失敗
頭が割れるように痛い。
けれども、この状況はいつものことなのである。
私は少し前まで、この頭痛を眠気から来るものと決め付けて、痛くなったら寝るを繰り返してきていた。そうすると治ってしまうものだから、私は元来眠たいひとなのだなあと勘違いしていた。
ふと気になり、ネットで頭痛のことを調べてみると、これはどうやら眠気ではないらしいことに気がつかされた。
まず、私が頭痛を覚えるのは決まって放課後。私はまだ未成年であり、うら若き高校生なのである。学校から帰ると妙に頭が痛い。
どうしてだろうか。
調べて知った。この頭痛はどうやら私の精神状態に起因する。
恥ずかしいことなのだが、私は極度の恥ずかしがりやであり、愚か者なのだ。また、この愚か者は心が弱かった。
人と接するということを中学時代から最も苦手なこととしてきた。
学校にはもちろん人がたくさんいる。それはもう大量である。
私はあえてそれに関わらず、対人しないことを学生生活の心情として保ってきたつもりだった。けれども、それはどうやら間違いだったようである。
クラスにいるだけで、私はきっと対人している。
クラスの雑多な雑音に、気がつけば耳を澄ましている。人の言葉が気になって仕方がない。話しかけられた時の言葉を考える。人からの視線を気にして、怖がる。怖いからマスクをする。
それらは全て、対人の内に入るらしい。
対人恐怖所の人間というのは難儀なもので、様々な症状が現れる。吐き気や腹痛、目眩に精神的ダウン。
それに加えて、頭痛。
私は調べた結果、これであると判明した。コーヒーをいくら飲んでも改善されないわけである。これは断じて眠気などではなく、私の精神的弱さが招いた痛みなのだ。
さて、今日の私も頭が割れるように痛い。
いつもより、痛かった。この痛みの根源を遡れば、おのずと昨日のことを思い出してしまう。私は言葉や文字が好きだった。
故に発言というものに対しては、深い思いがある。言葉はなによりも重いのだ。軽々しく使うべきではないし、重々しく告げるべきなのである。
言葉というのはその人を構成する要素の中で最も重要なシステムなのだと、私は常に考えてきた。
言葉こそが人を表し、言葉こそが全てを表すと信仰してきたつもりだ。
逆説的に、言葉こそが全てなのだと考えている。
私は昨夜母の手により、自分の言葉を否定された。それはつまり、自分の全てを否定されたということに他ならない。これが私にはとても辛かった。
通り際に殴られたり、髪を引っこ抜かれたりしたことは何度もある。悪口暴言にだって、慣れている。中学の時、私はそれらに触れて、それらの痛みを十分に理解しているつもりだ。
その時よりも、痛い。
所詮は言葉、と思う人もいるだろう。私はそう思う人を否定しない。というよりも、否定できないのだ。私は言葉こそ至上と結論しているが、それはあくまで私個人の意見である。
所詮は言葉と思う人がいるのならば、言葉だからこそと思う人間がいてもおかしくはない。
自分を全否定され、私はもう駄目になった。私の存在を否定してくださったのは母なのだが、彼女はどうやら自分を人とは考えていないようなのである。いくら対人恐怖症の息子とて、実の母とは対人できるだろう。そう思考しているに違いない。
けれど、私は違う。彼女は人間なのだ。彼女と一緒にいるということは、対人に他ならなかった。それが私には辛いことだったのだ。
私が好きな小説の一文、それも日常描写なのだが、そこに日々考えてきたことが書いてあった。それを丸々と引用するのならばこうだ。
『俺ならばきっと沈黙に耐えきれなくて中身のないことを喋り出すだろう』と。
私もこれなのだ。私は母の前で無駄話製造機になってしまうのだが、これは別に彼女に親しみを抱いているとか、そういうことではないのだ。
私は対人することが何よりも怖い。
沈黙というのは、立派すぎる対人行為なのだ。寧ろ、言葉を紡ぎ続けることによって、私は沈黙という最大の対人から逃げていたのだ。
もしも、私が普通なら。喋ることなどないのだろう。元来、こちらは無口である。
けれども、昨夜はその行為すら駄目だと決められてしまった。母曰く、『ごちゃごちゃうるさい』だそうだ。確かに、客観的に見るまでもなく、私はうるさい。夏蝉などよりもなおうるさく、暴走族の一群よりも騒音を奏でた。
また、しつこかった。
しかしだ、それは許してほしいのだ。無言を貫く行為は、辛い。黙ろうと思えば、それは黙ることだって可能だ。けれども、そうなると、私は悲鳴をあげることになろう。
