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「来るんじゃないかと思っていたよ」
佐羽と同じ顔、同じ格好で杖を構える青年は彼と比べてどこかにやにやとした嫌らしい笑みを浮かべながらるうか達の方へと近付いてくる。るうかにももう分かっていた。彼はこちらの世界に残された、佐羽ではない“サワネ”だ。緑の研究所で佐羽が自らその可能性について懸念を漏らしていた。神によって切り離された存在はたとえ世界が繋がってももう二度と同一のものにはならない。佐羽がるうか達の世界を選択したことによって彼から切り離されたこちらの世界の彼は、一体何を思ってこの場に現れたのだろうか。
答えはすぐに知れる。もう1人の佐羽……サワネは杖を振り上げると、何のためらいもなくそこから破壊のための魔法を放った。遮るものの何もない草原で、力の加減など必要ないのだろう。そしてるうかがそれを目で見て確認したときにはすでに彼女のすぐ横に立つ佐羽が両腕を強く前に振りながら呪文を叫んでいた。
「 !!」
るうかの耳にはそれが“ぶち殺せ”という音に聞こえる。いやまさか、と思うるうかを置き去りに隣の佐羽は全く容赦のない様子で楽しそうに叫ぶ。
「罠だなんて笑わせる。わざわざそっちから殺されに来てくれるなんて、こんなにありがたいことはないね!」
2人の佐羽が放った魔法が2人のちょうど真ん中辺りでぶつかった。するとその場に巨大な光の球が生まれ、空気を震わせて地面を抉り取る。猛烈な爆風に髪を煽られながら、それでもるうかは目を逸らすことなくその光景を見ていた。何が起こっているのか。
「落石さん……!」
「大丈夫、あんなのに負けたりしないよ、俺は」
佐羽はるうかを安心させるようにそう言う。しかしるうかが尋ねたいのはそのようなことではない。
「あの人は、落石さんでしょう!?」
それはどう見ても疑いようのない事実だった。それがどうして出会いがしらに思い切り破壊魔法をぶつけ合うなどという事態になっているのか。佐羽は続けざまに魔法を撃ちながらくすくすと笑う。
「落石さん、じゃないんじゃないかな?」
「え?」
「あれは黄の魔王。それは間違いないけど、俺じゃない」
楽しそうに言いながらも佐羽は攻撃の手を緩めようとはしない。それも当然のことで、向こうのサワネも次々に魔法を放ってきているのだ。あれが直撃すればるうかも佐羽諸共吹き飛ばされる。それは紛れもなく致命的な一撃になるのだろう。
「落石佐羽は俺しかいない。それは向こうだって分かっているはずだ」
「……落石さんが選ばなかった世界の、サワネさん……ですか」
「そう。でもどうやらゆきさんに何か吹き込まれていたみたいだね。あはは、最後にそういう手を持ってくるなんてゆきさんらしいや!」
わずかに自棄になったように叫ぶ佐羽にるうかは苦い視線を送る。それくらいで動じる佐羽ではないものの、彼も少しばかり落ち着きを取り戻した目つきでるうかを見やった。
「いいんだ。どうせあれを消さないと俺は安心して向こうの世界で生きられない。俺じゃない俺が俺の知らないところで勝手に何かやらかしているだなんて、想像するだけで吐き気がするよ。だから会えてすごく嬉しいし、なんとしても今ここで決着をつけないとならない」
「でも、あれはやっぱり佐羽さんです」
「君にそう呼んでもらうのなら俺だけでいい。俺じゃない俺がそんな風に呼ばれるなんて我慢ならない。それを許すなら、俺は君のことも殺しちゃうかもしれないよ?」
「やめてください」
冗談だって、と佐羽は笑う。笑いながら彼自身と同じ姿形をした青年へ向けて殺人的な破壊魔法を放ち続ける。るうかとて理解している。この状況で佐羽の気を乱すようなことをしては彼だけでなく自分まで死んでしまいかねない。しかし現代日本の服装をした佐羽が魔法を使う姿はどこかちぐはぐで現実味が薄いのもまた事実なのだった。その違和感がひたすらにるうかを戸惑わせる。
「いいじゃない、最終決戦が大魔王の本拠地だなんてよくできている」
「落石さん、それじゃあまるでRPGです」
