撫でる癖。
旅行から戻った次の週末の午後。
ソファで横になるサチに近付き、おもむろにその髪を撫でてみる。
「うわっ、なに?」
「べ、別になにもないよ」
サチの過敏な反応に少したじろぐ。
「雅也君がそういう風に触ってくるのって、決まって何かやましいことがあるときなんだよね」
「え、そうなの?」
「そうだよ。壊しちゃったとか、なくしちゃったとか、そういうの。こないだは家のカギなくしたときそうやって触ってきた」
「そうだっけ?」
言われてみれば、ローマでも謝るときはまず髪を触っていた。
「何だ? 何をなくした? 壊したの方か?」
逆にそう構えてくれると、切りだし易いなと思った。
「嫌な顔しないで聞いて欲しいんだけどさ」
「よし来た」
サチはソファに座り直し、軽快に膝を打ってみせる。
「こないだ、旅行のときは俺のせいであんなことになっちゃたけど」
「あんなこと?」
「だからその、病気のこ……だからそんな嫌な顔すんなって」
目の前で、今苦虫を噛んでますと言わんばかりのあからさまなしかめっ面をされる。
「もういいよー。私の意思は変わらないんだから」
そう言って、頭の上でひらひらと手を振る。
「ちゃんと聞いて」
その手を捕まえて握ると、サチは観念したようにしゅんとなる。
「さっちゃんは何で抗がん剤はダメだって思ったの?」
「何でって、病院の先生がリスクはゼロじゃないって」
「産婦人科の?」
「じゃない方の」
「ゼロじゃないってことは高くはないってことだよね? 俺も本やネットで調べてみたんだけど妊娠中に抗がん剤治療をして、それが直接的に赤ちゃんに影響した可能性のある症例はものすごく少ないんだよ」
「言いたいことはわかるけど、可能性がゼロではないものは避けたいの。自分だってぐったりしちゃうようなものを杏にも分け与えるのかと思うとぞっとする」
「さっちゃん。杏が元気に産まれてきてくれることはもちろん一番大事なことだけど、でも、病気か杏かどっちかしか選はないって考え方は違うと思う」
「だって……」
「杏が元気に産まれて、さっちゃんも元気になる。可能性で言うならそこを目指すのが一番真っ当な選択肢じゃない?」
「うぅ……何か丸めこまれようとしている気が」
「警戒すんなよ。心配なら別の病院でも見てもらって考えてみようよ」
そこでまたサチが渋い顔をする。
「それってセカンドオピニオンってことだよね? 何かそれって今の病院に悪いよね」
「んなことないって。がんのセカオピはよくあることなんだって。深く考えないでいいんだよ。車買うのだって色んなのを見て、自分にはどういうスタイルが合ってるのかとか、色んな情報集めて納得して選ぶだろ?」
「私免許持ってないし、ウチ車ないし、動けば何でもいいし」
「えーっと、じゃあねぇ……ショッピングモールなんかでフードコート行った時って一通りお店見てから何食べるか決めるでしょ? 讃岐うどんにしようか、石焼きビビンバにしようか、神戸焼きそばにしようかって」
「お腹空いた」
「うん、ちょっと待って」
「待たない」
「え?」
「フードコート行こうよ」
「まだ大事な話の途中なんだけど。ってか脱線してるんだけど」
「大事な話は美味しいものを食べながらした方が建設的に進むってどっかの社長が言ってそうじゃない?」
「じゃないって訊かれても」
「だいたい女の子口説くなら美味しいものでも奢れよ」
「本当に今からフードコート行くの?」
ぐぎゅーとサチのお腹から返事が聞こえたところで、出かける支度をする。