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そういうお店。

 そんなことの繰り返しの中、梅雨入りして、梅雨明けして、夏が訪れる。


 サチのぐったりする時間が徐々に長くなっていく。

 それが薬の副作用の積み重ねなのか、病気が進行しているのか、その両方なのか。


 俺の方は、仕事がひと段落したタイミングで育児休暇を申請した。

 杏のこともあるが、サチの傍にずっとついていられることが何より有難かった。


 ある日、何か欲しいものはあるかと訊ねると、サチはビデオカメラが欲しいと答えた。

 ハードディスク内蔵ではなく、昔のDVテープのやつがいいのだと言う。


 買ってきたビデオカメラを渡すと、説明書を取り出して俺によこし、

 録画と再生の仕方だけ調べて教えてくれと言った。


 杏の成長記録かと訊くと、「まぁ、そんなとこだね」とにやりと笑う。


 杏を撮りながらビデオカメラの操作を教えていると、

 サチが辛そうになってきたのでベッドに寝かせる。


「私、機械苦手だからな」


 そう言ったサチの手を握ってやると、こっちを見て、ふふっと鼻息だけで小さく笑った。


「何?」


「ごめん、思い出し笑い」


「何だろ?」


「としま園だよ」


「こないだ行ったときの?」


 そう訊くと、サチは枕の上で首を小さく横に振った。


「一番最初の。クリスマスのときのだよ」


「何かあったっけ?」


「フライングパイレーツ」


 言われて、ああ、と思い当たる。


「あのとき、雅也君さり気なく手握って来て。おっ、人前なのにやけに積極的だなと思ってたら、降りるときには私がその手を引いて出口を出ることになったんだよ。ムリならムリって言えばいいのに」

 サチはクスクスと笑うと、

「ああ、あの頃の雅也君はかわいかったなぁー」と言った。


「それを言うなら、その後初めてホテルに入ったときの話もする?」


「うん」


 嫌がるだろうと思って言ったので、やや拍子抜けしたが俺は先を続けた。


「酒飲んで、お城だお城だってはしゃぎ倒した挙げ句、珍しく自分からエロいキスしてきてさ、これはと思ってベッドで押し倒したら、初めてだからねって泣きだしたんだよ。あの時のさっちゃんはめちゃくちゃかわいかったなぁ」


「興奮した?」


「興奮した」


 素直に答えると、変態だね、とサチが笑う。


「雅也君」


「ん?」


「したい?」


 何を? と一瞬訊きそうになったが、あまりに不自然なので「別に」と答えた。


「私はしたい。してあげたい。でも今はちょっと、ムリだ」


「そんなことまで気にしなくていいって」


「うん。だからその……」サチは少し言い淀むと、

「そういうお店だったら行ってきてもいいよ」と言った。


 本当は全然よくないのに、我慢してそういう事を言うサチがいじらしくて、

 少しいじめたくなった。


「ほんとに? いいの? マジで?」


「う、うん」


「ほんとのほんとに?」


「何度も訊かないでよ」


 そう言って寂しそうに目を伏せるサチの横顔に早くも心がくじけそうになるが、もう少し続ける。


「そっか。いや、恥ずかしい話、ずっと我慢しててさ。さっちゃんがそう言ってくれると正直助かる。じゃあ、今晩さっそく出かけさせてもらうね」


「ちょ、ちょっと待って。そんなおおっぴらに行くのはやめて。私に気付かれないように行って」


「内緒で行ってきても、せっけんの匂いとかですぐわかると思うけど?」


「ああ……うん。仕方ないよ。それは……」


「その手でさっちゃんの髪撫でたりするよ?」


「じゃあ撫でないでよ」


「杏を抱っこしたり」


「触らせない」


「ベッドに匂い移るかも」


「ソファで寝て」


 もう少し遊ぼうと思ったが、だんだんふて腐れていくサチの顔を見てると我慢できす、

 顔がにやけてしまう。


「うわっ、なんだその顔! からかったのか!」


「いやぁ、うちの嫁はかわいいなと思って」


 そう言って頭を撫でようとして、その手をはじかれる。


「怒った?」


「カンカンのプンプンだ」


「大丈夫。そんなところ行かなくても、パソコンのハードディスクには百人以上の女を囲ってある」


「てめぇ最低だな。あとでそれ観賞会ね」


「絶対ムリ」


 むくれてそっぽ向いていたサチが、くるりと首をこちらに振ると、ねぇ、と呟く。


「手出して」


「手?」


 そう言って差し出した俺の右手を掴むと、それを口元に持っていき、真ん中の指を咥えた。

 指を這うように動く舌の温もりに何とも言えないやらしさがある。


「さっちゃん……」


 気持ちいい? 咥えながらそう訊いてくる声は、当然舌が回っておらず、

 余計に興奮を掻き立てる。

 理性の限界を感じたところで指を引き抜く。

 人差し指だけが空気に当たって冷やっこい。


「あのさ、気持ちいいんだけど、それ本当に逆効果だから」


「そっか。名案だと思ったんだけどな」


「……あの、だったらさ、ものは相談なんだけど」


「やだ」


 俺が次に言わんとしたことを察したサチが即答する。


「もういいから今から行っておいでよ。お金足んないなら、私の財布も持ってっていいから」


 ああーエロいエロい、と言ってサチは杏を抱いて布団に潜った。


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