「ゲームってなかなか面白いよね。俺も中学生くらいの頃にちょっとやってみたんだけどさ、いつも魔王はやられる側。まぁたまにそういう王道に喧嘩を売るストーリーもあったけど、そういうのもどこか白々しくって」
面白い、と言った割に佐羽の言葉には明らかな棘がある。るうかも以前はよくテレビゲームで1人の時間をやり過ごしたものだ。だから佐羽の言葉に頷くことはできる。
「そう、ですね。確かに魔王は大抵ラスボスでした」
「あれが俺達のラスボスだよ」
佐羽はきっぱりと言い切る。上等じゃない、と獰猛に微笑むその姿はとても正義の勇者には見えないが、魔王を倒すだけの心意気なら充分にあるように思えた。
「ゲームじゃないですよ」
「分かっているよ。これは俺達の現実だ。現実だから負けられない。たとえ相手が自分であってもね」
落ち着いた声で言う佐羽にるうかも「そうですね」と返す。それから彼女は沈黙した。彼の邪魔をしてはいけない。
先程のサワネの口ぶりからするとどうやら彼をここに配置したのは柚木阿也乃その人らしい。彼女が佐羽ではないサワネに対して何を言い、何を目的としてここに残したのかは分からない。彼自身は自らのことを罠だと言った。となると阿也乃はるうかや佐羽がこうしてこの世界にやってくる可能性すらも見越していたのだろう。緑のプログラムの存在を知っていたならばそれも不思議はない。
しかし阿也乃は自らがこの世界を去った後にまで罠を打っていたというのか。だとすればそれは一体何のためなのか。それがるうかにはどうしても分からないのだった。
魔王の攻防は続く。向こうの世界に残ることを選択した佐羽もこちらの世界に来れば存分に力を発揮することができるのだろう。向こうでは世界そのものに魔法を使えなくするためのアクセス制限のようなものがかけられているのだと彼は言っていた。裏を返せば、それのないこちらの世界であれば素養のある者は誰でもそれなりの魔法を使うことができるということになる。そして佐羽の持っている潜在能力は高い。
2人の佐羽が全力の魔法をぶつけ合う様は圧巻だった。ここが草原でなければ巻き添えで何もかもが吹き飛んだのだろう。実際に草と土くれが激しく飛び散り、衝撃波が幾度もるうかの身体を震わせる。夜空とそこに瞬く星々さえも塵へと返してしまいそうな激烈な魔法の応酬が、2人のちょうど真ん中でいつまでもいつまでも続く。
るうかは佐羽の隣に立って彼の様子をそっと窺いながら考える。戦っているのはどちらも間違いなく佐羽なのだから、元々持っている力は同じはずだ。となると勝敗を分けるのは運か気概かといったところだが、果たしてその程度のことをわざわざ“罠”などというものだろうか。サワネが言うのではない。彼をここに残した阿也乃が、果たしてその程度のつまらない勝負をさせるために彼をここに置いておくものだろうか。
いつだったか緑が言っていた。阿也乃とうまく付き合うには彼女が本当はどうしたいかを考えるよく考えることがコツなのだと。今更彼女とうまく付き合う必要はないが、それでも気にかかるのはその真意である。彼女にとっては随分と“お気に入り”だったはずの佐羽同士を戦わせることに何の意味があるのか。同じ力を、しかもこれほどまでに猛烈な破壊をもたらす力を持つ2人を敢えて何もない場所でぶつけ合えばそう簡単に決着はつくまい。そして佐羽の性格からいってどちらも一度始めた勝負を途中で放り出して逃げたりはするまい。
佐羽はきっと互いに互いを殺すまで戦いをやめない。そこまで考えてるうかは気付いた。
「落石さん! 逃げましょう!」
ぐい、とるうかは思い切り佐羽の上着の袖を引く。うわ、と声を上げた彼の手から放たれた魔法の弾道が逸れて夜空に無意味な大爆発を引き起こす。その横をサワネが放った破壊魔法が駆け抜け、佐羽の真後ろで炸裂した。佐羽はその衝撃からるうかを庇うように身を屈めながら顔をしかめる。
「るうかちゃん、邪魔しないで! 死にたいの!?」
「このままじゃ落石さんが死んじゃいます。柚木さんは……そのためにあのサワネさんをここに残したんじゃないですか!? 佐羽さん同士、殺し合いをさせるために!」
「なっ」
