその紫色の花を持って外にでた。今日は平日で学校があるのだが、この際いいとしよう。花を自転車の籠に収めて落ちないように固定し、るうかは勢いよくペダルを踏み込んだ。二度行ったことのある場所へ。道はまだ忘れていない。

 以前は4時間程度で辿り着いたそこに、今日は5時間以上かけてやっと到着する程度のゆっくりとした速度で漕いでいく。自転車の暴走は危険だと輝名(かぐな)にも釘を刺されたのだ。るうかとしてもそう何度も事故に遭っていては身が持たない。

 日河岸市の西隣に位置する尖峰(せんぽう)市。海に面したその町の海に背を向け、るうかは山へ向かって自転車を走らせる。斜面を切り拓いて造成された住宅地を抜け、坂道を必死の思いで登っていく。すると辺りは鬱蒼とした林に覆われ、道が少しだけ細くなる。一度橋を渡り、くねった道をしばらく行くとやがて視界が開けてくる。

 坂道の行き止まりにはそれなりの広さを持つ駐車場がある。その横には“シウニンインカルシ展望台”と書かれた粗末な看板と、少し錆びた小さな自動販売機が置かれていた。

 るうかは自転車を自動販売機の横に停め、花を持って展望台の先へと向かった。るうかの記憶の中にあるそこから見える景色は全くの青で、空と海以外に見えるものは何もなく、足元に広がる町並みもどこにも見えないはずだった。

 しかし今、るうかの目の前には信じられない景色が広がっていた。足元に町並みは見えない。しかし青い空と青い海のその狭間に遠く霞んだ街が見えているのだ。それは日河岸の街だった。地図で見ると日河岸市と尖峰市の間には広い湾がある。だから高い場所から眺めると、湾を隔てた向こうに日河岸の街並みが見えるのだった。以前来たときには見えなかった街を不思議な気持ちで眺めながら、るうかは花の鉢を抱えてそこに佇んでいた。

『久しぶり、になりますね』

 柔らかな声が聴こえ、るうかは小さく頷く。声は彼女の手の中にある紫色の美しい花から湧き上がるようにして漏れてきていた。青色の蕊からまた淡く輝く青い粒子が零れだす。

「まさか、あなたから呼び出されるとは思っていませんでした」

 るうかが言うと、青い粒子が笑うようにさざめく。それは少しずつ集まって、立体映像のように1人の女性の姿を形作った。るうかは花の上にちょこんと座ったその姿を見て、話しかける。

「この花、あなたが遺したものだったんですね。私、てっきり西浜さんだと思っていました」

『少し時間を置きたかったんですよ。西浜くんに頼んでデータを作成してもらったんです。春が来て、貴女が新しい生活にも慣れた頃に話をしたいと思っていました』

 絵本に出てくる花の妖精のようにそこに座る彼女は、桃色の髪と紫色の瞳を持つ魔女・佐保里だった。緑と同じようにデータのみの存在だっただろう彼女だからこそ、消えてしまった今でもこのように姿を残すことができたらしい。“一世”が作ったデータの劣化コピーのようなものなのだ、とそこにいる佐保里は説明する。

『ですから、長くお話をすることはできないんです。るうかさん、私は最後の呪いを託すためにこうして貴女を待っていました。膨大な世界データにアクセスできるこの場所でなら、私は貴女に呪いをかけることができます』

「呪い、ですか」

 るうかは軽い恐怖を感じながらも佐保里の言葉に応じる、青い光を零しながら、立体映像の佐保里はくすりと笑う。

『貴女のことだから、きっと悔しい思いをしているんじゃないですか? 世界が繋がっても、勇者としての貴女はもういないんです。貴女は非力な女子高生に過ぎないから、もう向こうの世界では何の役にも立てないですね。それを、貴女は認めることができていますか?』

 佐保里の言葉が毒のようにるうかの心に染み入っていく。これは魔女の誘いだ。優しく宥めるような声で、口調で、佐保里はるうかに呪いをかけていく。

『力のない自分が悔しければ、力をあげましょう。武器を手にして戦い、人間だった化け物の血にまみれたいと貴女が言うのなら、そのための力をあげましょう。それが私の残す呪いなんです。貴女を再び血の世界に誘う魔法をかけてあげましょう』

