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同じ夜の夢は覚めない 5  作者: 雪山ユウグレ
第4話 マッド・ゲームの審判
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2

 部屋に戻ってきた輝名(かぐな)は倒れているるうかの傍らに屈み込んでその顔を心配そうに覗き込んだ。

「意識はあるか」

「はい……侑衣先輩は?」

「大丈夫だ、朝倉の腕は信頼していい。侑衣のことは心配要らない」

 輝名は穏やかな口調でそう言うと、るうかの身体をその右腕で持ち上げようとする。しかし彼も相当に消耗しているのだろう。脱力しているるうかの身体を起こすまでには至らない。彼は珍しく弱った様子で顔をしかめた。そこにもうひとつの足音が近付いてくる。気付いた輝名がどこからともなく魔法銃を取り出して身構えた。まるで手品のようだが、るうかもそこを追及している状況でないということは分かっているので黙っておく。やがてドアが外側から開かれた。

「酷い有様ですね」

 苦々しくも皮肉を顕わにした複雑な笑みで口元を歪ませてそう言ったのは、緩く波打つ灰色の髪を後ろで軽く結わえ、楕円形をしたフレームの眼鏡をかけた知的な印象の男性だった。今更確認するまでもない、春国大学の助教にして鼠色の大神官の浅海柚橘葉(ゆきは)その人である。向こうの世界でるうか達を咎人と呼び、彼女達を擁護した輝名を神殿から追放した彼がそこにいた。輝名はふんと鼻を鳴らして柚橘葉を睨む。

「何の用だ、浅海柚橘葉。生憎こっちは今忙しいんでな、てめぇの相手をしている暇はねぇんだよ」

「それはこちらも同じです」

 ふん、と柚橘葉は輝名に負けじと鼻を鳴らしてみせる。その表情には焦りと怒りが顕著に浮かんでいる。

「何もかもうまくいかない。あの女にしてやられました。まさか佐保里に裏切られるとは思っていませんでしたよ。いや、そもそもあれが裏切るなどありえないでしょう。何故このようなことになったのか、私には全く理解できませんね。これではこの世界の人々は夢も現実もどちらも否定してしまう。答えなど出せるわけもない。いっそ死んだ方がましと考えるほどの絶望がこの街を満たしています。外の様子を見ましたか?」

「多少はな」

 輝名は答えて柚橘葉を見上げ、睨む眼差しはそのままに彼に対して言葉を投げる。

「浅海佐保里に関してはお前の見込みが見当違いだったとしか言いようがねぇな」

「何故です。あれは人間とは違います。感情や思想といった揺らぎを排除した、我々“一世”のためにしつらえられた特殊な駒ですよ」

「その認識からしてずれている。その点ではお前は柚木阿也乃に後れを取ったな。奴は狡猾で残忍だが、西浜緑に人格を認めている。だから奴はあれをうまく操作してお前を出し抜いた」

 柚橘葉はぽかんと口を開いて輝名を見る。まるで理解できないといったその表情を前に、輝名はにっと口の端を持ち上げてみせた。

「分からねぇなら、どうだ。もう一度俺と組むつもりはねぇか? “一世”浅海柚橘葉、てめぇもこのまま負けるのは癪だろう」

「私が負けるとは面白い冗談ですね」

「だがこのままじゃ良くて引き分けだ」

「それこそ冗談じゃない」

「柚木阿也乃の狙いはそこにあると思わないのか」

 柚橘葉は驚いたように輝名を見る。るうかはそんな2人のやり取りを床に伏せたまま聞いていた。正直なところ、“一世”と“二世”の会話はただの人間であるるうかには理解できない要素を多く含んでいる。佐保里や緑が一体どういう存在なのか、るうかにはそれすらよく分かっていない。しかし2人の間ではその程度の会話で充分だったのだろう。柚橘葉はふうと息を吐くと「失礼しますよ」と言ってるうかの身体を丁寧に持ち上げた。

「いいでしょう、“二世”有磯輝名。どうせ神は私達の訴えに耳を貸したりはしない。全ては遊戯の流れのままに任せる気でいるに違いありません。でしたら私もあくまでこの遊戯を戦い続けようではありませんか」

「お前が負けず嫌いでよかったぜ」

 輝名がそう言って笑うと柚橘葉はとても嫌そうに顔をしかめた。それでも彼は大人しくるうかの身体を抱えて部屋を出る。ドアは輝名が開けた。朝倉医院の白い廊下を歩きながら柚橘葉はぶつぶつと文句を垂れる。

