キャロライン。
クリスマスイブ。
サチに帰宅のメールを入れ、予約していたケーキを手に家路に着く。
リビングのドアを開けると、
盛りだくさんの料理が並んだテーブルには見慣れた顔のサンタさんが座っていた。
「メリークリスマス!」
「メリークリスマス……すごいなそれ」
かぶったサンタ帽の脇からは、金髪の巻き毛が垂れている。
「キャロラインって呼んでいいよ」
「キャロライン」
「Yaー!」
「キャロラインは今日はサンタなんだね」
「どう? 似合う?」
「似合う似合わないで言うと……なんかグッと来ない」
「似合う似合わないで言えよ」
「まずミニスカじゃない」
「サンタはこの寒い中走り回るんだ。無茶を言うな」
「あと、その金髪もちょっと微妙かな」
そう言うと、サチはむっとした顔になった。
「もういい。ケーキはリビングの外、ごはん食う」
どうやら今の俺のリアクションは違ったようだ。
「一体どう返したらよかったの?」
「知らない」
「よく見るとかわいいかも」
「私をバカにしてんのか」
「キャロライン」
「誰だそれ」
「えぇ……」
食事、風呂、ケーキと作業をこなすようにイブの夜が更けていく。
その間もサチはどんどん不機嫌になっていき、
理由がわからないものの、そこに触れれば触れるほど頑なになっていくので、
とりあえず放置するしかなかった。
それでもサチは寝る前までサンタコスを続けた。
先にベッドに入って横になっていると、あとからサチも寝室に入ってくる。
サンタ衣裳はさすがに着替えたものの、頭は相変わらずのキャロラインで、
明らかにふざけているとしか思えないが、それを訊くことはできない空気を漂わせている。
とりあえずベッドの外側に寝返りを打ち、
サチがベッドに入ったのを背中で確認してから間接照明の明りを落とす。
まさかあの頭をそんなに気に入っていたのだろうか。
もしそうだとしたら、小さな一言でイブの夜が残念なことになったなと、 暗闇の中で反芻していると、
「ごめんね」
とても小さな声と供にスウェットの背中を引っ張られた。
「ごめんね。クリスマスなのに」
「いや、俺が悪かったから」
サチが首を横に振っているのが背中越しにもわかる。
「目一杯楽しくしようって思ってたんだけど。そう思ってたんだけど。全然ダメだった。ごめん」
「謝んなくていいけど、理由訊いていい?」
俺がそう言うと、しばらくの沈黙の後、
サチはベッドの上で体を起こすと、何やらもぞもぞし始めた。
「電気。つけて」
照明をつけると、暗闇に馴染むように部屋が明るくなる。
そこに浮かびあがってきた光景に言葉が出なかった。
こちらに正座しているサチの脇には金髪のかつらが置かれ、
さっきまでそれが載っていた頭は縦も横も揃わない、
めちゃくちゃに切られた髪があった。
斬切りというよりももっと酷い。
「びっくりした?」
そう言ってへらへらと笑ったのも一瞬で、
そこから漏れた涙が、膝の上で握った拳に撥ねる。
「抜けるんだよ。いっぱい」
「覚悟はしていたんだけど、実際目の前にするとね……何だかね……」
「最初はね……最初は目立たないように、もう少し短くしようと思ったんだけどね、だけど、切っても切ってもおかしくてね、切っても切っても……ね……」
その先は気持ちばかりが先に溢れ出てくるようで、言葉になっていなかった。
食いしばった歯の隙間から嗚咽だけが漏れる。
こんなとき、俺が咄嗟にできることは相変わらず抱きしめるぐらいしかなく、
どういう言葉が適切なのか、どうやったら安心させてあげられるのか。
大丈夫。心配ない。気にするな。
浮かんでくる言葉はどれもあまりに小さすぎて、どの言葉のあとにも、
「何が?」と問い詰める言葉がもれなく付いてくる。
考えた末に俺は伝わる言葉から、たどたどしく、試すように紡ぐ。
「さっちゃん」
一番たくさん使った言葉から順番に順番に。
「さっちゃん」「……」「かわいい」「……」「好き」「……」「大好き」「……」「愛してる」「……」「いい匂いがする」「……」「かわいい」「……った」「え?」「かわいいは……もう言った……」「ああ……じゃあ、きれい」「うん」「んーと」「考えるな」「超好き」「もっと」「すっごくかわいい」「もっと!」「とろけそうだ!」「もっと!」「鼻血出る!」「もっと!」「エッチしたい!」「アホ!」「ごめん!」
しばらく腕の中では洟をすする音だけが聞こえる。
スウェットはすでに色んな分泌物でびしょびしょで、
サチが呼吸をする度にみぞおちの辺りがぬくくなったり、冷たくなったりを繰り返す。
「……本当に?」
「え?」
ずいぶんと間があっての問いかけに、自分の吐いた言葉を振り返っていると、すぐに続きが来る。
「……こんな頭でも? 髪がなくなっても?」
「えっと……」
「だから……その……したい……かって」
そのセリフのかわいさに思わず吹きだすと、笑うなと怒られた。
「うん。したい」
「ふーん……」
「今からする?」
「しない」
やっと見せてくれた顔はむくれたような表情だったが、それでも安心した。
「ティッシュ」
「うん」
ティッシュを数枚取って、鼻のところへ持っていってあげると、
サチはそのままちんとかんだ。
「こんなんじゃなくって、もっとちゃんとしたウィッグ買いに行こう」
俺がそう言うと、サチはまだ残った洟をティッシュに噴き出しながら、
子供のようにこくりと頷く。
「色んなの買おう。色んな髪型試して、毎日かわいくしよう」
もう一度こくり。
「あと。ミニスカサンタも」
頷かない。代わりに、
「トナカイに蹴られろ」
鼻声でそう言うと、腕を張って俺を突き放した。
サチができるだけ毎日笑えるように。
できるだけ前を向いていられるように。
どうしても無理な時は泣いて。また笑う。
そういうのをぐるぐると繰り返して、
例年より長く感じる冬を二人で過ごした。