仕方ない。
日曜日。
ゆっくり寝坊して遅めの朝食を取ると、小夏を連れてとしまえんに出かける。
舞浜の方がいいと言われるが、また今度連れて行く約束で了解してもらう。
一時間少々電車に揺られてとしまえんに到着したのは午後一時を過ぎたところだった。
「やっぱり遅かったかぁ」
入口ゲートをくぐり間もなくして見えてきた順番待ちの行列に俺は声をあげる。
「あれ何の行列?」
「プリキュアショー」
小夏からの質問に答えると、ふーんと興味のなさそうな返事が戻ってくる。
「ショーの開演は二時なんだけど、さすがだな」
「別にいいじゃん。何か乗り物乗ろうよ」
そう言うと小夏は先を歩いていく。
見失わない程度にその背中を追いながら後ろを歩く。
サチは俺の隣に並ぶと、ニコニコと俺の顔を覗きこんできた。
「久し振りだね」
「何年振り?」
「最初は十年前のクリスマスイブ。その次は五年前の春。その次は三年前の冬」
「よく覚えてんなぁ」
「最初の時はさすがに覚えてるよ」
十年前のクリスマスイブは、付き合いだした最初の年だった。
改めて十年と言われても、全然実感はなかった。
「ほらほら、雅也君見てごらん。フライングパイレーツだよぉー。なっつかしいねぇー。久し振りに乗ってみようかぁー?」
「どうしてそんな意地悪な嫁に育ってしまったの?」
園内の一番高い位置にそびえるそれは、
いわゆる振り子の動きで大きく揺れる巨大船だ。
振り子の支点である一か所でしか止まっていないのに、
なぜあれだけのものが落ちないのか不思議でならない。
今にも連結部分が耐えきれなくなってフライングしてドロップするんじゃないかと見ているだけで心臓に負担がかかる。
そもそも、フライングしたらパイレーツじゃない。
「私、こなちゃんと乗ろっと」
そう言って小夏を追いかけようとするサチの背中を呼びとめる。
「おいこら、そこの妊婦」
はっ、とサチがこちらを振り返る。
「そういうこと。さっちゃんも乗れない」
「安心して。私の子だから絶叫系もきっと大丈夫だよ」
「何その根拠のない安心?」
渋々諦めたサチは小夏を呼びつけると、しゃがみこんでその両肩に手を置いた。
「こなちゃん、お願いがあるの」
「やだ」
「私の代わりに」
「やだ」
「あれに乗ってきて」
「やだ」
それに、と小夏が続ける。
「あれ、身長制限あるし」
「大丈夫。120センチ以上だから」
「残念。私100センチしかないから」
なけなしの25センチどこへやった。
絶叫マシンを除いても乗り物はいくつかある。
ゆっくり走る汽車に、ゆっくり走るボートに、ゆっくり走る車。
そんなただの危険回避のためだけの行動に限界を感じ始めたころ、
園内にプリキュアショーの開演を知らせるアナウンスが流れる
その声に小夏が一瞬反応したのを俺もサチも見逃さない。
「プリキュアショー始まるみたいだな」
「だから?」
小夏が目一杯冷めた態度で俺を見返す。
「ああ、俺ちょっと見たいんだけどいいかな?」
「うわっ、もしかしてオタクってやつ? キモッ」
去年までそんなこという子じゃなかったのに……女の子って。
「そうだよ。オタクだよ。大きなお友達だよ。だから雅也君に付き合ってあげてよ」
サチにそう言われて小夏はあきれたように、しょうがないなぁと溜息をついた。
小夏にそういう目で見られるのは若干抵抗はあったが、
それ以上の圧のある視線を間近で感じ、甘んじて受け入れることにする。
いざステージ前まで行くと座席はすでに親子連れでギッシリ埋まっていた。
あの行列を考えると当然の結果なのだが。
「小夏、見えないよな?」
「べ、別に私が見たいわけじゃないから」
そう言いながら、さっきまで爪先立ちしていたのを知っている。
「肩車してやろうか?」
「はあ?」
いや、はあって……。
「なに? いたずら目的?」
「どうやったらそういう発想になるんだ。俺は小夏のおしめを取り替えたこともあるんだぞ」
「もうお嫁にいけない」
「頼むからいってくれ」
「だいたい、私が見たいわけじゃないし」
そう言ってそっぽ向いた小夏を後ろから持ちあげると、
ひゃっ! 声をあげる。
「あ、いいなぁー。雅也君、私も見えないんだけど」
「してあげてもいいけど、それさっちゃんも恥ずかしいからね?」
頭の上に、見えるか? と声をかけるが返事がない。
隣りでくすくす笑っているサチに、頭上を指差して様子を訊ねると、
口をぽかんと開けて人差し指をくわえる仕草をする。
何だよ、結局ガン見じゃねぇか。
ショーが進むと、セオリーにのっとりプリキュアがピンチになる。
MCのお姉さんが、「会場のみんなー、プリキュアに力を貸してー」と叫ぶと、
客席の子供達からプリキュアがんばれーと一斉に声が上がる。
もう何て言うか、その純真パワーに心が洗われる。
こりゃ、せっかくの休みだろうが何だろうが連れて来てやろうって気になるなと思った。
一方頭の上からもささやくような声で、がんばれーと聞こえる。
それと同時に俺の髪の毛も引っ張られるが、
もう想像するだけでやたらかわいいので許す。
皆から力をもらったプリキュアが敵を倒すと、最後はダンスでお別れ。
頭の上からはぐずぐずと鼻をすする音が聞こえてくる。
隣りのサチに目線だけで頭上の様子を窺うと、
笑いながら目のところに拳をあて、泣いてるポーズを作る。
ショーが終わるとサイン&握手会が始まる。
サチが肘で俺をつついて促して来る。
「あ、あぁープリキュアのサイン欲しいなー。誰か代わりにもらってきてくれないかなー」
「わ、私行ってあげようか?」
予想以上の素早い食いつきに咄嗟に噴き出しそうになるが堪える。
「え、小夏行ってくれんの? 小夏は欲しくもないのに? 俺のためにプリキュアのサインもらってきてくれんの?」
「しょうがないじゃない。あんたがあそこに並んでたら私まで恥ずかしいし」
ダメだ。
堪えるのがつらい。
「じゃあ、これでパンフレット買って、サインもらってきてくれるか?」
「わかった」
パンフレットの代金を握らせると、小夏は一目散に走っていった。
その背中を十分に見送ってから、耐えていたものを吐きだす。
「いや、もう何なんだろねあれ。かわいすぎなんですけど」
「ちょうどそういう年頃なんだよね。私もあれぐらいの時にクラスの女の子がアイドルの下敷き持ってきだしたもんだから、アニメの文房具を隠すように使ってたもん」
握手を終えて戻ってきた小夏は、
「もらってきたわよ」と必要以上に素っ気なく俺にサインの入ったパンフを差し出す。
恥ずかしいから持っといてくれと頼むと、
仕方ないなぁーと全然仕方なくなさそうな顔でサインをカバンにしまった。