佐羽の顔から表情が抜け落ちる。再びの魔法が彼に迫り、彼はそちらを見ることもせずに手だけをかざして同じだけの威力を持つ魔法をそこにぶつけた。相殺された魔法の余波が佐羽の亜麻色の髪を激しく揺らす。
「俺が、自分で、相討ち? そうやって……死ねって?」
「……」
彼の顔を見たるうかは己がどれだけ残酷なことを言ったのかと恐怖に駆られる。しかし考えられる限りではそれが正解であると思われるのだ。阿也乃は佐羽を病的なまでに気に入っていた。彼女自身が去った後の世界で彼女の手を離れた彼が自由に生きていくことは、きっと彼女にとっては面白くない展開だろう。そう思わせる程度には、阿也乃は歪んだ愛情で佐羽を縛っていた。
「……そうか。そうだね。ゆきさんはそういう人だ」
「そうだよ」
草原の向こうでサワネが攻撃の手を緩めながら言う。
「向こうの世界に死に場所を求めて生きるなんて無様なことしなくっていいんだ。ここで俺達2人、綺麗に心中しちゃおうよ」
「……あははは!」
サワネの言葉に佐羽は心の底から可笑しそうに声を立てて笑った。そんな彼の腕がるうかへと伸ばされ、そのままきつく彼女の身体を抱き締める。
「冗談じゃない! 俺にはるうかちゃんがいる。ああ、勿論変な意味じゃない。でも彼女を守り、彼女に報いることのできる自分でありたいと思う心は間違いなくここにある。そのためには俺は向こうの世界で自分のしてきたことの帳尻を合わせて、生きるも死ぬもその報いを受けてからにしようと思った。それをゆきさんが否定するのは勝手だよ。でもあの人はもういない。あの人の言う通りにする必要は俺にはない。君を殺して俺は生きる。自分と心中だなんて、そんな悪趣味な真似は絶対に御免だ!」
るうかを抱いたまま叫んだ佐羽の言葉がそのまま呪文としての力を持つ。青い光の帯となった彼の呪文は勢いよくとぐろを巻きながら瞬く間に向こうのサワネへと直撃した。そこでほぐれた光の帯が、それを構成する文字のひとつひとつが爆竹のようにばちばちと連続して破裂する。サワネの悲鳴が響いた。
「落石さん……」
「ありがとう、るうかちゃん。なんだかすっきりしたよ」
先程の無表情とは打って変わって晴れ晴れとした笑顔でそう言い、佐羽は抱き締めているるうかの額に小さく口付ける。そしてそのまま笑いながら言葉を紡いだ。
「覚悟して向こうに残ったつもりだったけど、改めて言葉にすると違うね。俺にはもうその生き方しかない」
「……もう少しくらい、気を楽に生きても罰は当たらないと思います」
「優しいけど酷いね。俺がどれだけの悪事を働いてきたと思っているの?」
そう言いながら佐羽はそっとるうかの身体を自分から引き剥がす。るうかは改めて彼の顔を見て、その綺麗な目鼻立ちを見て、優しげに細められた鳶色の瞳を見て、そして。
「……落石さん!」
彼の背後に立つ、彼と同じ姿をした青年に気が付いた。佐羽の魔法によって大きく裂けたローブを身体に引っ掛けるようにして、その綺麗な顔にもいくつもの傷を受けたサワネは杖の代わりにナイフを振り上げて佐羽に迫る。るうかの声に反応した佐羽がすぐさま振り返ってるうかを庇いながらサワネを蹴り飛ばした。そこへサワネが破壊魔法を放つ。
3人を巻き込み自滅するような魔法だ。るうかがそう思った瞬間には佐羽の呪文が致死の魔法を退けていた。
サワネの身体が高く宙を舞って、無残に抉られた土の地面に音を立てて落ちる。佐羽の首筋には小さくない傷ができていた。流れる赤が足元の草の欠片に染みる。
「お、ちいし、さん……!」
るうかは焦りながら彼の傷へと手を伸ばす。久しく忘れていた感覚が蘇る。佐羽が驚いた顔でるうかの瞳を見つめていた。るうかの身体の中を流れる血が力を伝えていく。
かつて治癒術師としてこの世界に生きていたるうかが持つ魔法の本質は癒しだ。たとえ一度は“天敵”となって死んだとしても、生まれ持った力そのものが変化するわけではない。向こうの世界では使えなかったというだけで、るうかの中にはずっとその可能性が残されていたのだ。
青い光が佐羽の首にできた傷を綺麗に治していく。るうかはどこか恍惚とした気分でそれを見ながら小さく微笑んだ。
執筆日2014/08/06




