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バケットリスト。


 秋になるころにはサチはほとんどの時間をベッドで過ごすようになった。


 そうなると、必然的に俺も同じような生活環境になる。

 昼過ぎに風呂の掃除を終えて二階に上がると、親子でうたた寝の最中だった。

 サチの膝の辺りに載ったポータブルDVDプレーヤーはメニュー画面を延々とリピートしている。

 それをどけてやろうと近付いて、サイドボードの上のメモ書きが目に入る。

 メモには見慣れた丸っこい文字で三行。


 「超高級なお肉を食べる」


 「うにと中トロといくらばっかり食べる」


 「モンブランのクリームのところばっかりを食べる」


 その面白リクエストを眺めていると、サチが目を覚ました。  


「あぁー!」と声をあげてから、まだ眠っている杏に気付き、

「それ見ちゃダメー!」と声を落として訴えてくる。


「もう見ちゃった」


「妻の秘密を覗き見るなんて、ひどい旦那だ」


「今晩、寿司頼む?」


「ううん。いいのいいの」


「だって食べたいんだろ?」


「そうじゃない。こともないんだけど、そうじゃないんだよ」


 不思議な発言に俺が首を傾げると、サチはんー、っと少し言い淀んでから、「あんまり深く考えないで聞いてね」と前置きする。

「今見てたDVDの中でバケットリストってのが出て来たんだよ」


 当然、俺は「バケットリストって何?」となる。


 頭の中では堀の深いパン職人が香ばしいフランスパンを焼いていたが、

 おそらく違うだろうと思って、それは黙っておいた。


「だよね」と言うとサチはまた言い淀んだ様子を見せ、

「棺桶リストのことなんだよ」と話した。

「つまり死ぬまでにしておきたいことだね。あ、だから深く考えないでって」


 そう言われて、自分があからさまな表情をしていることに気付く。


「映画の中でね、余命宣告されたジャック・ニコルソンとモーガンフリーマンが、同じ病室になって、二人でバケットリストをひとつずつ消化していくんだけど、それが……あ、雅也君もあとで観ようよ。いや、そんな重たい話じゃなくて、映画として面白いんだって。むしろ、前向きになれる」


 そう言って、サチは顔の横でビッと前向きに両手を振った。


「で、これがその、さっちゃんのしたいこと?」


 俺がメモに目をやると、サチは、いやーそれがですねーと頭をかいた。


「観終わってから私も書いてみようと思ったんだけど、それが全然浮かばないんだよね。頑張って考えるんだけど全然。それで何とか出て来たのがそれだけだったってわけ」


 おかしいでしょ? と、本当におかしそうにサチは笑った。


「でね、『はっ、これは!』と気付いたんだよ」

 そう言って、自分の中にあるものを噛みしめるように胸に手を置くと、

「私の人生は全て満たされたんだなって。そりゃもちろん、のちのちはああしたいこうしたいってのはあるよ? でも、今やり残したことってないんだよね。ローマにも行けたし、雅也君も傍にいて、杏も産まれて、大満足だよ」


「そっか」と俺は相槌を打って、すぐに「そうかな」と口からこぼれた。

 サチの言葉にではなく、自分自身に対して。


「俺はさっちゃんと一緒になってから、自分みたいな平凡な人間にはもったいないってよく思ってたんだよ。俺が先に捕まえてしまったから、さっちゃんの人生はここ止まりで、本当はもっと先に連れていける人がいたはずなんじゃないかって」


 ベッドの脇に膝まづいてそう話すと、何だか懺悔をしているような気持ちになった。

 カーテンから薄く漏れ入る光が余計にそう思わせる。


「何かものすごく持ち上げてくれるね。何も出ないよ?」


 それからサチは、うーんと唸りながら杏の頬っぺたを擦る。

 その、この世で一番サラサラな素材に俺も反対側から擦る。


「そうだなぁ。平凡だな、雅也君は。平凡パンチだ」


「うん。フォローはないの?」


「今からする」


 そう言ってくすりと笑う。


「じゃあさ、私が私みたいな人と一緒になってたらどうだっただろうって考えてみて」


「それってさっちゃんが二人ってこと?」


「うん。まぁそうだね」


「面倒くさい……」


「こらっ。でも、そういうこと。もし私が私と同じような人と一緒になったら、たぶん相殺するか、私がその人のために自分を押し殺してたと思う。出っ張ってる人間同士じゃうまくいかないよ。コンビはデコボコって相場が決まってるんだよ。雅也君が私を捕まえてくれたから、私は好きに生きてこれた。あと、えっちぃことも雅也君で丁度よかった。雅也君がゆっくり私に合わせてくれたことに私は感謝してる」

 ありがとう、とサチは付け加えた。


「でも、最初のころにはよく泣かせたけどね」


「よく泣かされました」


「よく土下座させられました」


 はははと笑うその頭の上のニット帽を取り、きれいに剃ってもらった頭を撫でると、

 サチは猫のように気持ち良さそうに目を細めた。


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