頭痛は酷くなっていく一方で、最近では寝ても癒えない。もうそろそろパンクするのではないのだろうかという不安が、更に痛みの原因を生み出していく。
悪循環というやつである。
今日は素晴らしいことに懇談があった。実にすばらしいことである。一寸先は闇という諺を前にして、人間の必死なあがきが見てとれて、非常に参考になる。
暗いのは怖いのだろうか。多くの人は一寸先を照らす為、あらゆる努力を行う。その努力には毎度、目を見張る。
保険だってそうだし、年金だってそうだ。子供を産むのだってそうだし、勉強をするのだってそうだ。技術を生み出すのだって、誰かと友達になるのだって、誰かを虐めるのだって、全ては一寸先の闇を恐れてことなのだから。
人は一人で闇に入ることを恐れる。故に、一人では何も決められない。
懇談なんていうものは、それを十分代表できるものだと言えよう。親と自分と、それに教師まで巻き込んでいるのだ。どれだけ怖がりなのだか、理解できない。
結論だけ言うと、今日の懇談は非常に有意義なものとなった。
では、ことの顛末を述べていこう。
まず先生は私に問うた。台詞を一言一句覚えている訳ではないので要約していくが、要するに、
「物理の授業どう?」
と問うてきた。私は物理が案外好きだ。言葉とは違う視点で世界の事を語っており、また、あらゆることに説明を付けようという姿勢は素晴らしい。点数は取ることができないが、物理の先生の授業は素晴らしいものなのだ。ユーモアに富んだ説明や印象に残りやすい授業展開。所々に自然な空白の時間と休憩をとり、生徒を逃がさない授業。実に有意義で、楽しい授業だ。
私はその旨を伝えようとしたが、隣にいる母が気になった。彼女は私をごちゃごちゃうるさいと評す。母でこれなのだから、他人には違う方法で行かねばならない。
私は言葉を極限まで圧縮して、小声で答えた。この小声の意味なのだが、これは私の対人恐怖症に起因する。私は人と喋るのが苦手なのだ。
私の言葉が気に食わなかったらしい。彼は何かを言い続けていたが、よく理解できなかった。しどろもどろになりつつも、私は物理の授業は素晴らしい。点が取れないのは、私が至らないだけだと云った。
次に先生は次のテストでは物理の勉強に時間を割くように、ということを言った。それに対して、私は「できれば頑張ります」という感じの事を返答とした。
さて、ここでまた私の意見なのだが、言葉の力は非常に大きい。日本には言霊という言葉もあるように、言葉の力は人には抗いがたい拘束力を持つ。
だからこそ、私は言質を取られることを嫌った。正確には、恐れた。
だからこその「できれば」なのである。それは当然なリスクマネージメントであると同時に、私の素直さと誠実さの表れだと解釈できるだろう。
私は如何なる時でも嘘をつくことを良しとしない、欺瞞と虚偽と偽善を嫌う、真に愚直な人間だったのだ。
けれど、この「できれば」という言葉。可能であるなら、という意味だ。大いにプラスの要素を含んだ、よい言葉ではないだろうか。
けれども、先生はこの言葉を――つまり、私を駄目だといった。
「逃げ」
だと言ったのだ。それは違う。これは逃げではないのだ。これは断言できる。私は逃げてなどいない。
逃げたいとは毎日思い続けてきた。けれども、環境がそうはさせてくれない。
逃げではない、選択の余地を残したのだ。彼はそれこそを逃げだと断じるのだろうが、私にはそうは思えなかった。まず、易々と断言することを私は好まない。また、前に進む為には足場が必要なのだ。強い人間、恐れを知らない人間、愚かな人間ならば、断言することを辞さないだろう。けれども、私は愚かではあるが、そういう人間ではなかったのだ。
言葉の重みを知った、哀れむべき愚か者なのだ。
私は断ずることを渋った。彼は語調を強くして、私に「やる」という言葉を呟かせることに成功した。対人恐怖症たる私にとって、それがどれほど苦痛となったかは、想像に難くないだろう。
ここで、私は気分が悪くなった。
それから先生の話は続く。
彼が何を言っていたのかは忘れたし、考察に値しないのだが、その中で一つ、どうしても聞き逃すことのできない言葉があった。
「――捻くれて」
違う。
私は捻くれているのではない。いや、実際は捻くれているのであろうが、それを認めることは嫌だ。捻くれているのではないのだ。ただ少し壊れてしまっているだけだ。