 青い世界の狭間で遠くの街並みを背景にして、佐保里はとても綺麗な微笑みを浮かべた。


 再びいくらかの時が過ぎて5月、黄金と称される連休を利用してるうかと佐羽は旅行という名目の異世界での冒険に勤しんでいた。今日も今日とて輝名の依頼による仕事である。報酬は特にないが、断る理由もまたない。むしろ世界を続けさせた責任を負うるうか達にとって、こちらの世界の平穏を守ることは当然のことだった。

 るうかの手には一対の短剣がある。カタールと呼ばれる形状のそれは、以前彼女が使っていた赤い色ではなく、佐保里の瞳と同じ紫色の刃を持っている。るうかはそのカタールを構えると、目の前に迫る肉塊の化け物に向かって鋭い一撃を叩き込んだ。外す。

「るうか、避けろ!」

 頼成の声が飛び、るうかは軽く地面を蹴る。ふわり、と彼女の身体が空を舞って羽のような赤いマントが翻った。長い髪に飾られた赤い鳥の羽根が風に揺れる。彼女が新しく手に入れた力、飛行魔法はるうかに人間離れした動きと、“天敵”の目を欺く作戦の遂行を可能にしてくれた。るうかが上空へと逃れたところで背後に控えていた佐羽が肉塊の腹部を目掛けて破壊魔法をぶつける。まだ足りない。るうかはそこから急降下し、肉のひだの間に見え隠れする小さな白い布きれにカタールの刃先を突き入れた。

 血肉の爆ぜる音と、鼻をつく鉄と脂の混じった匂い。慣れてしまってはいけないようなものだが、それでも慣れたものだとるうかは感じる。手に残る肉の感触も、全身に浴びた赤も、さほど気持ちの悪いものではない。

「お見事。やっぱりるうかちゃんセンスあるよね」

「落石さんの攻撃は小さい的を狙うのには向いていないんだと思います」

「ごもっとも。だから俺は派手に牽制、がちょうどいいんだ」

 佐羽はそう言うが、彼の攻撃は牽制というレベルではない。大魔王がいなくなっても黄の魔王の名は健在で、破壊専門の危険な魔王としてその名をこの世界中に知らしめている。呆れた話ではあるが、佐羽にとってはちょうどいい気晴らしになっているようだ。

「るうか」

 下で控えていた頼成がるうかを手で招く。素直に近付いたるうかの身体を頼成は自分のマントでわしわしと拭いた。

「ったく、こんなに汚れて……怪我はねぇか?」

「大丈夫です。今回のは小さかったですし」

「……あんたが血にまみれるのは、俺はまだ不満なんだが」

「ごめんなさい。でも、私は」

 そこまで言ったるうかに対して頼成は思いも寄らない行動に出た。彼はその唇でるうかの口を塞いだのだ。“天敵”の血に汚れた唇を頼成の舌がそっとなめていく。るうかはすっかり思考が止まってしまい、されるがままでいた。2人の後ろでは佐羽が生温い眼差しで長いキスを見守っている。特に口を挟む気はないようだ。やがて頼成の方から唇を離すと、彼は苦く微笑んで告げる。

「いいよ、あんたの気持ちは分かってる。愚痴は言わせてもらうが止めるつもりはねぇ。俺はただ、あんたの傷を癒してあんたを助け、あんたを守る。それだけだ」

「……頼成さん、ありがとうございます」

 るうかは万感の思いを込めて言い、満面に花の咲くような笑みを浮かべてみせる。そして両腕を広げると頼成の大きな身体を力いっぱい抱きしめた。

 今日の頼成とのキスは苺と生クリームの味がした。


 同じ夜の夢が覚めても、赤の勇者は健在だ。実際には勇者と異なり人間の寿命を持って世界を飛び回る彼女を、人々はこう呼んだ。赤の飛竜、あるいは不死鳥の翼を持つ少女……と。

 やがて町の噂でその呼び名を耳にしたるうかはただ困ったように笑うのだった。


  END


  同じ夜の夢は覚めない 完

執筆日2014/08/25

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