花マル。
「仕事やめていい?」
サチがそう言ったのは、人生ゲームをした日から三日後。
ベッドに潜ってからは三十分後のことだった。
隣りでごそごそと仕切りに寝返りを打つものだから、
眠れないのかと尋ねたところ、ややあってのサチのそのセリフだった。
「いや、それは全然構わないけど、どうしたの?」
「んー何かね。仕事飽きちゃったんだよね」
「そっか」
サチは歩いて十分ほどのDVDレンタルショップでアルバイトをしている。
二年前、この家を買って引っ越してきて間もないころ。
ひとりでDVDを返却しにいって、家に帰ってくるなり、
「私バイトするから」
ソファに座る俺とテレビの間に立つとサチはそう言った。
だって、新作以外無料で借りれるんだよ!
まるでお菓子の家でも見つけてきた子供のように、
目を輝かせながら無料レンタルの素晴らしさを俺に謳った。
サチはバイトが休みの日はだいたい一日中DVDを観ている。
たまに本を読んでると思ったら、映画の原作本だったりする。
面白い作品に当たれば、俺が仕事から帰ってくるなりネタバレぎりぎりで解説してくるし、そういう日は決まって夕食後の予定は映画鑑賞になる。
先週も新作シールがはずれて間もない作品を二人で観たばかりで、
それが今日になって辞めると言うのだから、少し妙だなとは思った。
ただ収入面の話だけなら、家のローンを返済しながらも、
たまに贅沢するぐらいの給料は俺ももらってきているので、
サチに無理させてまでバイトを続けてもらうつもりもない。
「飽きたって何だ、とか突っ込まないの?」
暗い部屋でもサチがこちらの顔を窺っているのがわかる。
「何か理由があるんだろうけど、さっちゃんが言わないなら訊かないよ」
「そう言ってくれると助かる」
「……もしかして、バイト先で言い寄られたりとか?」
「訊かないと言った傍から訊いてくるね。ってか、そんなのないない。もう私もおばさんだし」
「何言ってんの、さっちゃんはまだまだ全然かわいいよ」
「そう面と向かって言われると照れる」
「本当だって、見ててとても大人とは思えないよ」
「ん?」
「ブレザー着せたら高校生でも通じるんじゃない?」
「ん? ん?」
「実家にブレザーとかまだある?」
「何考えてんの?」
「体操服は?」
「一方的に食いついてくんなよ」
「学校のスク水ってどんなのだった?」
「110番と119番どっちがいい?」
「何が楽しくて生きているのか」って訊かれたら、
俺は「自分の妻のかわいい顔をどうやって引き出すかということ」
と答える。
答えるけど、そんな恥ずかしいこと誰にも言えない。
毎日が同じで毎日が新鮮に思えるのはサチのおかげだ。
サチは俺の上に覆いかぶさると、ベッド脇の関節照明のスイッチを入れる。
部屋にじんわり柔らかい明りが広がる。
「やっぱりにやにやしてる。本当に気持ち悪いよ?」
「ごめん、今脳内着せ替えしてあげるからあまり動かないで」
「自分の奥さんだからって、何してもいいってわけじゃないんだぞ」
サチと結婚できた時点で俺の人生はすでに花マル。
あとはこれに子供ができれば、たいへんよくできましたシールでも貼ろうかというところだけど、そこは「そんなの幸せ過ぎて何だかこわい」って言葉で強がってみる。