自ら望んでこうなった訳ではない。だのに、彼はそれを私が成した行為の結果と言うように告げた。それが我慢ならなかった。
私は彼の言葉を食いつぶすようにして、無理に割って入って行った。これはほぼ無意識の言葉だった。そして、それはつまりとして、この言葉が私の何よりの本心だったと言えよう。
「捻くられた」
私にしてみれば、これは当然の事だ。
突然だが、性善説という考えをご存じだろうか。人間は皆、生まれついた時は正義の心と良い精神を持ち、真に醜悪で愚かで穢れている者はいない。というような考え方である。逆に性悪説などというものもあるが、私は性善説よりの考えを持っている。
そして、本心から歪んだ人間などいない。というのも持論だ。
個人ではなく、集団または世界が強制した歪みなのだ。自分から望んで、私は私になったのではない。私が私に至るには、他人が考えている以上の軌跡が存在する。それも理解せず、(もちろん理解などできるはずはない)勝手に捻くれなんて呼ばれたくない。
私は歪められたのだ。何を自分の事を他人の所為にしているのか、とそう叱咤する者もいよう。おそらく、教師もそうだった。
彼は何やら激怒した。
神経を逆撫でられて、気に食わないらしい。それはこちらも同感だ。
相談に乗ってやっているのにその態度は何だ、そういう気持ちもあったのだろう。しかし、だ。そんなこと知ったことか。私はそもそもお前達に頼んだ覚えはない。
勝手にやった偽善に感謝を要求すると言うのだろうか。私は最悪で最低で醜悪な人間だ。そんな易々と感謝などしてたまるか。否、もしも、これが私が望んだ偽善だったのならば、私は喜んで感謝するだろう。単純で普通の行為だったのならば、私は感謝しただろう。遍く言葉と態度を尽くして、感謝の意を相手に伝えようと動いたであろう。
相手はあくまで仕事である。それに対して、感謝しろと強制されるのは嘘である。
私は言葉を生むことを渋り続けた。何故ならば、私の言葉はもう紙クズほどの意味を持たないからである。空虚で無意味。
私は死にたいと思う。何故ならば、言葉をすべて否定されるから。意見を言葉にすることが否定されるから。
人権がない。そんなことは知っていた。
中学の時、存分に味わわされたので覚えている。最初から知っていたとも。皆が知っているのだろう。知らぬ者などいないのだろう。
この私に人権などない。言論の自由など、一切保証されていないのだ。
これ程苦しいことはない。自分の考えは何もかもが間違えで、自分の言葉は訊かせるに値しないほど稚拙なのだ。
それも理解してはいたのだが、やはり認めるのが辛かった。
私は諦めた。何を言っても無駄なのだ。全員、母と同じ。
こちらの言葉など求めてはいなくて、ただ意見を持つことなく従うことこそが最善なのだ。おそらく、多くの人間がそうしているように、私はこの時、大人しく諦めた。
けれども、私は大人しく諦めたつもりだったのだが、今に思えば変な意地を張った。
自分は何一つとしてきちんと喋ってはいないが、それでもきちんと喋れば言葉が伝わる筈だ。と、そんな様子で、憮然とした態度で教師の眼鏡の奥に潜む激昂した瞳と相対した。
けれども、それが駄目だった。それは私にとって、痛恨の一打となりえた。私は対人恐怖症なのである。そんな私が、他人の怒りと憎悪に満ちた瞳を長らく直視していると、頭の中で何かが切れた。少し壊れていた私は、この時、完全に破砕された。
彼の言葉はもはや、どうでもよかった。
苛々した、癪に触ったと言われれば謝った。何かをやれと命じられたら、従った。いいえ、なんて一言も云わなかった。あの時、死ねと言われれば死んだだろう。あの時、母を殺せと言われていれば殺しただろう。
私は『はい』としか言わなかった。これではただの人形だ。そんな人形になることこそが、生きていくのには大事なことなのだろうか。
だったら。生きることに価値なんかないじゃないか。
そこでもう、私という名のダムは崩壊した。私は自分という誇り高き、哀れな愚か者が屈服する様をまじまじと見せつけられたのだ。
悔しくて、恥ずかしくてもどかしくて、情けなくて。
屈辱になすすべもなく、私はただ頭痛に悩まされていた。涙が溢れてくるのを感じながら、私はただ存在していた。存在を否定されてもなお、私はまだあり続けてしまう。
「もっと素直になれ」
「はい」
言われた通り、私は彼に対して素直になることにした。もう……言質は取られた。私が信仰する言葉という神が、私の体をがんじがらめにしてしまう。
