愛狂。
杏が産まれて一週間後。
退院と同時に通院によるサチの抗がん剤治療が再開した。
相変わらず薬の副作用は辛そうだったが、杏がいることで以前より家の中は明るかった。
仕事から帰ると、リビングでサチが杏を抱えてうとうとしていた。
音をたてないように静かに近付くも、
足元に転がっていたテレビのリモコンを蹴飛ばしてしまい、サチが
目を覚ます。
「……あ、おかえり」
「具合悪い?」
「大丈夫。ちょっと座ってたら、うとうとしちゃった。ごはん食べる?」
「いや、その前に」
そのまま杏の方に顔を近寄ろうとして、ちょっと待ったと止められる。
「手洗った?」
「まだだけど、触ってないんだからいいだろ」
「よかないよ。手洗って、シャワー浴びて出直してきて」
「ばい菌扱いかよ」
「しっしっ!」
「一日我慢して帰ってきたんだから、顔ぐらい見せてくれよ」
「あとでね」
そう言って、杏の顔を俺の視界から隠すように抱きなおす。
…………。
「ねぇ、チラッとだけ見せてくんない?」
「ダ、ダメだって。あとであとで。我慢したあとの方がビールもおいしいでしょ」
「いや、それとは何か違うから」
俺はソファに手をつくと、ぐっと首を伸ばしてサチの腕の中を覗きこむ。
……やっぱり。
「さっちゃんまた杏の頬っぺたバカみたいに吸っただろ!」
「す、吸ってないよ!」
「じゃあ、何で頬っぺたこんなカピカピなんだよ。何か赤くなってるし、跡が残ったらどうすんだよ。女の子なんだぞ」
「愛情を注入しただけだよ」
「過剰注入だろ。それこそ衛生面的にどうよ?」
「ばっちりだよ!」
「どこが!」
「雅也君だって、バカみたいに写真撮りまくってるじゃない」
「それは成長記録だろうが」
「だからって毎日朝晩撮ってどうすんのよ。半日でどんだけ育つってのよ。朝顔の観察日記かっての」
「別にいいだろ。フィルム代がかかるわけじゃあるまいし」
「じゃあ、プリントアウトすんのやめなよ。インクはタダじゃないんだから」
俺はカバンからアルバムを取り出すと、ベッドの上に広げる。
「見てみろ! これも、これも、これも、かわいいだろ!」
「かわいい! かわい過ぎる! 法に触れないか心配になるぐらいにかわいいよ!! って、何で仕事カバンにアルバム入れてんの?」
「会社で見せびらかすために決まってるだろ」
「……それって何か言われない?」
「バカ」
「だろうね」
「いや、携帯の画像では杏のかわいさを百パーセント引き出せないからな」
「いやいや、この写真でだってムリだよ。このほっぺの柔らかさはそんなもんでは表現できんよ」
そう言ってサチが杏の頬に吸いつく。
「だからさっちゃん吸いつくのダメだって。俺にもさせろ」
「理性が本能に負けてるよ。でも、今日の限度チュー数はもう超えてるからお引取りください」
「それどこの基準だよ」
「国」
「マジ?」
「マジ」
「んなわけあるか! 俺にもチューさせろ!」
「いいから風呂入って、歯磨いて、アルコール除菌して出直してこい!」
そんな押し問答の挙句、杏がフギャーと泣き出してしまう。
「雅也君が悪いな」
「さっちゃんが意地悪するからだろ」
「そんなにチューしたいなら、私にしたらいいじゃない」
「…………」
「おい、急にエロい目でこっちを見るな」
何だか恥ずかしい会話の回での報告になってしまった……。
気がつけばこの話も残り四話となりました。
あまりの人気のなさに途中で不貞腐れかけた中、
ここまで妥協せずにこれたのは、応援してくださった皆様のおかげです。
どうかあと少し、最後までお付き合いいただければ幸いです。
よろしくお願いします。