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風邪メロン。


 朝からずっと職場のパソコンを前に、はぁはぁと荒い息を吐いている。


 エロいサイトでも見ているなら健康的でいいが、

 二日酔いでもないのに頭が痛くて吐き気がして、

 おまけにゾクゾクするとしたら、まぁ風邪だろう。


 いつもは、「お前もちゃんと働けよ」と言いたくなるような冷房だが、

 今日に至っては、「無理しなくていいからね」と労ってあげたい気持ちになる。

 それでも頭の方はグラグラ熱いので額には冷却シートを貼りつけている。


「槙村さん、さっきからエロい顔してますけど大丈夫ですかぁ?」


 後輩の女の子がサラサラのセミロングを耳にひっかけながら、息がかかるくらいの近さで顔を覗きこんでくる。


「エロいって言わない。あと、サキちゃん顔近いわ」


「もしかして私に興奮してるんですか?」


「うん、そうね」


「うわっ、年間かわいいランキング一位の私をそんな風にあしらうなんて、槙村さんってホモですか?」


「左手の薬指見てもの言ってよ」


「そんなもの見なくても、奥さんが私を見張ってます」


 そう言ってサキちゃんが指差したのは、

 透明のデスクマットに名刺やメモなんかと一緒に挟んであるサチの写真だ。


 前に「これ、いい出来だから会社の机にでも飾っといてよ」と渡されたものだ。


 冗談なのはわかっているが、何だかんだと考え過ぎた時にサチの顔を見ると、

 「そんなのどっちでもいいじゃん」と言われてるようで、ふと気が楽になることがある。


「いやー、新婚でもあるまいし正直引きますわ」


 そう言う割に、サキちゃんの顔は変わらず近いままだ。


「じゃあ、今日はもう奥さんの待つスィートホームに帰ったらどうですか」


「そういうわけにもいかんでしょ」


「いかんでしょって、槙村さんさっきから全然手動いてないじゃないですか。会社に来て、時間だけ無駄に潰すのって給料泥棒って言うんですよ?」


「サキちゃんって、ちょっと俺のことバカにしてるところあるよね?」


 そう言うと、サキちゃんはそこで初めて大きく身を引く。


「ひどーいなぁー! 何も知らない新卒の私に近付いて、手取り足取りあんなことやこんなことまで教えてくれた先輩のことをバカにするような女だと思ってたんですか! 一緒にホテルにも泊まった仲なのにですか!」


「ごめん。謝るから静かにして」


 彼女が自分で言った、かわいいランキング一位は事実なので、

 こういう冗談が案外こじれる。


 ちなみにホテルは出張で泊まっただけで、もちろん別々の部屋だった。


「槙村さんが手塩にかけて、揉んで揉んで揉みまくって育ててくれた私が言ってるんですから、あとはまかせてくださいって。それにそんな艶っぽい顔で仕事されると何かムラムラします」


「つくづくサキちゃんの後輩じゃなくて良かったと思うよ」


「……今一瞬想像しちゃいましたよ」


 そう言って、じゅるりとよだれをすする後輩。

 何その反応?


