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同じ夜の夢は覚めない 5  作者: 雪山ユウグレ
第4話 マッド・ゲームの審判
17/42

4

 どれほどの時間が経ったのだろうか。少しばかり活力を取り戻したらしい輝名(かぐな)がるうかを見て「辛いか」と問いかける。るうかは素直に頷いた。しかし休息を取ったことで疲労感はいくらか楽になっている。

「これからどうしたい?」

 輝名はあくまでるうかに選択を委ねる様子だった。るうかは少し考えて、「侑衣先輩の傍にいなくてもいいんですか」と彼に尋ねる。この世界に家族を持たない彼にとって、侑衣の存在はとても大きいはずだ。それとも彼の双子の兄弟である湖澄(こずみ)と連絡を取り合って“二世”としての役割をこなす方が今の彼にとっては重要だろうか。るうかにはそこまでの事情は分からない。輝名はるうかの顔を眺めながら小さく首を振った。

「あいつなら大丈夫だ。朝倉に預けていれば心配は要らねぇ」

「……聞いてもいいですか。朝倉先生は何者なんですか」

「そろそろ見当はついているんじゃねぇのか?」

 輝名は穏やかな笑みを浮かべながらそう答える。るうかは少し考えて、それから小さく頷いた。“一世”や“二世”と関わりが深いこと。輝名がこれほど信頼しているということ。朝倉医院の幽霊、もといイチと名乗った青年の奇妙な言動とその存在。色々なことを重ね合わせて考えればあの医院と院長が特別な存在であることは想像に難くない。しかしるうかはそれを一体何と呼べばいいのか、その名前を見つけられずに沈黙した。輝名がそれ以上の答えをくれることはない。

「これからどうしたいか、私が決めていいんですか」

「ああ。俺には役目があるが、それももうほとんど残っちゃいねぇ。お前はこの最後の局面にあって随分と苦労ばかりさせられた人間だ。“二世”としても俺個人としてもそんなお前に報いたいと思っている」

「家族が心配です。お母さんとお父さん……無事でいるか、知りたいです」

「それはそうだろうな。お前、携帯はどうした」

「桂木くんに預けちゃいました」

 (ほぎ)のことだからるうかの携帯電話を粗末に扱うことは決してないだろう。そしてあの学校の中にいる分にはおそらく彼らは安全だろう。何しろ輝名が自ら乗り込んでテロリスト達を制圧したのだ。ひょっとすると現在この街で最も安全なのはあの校舎内なのかもしれない。輝名は一度頷いてから自分のズボンのポケットに入っていたスマートフォンを取り出した。

「……ああ、俺だ。無事か? 街の“天敵”と黒い蝶はどうなっている」

 そんな言葉で始まったやりとりの相手は問うまでもなく湖澄なのだろう。彼は柚橘葉のことや緑のことを告げ、最後にるうかの両親の安否についての情報を湖澄に求めた。そしておそらくその答えを聞いただろう彼はホッと安堵の表情を浮かべる。るうかはそれだけで両親の無事を悟った。

 通話を終えた輝名はスマートフォンを手に持ったままるうかを見た。その顔は明るく、るうかもつられて少しだけ微笑む。

「ありがとうございます」

「ああ。お前の両親はどっちも無事だそうだ。職場がある程度堅牢な場所だったのが幸いしたな。外勤じゃないことも幸運だった」

「はい……」

「両親もお前のことを心配しているだろう。向かうか? 座標は把握した。魔法で飛ぶこともできる」

「いいえ、いいです」

 るうかは輝名のありがたい申し出を笑顔で断った。両親に会いたくないわけではないが、今この状態で会っても彼らを心配させるだけであることも確かなのである。笑顔のまま自分の半身を指差してみせるるうかに、輝名も苦笑がちに頷きを返す。

「お前もそういうところは意地っ張りだな」

「それでなくてもここのところ心配のかけ通しなんです。せめてこれをちゃんと治療してから、元気な姿で会わないと」

「治療か、そうだな。だがここには聖者の血はないらしい」

「浅海さんの方はどうでしょうか。黒い蝶をこっちに持ち込んだのは浅海さんの策なんですよね。それなら治療手段も用意してあるかもしれません。浅海さんはこっちの世界を選ばせたかったんですから、だったら柚木さんみたいに治療手段をなくしておく必要はないです」

 るうかの言葉に輝名はなるほどなと頷く。

「だとするとあいつの根城……春国大学の研究室か。たとえ消えても“一世”の領域内だから直接飛ぶことはできねぇ。どうするか……」

「私、歩けますよ」

 この休息でるうかの体力も幾分回復している。辛いことに変わりはないが、倒れるほどの苦痛でもない。ゆっくりとであれば歩けないことはないだろう。輝名は「本当かよ」とでも言いたげな目つきでるうかを見たが、やがて何か決心したように「よし」と頷いて立ち上がった。

「俺のこの様だが、肩くらい貸せる。生憎地下鉄もバスも動いちゃいねぇが、大学までなら歩けねぇ距離でもねぇ。行くか」

「……はい」

 輝名の差し出した手に掴まり、るうかは重い身体を何とか持ち上げる。目眩がして足元がふらついたが、歩けないことはなさそうだった。輝名は一瞬だけ心配そうにるうかを見るが、るうかが笑ってみせると少しだけ呆れたように笑顔を返す。