「計算通りに事が運ぶからこそ遊戯には楽しみがあるのです。それは規約に則って遊戯が行われる限りにおいては絶対です。それを安易に破って局面をひっくり返そうなどと、あの女のすることは実に下品で下劣で正義に欠ける。だから私はあの女が嫌いなんですよ」

「下品で下劣、なぁ。そこは否定しねぇが、人間にとっちゃ“一世”の存在自体が正義から大きく外れるんだろうよ」

「何故です」

「そりゃあ、自分達を駒扱いしてゲームに興じる連中を正義だなんて呼べるかよ」

 輝名の答えに柚橘葉が黙る。るうかはそんな柚橘葉の手によって運ばれながら廊下の壁を見るともなしに見ていた。壁、ドア、壁、ドア。規則正しく並ぶその配置に時折混じる患者名の書かれたプレートが目に入る。壁、ドア、壁、ドア、プレート。そこに一瞬、るうかの目を引く名前が映る。

“宝喜美香(きみか)

 あ、とるうかは小さく口を動かした。柚橘葉はそんなるうかの様子には目もくれずにずんずんと廊下を進んでいく。小さなプレートはすぐにるうかの視界から外れ、見えなくなった。


 医院の外に出た柚橘葉は駐車場に停めてあったダークブラウンの乗用車へと歩み寄る。彼は片手で後部座席のドアを開けると、そこにるうかをそれなりに丁寧な手つきで放り込んだ。

「輝名くん、後ろをお願いしますよ」

「ああ、恩に着る……とまでは言わねぇが礼くらい言ってやる。助かる」

「いいえ、そんな取ってつけたような礼など結構です。お返しします」

「てめぇもいちいちうるせぇ奴だな」

「貴方程ではありませんよ」

 あまり中身があるとはいえない会話をしながら2人は車に乗り込んでくる。輝名は後部座席のるうかの隣へ、柚橘葉は左にある運転席へ。そして柚橘葉がスムーズにエンジンをかける。

「目的地はあの女のビルでいいんですね」

「お前の目的もそこか。柚木阿也乃に会って何をするつもりだ」

「答える必要がありますか。いくら貴方が“二世”であるといっても私の行動の全てを監視・束縛する程の権限は持ち合わせていないはずです。勿論私が明白な規約違反を犯さない限りにおいての話です。いかがですか?」

「違いねぇ」

 ふん、と輝名は鼻を鳴らして不愉快そうに柚橘葉の後頭部を睨み付ける。彼は思い出しているのだろう、あの少女……喜美香を殺し、侑衣を撃った阿也乃のことを。いくら“二世”が“一世”の規約違反に対してその行動を制限する権限を持っているといっても、所詮は事が起きてからの対応しかできないのである。それもまたゲームのルールというものなのだろうが、輝名は人間としてそのルールを憎らしく思っているようだった。

 阿也乃の住居にはるうかの今の症状を治療することのできる聖者の血があるのだろうか。それは行ってみなければ分からない。そしてもしそこにそれがなければ、るうかはこの“天敵”になりかけた身体を抱えて途方に暮れるしかない。わずかな可能性に賭け、それでも阿也乃の家へと向かわなければならない今、たとえ柚橘葉が何を考えていようと彼を頼らないわけにはいかないのだった。

 柚橘葉の運転する車は市内を貫通する国道を飛ぶように走り抜ける。他に移動する車は見当たらない。るうかは身を起こして窓の外を見て、そして驚いた。

 高く冷えた青い空の下、赤みを帯びた靄が街を低く覆っている。空を黒い飛行機が飛び、時折そのエンジンが立てる爆音とどこかで何かが破裂するような音が聞こえてきた。道路の端にはしばしば赤黒い痕が残されている。日常、という言葉の意味すら忘れてしまいそうなほどに壊れたその光景を見まいとでもするかのように柚橘葉は制限速度をまるきり無視してエンジンをふかしていた。

 その彼が押し殺した声で呟く。

「このような世界は、私の盤面ではない」

 その言葉を聞いた輝名がつまらなそうに柚橘葉を見やり、それからるうかへと視線を動かした。るうかはぼんやりとした頭で、ふと思いついただけの言葉を口にする。

「でも、私達の世界です」

 輝名は微かに笑い、そして確かに頷いた。

執筆日2014/07/03

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