それから色々と話した。よくは覚えていない。何故ならば、自分の意見が無かったからである。無くしたのだ。言われたから。
だというのに、彼らは私に意見を求める。訊く気もない、何かを言えば否定する。私はこれを罠だと思った。
だから、考えた。
耐えきれず、私はトイレに行きたいと願い出た。今にして思えば、これも私の意見なのだろうか。だとすると、私は嘘をついたことになる。
意見は持たず、素直に従うつもりだったのだが。どうやら、私は馬鹿げた自尊心を、無意識のうちに捨て去ることができなかったようだ。
トイレで、私は何度も顔を洗った。そして、昔父に怒られた時の事を思い出した。
あの時、何故泣いていたのだろうか。
幼い私も今の私も、どうして父が激怒していたのか、分からないのだ。どうして怒られているか分からないから、どうして終わるのかも知らなかった。いつも急に怒られて、急に説教が終わるのだ。
私は父の偉大なる言葉に対して、恐怖以外の何も覚えなかった。父の言葉が人生を変えることはないし、父の説教が私を改善することもなかったのだと思う。
改善することができるなら、私はもっとマシな人間だった筈だ。
トイレから出る時、私は静かに決意した。頑張ろう。人形のように言葉に従い、自分の意見などは塵芥同然だと思い定めよう。そう決意した。
ずんずんと堂々とした足取りで、私は教室に戻った。
確か、私がトイレに行く前にしていた話は、私がどの大学の学部を目指すかということだった。
私は言葉を信仰していて、言葉を何よりも尊敬していたので、どうせならばそれでいいと思った。幸いなことに、教師は先程、私の事を文学青年とも評した。
本しか友達のいない、本しか頼るものが無い馬鹿野郎と評していた。言葉ではそう言っていなかったが、おそらく心中では生意気な私をこう詰っていたのだろう。
ならば、誘導されたということにもできよう。私は心にもないことをさも述懐するように告げていった。
何を言っていたかは思い出せないが、大体は、
「地方歴史や文学、日本史に興味があります。およそ国の事と言いますか、言葉に対する興味が――」
日本文学や文学に興味がないと言えば嘘になる。けれども、私がまず目に入ったという理由からもっともらしいことを言ったのは、地方の何かだった。興味などない。
すると、先生はようやく待っていた言葉が出たと、まあ喜んだふりをしていた。振りかどうかはよくわからないが、対人恐怖症の目から見れば、世界中は欺瞞に満ちている。
して、教師は私に何か為になるようなことを等々と語り始めた。
私は聞いていなかった。いや、耳には入ってくるのだが、それに対して何の感想も抱けなかったのだ。心が死んでいた、とでも言うのだろうか。何も考える思考能力が湧いてこなかった。私は彼の言葉をただ茫然と聞いていた。
けれど、言われたことは暗記している。十分に記憶している。覚えているだけでは意味がないのだが。
「自分の進路について調べろ」
先生はそう言った。それから、調べるツールはあるかと聞いた。あると答えた。それからそれから、進路の事で何か分からないことがあったら俺に聞けと言ってきた。はいと答えた。それかもう片方の担任の先生に訊けと言ってきた。はいと答えた。無理だったら、進路指導室というのがあるからそこへ行けと言われた。はい、分かりましたと答えた。
終わる時、私はまた涙を顔に溢れさせていた。周囲の者からすれば、どうして泣いているのか理解できなかっただろう。教師の激昂は別に怖いとは思わなかった。もっと怖いものなど、幾らでも見てきた。推測だが、怒られたことは涙の原因などではない。
言葉という神を幾ら崇めても、私は救われることなどないのだろう。こんな駄目な存在、神が許容してくれる筈もない。
私は自分が情けなかった。対人恐怖症により言いたいことも碌に言えず、口論もできない。従うことすら上手くできず、人として不完全。
何よりも、自分の心の弱さが……憎らしかった。弱いから。弱いから、私はこうなった。周囲の環境が、私をこう捻じ曲げたのだろうとは思っている。けれども、私が強ければ。
きっと向かってくる環境の方をなぎ倒し、自分という存在を誰に証明して貰うことなく誇りきったことだろう。ああ、そんな人になってみたい。
だが、無理だ。マスクが無ければ出歩けない。マスクがあっても頭痛に悩まされる。こんな弱い人間、きっと存在していること自体が嘘なのだ。