「大したもんだな」

「何がですか?」

「泣き喚いて投げて諦めて何もしないのが普通の場面だろうが。そうしたって誰もお前を責めやしない。それくらいひどい状況でまだできることをやろうとしていやがる。……尊敬するぜ」

「そんな大層なものじゃありません。何もしない方が辛いんです」

 るうかは微笑み、そして輝名の手を握ったまま歩き出す。身体全体を使ってアルミフレームの扉を押し開けると外の世界が待っていた。キンと冷えた空気が傷んだ身体を苛むが、青空から注ぐ光はまだ明るい。行ける、とるうかは1歩を踏み出す。半身が引き攣れるような痛みを伝えてくるが、それでも続けざまに次の1歩を踏み出した。歩ける、とるうかは自分の心に言い聞かせる。

「何がお前をそうまでさせる」

 るうかの身体を右腕1本で支えながら輝名が呟くように問いかけた。るうかは笑って答えない。それは彼女自身にもよく分からないことだったからだ。

「赤の勇者、か」

「それは夢の世界のお話です」

「そうでもないんじゃねぇのか。お前の年でこうも勇敢な奴はなかなかいるもんじゃねぇ」

「勇敢、ですか。私は自分のことを結構臆病な方だと思っているんですけど」

 そう言いながらるうかはふっと後ろを振り返る。とってつけたようなアルミフレームのガタついた扉、全てはその前に立ったあの春の日から始まった。勿論その前にもるうかは同じ夢を見ていたのだが、この扉の前に立たなければそれを知ることもなかったのだろう。あの日、ほんの少しの冒険心でここに立った時からるうかの毎日はすっかりその姿を変えたのだ。

 日常からの逸脱具合としては程よく、るうかの性格からしても無理のない冒険。そんなつもりで赴いたこの場所。普通の女子高生が、暇な休日に、ちょっとだけ普段とは違うものに惹かれてやってきてみた。それだけのことだったはずが、るうかは頼成に出会ってしまった。ここでるうかを追い返した頼成の判断はきっと賢明だったのだ。しかし佐羽が翌日再び現実に2人を引き合わせた。

「私は全然勇敢なんかじゃなくって、ただの普通のどこにでもいる女子高生です。今でもそうです」

 いくら向こうの世界で勇者としての経験を積んだとはいえ、所詮は夢の中の話だ。特殊な夢ではあったが、るうかにとっての現実はやはりこちらの世界なのだろう。でも、とるうかは呟く。

「頼成さん達に会ったから、私は」

「……るうか」

 輝名がるうかの言葉を遮り、顎をしゃくって前方を指し示す。るうかは足元に向けていた視線を上げて前を見た。そこには大柄で目つきの悪い黒髪の青年が1人、この寒空の下にもかかわらず汗だくで、肩で息をしながらその肩に冗談のような大型の銃をかけて、そして泣きそうな顔をしてるうかの方を向いていた。あ、とるうかは小さく声を上げる。

「遅かったな」

 輝名が愉快そうに投げた声に顔をしかめながら、青年はゆっくりとるうか達の方へ歩み寄ってくる。るうかは輝名の手をそっとほどくと、自分の足で彼の方へ歩き出した。それを見た青年が少しだけ慌てたように足を速める。

 彼もまた無傷ではなかった。銃を手に街を走り回って“天敵”と戦い、黒い蝶の殲滅にも勤しんでいたのだろう。服にはかぎ裂きがいくつもできており、赤黒い血の染みもあちこちに見られる。自力で応急処置をしたらしい絆創膏や包帯も見え隠れしていた。るうかはそれを見て泣きたいような、少しだけ誇らしいような不思議な気分になる。自分は彼が好きなのだと改めて感じた。

 距離にして数メートル。今のるうかの歩幅で何歩かかるだろう。焦る気持ちと逸る想いに足がついてこず、るうかの身体はぐらりと傾ぐ。その瞬間、彼が重い銃をその場に放り出して駆け出した。

「るうか!」

 聞きたかったその声にるうかは微笑み、身体は倒れながらも顔だけはしっかりと上げて彼を見つめた。地面に叩き付けられるくらいどうということはないのだ。彼の手が間に合わなくても一向に構わないのだ。彼が無事で、こうして再び会うことができたというだけで充分に幸せなのだ。

 黒髪の青年、頼成が必死の形相でるうかに向けて手を伸ばす。るうかも手を伸ばそうとしたが、身体が言うことを聞かなかった。仕方ない、とるうかはただ待つことにする。瞼が重い。しかし目を閉じるわけにはいかない。彼の顔が、目つきの悪いその灰色の瞳が彼女に向けて細められる、その笑顔が見たいから。

 もう50センチメートルもない。確か彼は元ラグビー部だと言っていた。ボールを追うような感覚で駆けてきているのだろうか。その手が目標に触れたとき、彼は笑ってくれるだろうか。

「頼成さん」

 るうかはありったけの力を振り絞って動かない腕を前へと伸ばした。1センチメートルでもいいからその距離を縮めたかった。あとわずか。

 2人の指先が触れるまでもうきっと何秒もなかった。

 しかし、その数秒を待たずに。


 るうかの視界から頼成の姿が消える。まるで初めからそこに誰もいなかったかのように忽然と、覚めてしまった夢のようにあっさりと、彼はいなくなった。

 るうかの身体がアスファルトの路面に落ちて大きな音を立てた。

執筆日2014/07/03

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