そのための。
夕食にはまだ早い時間。
それでも週末のショッピングモールにあるフードコートはどの店もほどよく繁盛していた。
目の前のテーブルの反対側には、
讃岐うどんと石焼きビビンバと神戸焼きそばとが並んでいる。
俺が先に自分の分のうどんを食べ終えたところで、
それぞれの皿から数口ずつつまむと、サチが溜息を吐くように呟く。
「ああー、でもやっぱり別にいいかな」
「何が?」
「セカオピ」
「何で?」
「何か面倒くさそうだし」
「あのさ、面倒云々で決めることじゃないでしょ?」
俺がそういうと拗ねるような顔でサチが、そうなんだけど……と呟く。
「今の病院で私を見てくれてるのって年配の女の先生なんだけど、ちょっとおっかないんだよねぇ……」
「じゃあ、俺も一緒に行って話してあげるよ」
「ああ、それはまずい」
「まずい?」
「いや、まぁそれはどうでもいいんだけど……」
いちいち小骨が引っ掛かるようなもの言いをする。
「結局どうしたらいいのかわかんないんだよ。私」
そう言って、サチは困ったように笑う。
「私はね、杏を元気に産んであげたいというのだけは決まっていて、それだけは何があってもベストを尽くそうって思えるんだけど、それ以外のことはちょっとね、何ていうか、自信がないんだな」
「治療のこと?」
こくりとサチが頷く。
「笑わないで聞いてくれるかな」
「そう言われたら笑わない」
ありがとう、と笑うと、私ね、と話し始める。
「血液検査で血を抜くのも怖いし、なんかよくわからない器具が銀色のトレ―の上でかちゃかちゃしているのを見るのも怖いんだよ。いっつも、あれ使うのかなぁとか、注射するのかなぁとか、早く終わらないかなぁとか、あぁー早く家に帰りたいなぁってことばかり考えてるのね」
いい歳して恥ずかしいよね、と手持ち無沙汰な感じでサチは自分の左腕を擦る。
「そんな私が抗がん剤だとか手術だとか、他にも想像もつかないような色んなことに耐えられるのかって考えると全然自信がないんだ。それにそんだけ頑張ってもどうせダメかも知れないんなら、それなら一層あきらめて楽にその……最後の準備。って言うのかな? そういう方がいいのかな。って」
すぐには返事ができなかった。
そんなことないって言うのは簡単だけど、サチだって散々悩んだ末に言ってるんだ。
この時点で気休めの言葉には意味がない。
ただ、あえて自分の気持ちだけを言うなら――
「寂しい」
「ごめん」
サチはうどんの鉢の底を割り箸でつつきながらしばらく黙っていたが、
うん。そうだな。いや。うん。だから。えっと――
たくさんの言葉で前置きをした後に、
「だから雅也君が私の代わりに決めてくれるかな? 自分じゃわからないから、代わりに雅也君を信じるよ。私の命も杏の命も雅也君に預けます……ってのはちょっと……重過ぎるかな」
そう言って気まずそうにはにかむと、ちゅるちゅると短いうどんを一本すすった。
俺は頬杖をつきながら、そのうどんがサチの喉を通ったのを見届けてから口を開く。
「今思ってること正直に言っていい?」
「え、あ、はい。……どうぞ」
すでに苦い顔をさらに濃くするサチに、俺は止めていた息を吐き出すように言う。
「もっと最初からこういう話して欲しかった」
「うっ……ごめん」
「さっちゃんが苦しいこと辛いことは全部今みたいに言って欲しい。俺に心配かけまいとか、反対されるだろうと思って我慢されてることの方がずっと苦しい。さっちゃんが何と戦ってるのかあれこれ想像することの方がずっとしんどい。そしてやっぱり寂しい。それなら最初から分けて欲しい。俺も頼りないから何でもどんと来いとはいかないけど、その代わり二人であーでもないこーでもないって考えよ? そのための夫婦だろ?」
「……うん。ごめんね」
サチはまたうどんを一本すすると、申し訳なさそうに小さく伺いを立ててくる。
「じゃあ早速なんだけどいいかな?」
「なに?」
サチはうどん鉢の上に割り箸を渡すように置くと、それをずずいと前に押し出す。
「食べて」
「ん?」
「食べて」
「うどんを?」
「うどんも」
「……最初に訊いたよね? さっちゃん、全部食べ切れるって言ったよね?」
「うん。でも思ったよりお腹に入らなかった」
「うん。だから最初に半分こしよっかって訊いたよね? 断ったよね?」
「いや、その、杏が思ったより――」
「また杏か」
「何だよ! そのための夫婦だろ!」
「どのためだよ!」
目の前に付き出されるボリュームに、
自分のうどんのサイズをミニにしなかった少し前の過去を悔やむ。