 結局、サキちゃんが俺を押し切り、

 更には部長まで押し切ってくれたおかげで早退することになった。


 電車の中で時計を見たらまだ十一時にもなっていない。

 毎日、行きも帰りも吊革を握れたら奇跡のような電車に乗っているので、 自分以外に三人しか乗っていない昼間の車輛というのは何だか不思議な感じがした。


 電車が降りる駅のホームに着くと、

 乗り過ごさないようにかけていた携帯のアラームを解除し、電車を降りる。

 もわっとした熱気が一気に体を包み込むが、震えっぱなしの体には心地よく感じた。


 駅のエスカレーターには誰もいなかったので、子供のように段差に座りこんで下まで降り、改札を抜けてタクシーを拾う。


 運転手に家の近所の小学校の名前を伝えたところで、

 次に体を動かす時は我が家かと思うと、体から一気に力が抜けた。


 そう言えばサチに帰るって連絡してないなと思ったが、

 いきなり帰って「言わんこっちゃない」って叱られるのも悪くない。

 そんなことを考えると容赦なく頬が緩む。

 もし運転手がミラーで俺の顔を見ていたら、さぞかし重症だと思ったことだろう。


 家のドアを開けると玄関に男物の革靴が揃えてこっちを向いていた。

 俺のではない。客だろうか。


 ドアの開く音に気付いたサチが慌てた様子でリビングから出てくる。


「雅也君どうしたの?」


「お客さん?」


「え、あ、うん。そう。でも、もう帰るところだから」


 朦朧とする意識の中でも、そう言ったサチの目が一瞬宙を泳いだのがわかった。

 サチの意識は目の前の俺よりも、リビングの中にいってるのは明らかだ。


 何で心配してくれないんだ?

 何で困った顔をしてるんだ?

 リビングにいるのは誰なんだ?


 そんなことが頭の中でぐちゃぐちゃに混ざりながら、眠るように意識が遠のいていった。

 

 目が覚めると、そこにはよく知ったリビングの天井があり、額には冷却シートが貼ってあった。


 ローテーブルに視線を移すと、

 盆の上にラップのかかったお粥とスポーツドリンク。それに一枚のメモが置かれていた。


 「買い物に行ってきます。五時には戻ります。おそらく、何か勘違いしていると思うので言っとくけど、雅也君が思ってるようなことはありません! バーカバーカ!」


 メモの最後には、怒った顔のイラストが添えられていた。

 壁の時計を見ると、四時半を少し過ぎたところだった。


 お粥をすすり終えて、茶碗をキッチンに運ぼうと立ちあがったところで玄関のドアが開く音がして、買い物袋をさげたサチがリビングに入ってくる。


「おっ、起きたかね。どう?」


「うん。だいぶと楽になった」


「そうかそうか。じゃあ、いい子にしてた君には、おじさんがご褒美をあげよう」


 そう言うと、サチはじゃじゃーんと買い物袋からメロンを取り出した。


「紹介しよう。メロンさんだ」


「それって、さっちゃんが食べたかっただけだよね」


 俺はそんなにメロンを有難がらない。

 あの甘さも香りもあまり好きな方ではない。


「べ、別にあんたの為に買ってきたんじゃないんだからね」


「それじゃ認めちゃってるじゃん」


「いいからいいから。今切ったげるから食べようぜい」


 メロンを頭の上に掲げながら機嫌良くキッチンに向かうサチのあとに続く。


「何かしてほしいことある?」


 メロンを慎重に切り分けながらサチが訊いてくる。


「したい」


「なにを?」


「エロいこと」


「却下。そんなフラフラしている人としたくありません。風邪もうつされたくありません」


「じゃあ手で」


「てめぇ最低だな!」と突っ込んだあとで、「やっぱ疑ってる?」とサチが訊いてきた。


「疑ってはないけど」


 サチは包丁をまな板の上に置くと、俺の方へと向き直る。


「疑ってないけど、こいつ俺がいない内に男を引っぱりこむためにバイトも辞めたのか。とか思ってる?」


「そうなの?」


「んなわけあるか!」


「じゃあ」 


「じゃあなんでかは言えない。ごめん。でも時期が来たら必ず話します。今は信じてください」


 そう言って、口をへの字に曲げてまっすぐ俺の目を見つめてくる。

 その顔は「ぼくは悪いことなんてしてないぞ」と言っている子供のようだった。


「抱きしめていい?」


「ん。優しくだぞ」


 腕の中に包み込むと、サチの少し汗ばんだうなじが鼻先に来る。

 肌の匂いとシャンプーの香りとが混ざったそれを吸い込むと一層ムラムラしたものがこみ上げてきた。


「なぁ、やっぱり」


「無理矢理したら泣く」


 サチはその代わりと前置きすると、

 俺の頭を両手でガッと掴むと背伸びして唇を重ねてきた。

 小さく柔らかいそれが俺の唇をまんべんなく濡らしたところで、


「以上。サービスタイムでした」と、こちらが応戦する前に体を引いた。


「いや、生殺しなんだけど」


「元気になったら生で死ぬほどさせてあげる」


「それも逆効果」


「知らね」


 うつる前にうがいしてくると言って、洗面台へと走っていった。

 その後ろ姿に、一層泣かしてやろうかとか考える。


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